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満月日和  作者: 海月 星
第一章 生と死と
3/38

今、始まる。

今回、長いです。

 ピッピッピッ、と電子音が規則正しく音を響かせる。

 乱れる事を知らぬ拍動にも似た電子音は脳にこびり付いて離れない。離さない。

 ただただ一定のテンポ、強弱、音。音色にすらならない。曲にしてはなんて駄作な。しかし記憶に明確に刻まれる。

 狂騒曲。その言葉が正しい。

 音楽に触れた事がある人たちが聞けばそれは大いに間違いだろうが、まるで曲のような印象を受ける。ただの音ではない。ただの電子音ではない。

 しかしそれは紛れもないただの音なのだ。


 そこは研究所だった。


 白を基調とした薄暗くとても広々した室内は、天井から床までを繋ぐ筒状のガラスケースを中心に多くの機械が設置されている。ガラスケースを照らすように設置された照明。それ以外の照明は心寂しく静まっている。

 白衣を着た男女6名。研究者だろうか。彼らは機械に操作したりカルテを見たり指示を出したりと誰もが休む事なくせわしなく動き回る。

 誰一人として笑う事はない。無表情に真剣にそして、冷酷に。

 カタカタ カタカタ カタカタカタカタカタカタ

 休む事を知らぬ指先。弾かれるキーボード。無機質な音。面白味のない旋律。ここにいる人は身も心も人形なのかと疑うほど、伽藍堂が広がっていた。

 ああ、それなら先ほどの電子音の方が幾分か中身が詰まっている。

 ただ一定だからこその物語。ただ一定だからこその危うさ。

 地に足のついた、何かを諦めた人間によく似ていた。


 ガラスケースは大の男が両手を広げても余裕がある広さだ。

 薄青色のジェルに下から照明を当てられ中の物体を照らす。電子音はここから流れてきていた。

 部屋の中央に重々しく佇む姿は神秘的な冷たさを発していた。

 重い、重い、重圧が。その場にいる者を奮い立たせる。

 ただの“モノ”。ただの“キカイ”。されど格が違う。一段階。否、もっとだ。

 もっともっと上。もっともっと先。

 本来なら届くはずのない領域。本来なら届いてはいけない領域。


 指示を出していた1人の白衣を着た女性がゆっくりと視線を上げる。

 ガラスケースの下から。純白の爪先。ほっそりとした足。平均的な腰。痩せすぎない腹。小さい胸。滑らかな首筋。小さな顔。閉ざされた瞼。黒く短い髪。

 ところどころが包帯で巻かれ、点滴のようなチューブで繋がれている。口には酸素マスク。そこがベッドであるのならさながら病院にいるようだ。

 スタイルが良いとは言えない扁平的な体型。どこぞの誰かの趣味で剥製を飾っているとしても、あまり“良い”品質ではないのは確かだ。

 死んだように眠る人型の“ナニカ”。

 神秘的な“キカイ”とは正反対の、人間らしい“ニンゲン”。

 研究員達の誰一人としていない黒髪。


 知っている。

 コレがナニか知って。

 この黒い髪も、この扁平的な体型も。

 知っている。知っている。

 コレは。ソレは。その人は──


 ──ミナミ ユヅキその人であると。


 ピクリとユヅキの指先が動く。そして、ゆっくりと閉ざされた瞼が開いた。

 瞳はどこか虚ろでなんの光も宿していない。意識はあるらしく瞳を左右に動かし現状を理解しようとしていた。


 ──…ここどこ?


