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満月日和  作者: 海月 星
第一章 生と死と
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不安と疑問が混ざり合う

色々な作品を読ませていただき、自分でも思うくらい書方が変わりました。本の影響ってすごいですね^_^

 流れ行く水の音にユヅキの意識は浮上した。

 寝起きの悪い脳はゆらゆらと波の上にいるかのように揺れ、はっきりと覚醒するのには時間を要した。

 徐々に感覚がはっきりとしていく。足に冷たさを感じ、ユヅキは身をよじった。

 足が冷たいのは、水に浸かっているからだろう。

 頭が痛いのは、岩か何かにぶつけたからだろう。

 眩しいと感じるのは、先ほどまで暗い思考の中にいたからだろう。

 手に持つ何かは、自分という存在を確かにした。

 少しずつ少しずつ今置かれている状況を理解していき、ユヅキは重い瞼を持ち上げた。

 体を起こしはじめに見えたのは、丸い石ころが転がる地面と、右手に何かを持つ自分の手だった。

 手を開いて中を見る。

 そこには鷹のような模様の描かれた銀の薄い板だった。チェーンで繋がれているが、途中で切れているのがわかる。

 何かに引っ張られ、無理やり千切られたような跡だった。

 続いて自分の頭を整理する。気絶する前の記憶を、意識が沈む前の想いを。

 目まぐるしく回る視界。冷え切った水中。手を伸ばした暗赤色。

 思い出して勢いよく顔を上げる。息を呑み、目を見開く姿はまるで信じたくないものを見てしまったかのようだった。

 手先が震え、それでもゆっくりと立ち上がり周囲を見渡す。ちらつく太陽が眩しかった。

 ユヅキの立っている場所は森の中の河川敷のようだ。川を囲うように数メートル離れたところから木が生えており、右手に大きな樹木がそびえ立つ。

 川は静かに流れており、記憶の中にある荒れた水流とは似ても似つかない。

 穏やかに流れるそれは美しい旋律を奏でており、不純を取り入れぬかの如く太陽の光を反射させていた。

 息が詰まる。

 冷や汗が嫌な予感を表すかのように溢れ出す。

 もう一度、今度は周囲を見渡すのではなく、目的の“あの人”を見つけるために視線を巡らせた。

 右に、いない。

 左に、いない。

 後ろに、いない。

 前に、

 ──いない。

 いない。あの人がいない。あの笑顔が見えない。

 いつも隣にいてくれたあの人が。いつも笑いかけてくれたあの人が。

 いない、いない。どこにもいない。

 なぜ、どうして、と疑問が疑念が埋め尽くす。

 唇は震え、目の前の現状を理解したくない脳が再び波に揺らされる。

 吐き気が身体中を埋め尽くし、力なくその場にへたれこんだ。

 記憶最後。あの暖かな手に触れた感覚。

 冷たいネックレスではなく、人の体温をその手に感じた。

 嘘ではない。本当にあの手に触れて、あの手を掴んだはずなのに──


「──リネア…?」


 震える声で呼びかける。

 返事をする者は誰もいない。変わらないせせらぎが穏やかに流れていた。

 いない。いない。誰もいない。

 今ここにいるのはユヅキ一人だけ。

 ひとりぼっち。誰もない。

 虚しい沈黙。雑音と化すせせらぎ。

 見知らぬ場所。見知らぬ風景。見知らぬ世界。

 ユヅキは一人。もう誰もその手を伸ばしてはくれない──


「──っ!!」


 不安と恐怖が入り混じり大きな焦燥感に駆られる。気がついた時にはもう、川の下流へと走り出していた。

 ──もしかしたらもっと流されたのかもしれない

 ──もしかしたら誰かに助けられてるかもしれない

 かもしれない現実を並べて、自分に疼く不安を取り除こうとするが、それはもはや逆効果。確証のない事柄を一途に信じられるほどユヅキの心に余裕はない。

 ひとりぼっちの不安。リネアという存在が失われた恐怖。

 それらが体に鞭打って、痛む体を叱咤する。

 動け、動けと責め立てる。

 河川をただ全力で走っていく。もつれそうになる足に力を入れて地面を蹴り続けた。

 息が切れ、心臓が動き出す。喉が圧迫されるような感覚に陥るが、止まっている暇などなかった。

 蒼銀の剣が重々しくのしかかる。手放してしまえば楽なものを、焦燥感に押しつぶされた思考は他の事に考えを割くのを許さない。

 ただまっすぐ。ただただ懸命に。

 似たような景色が流れ、前に進んでいるのかそれとも停滞しているのか。そんな簡単な事も理解できずに、ユヅキはあの色だけを探した。

 探し続けたのだ。


 ーーーーーーーー


 息が切れる。肺が、痛い。

 無我夢中で走り続けてどれくらいの時間が経った事か。

 登っていた太陽は、いつの間にか月に変わり月光を放っている。

 涼しげな風がユヅキの頬を撫でる。けれどもそんな現象、ユヅキは気にも留めることなく足を進めた。

 混ぜ合わされた思考を無視することなど敵わない。後悔と疑問と不安と希望と。

 肺が押しつぶされそうになるほと走り続け、吐き気がするほど考え続けた。

 足は痺れ、ふらつく足取りは不安定だ。

 喉は枯れ果て、肺は引き絞られ、足は引き千切られているかのようだ。横腹なんて張り裂けそうで、足を止めて休みたいと強く願う。

 動いていなかった心臓が気味が悪いほどに活動し、全身に血を巡らす。しかしそれではまだ足りない。足りていない。


「ハァハ──ッゥ、フッ─ハッァ──!」


 横腹を抑えながら、苦痛を表情に浮かべながら。

 過呼吸にもなりかけている肺に叱咤し、それでも彼女は走り続ける。

 嘔吐してしまいそうな感覚が、眩んでしまいそうな視界が、もうやめろと叫んでる。

 何をしたって意味がない。恐怖に負ける精神が、甘美な誘惑を漂わす。

 足を止めたい。

 体はそう訴えている。

 リネアに早く会いたい。

 心はそう、訴えている。

 矛盾する理想()現実()

