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満月日和  作者: 海月 星
第2章 直立不動の真実
23/38

助けてと叫ぶ瞳は

これからテスト週間に入ってしまうため、更新が遅くなってしまいます…

いつも以上に遅くなってしまうと思いますが、今後ともよろしくお願いしますm(_ _)m

 魔獣の足音は大きな体躯に不釣り合いな程繊細だった。

 音が立たぬよう地面に優しく手足を下ろしゆっくりと体重をかけて行く。腕を振るう動作は力強いが、それを支える足が弱いのか進みは遅い。

 時折わざと強く早く踏み込んで地響きを立てるのは自分達を見つけ出すための行動だとユヅキは考えた。

 この魔獣に対する知識はゼロ。むやみやたらに突っ込むのは得策ではない。

 戦闘を避け、ルアの住む町へと逃げ込んだ方が生きる確率は高いはずだ。

 ユヅキは剣の柄の感覚とチェーンの冷たさを右手に感じる。

 冷たい感覚がユヅキの脳を落ち着かせた。もう一度握り直してルアの耳元に口を近づけた。


「…ルア、ここから動こ。逃げ道、ある?」


 できるだけ静かに声を発する。警戒して魔獣に視線を向けると、相手はこちらに気づいていないようだった。

 別段耳が良いわけではないらしい。赤みがかった黒色の瞳をキョロキョロと動かしながらユヅキ達を探している。

 ルアは涙目ながらに顔を上げるとコクンと頷いた。ユヅキの腕を退けて反対側へと体の向きを変える。

 それでもユヅキの服をちょこんと掴み離さない。

 ルアはそのまま横に続く洞穴に沿って前進した。

 二人は四つん這いになってその場をなるべく静かに、ゆっくりと進む。

 噛まれた左腕がズキズキと痛む所為で地面に手をつく事も出来ない。動かすたびに痛みで顔が歪み息が詰まっていくのがわかる。

 形だけ四つん這いで実際には剣を逆手に持ちながら右手と両足だけで支えて進んで行った。

 しかし。

 物音がしたのか、単なる偶然か。

 魔獣がギロリと視線をこちらに向けたのだ。

 体全体に戦慄が走り、動かしていた手足がピタリと止まる。

 ルアもユヅキが止まったことにより前進するのをやめ恐怖を瞳に携えながら振り向いた。

 ゆっくりと歩み寄って来る魔獣の気配が異様に近く感じる。

 心臓が耳にあるかのように大きな拍動が思考を邪魔する。どの行動が最善なのか導き出せない。

 汗が滴り無意識に握りしめてしまう拳。張り裂けそうな胸に恐怖と不安が色濃く残った。

 ふと、枝の折れる音がユヅキの意識を現実に戻した。

 魔獣が木の枝を踏んでしまったようだった。

 ユヅキは急いでルアの頭を押し倒すと、自らも覆い被さるように地面に体を引き寄せた。

 数秒もしない内に差し込んでいた太陽の光が魔獣によって遮られる。陰った洞穴は不安を掻き立てるように冷たく、暗かった。


「───」


 息ができているのかいないのかわからなくなる程身を潜める。

 暗い洞穴でユヅキの服装はかなり有効だ。黒いローブは暗闇と同化しユヅキの存在をかき消す。触れてしまったら見抜かれる代物だが、視界だけでは判断することは叶わない。

 しかし、ユヅキの愛剣は蒼銀の刀身の存在を主張するように輝かしかった。

 その剣が、身を守る為の剣が、どうしてだか酷く重圧を感じられた。

 まるで何かを制すように。まるで、ユヅキを嘲笑うかのように。

 漠然とした不安が頭をよぎるが、魔獣の顔が根元に近づいたことによりその思考は中断される。

 シュゥ…と息を吐く音が頭上からした。


 ──ドクン、ドクン、と。


 心臓の鼓動がうるさい。

 心臓が止まっていたことが普通になっていたのか、それともただ単に異様なくらいまで鼓動が強いのか。

 鼓動に合わせて全神経が研ぎ澄まされる感覚。

 血液が頭からつま先まで絶え間なく押し出され、だと言うのに手先は冷え切り感覚が薄い。

 冷や汗が流れ、荒くなる息遣いを隠す為に口を二の腕に強く押し付けた。

 ルアの頭を抑えつける左手は激痛と共にルアの震えを鮮明に伝えてくる。

 土をギュッと握りしめ、どうにかこうにか息を潜めて。本来なら泣き喚いてしまいたい状況なのにも関わらず、ルアはじっと蹲っている。


「シュゥ──」


 魔獣の息遣いがもう直ぐそこで。

