到着と秘密
ユヅキは黒髪短髪の現代っ子
ユヅキは元の世界では帰宅部だ。
元弓道部だったとしても、それは高校一年生までの話。
今はもう贅肉だらけ、そのくせ胸には肉がいかない扁平な体つき。残念な体型、と誰かが言ったがまさにそうである。顔に肉がつきにくかったおかげで着痩せはしたが、鏡の前で呆然と立ち尽くす姿は悲しいものであった。
だが、それももう終わり。ユヅキの体は今、大きく変貌を遂げていた。
わかりやすく、数値に表してみよう。
Before After
身長 163.0cm → 163.4cm
体重 58.3kg → 53.4kg
ウエスト 78cm → 66cm
ヒップ 98cm → 91cm
太もも 59cm → 52cm
ユヅキ自身、これほどまでに変わっているとは気づいていない。しかし自分の体を見るたんび嬉しくなっているのはここだけの話だ。
「肉体の変形…もしくは異常なカロリー消費…?」
ボソリと呟くユヅキは、未だ自身に眠る才能を諦めてはいなかった。
もし肉体の変形が自身の才能ならまだまだ希望はある。もしかしたら背中から腕が生えてくるかもしれないし、もしかしたら体が獣のように変化するかもしれない。
後者の予想は『どれだけ食べても太ることのない体』といえば聞こえはいいが、戦闘では何一つ使えない。否、もしかしたらカロリー消費に発する熱量を体外に放射したり…?
しかしそんなことできて仕舞えば人間から魔獣へと成り代わり、狩られるだけの存在になってしまう。
華やかな能力が欲しい反面、いつ人間に攻撃されるかを警戒しなければならないのかと思うとなんともいえぬ状況だった。
肉体変化が能力だとすれば、何故自分の胸には変化がないのかと疑問に思う。特別胸に恨み妬みを持っているわけではないのだが、少しくらい期待してもいいと思う。女の子だし。
ユヅキは下を向き、自身の胸に手を当てた。
変わらぬの大きさ。ミリ単位は変わっているのかもしれないが、それを知るすべはない。元を測っていないのだ。どれだけ調べようとも比べるものがない。
AとBの間という壁は異世界に行っても超えるのは難しいようだ。
「なーに難しい顔してるの?」
ひょこっと後ろからリネアが顔を出す。
ユヅキはビクッと体を震わせ「う、わぁお…」と小さく声を漏らした。
今ユヅキ達がいるのは大きな図書館だった。
そう、ユヅキとリネアは無事にロナフト村に着いたのである。そして既に着いてからは四日経っていた。
リネアの服装はあいも変わらず白と赤が基調のコートに銀色の軽い鎧を身に纏い剣を携えている。
ユヅキの服装はというと、これまた激変していた。半袖短パンの紺色をしたつなぎの上には体全体を覆い隠す黒いローブを身につけていた。
ユヅキの黒髪と黒目はこの世界では珍しいらしく、目立つのを好まないユヅキは極力一眼の付かないような服装を選んだのである。つなぎはリネアの趣味だ。
半径50メートルはあるような円柱の図書館。壁にずらりと並べられた本棚と中心へ向けて立ち並ぶ本棚は優に百を超えている。そして中心には二階へと上がる螺旋階段が一つ、大きく存在感をはなっていた。
ユヅキのいる場所は螺旋階段と本棚の間、読書スペースである。長机が四つ、四角形に並べられており一つの机に約十人前後が座れる。
建物も木、本棚も木、机も椅子も存在感の大きい螺旋階段だって木でできている。その作りに安心感を抱いていた。そのせいで近づくリネアに気がつかなかったのだ。
ユヅキは少し視線を泳がすと苦笑いを浮かべた。
「…魔獣の種類がまだ覚えられないって思って」
「あぁ。確かユヅキの世界には魔獣がいなかったんだよね?そりゃあ仕方ないよ」
ユヅキは手近な嘘を投げてその場をやり過ごす。口が裂けても自分の体の事を考えてました、そしてほんの少し見とれてましたなんて言えない。
しかし魔獣の種類を覚えられないのも事実。
鳥類や爬虫類など数多に部類分けされた地球の知識より簡単なのかもしれないが、残念な事にユヅキの脳に容易く入る内容ではなかったのである。
魔獣の種類は四つ。
数だけを見れば少ない。脊椎動物や無脊椎動物にまで分ける方が圧倒的に数が多い。
下から順に、下方、中念、上際、伝特である。
下方は人型ではない魔獣。例を出すとイラウジャがそうだ。知性が乏しく、本能で動く動物で単独行動の方が多い種類である。
中念は人型、半人半獣型、獣型ができ、陰が使える魔獣。だが、獣型で陰は使えないデメリットもある。
上際は人型のみで陰が使える魔獣。一瞬で中念と上際の見分ける方法は目の色にあるとか。上際は血のように真っ赤な目。中念は黒みがかった赤だそうで、それ以外戦ってみないとわからないという残酷さだ。カラコンなんて物をつけられてはたまったものではない。この世界にあるか知らないが。