 どれほど見渡そうとも何もわからない。理解できない。ユヅキは意識を失う前の事を頭をフル回転させて思い出す。一つ一つの遅い動作にほんの少しの焦燥感を宿して。

 そう、椎名と映画を観に行こうとしたのだ。

 朝は寝坊し、急いで支度をしてユヅキの兄、拓也に呆れられた休日。

 電車に乗り迷惑な3人組に椎名が立ち向かった。

 そうしてひと段落ついたところで。そうトラックが、大きなトラックが信号無視をして突進してきた。

 回る視界を覚えている。激しい衝撃を覚えている。自身を中心に広がる鮮血を覚えている。椎名が泣き噦る姿を覚えている。

 最後に見た黒髪の男性を、よく覚えている。


 ──あぁ、そうか。死んだんだ


 思い出して、理解する。

 本来なら脱力し泣き叫んで壊れているユヅキだが、チューブから投与される薬により冷静、というより何事にも関心が極端に乏しくなっていた。例えどんなに大事が起こっても、へぇの一言で済ませてしまえるほどだ。

 研究者達の中の、カルテを見ていた指揮官らしき男性がガラスケースの正面に歩み寄る。ユヅキを見ているが、ユヅキではないナニカを見ているのは明らかだ。

 防音でもなんでもガラスケースの内部に外の声が浸透する。


「状況は?」

「問題ありません。次に進めますがどういたしますか?」


 眼鏡を掛けたキーボードを打つ白衣の女性は男性に目も向けず作業を続けながら聞く。その言葉は日本語でも英語でもなんでもない。なのにそれが理解できている。不思議な感覚だった。

 男性も気にした様子はなくユヅキを見上げていた。


「他の実験体より早いな。よし、そのままプランBに取り掛かれ」

「主任の許可は如何されますか?」

「プランBまでは進めて良いそうだ」

「わかりました。すぐ準備をしますか?」

「ああ。合図を出したら一斉に始める」


 そう言うとユヅキのガラスケースの周りに設置された機械を扱う3人の指が格段に早くなる。ユヅキはただそれをただ呆然と眺める事しか出来ない。

 カタカタと。鬱陶しい音が響き渡る。

 鬱陶しい、鬱陶しい。耳を塞いで閉じこもってしまいたい。

 閉じこもって目を瞑り、現実から目を背けてしまいたい。

 指揮官の男が静かに、そして淡々と言葉を発した。


「慎重にいけ。記憶を消す事は脳に大きな負担をかける。失敗すればただじゃ済まされないぞ」


 ──記憶を消す。

 その言葉が虚ろな頭で反響する。

 記憶を消す。それがとてつもない事だとは理解できた。

 記憶と言って初めに思い出したのは椎名だった。

 高校では美人すぎて近づけないという子もいたくらいだ。その為ユヅキに話し掛けてついでに椎名と話そうと計画立てた男もいたが、柚月が協力的かどうかは別の話だ。


 ──記憶を消すってことは椎名のことも拓也のことも、学校の友達のことも忘れるのかな。

 ──…やだな…それ


 二つ歳上の拓也は既に大学生だ。多忙な拓也とは時間の関係で今はもうほとんど話さなくなってしまった。

 拓也は毒舌で面倒ごとが嫌いな人間だ。口喧嘩になると必ずユヅキが負けていた。

 陰口が嫌いで人に物事をはっきり言ってしまう所為で協調性のカケラもない。友人が少なく、理系の学校に行ってからは一人で研究漬け。浮いた話一つもないバカ真面目な大切な兄。

 しかし、何を思ったとしても今のユヅキにできることはない。

 試しにチューブを取ろうと身体を動かそうとするが指先がほんの少し揺れるだけで、腕が動くなど大それた事はできない。

 だがそれしか案が浮かばないのも事実。闇雲にチューブに手を伸ばそうとするが、それでもやはり指先しか動かない。

 カタカタと。機械のキーボードを叩く音の中で一人の男性の声が響いた。


「こちら右上後部準備完了しました」

「こちら左上前部準備完了しました」


 男性に続き次々に準備が整う。それに伴い、キーボードを叩く音が止まってしまう。不安が胸の内に蠢いている筈なのに理解する脳が追いつかない。ただただチューブに手を伸ばし、そして最後の音もついに消えた。