 魔獣独特のくさやのような匂いが洞穴いっぱいに広がり、自身に着く血の匂いがかき消された。心臓が暴れ馬のように鳴り響く。

 右手にある重みを再度確認する。

 このまま魔獣の顔に剣を突き立てる事はできる。できるのだが、それがもし一撃で相手を倒せなかったら?そう思うと今はただ、このままじっとしている他なかった。

 否。

 倒すのではない。


 ──殺すのだ。


 生きるか死ぬかの二つに一つ。相手も自分も生きることが必死で、特に相手は死ぬまで殺しにかかるだろう。

 だから


 ──殺す覚悟がないのなら、このままでいた方がずっと楽だ。


 ユヅキの目は、硬く閉ざされた。

 ドーベルマンに似た魔獣と対峙した時に感じた高揚感は微塵も浮かび上がらず、ただただ死の恐怖と直面していた。

 魔獣の口から溢れる生暖かい吐息が、ユヅキの頭を掠め、一定のリズムで拭きかかり不快と恐怖が入り混じる。

 息を潜め、気配を無くし、自分を殺す。

 脈打つ心臓に止まれと命令しても、震える指先に止めろと叫んでも、自分の体ですら言うことを聞いてはくれない。

 泣き出してしまいたい。叫び出して、全てを放り投げてしまいたい。そう心が叫んでる。

 怖い思いはもう嫌いだ。痛い思いはもう嫌だ。

 何もかも。今いる状況全てが怖い。

 心臓が引き絞られ、感情が恐怖の色に染められ、自我が音を立てて捻れ上がる。

 喉が詰まり息がし難い。指先が冷え、感覚が乏しい。聞こえる音は魔獣の息遣いだけ。

 助けてくれる者はいない。むしろ自分より圧倒的弱者が目の前にいる。

 正義の味方なんて者に期待するほど馬鹿じゃない。

 颯爽と現れる王子なんて存在しない。

 自分がやらなきゃ。第三者でもない。自分がやらなくては。

 しかし──


 ──緊迫した空気は、不意に終わりを告げた。


 覆われていた影は離れて、息遣いも匂いもどこかへと消えていく。

 膨れ上がった不安は心臓の音とともに徐々に消えて行き、気配はゆっくりと離れていった。

 ルアに覆い被さっていた体を力なく退ける。はっ、と短い息を吐き体を根に預けた。

 ルアもゆっくりと起き上がるが、震える体は頼りなく、目には涙を浮かべていた。

 力無いユヅキの目と未だ恐怖を浮かべるルアの目が自然と交わる。ルアは無理やり口角を上げるのだが筋肉が固まり上手く表情が作れていない。

 苦笑いすら零せぬが、ユヅキの恐怖は薄れていく。脅威が離れた実感をする。

 ルアも深呼吸を繰り返して緊張をほぐしているようだった。

 差し込む太陽が、眩しく光った。


 ──刹那。

 それは勢いよく訪れる。


「──っ!?」

「──ひっ!」


 ひしめく音はまるで何もかもを破壊するかの如く。根を折る巨大な腕はルアの背後から突き出された。木の破片が散り散りに飛び散る。

 ルアが完全に振り向くよりも早く、魔獣の手がルアの頭巾を掴んだ。

 音を立てて洞穴からルアを持ち上げる大きな手には産毛のように短い毛が無数に生えていた。

 ルアは恐怖と絶望を浮かばせながらユヅキに泣きつくような視線を送る。手を伸ばして、『助けて』とでも言うように。


「──まっ!」


 ユヅキが反射的に手を伸ばす。

 しかし。それはどこに触れることなくただただ宙を掠めるだけだった。

 目線の高さまでつまみ上げられたルアと魔獣の視線がねっとりと合わさる。

「ひっ…」というか細い声は誰に聞かれる事もなく消えて行った。

 魔獣はやっとの事でありつけた食事を見つけたかのような視線でルアを見つめ、その口角は無意識に上がっていた。

 ルアは必死に頭巾を脱ごうと試みるが、震える手がそれを邪魔してならなかった。朝方、ルアの母が取れないようにと言って硬く結んでくれた事が仇となったのだ。

 ルアは頭巾の紐と魔獣の口を涙目で交互に見る。

 ジタバタと動かす足は、もう魔獣の牙に届いてしまいそうで。

 弱々しい悲鳴が涙とともに溢れ出す。開けられた口の中にルアの足先がゆっくりと入っていく。

 が、──


 ──投げた蒼銀の剣が魔獣の右頭に浅く擦り傷を作った。


 さして傷をつけられなかった剣は力なくどこかへ跳ね飛ばされる。

 魔獣は開けていた口を閉じ木の根元を見ると、そこには血だらけのユヅキが息を荒げながら睨みつけていた。瞳孔は見開かれ、勢いで行動したのだということがありありとわかる。

