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満月日和  作者: 海月 星
第2章 直立不動の真実
24/38

◼︎◼︎◼︎とは

テスト色んな意味で終わりました

最低一週間執筆、頑張ります!

今回長いです!

 ──ジャラリジャラリ。

 他人と壁を作るようになったのはいつからか。

 ──ジャラリジャラリ。

 壁を作る、というより壁を感じると言った方が正しいのかも知れない。

 幼児期から青年期になるにつれ男女の壁を感じるように、他人との大きな見えない隔たりがどこに行っても感じられるようになった。

 ──ジャラリジャラリ。

 無邪気に遊ぶこともできず、現実をぼんやりと眺めている。

 SNSに依存して見えない誰かと会話して。現実とは程遠いのに、どうしてだかそこに現実を求めてしまう。

 それほどまでに仮想世界は楽しいものだった。

 けれど、面倒ごとが起こったらアカウントを作り直して即削除。

 たった一言が気に食わないからといって人との繋がりを切るのもクリック一つ。

 現実はいつだって甘くないのに、SNSはそれを可能とする世界でもあった。


 現実の話をしよう。

 自分が部活を辞め、下校しているときの話だ。

 友人に、いや、それ程親しくはない知り合いが誰かの悪口を言っていた。

 うざいとか死ねとか消えろとか。知らない相手の事ではあったがとても不愉快だった。

 本人の目の前で言えない弱虫。それすら自覚できてない愚かな人。

 裏でしか言えない人間はこの世の殆どだろう。そう理解しているのに、その時はとても不愉快でしかなかった。


「死ねって言っちゃいけないんだよ」


 と。

 注意するように、けれども少しふざけた風に言葉を発した。

 あまりにもそれは綺麗事だと自分でも理解している。道徳の教科書でも模範したかのように綺麗事で汚らしい。

 命の重み?そんなもの感じている若者は一体世界に何千人いるのだろう。一体日本に何人いるのだろう。

 命の重みを理解していないから軽率に『死ね』と言える。

 命のありがたみを知らないから簡単に人を貶すことができる。

 本気で思っていない癖して本気で思っているように言う。そして本当に消えてしまえば、良かったとあざ笑う。

 自ら手を汚していないから言える言葉。それが何よりも嫌いなものだった。

 すると案の定その子は言うのだ。


「◼︎◼︎って良い子ちゃんだよね。親の理想の子供って感じ」


 嫌味ったらしく紡がれた言葉に「ありがとう」とだけ返したら「褒めてない」と言われた。

 知っている。わかっている。

 褒めてるんじゃなくて貶してることくらい。

 周りと比べて悪戯も悪口も言わないかもしれない。異常なほど許容出来ている人間かもしれない。

 けれどその時はとても“嫌だ”と思った。

 上手く説明出来ない。ただ、「お前はただ言いなりになっているだけでうざい」と言われてる気分で、そこに自分という存在の否定が入っている気がして。

 自意識過剰かも知れないけれど、そう聞こえてしまった。

 しかし、今思えば自分は良い子ちゃんでも親の言いなりでもなく、ただの非現実主義者。

 自分の事すら他人ぽく、現実から目を背けめんどくさいの一言で全てを投げ出す弱虫。

 優しいんじゃない。許容できている訳ではない。良いことも悪い事も見て見ぬ振りで、突き進める“自分”を持っていないだけ。

 持っていないからこそ欲求だって少ない。少ないから現実を諦めている。

 怒りもめんどくさい、悲しみもめんどくさい、楽しいのは別だけど、疲れるのは嫌だ。

 こう思うと本当の自分はただのつまらない人間だったんだ。


「──◼︎◼︎ー!」


 どこからか。

 遠くの方で誰かが名前を呼んだ、気がした。

 閉じられた瞼をゆっくりと持ち上げる。どうやら眠っていたようだ。

 寝る前の記憶はどうしてだか存在しない。だが曖昧な記憶とぼやけた視界は寝ていた事実を肯定していた。

 ゆっくりと傾いていた体を持ち上げる。

 霞む視界は何度か瞬きを繰り返すと徐々に焦点が定まってきた。

 銀の枠に収まった濃い緑の黒板。

 前の授業が数学だったのだろう、公式や例題文が白いチョークで書き出されていた。

 揺れるベージュのカーテン。

 開かれた窓から見えるまだらに散りばめられた雲と、しつこいくらいに輝く橙色の夕焼け。揺れる梢には、初々しい葉が無数に引っ付いている。

 どうやら机に突っ伏していたようだ。

 いつ寝たのかは覚えていない。いつ瞼を閉じたのか覚えていない。

 それに突っ伏していた席は自分のではない。誰かの机で寝ていたなど、そんな事故は余程の事がない限り起こらないはずだ。

 確かおまじないの類で好きな人の席に座り机を抱きしめると両思いになれるなどというものがあった気がするが、残念なことに好きな人も気になる人もまるでいない。

 恋人を欲しがった時期はなく、友達止まりの異性が多かった。

