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満月日和  作者: 海月 星
第2章 直立不動の真実
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常識と非常識

 もがくように両腕を振り回す。

 息ができず、胸は刻まれ、苦し紛れにその意識を浮上させ──


「──っぁ!」


 勢いよく起き上がり、乱れた呼吸が心臓を締め付ける。

 妙な汗が頬を伝い、肌に触れる外気の冷たさと内側に燻る熱の差に頭が混乱しそうになった。

 呼吸が整わぬまま、何を思ったのかルイは自身の顔を確認するように触る。けれどお面を付けている顔は口元しか触れず、なにかを掴めなかった両手は力なく下げられた。

 一瞬自分が誰だかわからなくなった。

 “夢”があまりにもリアルで。まるで自分の記憶を再上映しているかのような感覚に、本物の記憶と矛盾が生じる。その矛盾が自身に曖昧さを催した。

 一つ二つと深呼吸を繰り返し、記憶の齟齬を確認しようと汗を拭ったところで、


「──あっ、起きたの?おっはよんー!」

「……」


 扉が開く音と共に、どこか聞き覚えのある第三者の声がした。

 声は高すぎず、低すぎず、されど女性的な音で、歌でも歌えばソプラノからテノールまで歌えてしまいそうな声音。

 ルイは心底不快な感情を隠すことなく声の方へと目を向けた。

 そこに居たのは、頭に大きなゴーグルを付けた、ゆるい緑髪を肩下まで伸ばす小柄な少女。透き通るような白い肌は彫りの深い顔立ちによく似合い、ヨーロッパ辺りに居そうな少女だった。

 藍色のツナギは全開に開けており、中のタンクトップが丸見えで、そこから膨れ上がる双丘がやけに目立った。

 ルイはため息混じりに言葉を紡ぐ。


「…先日はどーも」

「いやいやそんな絶望するくらいに嫌がらなくてよくない?え?私命の恩人だよ?あれ?」

「ギシアンさんに頼んだんじゃなく?」

「えっ、なんで知ってんのん?」

「……」

「そう冷たい目をするなよー!」


 相変わらず彼女は、前に出会ったテンションの高い少女だった。

 まだユヅキだった頃の自分。リネアと別れてすぐの街で、最も印象が強いといっても過言ではない。

 名前は知らない。

 従者らしき奇抜な女性の事をギシアンと呼んでいた。そしてギシアンは自分たちが機械の国、サネスチヲ出身である事を口にしていた。だが、それだけだ。

 話した事があり、出身を知っているだけで友人だとは思えない。知人という関係が一番しっくりくる。

 知人である少女は未だ「世界は残酷だ…」や「ギシアンは私のだからつまりギシアンの成果も私のものじゃ…?」など、独り言なのかルイに話しているのかわからない言葉を吐き続ける。

 そんな少女を無視して辺りを見渡してみた。

 木造建築の一室と称するに相応しい六畳ほどの部屋。タンスが一つとベッドが一つ。ルイはそのたった一つのベッドに腰掛けており、近くには窓があった。そこから見える景色は赤銅色の岩々だ。

 上を見ても下を見ても左右を見ても岩だらけ。正面には蛇行している一本道が暗闇に紛れていた。洞窟か、もしくは地下だろうか。

 ルイは気絶する前のことを思い出しながら、なぜか頭を抱え出した少女に向き直った。


「…いくつか聞いてもいい?」

「え?私の名前?仕方がない、教えてやろう!」

「聞いてない」

「アーラル!アーラル・チェリーネ!さあ敬え!」

「聞いてない」

「さあ!」

「……」


 一向に話の進まない少女、アーラルとの会話にため息をこぼす。

 この場にあの奇抜なファッションの持ち主であるギシアンが居てくれれば話はスムーズに進んだのだろうが、残念ながら出会いと同じように主人を蹴り倒しての登場はしなさそうだった。

 未だ目を輝かせるアーラルに呆れながら口を開く。


「ここはどこですか、っていうありきたりな質問しても?」

「いーよいーよ!その代わり私の質問にも答えてね!」


 案外すんなりと受け入れるアーラルに怪訝な目を向けながら、その口から答えが出るのを待った。


「まず!ここはケチェの洞窟っていうなんか歴史の長い洞穴で、君は洞窟に流れる川から漂流してきたわけのわからない子。ここまで大丈夫?」

「…あー、うんまぁ」


 記憶を辿り、川に落ちた経緯を探るが、これといってピンとくるものはない。

 可能性をあげるのなら崖から落ちた時か。

 確かにあの場所に川は流れており、落ちたのがたまたま水上だったのなら納得できる。

 しかし水面に当たる記憶がないからかあまりしっくりとは来なかった。

 と、そこで共に崖から落ちたであろうもう一人の存在を思い出す。


「あの、さ…あたしの、周りにもう一人居なかった? あの、こう…人が」

「んー?人?人はいなかったけど中念ならいたよ?ギューって君のこと抱きしめてさ!」


 その答えは魔獣を人として見ていないもので、言い淀んだ理由もそこにあった。

 互いに差別化を図る人間と魔獣。魔獣を心配する人間など存在しないと言ってもいいほどひどく、あくまで穏便に済ませたかったルイは『魔獣』という単語を出すのに躊躇いを持った。