もう一つ違いを上げるとすれば陰の強さである。
中念は直接戦闘に関わらない陰を使い、上際は直接的な攻撃を得意とする陰なのである。と、言われている。
伝特は伝説上に存在しており今現在いるかどうかすらわかっていない魔獣だ。
陰についてわかっていることは少ない。それに加え魔獣すら、“倒すべき相手”“人間の敵”といった共通認識以外存在していない。
どういう生き物なのか。陰とは何か。人間の違いは陰以外に何があるのか。どの書籍にも書かれていなかった。
背後に立つリネアが顎に手を当て思考する。椅子に座りながら後ろを見上げるユヅキはそれをただぼーっと眺めていた。
端正な顔立ちだな、と思いながら。
「…文字にして書いてみた方が早い、とは思うけど」
「使ってる文字が違うからあんま使っちゃいけない…んだよなぁ…」
リネアとユヅキが同時にため息を吐く。リネアは困ったように眉をひそめた。
ユヅキの言う通り、この世界とユヅキが元いた世界の文字は全く違う。同じ文字も、ましてや似ている形すらないただの暗号のようであった。
よくある異世界ものの、何故か文字と言葉がわかる、という能力は付属されなかったらしい。
言語はセツ曰く研究員達が脳に干渉した為だとか言っていたがどこまで本当かは、もうわかったものではない。息を吐くように嘘をつきそうな男だ。信用しきれないのも無理はない。
ユヅキが異世界人だという事はリネアとの秘密であった。
秘密、と言ってもオカルトチックな誰も信じないような内容であるが。それでも二人は他言しない事を誓った。
理由は簡単。もし、実験施設が本当にあるとするならば、勝手に逃げ出したユヅキを血眼で探しに来るかもしれない、というリネアの憶測であった。
思えばセツも最後辺りにこの事は言わない方がいい、と言っていた。
ユヅキは何も疑わず、その秘密を守る事にした。
文字も常識もわからない今、武芸以外だけに集中する、だなんて馬鹿げた事も言ってられないのだ。
旅人になるにしろ狩人になるにしろ文字を読むのは必須。
ユヅキは今、休憩がてら勉強も兼ねてこの世界の本を読んでいたのだ。先程から一ページも進んでいないが。
リネアは切り替えるようににっこりと笑い明るい声を発した。
「ねね!今日これから装備買いに行かない?ユヅキの装備!」
「えっ…今まで着てたのって装備じゃないの?」
「えっ?ただの服だよ?」
お互いポカンとしてユヅキは少し恐怖を覚えた。あぁ、今まであたしは裸同然で戦っていたのか、と。
中ボス辺りをレベル一のまま装備なしで挑んでいたのかと。
リネアはユヅキの動揺に気づいたのか「ごめんごめん」と悪びれもなく笑いながら謝った。
「たまに抜けちゃうところはお茶目だとして許してよ」
「前線に押し出されたニートの気持ちも考えてくんね?」
「え?ニートってとある神の敬称だよ?」
「ごめんなさい罵倒しましたすみません撤回します」
ニートが神の敬称だとは。せめてその神は怠惰な神であってほしい。
日本のほとんどが|Not currently being Employed, Educated or Trainedという意味で使っているのだ。その意味を知ったらリネアは神の冒涜だと怒るだろうか。
いや、神なんて信じるような人ではないだろう。ユヅキはどこかで確信していた。
「ま!それはそうとはいっ、出発!」
「え?早くね?」
「早くないよ!数十分も同じ頁と睨めっこするより大事だから」
「…待ってリネアいつから居た!?」
リネアはまるで知らん顔。スキップをする勢いでユヅキを急かす。
本を戻してリネアの後ろについていく。一歩後ろの位置。それがユヅキの定位置だった。
帰り際、図書館の管理人に会釈をして外に出る。外でも中でもローブのフードは外さない。薄暗くなっている今、黒いローブはユヅキの存在をかき消していた。
リネアに手を繋がれ人通りの多い道をぐんぐん前へ進んでいく。
その姿がまるで椎名といるようで、その手を少しだけギュッと強く握ってしまう。
──秘密。
一つだけユヅキ一人だけ持つ秘密があった。
リネアを信頼していない訳ではない。むしろ命の恩人で返しきれないほどの恩を貰っている。けれどそれは口に出して仕舞えばユヅキの中で何かが壊れる気がした。
関係がではない、信頼がではない。
“自分”という認識が、何もかもを壊してしまいそうで、
──心臓が動いていないなんて、化物のようで
全くではない。
イラウジャと戦ったときのように戦闘になれば心臓の鼓動は感じられる。
だが、今この時のように何もしていないときには何も感じない。左胸を触っても拍動はない。
自分は人間だと言いたい。
自分は正常だと公言したい。
なのに、それは、
ユヅキの喉に詰まるだけ詰まって、息苦しさを与えていた。
図書館って涼しいですよね