 そもそもおまじないなど信じた事がないのに、自分は一体何をしているのか。


「◼︎◼︎!」


 もう一度、誰かの声がする。

 くぐもっていて何を言ってるかまでは聞き取れない。感情なんて読み取れない。

 教室の中には誰1人だっていないのに、一体その声はどこから聞こえているのか。

 どこの誰とも分からぬその声に呼ばれているような気がした。

 大きな声で、叫んでいる気がした。

 誰かの窓際の席からそっと立ち上がる。並ぶ机を交わしながら教室の前の出口に向かった。

 脳がぼやけている。

 薄黒い霧が脳内の大半を占め、何を考えて良いのか、邪魔をする。

 考えなければならない事は沢山あったはずなのに何一つ思い出す事はない。

 忘れている事が沢山あるはずなのに、一つだって蘇らない。

 ふと、扉の閉まる出口に辿り着いた所でバッグを忘れた事を思い出す。忘れていたのはこの事だと確信する。

 今は多分放課後だ。夏の、放課後。そう、夏の。

 しかし着ている服は冬用の制服。紺色のブレザーは肩に重みをのし掛けて存在を放っているというのに、今の今まで気づかなかったらしい。

 首を傾げて見ても何が変わる訳でもなく、まぁそういう時もある、と完結してバッグを取ろうと後ろを振り向いた。

 そこには──


 ──美しい1人の少女が佇んでいた。


 紺色のふわふわした髪は膝下まで伸ばされており、右耳には金色の輪っかピアスが刺さっている。

 大きな目から覗く瞳は彼岸花のように紅く、口元は静かに弧を描く。

 服は教室に見合わない黒のドレスコートのようなもの。腰から足まで大きく開かれたドレスコートからは膝上までの黒いソックスが肌を隠す。

 つま先と踵は直に出ていて、赤いペディキュアまで塗られていた。小柄な体に見合わず、纏う空気は大人びている。

 よく見なくともこの場にいるのはおかしい存在だという事がわかる。

 生徒でもなければ先生でもないだろう。

 来客者と言うのなら、来客者用のスリッパは履いているだろうし、そもそも彼女は自分と同じ存在なのかすら危うかった。

 既視感を感じながらその少女に声をかけた。


「危ないですよ」


 微笑む少女は先ほど自分がいた机の近くにおり、後ろへ傾けば窓から落ちてしまう。

 だから、“危ないですよ”。

 少女はそう言われたことに驚いたのか目を見開くとクスクス笑い出した。何がおかしいのか理解できないが、もう一度声をかけた。


「貴方は、誰ですか?」


 ありきたりな質問。されど大事な質問。

 少女はもう一度クスリと笑うと手を背に回してゆっくりと口を開いた。

 その声は、随分と中性的だった。


「僕は僕だよ。◼︎◼︎◼︎」


 最後の言葉だけ、画面の砂嵐の様に景色すら掠れる。

 ほんの少しだけ、頭が重くなった。


「君は君で、僕は僕だ。そこには他人という壁があって、超えることはできない。同じにはなれない。一生だ」


 カーテンが揺れる。

 風が入り込み彼女と自分の髪を揺れ動かす。

 髪を右手で押さえながら、彼女はもう一度言葉を紡いだ。


「君は君であらなければならない。例え曲げられない信念がなくとも、それは変えられない。変えてはならないんだよ◼︎ヅ◼︎」


 彼女の言っている意味がわからない。

 理解しようとしても脳内を埋め尽くす薄黒い霧がそれを邪魔する。

 彼女の言葉一つ一つを聞くたび、脳が重みを増していく。一つ一つ、重りを乗せられているかのような錯覚に陥った。

 あまりの重さに頭を抑える。自分の足を見つめる視界はへしゃげて何がなんだかわかりもしない。

 そして、少女はもう一度言葉を紡ぐ。


「──でなければ、喰われてしまうよ?」


 彼女の声は、言葉を彩った。

 意味を理解するのには至らず、されど無視する事も出来ず。彼女の言葉だけに意識を向けた。

 けれども重く、重くのしかかる重圧はそれを邪魔してならなかった。

 いっそ膝をついて倒れてしまいたい。と、そう願う。

 倒れて、目を瞑って、全て忘れ去ってしまえれば。

 その反面、口は自然と動いていた。彼女に向けた言葉を、紡いでいた。


「貴方は…一体…」


 その言葉に少女は穏やかな笑みをこぼす。

 そして、


「僕◼︎◼︎だ。◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎う?こ◼︎◼︎いる◼︎は◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎な◼︎だ。僕◼︎君◼︎◼︎ない。な◼︎◼︎えは“◼︎”◼︎。自◼︎◼︎こと◼︎◼︎◼︎てし◼︎◼︎て、そ◼︎◼︎にあ◼︎◼︎◼︎◼︎嫌か◼︎?◼︎◼︎うに◼︎◼︎こに◼︎◼︎◼︎苦◼︎◼︎多◼︎◼︎◼︎◼︎て◼︎◼︎◼︎。◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎楽し◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎?」