 指揮官の男が、静かに、淡々と、冷酷にその時を告げる。


「よし。始──」


 ──否、告げられなかった。

 ビシャッ、と全てを言う前に男の体は斬り裂かれ周囲に血を撒き散らした。

 周りの者たちに初めて感情というものが垣間見えた。目を見開く者、息を呑む者、席を立つ者。

 心なき人形ではなく、れっきとした人間達。そんな彼らも言葉を発する事も許されず次々に切り裂かれ血だまりに沈んでいった。

 数秒もしない内に静まり返る研究所。電子音だけが変わらずに一定の音を鳴らしていた。そしてもう一つ。下駄に似た足音が電子音と共に静かに響いていた。

 暗闇からゆっくりと出てきたのは美しい銀髪を腰まで下げて東洋の服を身に纏い狐のお面を頭に付けて陽気に笑う白い男だった。

 真紅の瞳は全てを見透かすように鋭いのに対し、陽気な笑顔はその男の全貌を隠す。赤い紅のついた狐のお面も男のように笑顔を浮かべる。

 男はユヅキを見上げ腕を振り上げる。

 すると盛大な破壊音と共にガラスケースが派手に割れる。中に入っていた液体が飛び散りユヅキの体は重力に争わず落ちていく。

 受け止められる事なく床に打ち付けられユヅキだが、そこまで痛みは感じなかった。

 手足に力が入らない。床を押している筈なのに宙を掠めるように体を起き上がらせる事ができない。

 ふと。体に何かがかけられた。

 うつ伏せのまま眼球だけを動かして視線を向けると白い男が掛けたと思われる白色の羽織だった。

 男の真紅の瞳と目が合う。見透かすように目を細めニッコリと笑顔を浮かべた。

 男はその笑顔のまま手を差し伸べながら言う。


「──ほな、行こか」


 貼り付けた笑みは、しかしなんの感情も浮かばなかった。

 意味のわからぬ場所と意味のわからぬ男と意味のわからぬ自分。

 差し伸べられた手を取らないという選択は、もう脳に残っていなかった。

 両腕に力を込める。ふらつく体をどうにか支えその()を握ったのだった。

 その選択が果たして正しかったのか。

 その()は本当に“善”だったのか。




 一定のリズムを刻んでいた筈の電子音が一つの音を永久に鳴らし続けていた。



 ーーーーーーーー



 部屋を出た先には真っ白な廊下があった。全て真っ白い鉄のような物で出来た廊下は裸足の足を容赦無く冷やす。

 淡々と歩く男とユヅキには会話はない。

 だが居心地が悪い訳ではない。人見知りのユヅキにとってはむしろいいと言っていいだろう。だが、だんだんと思考がはっきりしていく頭では、疑問ばかりが飛び交っていた。

 ここは、どこだろうか。この男は誰だろうか。さっきの場所はなんなのだろうか。椎名はどうしたのだろうか。

 ユヅキは焦るだけの脳内を切り替えるように頭を振る。そして考えを逆転させた。

 ここはどこか。

 アニメ好き、漫画好きのユヅキにとってその疑問はある一つの答えに行き着いたが、流石にないだろうと次の疑問に移る。

 この男は誰か。

 先ほどのガラスケース。そこから助け出してくれたのは事実だ。ならば彼は協力者として見ていいだろう。それも圧倒的な破壊力の持つ。

 つまりチート。つまり最強。つまり──


「It's fantasy?」

「ん?なんや?」

「えっ!?あ、いや…」


 口から溢れる呟きは英語を除き聞いたことのない言語だった。日本語を話そうとすると別の言語が飛び出してくる。しかし英語は例外なのか除外なのか英語は英語のままだった。

 英語のテスト20点台のユヅキの小さな呟きを拾う男。驚きのあまり男から視線を外すが、またチラリと見ると今度こそ目があってしまう。

 男が面白そうにニヤリと口角を上げた。


「なになに?あっしに惚れたん?」

「…は?」


 男はくるりと体を回転させるとユヅキと対面する。足は止めないが。

 じっと見られている状況に居た堪れなくなり、答えようと考えるもなんと答えたら良いかわからず視線をあちらこちらに泳がした。

 それに対し男はその状況をとても楽しんでいるようだ。


「…えっと、その…はい、そうです?」


 頭をフル回転させてやっと出てきた言葉がこれだった。早く答えなければと言う焦りは確実にあったが、これは流石に酷いとユヅキも思う。惚れてないし。

 すると案の定銀髪の男は吹き出しそしてクツクツと笑い出した。本当に楽しそうに笑う姿は子供のようで、笑われた恥ずかしさよりもなんだか呆れが込み上げてくる。ユヅキも無意識に困った笑みを浮かべていた。


