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満月日和  作者: 海月 星
第一章 生と死と
12/38

恐怖。憎悪。恐怖。

「あっはは。かっこいいね。私を置いて先に行け、みたいな?正義の味方にでもなりたいのかい?」


 からかうように笑うセツナ。リネアはそれを一身に受けとめ睨みつける。

 ここからが本当の戦いだった。

 ユヅキが苦し紛れに走り去って行ったのはリネアの想定していた通りだ。感情に簡単に流されず、状況を把握し最善を導き出す能力はあると言えよう。

 自分の死、相手の死には異様に敏感でありどちらも死なない選択がユヅキの最善であるが、今現在それができないと理解している事を信じ、リネアは言葉を紡いだのだ。

 ユヅキが言うほど、ユヅキは平凡でないとリネアは思っていた。過大評価し過ぎだと、ユヅキに呆れられるかもしれないが。

 呆れられて、笑われて。けれど笑った後、ほんの少し悲しい顔して。

 ユヅキはまだ完全にはリネアに打ち解けられていなかった。

 信用も、信頼もしているのだろうが、どこかリネアではない誰かを見ているようで。

 その為なのか元々の性格ゆえか、ユヅキはいつもリネアに対してへりくだっており典型的な指示を待つだけの人間だった。

 何をするにも自分で選択せず、目的はあるものの、それまでの道のりを自分で考えない。他力本願で、なにより不器用なユヅキを完全に否定する事をリネアはしなかった。

 何一つ知らぬユヅキに、何もできぬ人間に“やれ”と言ったって無理な話。

 一を聞いて全てできるほど世界は甘くない。応用だって、基礎が出来ていなければ話にならない。

 出来ないなら出来ないなりに考えろ。それすらも出来ないのなら、どう考えれば良いのか教えなければならない。

 自分を過大評価してなんでもできる気になっている人より、自分のできないところを理解している人の方が伸び代がある。リネアはそう思っていた。

 だからこそ、リネアに理解できないユヅキの行動があった。

 時折、ユヅキが悲しそうに月を見上げるのだ。苦しそうに、今にも泣き出してしまうかのように。

 それでもユヅキは一度も泣かなかった。リネアが手を貸す時も、何をしてもできない時も、死が間近に迫っている時だって。悔しがるだけで泣いたりはしてこなかった。

 悔しがるのに泣きはしない。苦しいと感じているのに涙は見せないユヅキに理解を見出せない。家族と離れ、友人と離れ、世界と離れても尚、どうして泣かないのか。

 ユヅキは怖がりで、泣き虫で、死ぬ事に怯えていて。なのにどうして。


 ──あーあ。そんな簡単な質問、聞いとけばよかった。


 リネアは一つ、ため息をついた。

 聞きたい事。知りたい事。まだまだ沢山ある。

 教える事、教えなければならない事が数えきれない。

 謝らなければならない事がある。

 伝えなければならない事がある。

 リネアがユヅキに。

 ユヅキがリネアに。

 お互いが、お互いに隠している事を曝け出さなければならない事がある。

 目の前の敵を倒して。明日を掴み取らなければならない。

 覚悟は決まった。

 迷いは、ない。

 心残りもない。いや、ある。心残りは沢山ある。

 だから死ねない。死にたくない。

 リネアは覚悟を示すようにセツナに応えた。


「正義の味方なんて大それたことしないよ。私が助けたかった。ただそれだけだよ」


 当たり前の様に答える。

 そう当たり前。リネアがユヅキに手を伸ばしたあの日から。見捨てる事も出来たのに、それをしなかったあの瞬間から。

 ──何よりも弱い、あの子を守ろうと誓ったのだ。

 セツナは少し感心したように目を輝かせた。


「へぇ。でも彼女、身を呈して守る価値なんてあるのかい?見た所、仲間を置いていくような薄情な子だけど」

「誰だって死に直面すれば逃げ出したくなるよ。それが初めてだったら尚更、ね!」


