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満月日和  作者: 海月 星
第2章 直立不動の真実
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落ちる意識

一週間過ぎてしまった…

 眠りから覚める時、海から浮上するというより無重力の中、地面に降り立つ感覚に相似的だとユヅキは感じている。

 上がるのではなく落ちる。意識が体に落ちてくる。

 どっと疲れたような感覚にもう一度意識が拡散されそうになるのを掴み取り、ユヅキはゆっくり目を開いた。


「───」


 一番はじめに見えた木の天井。

 天井はそれほど高くない。二メートル強だろうか。

 天井にはロープで吊るされた水色の透き通る岩が唯一の特徴だった。

 その岩はこちら側の世界では蛍光灯の役割を果たす。名を自光石ジコウセキと言う。

 スイッチを押せば、自動的に体外魔力を流し込みそれが灯りに変換されるよう加工された品物で、内部から輝く姿は幻想的だ。

 町の街灯もこれと同じ物を使っており、言い換えるなら電気が体外魔力、電球が自光石ということだ。

 自光石は魔積岩マセキガンという岩から作られている。

 見た目はまるで氷のようで、見るものを魅了し虜にするほどの美しさを持つ。この魔積岩は空中に浮く体外魔力が何かの拍子で固まった、謂わば水晶のようなものであった。

 希少ではあるが一つ見つけて仕舞えば少量でいくつもの物資に変換できる。

 加工、複製し利用する。自然の魔積岩は珍しいが、複製された輝きの落ちた魔積岩の流通は多い。

 その為、天然の魔積岩を『ディーティル』と呼び、加工された魔積岩はそのまま『魔積岩』と呼ばれている。

 魔法道具の殆どが魔積岩で作られており、とある宝石のような魔法道具は、自身の魔力を流し込むと内部で体外魔力と体内魔力がぶつかり合い効果を発する。

 リネアがセツナに投げた石がこれだ。

 それは炎や水に変換されるのだが、一回限りの限定品でもある。

 魔法道具流通は少なくない。が、そう簡単に手を出せる値段ではなかった。

 一回限りの代物もあれば、長く使える代物もあるのだが、何度も使うようであるのなら魔術士にでもなった方が安い。

 魔術を習うための学校の学費は老後を豊かに過ごせるくらいの巨大な値段だが、買い続けなければならない魔法道具より幾分かはいい。

 が、魔術学校というのは魔術という神秘に魅入られた者が狂ったように純粋な想いで魔術を学びに行く。

 狂っていることが当たり前で、魔術意外どうでもよくなる者達ばかりだ。

 それゆえ、面白半分に受験した者は恐怖を植え付けられ中退する。高い学費を払っておきながらだ。

 そんなイカれた者達の中で生き残った者だけが魔術士となり、その魔術士はイカれた奴が多くなるというサイクルが出来上がるのだ。


「───」


 ユヅキは一つ深呼吸すると、そのぶら下がった自光石をただただ見つめた。その瞳に感情は見えず、本当にただ見ているだけだった。

 空白の中身を埋めるものは何もない。胸にぽっかりと開いた空洞の中を抜けるものは全て風で、風では何も満たされない。

 隙間風を埋める為にテープを貼るのとは大きく異なる。

 大きな洞窟を塞ぐのに時間はどれだけかかるだろうか。意味のない風しか通ることなく、石ころをいくら投げ込んだところでやはり意味はない。

 爆弾を仕掛けてその穴自体を無くす方が早いだろうか。しかし爆弾はどこにあるのかさっぱりだ。

 自分でそれが埋められればいいのだが、いかんせん本人がやる気ではない。ならばその穴を誰かに埋めてくれと乞うのは自分勝手なのか。

 爆発的な誰かに、何かに出会えればその空っぽの洞窟が埋められるのか。ユヅキにはわかるはずもなく、考えることすらしなかった。

 一分、二分経ち。

 ユヅキはベッドから上半身を起こした。光のない瞳は装飾の少ない部屋に少しも興味を示さず、まっすぐと出入り口の扉を見つめた。

 木造建築の一室。窓から見える景色から二階であることがわかる。

 その部屋から出て行ってしまおうか。出てはいけないと言われたわけでもなく、ましてや何らかの罪を着せられているのなら見張りの一人はいるだろう。

 それもいないのなら出て行っても構わないはずだ。

 ユヅキはベッドから足を下ろしたところで自身の服装に違和感を感じた。

 着ていた装備は綺麗さっぱり無くなっており、今着ているのは灰色の長袖Tシャツに黒のズボン。

 Tシャツにはベルトを通すベルトループが付いており、ベルトには剣を装着できるよう輪っかが付いていた。

 俯きなら両手を見つめる。

 左手は魔獣に噛まれた跡がくっきりと残っており、右手で裾をあげるとその傷は倍増した。引っ掻かれた跡や千切られそうになった跡まで。一つ残らず残っており、あれは夢ではなかったのだと実感する。