「すまんすまん。まさか肯定するとは思っとらんかったわ。そんで、何聞きたいん?」


 にっこりと。本当ににっこりと笑う男は何処か不気味で、けれど魅力的だった。

 ユヅキは一つ一つ言葉を選ぶように口を開いた。


「ここはどこ…ですか?」


 ユヅキの言葉に男は深い笑みをこぼす。改めて見る男は少しつり目で綺麗な顔立ちをしている。特徴的な銀髪と真紅の瞳によって、その顔立ちをより引き立てている。

 男はニッコリと笑顔で答えた。


「ここは、ラレファル研究所上層部第八管理部秘密保護地零番対軍人体再臨作製機関最終部隊科の地下12番や」

「……はぁ」


 ユヅキはため息のような返答のような声を出す。

 脱力するのも無理はない。男から出た言葉の十割意味が理解できぬものなのだから。

 ちなみに言うと反応できるほどユヅキも回復してきたということなのだが当の本人は全く気付いてはいない。

 反応が面白かったのか男はまた静かに笑い出す。その笑いもどこか妖艶である。


「おもろいなぁ、アンタは。現在地聞いたのアンタやん」

「そっ、そうですけど…そうゆう事じゃなくて、あー…なんと言うか、その、ここは何でしょうか?」

「せやから、ラレファル研究所上層部第八管理部秘密保護地零番対軍人体再臨作製機関最終部隊科の地下12番やよ」

「……」

「そんな冷たい目で見んといてぇ」


 なんだこいつ馬鹿か、と訴えるような冷たい目でユヅキは男を半目で見つめた。いや、単に呆れているだけかもしれない。

 全くもって協力的で無い男に対し、ユヅキは半端諦めで質問を繰り出した。


「じゃあ、あたしはどうしてここにいるんですか?さっきの所は?それと、貴方は誰ですか?」

「んーそんな一気に聞かれてもわからへんよぉ」


 男は身を翻し下駄を鳴らしながら去ってしまう。まさか何一つ答えてくれないとは思っていなかったユヅキは一瞬ポカンとして、


「あっ、ちょっ!」


 急いで足を進めて男の後ろを追うように歩く。

 この男は何も答える気がないのだとわかりはしたものの頼る者が彼しかいないのも事実。協力者だと結論付けた自分を恨みたい結果だった。

 男が履いている下駄の音とユヅキの裸足で歩くペタペタとした音が真っ白な廊下を響き渡る。

 どこまでも続く廊下にはその音以外なにも聞こえない。居心地は悪くないが不安は募るままだ。

 だが、それは思いの外速めに終わりを告げた。


「知りたい?」


 そう言われて、一瞬何のことかがわからなくなった。が、意味を理解すると目だけをこちらに向いている男に対してコクリと頷いた。

 男はそれを確認すると目線を前に戻した。


「そうやなぁ、アンタは連れて来られたんよこの世界に。それも拒否権もなしに」


 男の淡々とした答えにユヅキはゆっくりと首を傾げた。


「それは…ブラック企業か何かですか?」


 その言葉に男はクスクス笑うと「まぁそんなもんや」と答えた。


「まず初めにな?そもそもアンタがいた所とここは別世界であって、あっちのアンタは一面を取り止めたんやけどまだ目覚めておらへんのよ」

「──…はっ…?」


 ユヅキの瞳が大きく開かれる。歩みが止まり、ついでとばかりに息が止まる。

 驚愕。

 それしか言いようがなかった。

 男は構わず続ける。


「言葉がなんで通じるんやろー、って思ったならそこはあんま気にせんでええよ。さっきの白衣軍団が言語を脳に書き込んだんよ。えー、っと…いんぷっとって言った方がわかりやすい?ん?あっぶでーとか?