 裏切り合う外側(身体)内側(心臓)。何もかも、脳というパレットの上で混ぜ合わされている感覚だった。

 暗がりが、そんなユヅキを嘲笑う。

 月光が雲によって遮られる。


 ──刹那。

 “それら”は草木をかき分けてユヅキの前に姿を現した。

 そしてユヅキの進行方向に二体、“それら”はヨダレを垂らしながら立ち塞がる。

 目をさましてからユヅキは初めて止まった。

 歩行より遅くとも止められなかった足の動きは、殺気を生み出す“それら”によって止める以外の選択肢を残さなかったのだ。

 両手を膝に着き、肩で息をする。

 空気が出入りしていた喉に痛みが走り、息をするのすらままならない。心臓は足りぬ酸素を運ぼうと身体中に血を巡らした。

 ユヅキは眩む意識の中、どうにか相手を見据えた。

 そして、


 ──ユヅキの脳内は憎悪の炎で燃え尽くされた


 例えるならドーベルマン。筋肉質な体と灰色の毛並。黒みがかった赤の瞳に狂気が渦巻く四足歩行の魔獣。

 前方に二体。後方に三体。右側に二体。左側はただの川。計七体の魔獣がユヅキを食らおうと殺気を放っていた。

 見知った彼らに思考が停止する。

 セツナとの戦いの後、獲物を捕らえんとする肉食獣。リネアとユヅキは追われ傷つき、そして離れ離れとされた。


「ぉ……の……」


 掠れるような声で呟く。

 息切れは止まらない。しかしユヅキは無意識にネックレスのチェーンを右手に巻き、剣の柄を握り締めた。


「お……せいだ…」


 相手の殺気に気づいたのか、一体の魔獣が唸りを上げる。獣臭がより一層ユヅキの鼻を掠めた。

 この感情は理不尽だ。

 今までこちら側が狩っていた状況が逆転しただけ。狩る側、狩られる側はいつだって隣り合わせだというのに。

 誰かの命を奪う事は、同時に自分の命をも天秤にかけなければならない。

 狩る側、狩られる側はいつだって逆転する。そういう世界だと。ただそれだけの現実(システム)

 覚悟がなかった。

 そんな事はありえないと思っていた。逆転する事は絶対にないものだと。

 リネアは強いから。リネアが守ってくれるから。リネアが側にいるから。

 そう、思い続けていた。

 誰かに全てを任せたツケが回って来たのだ。

 一歩後ろに下がっていることしかできなかった事をいいことに、自分の置かれている状況を理解しなかった。


 ──だからこの言葉は単なるわがままでしかないのだ。



「お前らのせいだぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 怒声と共に蒼銀の剣が引き抜かれる。

 それが合図だったかのように前方二体と右一体、後方一体が膝のバネを巧みに使い、牙を剥き出して飛びかかる。

 ユヅキの黒い瞳は交感神経が優位に働き、瞳孔を動かす筋肉である瞳孔散大筋が活発に活動する。その姿はさながら殺人鬼のように狂気に染まっていた。

 ユヅキは力任せに半円を描く。

 狙い違わず前方の二体と右一体の首、足、左目に食い込んだ。深く裂かれた傷口から鮮血が噴き出しユヅキの頬に飛び散った。

 生暖かい血液が頬を伝う。

 直後、背後からの衝撃と肩口鋭い痛みを感じた。


「──ぃっ!!」


 声にならない叫びが喉から追い出される。

 牙が食い込み肉を噛みちぎらんばかりに力が込められていた。神経を貫き、骨に到達する。

 激しい痛みが脳を揺さぶり世界が点滅した。

 勢いを殺し切れず、ユヅキは前のめりに倒れこんだ。

 今着ているのはの淡彩である柔軟性重視の装備。もしこれが耐久性重視の装備だったのなら骨まで到達していなかっただろう。

 イラウジャなど、大きいものを狩る時は柔軟性重視でいいのだが、小回りの効く魔獣を相手にする時は耐久性重視で長期戦に持ち込んだ方が良い。

 それを今言っても仕方がないのだが。

 ユヅキが前のめりに倒れたのをいい事に、一体の魔獣はユヅキの背中にのしかかる。周りの仲間もこれを好機とし、腕に、足に、腹に、激痛を植え付けた。


「っぁああああぁぁあぁあ!!!!」


 血が噴き出し自身と魔獣の体に鮮やかな液体が生々しく吹きかかる。踠いても離してくれるはずもなく、さらに牙が食い込んでいく。


 ──痛い。

 ──痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!


「くっ──そがぁぁ!!!」


 詰まる息を吐き出して、激痛に見舞われながらも体を捻った。

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