「なに、を…」


 彼女の言葉をノイズが邪魔をした。ぐらつく視界は平衡感覚を狂わせ、真っ直ぐに立っていられなくなった。

 彼女の声が聞きたくて、彼女の言葉が聞きたくて。

 ゆっくり、ゆっくりと上履きを地面に剃らせながら彼女に手を伸ばす。


「知りたい…君の、ことが…もっと」


 ゆっくり、ゆっくり。

 ノイズが視界を邪魔しようとも、彼女だけははっきり見えている。

 砂嵐で彼女の声が聞こえずとも、彼女の言葉はおぼろげに掴み取る。

 もっと知りたい。

 彼女の全てを知りたい。

 邪魔する脳が鬱陶しい。邪魔する体が憎たらしい。

 体を脳を捨て去って、恍惚にも似た感覚に溺れてしまいたい。


「あたしは、一体…教えて…」


 たどたどしい言葉はしっかりと彼女に届いているのかすら確認できない。微笑む彼女は微動だにしないのだから、もしかしたら聞こえていないのかもしれない。

 例えどれだけ遅くとも、前に進めば到着する。

 あと少し、あと少しで彼女に触れることが叶う。

 あと少し。あと少しで──


「──◼︎◼︎!!」

「──えっ…?」


 言葉は聞こえずとも、その声は聞き覚えのあるものだった。

 甲高く、何十年も隣で聞き続けた声。ここ最近一度も聞けていなかった、懐かしい声。

 その声にほとんど反射で振り向いた。

 そこには──


「──はっ?」

「うん、1回目で攻略できてしまってはつまらないからね。君が気づいてくれて良かったよ」


 ──なにもなかった。

 あったはずの机も、ましてや黒板や後ろに備え付けられていたロッカーも。教室だったという証拠すら消し去られていた。

 壁すらない空間。

 しかし白から黒へとグラデーションの掛かる景色は壁があることを意味するのか。地面は白と黒の中間色。

 崖の様に朧げな足場ギリギリに“ユヅキ”は立っていた。

 あり得ない光景に驚いて二、三歩後ずさりする。

 クスクスと笑う声が後ろからし、素早くその身を反転させた。

 そこには、


「やぁ、久しぶりだね。君の発狂振りはなかなかに見ものだったよ」


 ──何重にも重なり合う鎖に、縛られる“セツナ”がいた。


「お前っ…!!」


 セツナを見た瞬間、あの日の激情が湧き上がる。

 反射で左腰に手をかざしたが、あるはずの蒼銀の剣は綺麗さっぱり無くなっていた。

 それどころか服はまだ冬用の制服で、ローブや装備品といったものは一切身につけてはいなかった。

 再びクスクスという笑い声が聞こえ、一度セツナに目を向ける。

 十字に連なる大量の鎖。

 セツナの体を覆い尽くし、顔と胸上から肩までしか見えない。

 セツナが少し動くだけでは鎖特有の音は一切鳴らず、鉄の擦れる音だけが微かにしただけだった。それだけ多く固定されている証拠だった。

 セツナとユヅキの間には五メートル程の距離が開いており、セツナの下には足場すらなく、大量の鎖が体を支える唯一のものだった。


「お前なんでここにいんだよ!」


 敵意を向けながらユヅキはセツナに怒鳴りつける。

 セツナはまるで子供のわがままを見る様にクスリと笑うと「君が来たんじゃないか」と言った。


「僕は見ての通り動けなくてね。声をかける事以外何にもできやしない。君がこちらに来たいと思わなきゃ来れないさ。君が現実から逃げてしまいたいと思わなきゃね?」