 まぁあれや。言語は滞りなく理解できるって思っときい」


 男の言葉が耳に入らない。

 嘘だと思った。いや、嘘だと思いたかった。

 ついさっきまでいた世界と今いる世界が別ものだなんてすぐに理解できできるものではない。

 異世界とか、平行世界とかはアニメの中だけであってまさか本当に存在するはずないと思っていた。すぐに、受け入れらるような事ではない。整理しようにもどこをどう整理したら良いのかすらわからない。

 男はユヅキの足に合わせるように歩みを止めていた。


「…元には、戻らないんですか?」


 無意識に俯いてしまったまま声を絞り出す。

 この言葉を言うのには少し戸惑った。言ってしまえば認めてしまいそうで、しかしまだこれは夢だと言い続けたかった。

 だが、夢にしろ元の場所に帰りたいと思う気持ちの方が強かった。声は小さく弱々しくなってしまった。


「いんや、戻れるよ」


 あっけらかんとした男の声に再び驚く。そして、


「どうやったら、どうやったらいいんですか⁉︎」


 勢いよく顔を上げ男にしがみ付く。彼はユヅキを落ち着かせるようにゆっくりとはっきりと言う。


「ただ石を集めすればええんよ」


 男は変わらぬ笑顔を浮かべながら言葉を紡ぐ。


「ウィザーデンって言う石や。全部で4色あって、全て集めてラフィオスっちゅう所に行けば帰れるよ」

「ウィザーデン…ラフィオス」


 ブツブツと。絶対に忘れてはいけない言葉を繰り返す。

 これは学校のテストではないのだ。はい、忘れてしまいました、だなんてシャレにならない。笑い話にすらならないだろう。

 男はニコッと笑う。


「ちなみにこれも強制やからね?途中辞退は受け付けておりませーん」

「…そもそも参加したいとは言ってない場合は…」

「あっしが勝手に推薦したって思っといてや」

「恨んでよろしいですか?」

「嫌や」

「ファック」


 男の軽いノリに慣れてきたのかユヅキも馬鹿げた言葉を返せるようになってきた。状況が状況なので人見知りどうこうは吹き飛んだようだった。

 ユヅキは頭の中でウィザーデンとラフィオスという名前をもう一度反復させる。暗記が苦手な事を今一度憎たらしく思った。

 男はふと思い出したように口を開く。


「せや。またまたちなみに、元に戻るんやなくて帰るやよ」

「違うの?ですか?」


 首をかしげるユヅキに対し、男はうんうんと頷いて見せた。


「違うね。ここで進んだ時間は向こうでも進んでる。それにアンタは居眠り状態。向こうの体が保つのはせいぜい四年ってとこやな」

「なんで四年?ブラックは四年まで頑張れ的なあれ?」

「うーん、やっぱ敬語じゃない方がええなぁ」


 男の言葉を無視して考える。ただ、素直な疑問だった。

 植物状態でも十年くらい生きているといった事はテレビで聞いたことがある。それなりの資金は必要になるが。

 対し男は四年と言った。それも断言して。

 男は真っ白な天井を見上げた。


「んー。今、あっしの目の前にいるアンタと、居眠り状態のアンタは世界が違くても魂みたいなのが繋がってんねん。

 せやから、その繋がりを辿って帰ろうとしてんねんけど、繋がりって言うてもずっと繋がってる訳ではないんよ。今も少しづつやけど切れてきて、それが完全に切れたらバランスが崩れて向こうのアンタもこっちのアンタもお終いってことや」