 しかしながら、魔獣の苛立つ視線と目が合うと、その瞳は頼りなく中に潜む決意が揺らぎ、恐怖と決意が歪な形を形成させた。

 苛立った魔獣がルアを後方へと放り投げる。

 それはゴミを投げ捨てるかのように、呆気なく飛ばされた。

 重力に逆らう事なく弧を描きながら地面に叩きつけられたルアの口から血が吐き出される。

 ルアは、そこで動かなくなった。


「っ!ルア!」


 叫んでみても魔獣はルアと対角線上に居るため近づくことができない。

 それに加え剣は先ほど投げてしまった。勝てないだけの戦いが、二人の死をもって集結する戦いへと変貌したのだ。

 ユヅキは魔獣の視線から逃げ出したい気持ちを抑え、魔獣を視界から外さぬまま投げた剣を探す。

 その間も魔獣はジリジリと近寄り、ユヅキもそれに合わせて後ろに下がる。

 不幸中の幸いか、剣が視界を掠めたのは思いの外速かった。

 ユヅキから見て右側に位置する場所。そこに剣は力なく横たわっている。

 走って剣を掴んで魔獣を斬る。

 その動作をリネア級の狩人なら簡単に行えるだろうが、ユヅキにそれをやれというのは不可能だ。背を向けた時点で八つ裂きにされる。

 ユヅキは足場の悪い根を慎重に後ろへ進む。一歩、一歩と慎重に下がっていく。

 穴の開けられた根を避けて幹へと到達。右手で力強い幹の感触を感じた。

 激しく動いていないはずが、運動した後のように動悸が激しい。

 汗が背中を伝い、その行路を伝えた。


 ──そして

 ──ユヅキは全力で身を翻した。


 一瞬にして魔獣が大きな跳躍で間合いを詰める。飛び上がった魔獣の目とユヅキの目がぶつかり合った。

 ユヅキは幹に沿って魔獣から見えないところへ見えないところへと全力で移動する。幹を盾に一周回って後ろから責める作戦だった。

 魔獣の着地の瞬間、地面がぐらりと揺らいだ所為で体制がもつれ顔面から地面へ突っ込む。手が付けなかったせいで鼻に激痛が走った。

 鼻血など気にする余裕などなく、視界の隅に剣が寝転がっているのが見えた。

 ユヅキは上半身を起こして必死に手を伸ばす。

 あと少し、あと少しで手が届く。

 あの時と同じ、あと少しで──


「が──っ!!?」


 激痛が。脳の全てを焼き尽くす。

 魔獣の爪が背中の肉に食い込みえぐり取る。

 吹き飛ばされた体は勢いよく地面に叩きつけられた。と、同時に肺が圧迫され、息と共に血が溢れ出す。

 どうやら肺に届くほどの傷を受けたらしい。そう判断できるのには時間がかかった。

 喉に何かが詰まっているかのように息が出来ず、必死に空気を取り込もうとする肺は動く度に激痛を全身に運んだ。

 背中から燃え盛る炎のような熱が伝わる。意識が眩む程の激痛は節々の痛みをかき消した。

 うつ伏せに倒れる身体から、生理的な涙が自然と地面へ流れ落ちる。

 しかし、それを指し示す跡はない。

 流れ出る自身の血液が何の跡も残す事を許さないかのようにユヅキを中心として広がっていた。赤い、赤い、液体が。

 息ができない。

 意識が朦朧とする。

 ぼやける視界が笑みをこぼす魔獣の姿を鮮明に写していた。

 全く障害にならない敵がのこのこと出てきてくれたとわらっている。それはそうだ。

 これじゃあ自分から食べてくださいと身を捧げて居るようなもの。魔獣からすればありがたいことこの上ない。

 だからこそ、ユヅキは強い喪失感を感じていた。

 無力だ。

 自分が自分を軽蔑するほど無力だ。

 その命に価値は無く、ならば後世に伝えようという試みすら出来やしない。

 その手は何も掴むことが出来ず、何かを成し遂げることも叶わない。

 自分は無価値で無意味で無力で無意義で無益で。

 今まで全ての物事に対して無干渉を貫いてきた結果、いつの間にか何もないカラッポの存在へと成り下がっていた。無関係だと無関心を装って、自分の感情すら目を向けなかった。

 いざ、己の意思で立ち向かおうとすれば結果はこれだ。

 喜劇にも悲劇にもならない駄作な物語。

 馬鹿だった、と。自笑する事も出来ずユヅキの視界は暗転して行く。

 何もできなかったと、後悔をしながら意識を手放す。




 ──暗く、空虚な世界の中、鎧の擦れる音が微かに聞こえた気がした。

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