 何かを確信した様に笑うセツナは悪魔の様だ。

 ユヅキはそんなセツナに苛立ちを覚えていた。あの日あの時感じていた恐怖心はどこにもなく、その全てを壊してやりたい破壊衝動が生まれていた。

 それは何よりも優位に立っている今だからこそなのか、それとも自身の無力さを思い出したからこそなのか。

 ユヅキの口は止まる事を知らなかった。


「そんな事思ってねぇよ!お前に会おうなんざ一度だって思ったことはない!お前なんか嫌いだ!大っ嫌いだ!人の苦しむ顔を見て何が楽しい!?そんなに面白いか?そんなに生き足掻くのが可笑しいか?!這い蹲って泣き喚いて死ぬ勇気がない所為で生き続ける人間を玩具程度にしか思えないお前なんか大っ嫌いだよ!!」


 弾き出される言葉の数々は全て本心だった。むしろそれが本性と言えよう。

 リネアに対しても無理をして繕っていた訳ではないが、全てをさらけ出していた訳でもなかった。

 本当は口が悪く、面倒ごとは嫌いで、出来ることならなにもしたくない。ユヅキはそういう人間だった。

 それがある1人の少女に嫌われたくない一心で努力を重ね続けた。報われなかったとしても、『私は努力しました』と胸を張って言える日々だった。

 それを壊したのは紛れもなく目の前の人物だった。

 穏やかな日々を一変させたセツナ。

 なんの説明もせず、自分のやりたい事だけやって消えていった悪魔(セツナ)

 ユヅキの激情は収まらなかった。


「それにお前あの時いなくなっただろ?!なんでこんなところにいんだよ!なんでここにいんだよ!そもそもここはどこなんだよ!!」


 怒声を発するユヅキとは対称に、セツナはあの日と同じように落ち着いていた。

 セツナは静かに話し出した。


「ああ。僕はあの時確かに消えた。それが“ラーファルの契約”だ。魔獣を無理矢理陰子(インシ)に変えて剣の中に収める。条件は魔獣に致命傷を負わすこと、陰子になるまで剣を抜かないこと、それ専用の剣を使うこと。

 ほら、条件は揃ってただろ?」

「条件って…どうしてそんな事っ…!」


 ニッコリ笑うセツナに神経を逆撫でされているような気分だ。説明しているのは優しさ故か、それとも別の理由があるのか。

 セツナは付け足すように言葉を紡ぐ。


「そうそう。陰子、っていうのは人間でいう魂のようなものだ。魔獣は陰子を使って陰を発動し、人間は魔力を使って魔術を発動する。とはいえ、その魔力も魂と直結するから似たようなものなんだけど」

「聞きたくない…んなもん聞きたくねぇんだ──」

「人間って体という器と中身の魂がほとんど同じ量で成り立っているんだ。だから子供の頃は魂に見合って体は小さいし、歳をとると魂に見合って老けていく。

 魂が()に合わせてるんじゃなくて、体が(中身)に合わせているんだってさ」


 セツナはユヅキの言葉に耳を傾けず説明だけを続けている。お前の事など知ったことではないと言われているようだった。

 セツナは睨みつけるユヅキを無視して言葉を紡ぐ。


「だけど魔獣は少し違う。中念以上の魔獣の場合、陰子の量が器よりも遥かに多いんだ。支える器が頑丈だからかなんだろうけど、人間という器が百あっても足りない魂を魔獣は一人で支えている。その違いすぎる“違い”に、人間は名前を分ける事でバケモノ扱いした。