「すみません。全っ然わかりません」

「つまり、四年の内にウィザーデン集めてラフィオスに行かへんともう二度と帰れへんし、ここにいるアンタも死ぬってことや」

「なっ──!?」


 さらりと言われた言葉に再び絶句する。


 ──死


 今までいた所ではかけ離れていた存在。いつだって隣り合わせではあったが、それを自覚する必要のない世界。

 ユヅキは力なく座り込んでしまった。その瞳はもう男を映していない。

 何の変哲も無い人生だった。いや、幸せだったのかもしれない。ご飯を食べて学校へ行ってそして友達もいて。ユヅキの中の日常が音を立て崩れた気がした。

 男の表情は変わらない。貼り付けた笑みを浮かべながら淡々と話を続けた。


「元々、この世界とアンタの世界は一つやったんよ。せやけど、別々になってしまった。誰よりも平和を望んだ少女によってな。皮肉なもんやなぁ、英雄と呼ばれてたんのに今はもう厄災呼ばわりや」

「…?」


 何を言っているのかわからなかった。

 余命宣告されたと思ったら次は世界の話。どう繋がるのか詳しく聞こうと上を見たが、それは叶わなかった。

 先程までヘラヘラしていた男の笑みは、悲しそうな笑みに変わっていたのだ。

 何故、そのような顔をするのかわからない。わからないのだが、多分それは英雄と呼ばれ、けれども厄災と呼ばれた少女が関係しているのだろう。

 ユヅキはそれ以上聞いてはいけない気がした。聞いたとしても、答えてはくれないだろう。

 人それぞれの秘密があるように、会って数分しか経っていない人にその秘密を開かせというのも無理な話だ。ユヅキは静かに口を閉じた。

 悲しそうな笑みも、いつの間にか元に戻っており、また不気味で魅力的な笑みを浮かべていた。


「まぁ、なんとかなるやろ。ただの石集めやし、そこらへんのブラックな会社よりましなんちゃう?過労死せんし。なんかあったら協力ぐらいはして──」



 ── ヴィーー   ヴィーー

     ── ヴィーー   ヴィーー ヴィーー




 全てを言う前に何処からか警報機の音が煩く響いた。

 白く光っていた蛍光灯はさながら消防車のパトライトの様に赤く点滅している。ユヅキの体はびくっと跳ねた。

 確実にこれはやばいものだろうということはわかった。だが、何をすれば良いのかわからず男にしがみ付く。

 男はニッコリ笑うと爆弾を投入してきた。


「バレてしもうたわ」

「…はい?」


 ユヅキの目は心底軽蔑した目で男を見た。

 バレただと言うことはつまり、なにかいけない事をしたのを自覚しているという事である。

 言って仕舞えば、男は施設に侵入した挙句。研究員を殺害し、施設にいたユヅキを勝手に連れ出しているのだ。どこの誰がどう見ようともそれは列記とした犯罪だ。

 ユヅキは一つため息を吐いた。


「で、バレたらどうなるんです?」

「あ、敬語や」

「バレたらどうなんの」

「それやそれ!」


 男は銀色の長い髪を揺らしながら無邪気に笑う。

 その子供のような笑みを見ていると今自分達が危機に直面しているという事を忘れそうだった。

 男が笑いながら口を開く。


「んー、まぁフツーに強制連行やろな」

「…何してんですか?馬鹿ですか?いやごめんなさい。人を疑うのは良くなかった。貴方は馬鹿です」

「ありゃ。そりゃ酷いわぁ」


 慣れない他人へのタメ口を止め敬語で罵倒する。

 痛くもかゆくもないようにヘラヘラしてみせる男に今度こそユヅキの堪忍袋が切れる寸前まできていた。


「当たり前だろ馬鹿。物壊して謝りもしてないんなら誰だって怒るわ。それに人を殺…っ!?」


 ユヅキの動きがぴたりと止まる。

 そしてゆっくりと震える足で男から距離をとった。


「…はっ…?いや、ちょっ…」


 口に出して今、わかった。

 彼は人殺しなのだ。理由はわからないにしろ、ユヅキはその場面を目の前で見てしまっている。

 急に男が恐ろしくなり後ずさりをするが足がもつれて尻餅をつく。