 ルイは魔獣を恐れるものとしては捉えても、どの種も嫌いであると断言はできなかった。

 ルイの全てを壊したのはセツナであり、魔獣ではない。

 とはいえ先ほども示した通り恐怖はある。もう一度同じような事が起こるかもしれないという不安はある。

 それをいとも容易くできてしまうのが魔獣だからだ。

 ルイがどこか考え込んでいると「質問だいじょーぶ?」という声がした。

 ルイは肯定を示すようにため息をついた。


「よし、なぜため息が肯定なのかは置いとくとして。君さ、あの魔獣君飼ってるの?手綱はちゃんと握ってる?」

「…飼ってはない、けど」

「けど?」


 アーラルの追求にどう答えたものか。

 気絶する前の暖かさは予測ができる。エリニスがルイを助ける為に抱きしめたというのはアーラルの証言で確信が持てた。

 死なないルイに命の恩人と言うのはどこか違ったように思えるが助けられたのは事実だ。なぜ助けたのかはまでは予想できないが。

 飼っていないのに魔獣と一緒にいるというのはこの世界にとって『あり得ない』。

 ならばここは嘘でも『関係ない』と言った方が穏便に済むと言うもの。

 ルイは肩をくすめながら「別に」と答えた。

 そう、答えてしまったのだ。

 アーラルが飛びっきりの笑顔を見せて口を開く。


「──そう!ならあの子の命は私達の物だね!」

「…は?」


 アーラルはルイの声が聞こえていないように続ける。


「いやー。中念ってさ、捕まえ難いんだよねぇ。捕まえた所であいつら知性あるから自害しちゃうし…どうしてああも活きがいいんだろうね?」

「…つ、捕まえて、どうするの?」

「ほえ?何言ってんの?」


 アーラルはいつもと変わらぬ調子で首をかしげる。ルイの質問の必要性を疑うように。

 そしてアーラルはさも当たり前のように残酷な言葉を発した。


「──死ぬまで腹割るに決まってんじゃん!」


 無邪気に笑って。まるで今晩の夕食が自らの好物だと公言するように。

 いや、その例えは正しいのかもしれない。

 アーラルにとって魔獣は夕食の食材でしかなく、捕まり難い中念が久々に手に入ったのなら嬉しく思っても無理はない。

 無理はないが、価値観を共有する事が出来なかった。

 底知れぬ溝が二人の間に、この世界とルイの間に深い深い隔たりがあるのだと叩きつけられた。


「そ、それって人体実験みたいな…?」

「人体実験って!」


 アーラルは腹を抱えて笑いだす。

 馬鹿にするように。からかうように。

 いつもなら苛立つなり言い返すなりするルイだが、今はどうしてもその気になれなかった。

 死に直面した時とは違う恐怖を覚えながらルイはアーラルの次の言葉を待ち。


「──魔獣は人間じゃないんだからそんな悪人みたいに言うなよぉ!」


 この世界の常識に絶望した。

 自分と同じくらい、もしくは年上の少女が笑顔で人間ではない生き物の腹を割る。

 人ではないから許されて、人ではないから常識で。

 例え言語が共通してようとも、人間と同じ感情を持ち合わせていようとも、アーラルは同じ事を言うだろう。

『人間じゃないんだから』と。


「で、もさ…死ぬまで、ってのはちょっと、ね」


 目を泳がせながらに言葉を紡ぐ。

 なんと言えばいいのかわからず、自分の脳を落ち着かせるための言い訳でもあった。

 魔獣という圧倒的力の格差に追いつく為に仕方がないのだと。対抗するにはこれしかないのだと。

 太古より染み付いた“生き抜くための力”を見せつけられている。

 ルイが粘つく汗を拭うと、またも不思議そうにアーラルは首を傾げた。


「そうでもしなきゃ、私達は生きられないでしょ。食べたり食べられたりしてる中で、実験はダメだとか苦しませるのはダメだとか、言ってる余裕なくない?」

「そう、だけど…そうだけどさ、なんていうか…魔獣だからとかじゃなくて、その」

「人間の敵は魔獣だよ」


 全てを言う前に言葉を被され、黙りこくしかできなくなった。

 アーラルの表情はあいも変わらずニコニコと笑っているが、その声音は圧迫させた空気を押し付ける重力のようだった。

 セツナのように恐怖を押しつけるものではなく、ただ圧倒する。

 責め立てているのではない。純粋に自分の信じるものを口にしている。それだけだ。

 アーラルは一歩、一歩とルイに近づきながら弾むような声で言葉を発した。


「君の周りには魔獣に殺された人とかいなかったのかな?みんな幸せで、みんな苦しまなくて、みーんな魔獣を恨んでなかったのかな?」

「……」

「それならどうして旅人なんてやってるの?剣を持ってるって事はそれなりの覚悟がなきゃ必要ないものだよね?それとも飾り?」


 距離を詰められていくたび、重圧がルイの肩にのしかかる。

 アーラルの正論にルイの異論が押しつぶされるような感覚。

 その考えは間違いだと、子供に教えるようにじっくりと。ゆったりと。言い聞かせていた。


「幸せなことを攻めるわけでも、半端な覚悟を罵るわけでもないんだけどさ。もう少し、周りを見た方がいいんじゃない?」


 ベッドサイドに腰をかけ、お面の鼻と自らの鼻をくっつける。

 魔術により相手からは目が見えない筈だというのに、緑黄色の瞳はルイの瞳を離さなかった。

 そして、


「自分を隠すのは良いけど、そのせいで周りまで隠れちゃ人生台無しだよ?」


 変わらぬ様子でニッコリと笑うのだ。

 顔を離し、人差し指でお面の額部分を少し押し「まっ!血が苦手とかもいるからさ!君だけが異常ってわけでもないんだけどね!」と笑った。

 一回転しながら立ち上がり、今度は旧友に話しかけるよう口を開く。


「そうそう!なにか思い入れがあるなら、その中念君、下にいるからいつでもおいでね!あ、でも殺すのはダメだよ?“アレ”は今から私のものじゃ!なんて!」


 そしてスキップ混じりに部屋から出ると、なんとも言えぬ重い静寂が訪れたのだった。

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