 魔獣の中身を陰子と呼び、人間の中身を魂と称して、ね」


 セツナはそういうとあざ笑うかのように鼻を鳴らした。

 差別する人間を馬鹿にするように。ほんの少しの違いに恐怖する人間に呆れるように。

 けれどユヅキも同じ人間だ。差別してしまう気持ちがわからないでもなかった。

 例えば食事。

 人は肉も食い魚も食い、作物だって食べている。けれども魔獣は人間という種族だけを捕食する。それだけで魔獣と関わりたくないと思う人間は数多くいるだろう。

 そう区別しなければ命がいくつあっても足りないからだ。

 しかし、なにも人間だけが差別、もしくは区別をしているのではない。魔獣もまた、人間に対して大きな隔たりを持っていた。

 中念以上の魔獣は人を食べずに作物を食らう事が出来るようになるが、人を食べないわけではない。

 食べようと思えば食べれるが、それを行わない者も多く、理由として『人と関わりたくないから』が上位となる。

 愚かな人間と共に居たくない。

 馬鹿げた人間と対話をしたくない。

 彼らは彼らなりに人間を侮辱、差別しお互いがお互いに寄り添い合う事はなかった。

 それを差別というのか区別というのか。ユヅキの頭では答えを導き出す事ができなかった。

 セツナは瞼を下ろし、思い出すように言葉を紡ぐ。


「陰子は空気中に浮遊する体外魔力を吸収する事で回復はできるんだけど、陰子を回復すればするほど体への負担が大きくなるんだ。やり過ぎると体を傷つける羽目になるし。それ結構痛いんだよ?」


 ケラケラと笑う姿はどこにでもいる一人の女性だった。

 昨日雨が降って洗濯物が濡れてしまったとか、先日辿り着いたバス停はもう既に出発した後だったとか。

 それらを笑いながら話すたった一人の女性のようで、そこに魔獣やら人間やらの境は一つもなかった。

 けれど、だからと言ってユヅキはセツナを許すはずもなく、警戒した眼差しでセツナを見つめる。

 それを受けたセツナは口角を上げながら話し出す。


「それで魔術を駆使する者、すなわち魔術師達は体内魔力だけで魔術を施行する。体内魔力は体力みたく時間で回復するけど、体内魔力は魂と直結するから魔術を行使すればするほど短命になってしまうんだ。

 まぁつまり。魔獣は体外魔力と体が持つ限り陰が使え、人間は自分の持つ体内魔力しか使えないって事。わかったかい?」

「……」

「おや、無視か」


 首をほんの少し傾けるセツナ。

 けれどもユヅキは反応する事なく睨みつけた。

 説明を求めたのは自分だが、それをあっさり話されると、どう反応すればいいのかわからなくなる。

 そして何より今一番会いたくない人、話したくない人と会って話しているのは苦痛でしかなく、応答なんてしたくなかった。

 セツナはそれもわかっていた風に頷くと、再び口を開いたのであった。


「今言ったみたいに、魔術と陰、人間と魔獣ではどうしても埋められない差があってしまってね。それは世界の理上仕方がない事なんだ。諦めてくれ」


 セツナはそう言い鼻で笑うと、


「…って言って諦めなかったのも人間だ」


 と、呆れたように言ったのだった。


「人間はその差を埋める為に“ラーファルの契約”という一方的な契約を作った。

 条件はさっき言ったね。その概念を説明すると、中念以上の魔獣って死後体を陰子へと変換させ跡形もなく消えていくんだ。体は塵となり光となり、なにも残る事なく消えていく。その陰子はすぐさま体外魔力に変化して他の生き物の糧となる。それが基本だ。人間はそれに介入したんだ」


 セツナの説明が淡々としだし、ユヅキは話を右から左に流そうとして、できなかった。

 陰と陰子の関係。魔力と魔術の関係。ラーファルの契約。

 初めて知ること、初めて聞く言葉。神秘であり未知である領域。

 それを完全に無視することはユヅキにはできなかった。

 セツナはどこかつまらなそうに話を進める。


「本来、隙間一つ空いてない()に大きな穴を開る。集結していた陰子を無理やり外界に散りばめるんだけど、第三者からの介入を許すほど僕らの体は馬鹿じゃない。

 命に関わらない外部から作られた穴から出た陰子は、程なくしてまた集結する。けれどもあら不思議。気がついた時にはもう剣の中。体に集結しようとした陰子は、いつの間にか剣に集結していた。剣は陰子を引きつける磁場を持っているらしくてね。まぁ磁石と同じようなものさ」

「………」


 ユヅキはなにも呟くことなく俯いている。

 言葉は脳へと届き、一つ一つ咀嚼する。

 大層な話だと思った。

 人間が何かに対抗するため、色々な犠牲を払うのは地球でも異世界でも同じらしい。ユヅキが見ていたファンタジーの中にも『人間は愚かだ』という描写はよく映し出される。セツナが同じことを思っていても不思議ではない。