 傷の治りが早いのは誰かが治癒してくれたのか。

 ユヅキは一旦服を脱ぐと近くにあった鏡に体を映した。全身に巻かれた真っ白い包帯が露わになる。

 その真っさらな包帯を丁寧に取り払っていく。胸と股の包帯はそのままで、背を向ければ見えてくる大きな傷跡。

 最後に戦った魔獣、ゴリラのようなブルドッグのような魔獣に吹き飛ばされた時に出来たであろう傷は、左肩から右の腰にかけて大きく三本の爪痕がくっきり残っていた。


「…はぁ」


 この世界に来て初めての大怪我にため息が溢れる。

 いつも守られる側だったのが守る側に変換した結果がこれだ。見るも無残に付けられた傷跡。背中の傷は臆病者の証しだとよく言ったものだ。その通り過ぎて何も言えない。

 しかしまぁ、“向こう傷跡は勲章”とも言うが、左腕の傷は勲章とは思えない。勲章どころか汚名だ。

 ユヅキは包帯を巻き直す事なく服を着ると、近くに畳んで置いてあった黒のローブを羽織る。

 そして立て掛けてある剣を手に取った瞬間、



 ──「やぁおはよう。三日四日寝ていたようだけど、腹は減っていないかい?」


 中性的な、セツナの声がした。


「お前っ…!?」


 激情を含んだ声が静かに発せられる。

 ユヅキは脳を揺さぶるこの感覚をよく知っていた。

 一度目はリネアが崖から落ちた時。二度目はドーベルマンのような魔獣と戦った時。三度目はルアと根っこの隙間に隠れている時。

 この声はいつもユヅキを鼓舞した。ある時は非難し、ある時は後押しし。

 いつだってユヅキができない方へと足を進めさせる。

 今までどうしてこの声の主に気づかなかったのか不思議なくらいだ。

 ユヅキは気づかなかった苛立ちと、それまでのセツナに対する怒りに顔を歪ませ感情のまま剣を思いのままに投げつけた。

 剣は壁に打ち付けられるとガシャンッ、と音を鳴らして地面に落ちる。

 音はそこで止まり、また静寂が生まれた。


「くそっ…くそっ…!」


 ユヅキは声を殺しながら蹲って怒りを表す。

 それ以外、感情の出し方がわからなかった。感情を殺すかのように己の両手を握りしめる。

 繰り返し、繰り返し言葉を続ける。

 もう嫌だ。逃げたい。帰りたい。

 吐き出されない感情は、それでもユヅキの心を根元から折り曲げていた。

 帰りたいと逃げたいはこの世界では同意義にはならない。

 帰るには立ち向かわなければならないし、逃げるなら帰ることはできない。

 その矛盾を理解していようが、願わずにはいられなかった。

 すると、木造の扉がトントンと二回ノックされる。

 急な第三者の介入にユヅキの感情は石のように物言わなくなった。


「あの…凄い音がしたんだけど、大丈夫ですか?」


 ほんの少し幼さの残る声。

 しかし男だとはっきりとわかる。その声は反応しないユヅキを心配したのか、「入りますよー?」と続けた。

 ユヅキは特に何も返さぬままベッドに座り直す。

 二、三秒してから戸惑うように扉が開かれる。そこから入って来たのは一人の青年だった。

 銀の鎧を身に纏い、一本の金木犀色の剣を右側に刺している。

 金色のゆるふわ短髪で、目も同じく奥深い金色をしている。顔は童顔で背もそれほど高くない。歳はユヅキと同じくらいかもしくは少し下だろうか。

 この世界は鎧を来ているだけでその人の出身はだいたい予測できる。