 今見る男の笑顔は、恐ろしくてたまらない。悪魔のようで、引き込まれるようで、その手を取ってしまったのは自分だと後悔する。

 自分の腕が震えている事すらユヅキにはわからない。一瞬にして男は恐怖の対象になってしまった。

 男はユヅキの態度に気にした様子を見せずスタスタと近づいてくる。

 ユヅキは恐怖が毒の様に身体中にまわり動けない。男はユヅキの目の前に立つとゆっくりと屈みポンと頭に手を置いた。


「そんな怖がんなくってええよぉ。…って言っても今は無理やな」


 一頻り頭を撫でると男はユヅキの周りにどこから出したのか赤い石で不思議な模様を書き出した。ユヅキはそれを縮こまって眺める。ユヅキを中心とした円のような模様だった。

 男は書き終わるとおもむろに立ち上がりブツブツと何かを言う。すると突然床の模様が少しずつ光りだしたのだ。


「ほえっ!?」


 余りの驚きに抜けていた腰も治り光り始めた床から離れようとする。

 が、それを遮るようにユヅキの背中に何かが当たったと同時にすぐ後ろから声が聞こえた。


「そこから出たらあかんで」


 その声の主はすぐに分かった。

 恐怖が背中を駆け巡り勢いよく男を突き飛ばし、元いた模様の中に入る。ただそれだけの事なのにユヅキの息は荒くなっていた。

 金輪際男とは会いたくない気持ちはたしかにある。今すぐ逃げ出したいが、そもそも逃してはくれない気がした。

 そして何故だか男に縋りたい自分も確かに存在しており、自身の体は男の言う通り模様の中に留まっていた。

 この世界で初めて会ったのがこの男だからか。それとも、一瞬でも男といると楽しいと思ったからなのか。

 はたまた、全く別の理由かもしれない。

 男を睨みながらそんな事を考えていた。


「今からアンタをパパッと飛ばすから後は頑張りんしゃい」

「…は?」


 突然の言葉がまた新たな不安を生む。

 飛ばすとはそもそも何のことなのだろうか。と言うかパパッとはいけないんじゃないか。そもそも、もっと説明をしてくれ。

 そんな想いは言葉を吐き出すよりも前に目の前の男によって遮られた。


「せや、シーナやっけ?あの子はピンピンしてるから安心せい。まぁ、精神面はどうか知らんけど」

「どうゆう事ですか!」


 急に出てきた椎名の名前に恐怖心そっちのけで男に近づき両腕を掴んで揺さぶった。

 男の首はガクガクと揺れているがユヅキは全く気にせず問い詰める。そして男もその状態で答えてくれた。


「そりゃ、オトモダチが自分の所為で瀕死状態なんやから、精神がぐらつくのは仕方ないやろ。後、首がそろそろもげそうなんやけど」

「……………」


 ユヅキは彼の服にしがみ付きながら呆然と俯く。

 確かに目の前で友人が事故に遭ったとなれば滅入るのはわかる。ユヅキが椎名の立場でも同じだろう。ユヅキの胸が締め付けられるように苦しくなった。

 男は服を一向に離そうとしないユヅキを優しく模様の中に再び戻す。


「そんな落ち込まんといて。アンタはシーナちゃんを助けたんやから二重の意味でな」

「二重の意味?」


 ユヅキは今にも泣き出しそうな瞳を男に向ける。


「せや、本来はあそこでシーナちゃんが車に轢かれるはずやったん。せやけど、アンタが庇ったからシーナちゃんもアンタも死なずに済んだんよ。まぁ、アンタの場合こっち来てしもうたけどな」


 男は何を思っているのかユヅキの頭を撫でた。静かに男は模様の外へ出ると、ユヅキの口がゆっくりと開かれる。


「…意味、わからないです…運命でも変えたって言うんですか」

「運命と言うより計画やね」

「…計画?」


 ユヅキは苦しまぎれに首を傾げる。だが、それ以上は答えてくれず、「さぁな」の一言で済まされてしまった。

 計画という事は誰かが意図的に事故を起こさせたという事。つまりこの男はその計画とやらを邪魔するためにやってきたのだろうか。

 ユヅキの頭は今までにないほどフル回転していた。例えどれだけ疑問を投げ掛けたとしても計画について教えてくれないだろう。何より聞くよりも先に考えてしまうので聞くという事を忘れてしまう少し抜けているユヅキだ。