 それを事細かに説明しているだけだ。世界と世界の齟齬をなくすために、一つ一つ丁寧に。

 けれど、だからなんだというのだ。

 この話を聞いて、この言葉を理解して、リネアは生き返りでもするのか。

 しないのであれば聞きたくない。知りたくない。そんないらない情報頭になんか入れたくない。

 しかし、そんな抗いは無駄だ。なに一つ無意味だ。

 セツナは静かに囁くように言う。無視を決め込むユヅキの心に響くように、そっと──


「──人間が陰を使うためさ」

「───」

「魔力だけじゃ飽き足らず、僕たちにまで手を出してくるなんて。つくづく呆れるよ」


 セツナの言葉にユヅキの思考に疑念が混じる。ほんの少し反応し、俯いていた頭がほんの少しだけ上がった。

 それもそうだ。

 個々で能力の違う陰は人間に扱うことはできない。人間ができるのはあくまでも四大元素と守るための結界、治療専門の治癒だけだ。

 それに人間が陰を使えるなど、そんな大それたことができるのならばもっと世に知れ渡っていいはずだ。

 けれどもユヅキが曖昧ながらも読んだ本の中には何一つ書いていなかった。

 それを漂わせる言葉もだ。

 セツナの口角が心底愉快そうに上がる。


「本来、この方法は禁止された。人間が最低でも中寧に傷を負わせるのはなかなかに難しい。運良くできたとしてもその後がダメだ。

 魔獣はね。寿命ではなかなか死なないんだよ。寿命で死んだ例なんか僕ですら聞いたことない。殺される以外死ぬ道はないんだ。

 けれどむざむざやられてやるほどこっちも優しくないんでね。それなりの対応してたら長生きしちゃった奴がほとんどさ」


 セツナは呆れたように首を左右に振った。

 自分たちも充分馬鹿だとでもいうように。寿命で死ねない魔獣という生き物を笑うように。

 セツナはそのまま言葉を続けた。


「だからね、魔獣は縛られるのが嫌いなんだ。自らがどこかに、何かに縛るのは平気なのに、それを他者からやられるといつだって狂い出す。縛り付ける奴を心底恨んで殺したがる。恨んだ次は愛おしくって殺したがる。愛おしくかった次は殺すこと以外理由がなくなる。

 この場に縛り付けるってことはね、常に僕の神経を逆撫でして、『殺してください』って言っているようなものなんだよ。

 ま。僕の場合、初めっから君を壊したいからほとんどいつもと変わらないんだけどねぇ」


 長々と語られる言葉。初めてしっかり話してみたユヅキだが、セツナは思いの外饒舌らしい。

 ユヅキが痺れを切らし「だからなんだよ…!」と言葉を紡ぐ寸前、セツナは「あっ。そうそう」と言葉を続けたのだった。

 言葉を被せられたユヅキの反論を許さぬまま、セツナはニッコリと笑い、そして──


「──セツは信じない方がいい。奴は敵だ」


 その言葉に、ユヅキの体がピタリと止まる。

 セツナがセツを知っている?セツが敵?

 今までの思考、今までの感情が一時停止する。そして徐々に稼働した。

 思えば“セツナ”と“セツ”は名前が似ている。いや似ているどころではない。まるでどちらかが名前をもじったかのようだ。

 不意にあのいけすかないヘラヘラとした白髪の彼の事を思い出す。

 いつも笑っており、人を揶揄うような言い草。時折人を試すような目つきや態度。たった数分の仲であるのに、不快と感じる性格。

 兄妹や姉弟であるならまるで似ていない。

 髪の色も顔つきも、話し方やその態度だって。不快という点とマイペースという点は共通だが、たった二つの共通点を持つ者は何万といる。

 セツとセツナ。

 不思議な接点。偶然の一致。

 それが全てセツの思惑通りなのであれば、なんて憎たらしいのか。彼はユヅキに対して嫌がらせしかしないらしい。

 ユヅキが驚きの余り固まっていると、セツナは静かに「あぁ、君はもう起きた方がいい。というより君はここに来るのが早かったみたいだ」と紡いだ。

 すると突如何かから引っ張られる感覚に体制が後ろに傾く。

 ぐらつく視線。傾く重心。足場から離れる体は浮遊感を感じさせる。


 ──最後に見たのは、心底楽しそうに笑うセツナの顔だった。

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