 この世界は大きく四つの国に分かれていた。騎士の国 ラビュレタ王国。和の国 朱羅。機械の国 サネスチヲ。魔法の国 ヴィクテア。

 大きくはこの四つであるが、小さな国がないわけではない。リネアが産まれた集落など、どこの国にも所属しない唯一の種族だった。

 この中で鎧を着る文化があるのは騎士の国、ラビュレタ王国以外ない。

 ラビュレタ王国は唯一魔獣絶滅を掲げる国であり、そのための騎士団が存在する。騎士団に入らずとも自衛は必ず教えさせられる国なのだ。

 つまり、


 ──リネアが一度いた国と同じ…


 この青年は騎士団に入団のしているのか否かは判別できないが、出身はラビュレタで間違いないだろう。

 ラビュレタ王国は国土が広く、リネアと出会っているかも定かではない。けれども謎の共通点にほんの少し興味が湧いた。

 優しそうな顔をした青年はユヅキを見た後投げられた剣を見つめ、再びユヅキに視線を戻す。


「おはよう。目が覚めてすぐで悪いんだけど、お話大丈夫かな?」


 青年はそう言うと優しく笑う。ふわふわしていて暖かい。まるで雲のような青年だと思った。

 ユヅキは少しだけ首を縦に振ると青年はもう一度和かに笑い、部屋の中まで体を進めた。

 扉を閉じてユヅキに向き直る。そして、


「僕はロイル。ロイル・ソルージュ・シュヘル・ルナ・ヴィチアート。長いからどうかロイルって呼んでほしいな」


 ニコリと笑いながら話す青年、もといロイルは長話するつもりがないのか扉の前で立ったままだ。

 ユヅキもそれを指摘することなく話だけは聞いていた。

 ロイルは首を傾げながら口を開く。


「キミの名前を聞いていいかな?」


 その言葉にユヅキはほんの少し反応した。

 名前。その人物を表す固有名詞。人と人とを区別するための記号。

 ミナミ ユヅキ。それが彼女の名前であり、色々な人から呼ばれ続けたものだった。

 しかし、それを教えたくはなかった。

 警戒しているから教えたくないわけではなく、この“名前”が嫌いになりそうだったからである。

 何もできず、無能で無価値で何よりも無力。

 それがミナミ ユヅキであり、そのレッテルは誰に貼られた訳でもなく自分で貼った名札だった。

 商品説明に“これは不良品です”と書いてあれば誰だって買わないだろう。それを書いたのが本人だったら尚更だ。

 自分で書いた自分(商品)レッテル(説明)。それを誰かに伝えるのには心がつっかえて仕方がなかった。

 ユヅキはロイルの質問に小さく「…わからない」と答えた。

 声は思いの外すんなりと出て、痛みは微塵も感じられない。喉の傷もどうやら治っているようだった。


「わからない?…記憶がないの?」


 ロイルは顎に手を当てながら首をかしげる。その質問にもユヅキは「わからない」と答えたのだ。

 わからない。全てわからない。

 今自分が生きている理由も、生き残ってしまった理由も、この場にいる理由も。

 ロイルは困ったように眉をひそめた。


「そっ、かぁ…キミの髪色について聞いてみたかったんだけど…記憶がないなら仕方ない」


 ロイルはふわりと笑うと、「あっ!髪の事は僕以外知らないから大丈夫!」と付け足した。

 なんの興味もなかったユヅキの頭に疑問が過ぎる。