「そんで、アンタはどうすんの?」


 その一言でハッとする。

 それは全ての分かれ道だった。こんな面倒な事は丸投げしてしまいたい。

 だが、そうすればもう二度と元の生活に戻れないだろう。結局の所、この男を頼らなければ方法がない事を再度確認させられる。

 ユヅキはゆっくり深呼吸をした。

 男の、真紅の瞳は自分を試しているようにこちらを見つめている。今ここでハッキリ言葉を言えたのならどれだけかっこいい事か。椎名なら出来ただろう。しかしユヅキは椎名ではない。

 男の瞳を見つめ返す事はできない。が、その口ははっきりと声を紡いでいた。


「…はっきり言ってすごく面倒。自分の死だとか元の世界に帰るとか。絶対なんか知ってんのに教えてくれないあんたとか、すごく面倒」

「……」

「そのくせ帰るのには条件付き。計画とかにあたしは巻き込まれただけなのになんか強制的だし。人殺してるのにヘラヘラしてるやつ目の前にいるし」

「……」

「…それに、普通に怖い。海外も行った事ないのにそもそも一人で遠出した事もないのに『はいじゃあ攻略してね』なんて高難易度の無理ゲーかなにかですか?って言って放り出したいし、そもそもそんな無理ゲー自分からやりたくないし」

「…それで?」


 ユヅキはギュッと拳を握り締めた。

 逃げ出したい、投げ出したい。

 けれど──

 だけど──


「あたしは」


 ユヅキはゆっくり視線を男に向ける。男とユヅキの視線がしっかりと絡まっていった。そして──


「──帰る。こんなのさっさと終わらせていつも通り家でニート生活満喫する。それだけ。…以上!!」


 ユヅキはぐっと腹に力を入れて覚悟を決めた。これから何が起こるか全くわからない。王道のストーリーならばこの世界にきた時点で最強の武器やら能力を持っててもおかしくない。

 試す事はいつだってできる。いつだってできるのだ。

 この場を無事に脱出できるのなら天性的な才能で敵も味方も誰もが崇拝するような力を確かめることができるのだ。


 ──どんなことがあっても絶対に帰ってやる。


 ユヅキの瞳に真剣さが宿る。

 やってやる。やってやるさと心を奮い立たせる。



 ──だが、そんな決意は無計画で無謀で無意味な事をこの時はまだ知らない。


「そいじゃ、行ってらっしゃい。」


 そういうと男はヒラヒラと手を振った。ユヅキの目が驚きで見開く。


「…っ、て、は!?あんたは!?」

「飛ばすのまでが協力や。あっ、それとこの事は誰にも言わん方が自分の為やでえ。

 ほな、飛ばすで〜5、4、…」

「えっ、いや、ちょっ、まっ!」

「3、2、」


 ユヅキは焦るように何かを答えてくれそうな質問を考え、そして声を張り上げた。


「なっ、名前!貴方の!」

「あっし?あっしは…」


 顎に手を当てて少し考えた素振りを見せると思い付いたかのような顔をして言い放った。


「セツや」


 それが合図だったかのようにそこにはもうユヅキの姿はなかった。

 そして廊下には天井に届きそうなほど大きな黒光りした何かが次々に廊下を走る。例えるならロボットだろう。

 そのロボットがその男もとい、セツを取り囲んだ。セツは焦る様子もなく目を瞑る。口元は心身楽しそうに綺麗な弧を描いていた。


「駒は揃ったんや。後はアンタ次第やで、ユヅキちゃん」


 目をゆっくりと開ける。


 ──次の瞬間その場に轟音が響いた。

まだまだ弱々しい決意。甘い覚悟。乗り越えられるなんて思ってる自分が馬鹿だった。

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