 確かにリネアからも黒髪は珍しいと聞いていたし街中で黒髪の人物を見かけた事はない。セツナとの出会いも黒髪が原因だった。

 ユヅキ自然とその疑問を口にしていた。


「…どうして、そんなにこれが珍しいんですか…」


 疑問と言うより吐き捨てるように言った小さな言葉は、ロイルの耳にはしっかり届いく。

 ロイルは嫌な顔せず、ユヅキの独り言まがいの質問に優しく答えた。


「髪色っていうのは、確かにほとんどが遺伝なんだけど、体外魔力のせいで黒髪にはならないんだ。脱色?って言うのかな?

 生まれた時は黒だったとしても、体外魔力のせいで色が抜けてきて茶に変わるのがほとんどだし、それに体内魔力が多いと黒には程遠くなるんだ。黒であればあるほど魔術の才能はないって事だね」


 人差し指を立てて、まるで先生のように教えてくれるロイルは自分の失言には気付かず、ユヅキは内心「あぁ、あたしそんなに才能ないのね…」と、うな垂れた。

 ロイルはユヅキの感情に気づく事なく「あっ!」と声をあげた。


「そうそう。これ、壊れていたから直しといたんだけど…よかった?」


 そう言って近づきながら渡してきたのは銀色の板が付くネックレスだった。

 板には鷹に似た何かが彫られている。よくよく見ると裏に小さく四行ほどの文字が書かれており、そこに大きく傷が付いて読む事は叶わない。

 ユヅキは小さく礼を言うとそれを受け取った。


「それ、キミの?」

「……」


 ユヅキは何も言う事なく首を横に振った。

 これはユヅキのではない。リネアのだ。リネアが大切に持っていた騎士団のネックレス。

 ユヅキはそれを受け取ると首には付けずズボンのポケットにしまった。

 ロイルはそれを確認すると眉を寄せて何かを考える仕草を取る。視線はユヅキから外れ地面を見つめていた。


「…これからどうする?ここにいても大丈夫だけど、キミの家族は心配するだろうし…」


 真剣に悩むロイルに対し、ユヅキは表情に影を落とした。

 そうして「大丈夫です」と答えると立ち上がる。

 ロイルの横を通り過ぎ、投げ捨てた剣の前まで歩み寄る。戸惑いながらもそれを手に取ると、声はもう聞こえなかった。

 悲しい事に、装備という装備はこの剣一本しかない。一文無しの素っ裸で結界の外に出るのは気が引ける以前に不可能だ。恐怖がそれを足止めする。

 私怨か命かを天秤にかけたところ、ユヅキは命を選択した。結果はそれだけ。たったそれだけの事なのだ。

 例えどれだけその選択に苦しみを覚えても、手に取った事は変わりない。

 殺したいほど憎んでいる相手の手を取ったような気分だ。わけのわからない感情が『自分勝手だ』と叫び出す。

 自分勝手に手を取って、自分勝手に利用して。

 ユヅキの生き様は無様なほど自分勝手だ。

 ユヅキはベルトに剣を刺すと迷わず扉を押した。そしてロイルに言葉を投げかける事なくその部屋から出て行ったのであった。


 取り残されたロイルはふぅ、と息を吐く。

 そして目をつぶりながら顔を上げると息をするように言葉を吐いた。


「…キミはもう、いなくなったって言う事なのかな。リネアちゃん」


 ──ポツリと呟いた言葉は、誰に聞かれる事もなく泡のように消えていった。

くらくら

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