 言葉が終わらぬうちに思いっきり地面を蹴り飛ばす。足裏から噴射させた魔力で人体では出せぬ速さを実現させた。

 人は皆、魔力を使う時に光を放つ。服を着ようが何しようが、その淡い光は魔力を使用している場所で輝きを放つ。

 しかしリネアにはそれがない。

 敵に魔力の使用を認知させないための技。

 光を消すために集中を裂き、魔力を使用するのにも集中を必要とする、まさに玄人だった。

 一秒と経たぬうちに間合いを詰め剣を振り落とす。しかしそれはあっさりと受け流され横へと弾かれた。

 宙で体制を立て直しながら腰に携えたポーチに手を入れ、中から赤い宝石のを投げつける。魔法道具だ。

 宝石は一瞬だけ光るとたちまち炎へと変化しその場を焼き焦がした。触れていないのに熱さを感じる強烈な炎をセツナは難なく真っ二つに切った。

 開けた景色に、リネアの姿はどこにもない。

 音も、姿も、気配も、魔力も何一つ感じさせない。

 セツナは視界をぐるりと見渡す。けれどもそこには背の高い木々が生い茂っているだけだった。


「ふむ」


 腕を組んで顎に手を当てる。

 逃げ出したのか、と一瞬思うが、それはないと否定する。

 魔獣は基本的どの種類でも気配には敏感だ。人間でいう第六感を魔獣は常に持っていた。

 セツナがユヅキの存在を感知できているのに、リネアが放っておくわけがない。

 どの範囲まで感知できるのかリネアは理解してないにしろ、応援が来るまで時間稼ぎするつもりだという事は容易に判断できる。

 セツナはからかうように口角を上げた。


「やっぱり君は凄いね。どうしてあんな弱いのを庇っているのか理解できないくらい凄いよ」


 セツナは挑発する。

 折角隠れられた敵が感情に流され、出て来るような奴じゃないと見込んで。


「君はあの子に何を見出しているんだい?人間臭くないところ?教え甲斐があるところ?それとも、あぁ…」


 セツナは一つ、間を開けると口元に手を当てて心底楽しそうに、そして不気味に口角を吊り上げた。


「──唯一君に頼ってくれるところ?」

「───」


 反応はない。

 気配も魔力も、姿だってあいも変わらず見せることはない。

 セツナの心臓が高鳴る音がした。

 そして誰もいない空間で一人、大きな笑い声を響かせた。

 腹を抱え、身をかがめ。楽しそうに、まるで日常の中にいるかのように、まるで心癒される空間で団欒でもしているように笑う。


「君は!世界に名を轟かせたあの紅騎士が!こんなにも醜いなんて素晴らしいじゃないか!」


 嘲笑うかのように紡がれた言葉をリネアはどう受け止めているのか。

 セツナには関係のないことであり、気にするべきものではない。

 セツナは楽しそうに、楽しそうに、その場に響く声を轟かせた。


「出てこないのならそれでいい!君がそれを最適解だと思ったのならそうすればいい!」


 辺りを見渡す。

 どこにいるかも分からぬリネアに向かって発する言葉の数々。

 それは、終わりを知らぬ物語のように合間を挟むことなく次々に投げ込まれる。


「あの弱虫を守るのも、あの子に頼られることを生き甲斐とするのも、人間を見捨てて騎士の座を降りたのも!君が!君が正しいと思ったからだったのだろう?!」


 その言葉を最後にセツナの笑い声が止む。空気が変わった。

 セツナが変えたのではない。セツナではない、誰か。誰かが変えた。

 変えられるのはこの場に一人しかいない。

 未だ姿を見せぬ暗赤色の彼女が、言葉を強制的に打ち切るようにその空気を重々しく変えたのだった。

 風が。木々を揺らし花の香りを届ける。

 景色が鈍足し、木々の揺らめきが停止する。

 呼吸が、血流が、心臓が、はたりと止まった感覚。

 何もいない。

 ──否、何かがいる。

 誰もいない。

 ──否、彼女がいる。

 音がない。

 ──音なんてなんになろう。

 口角が、自然と上がる。

 いつ来るか分からぬ緊張感に耐えられぬ衝動が沸き起こる。

 早く、早く。

 もっと、もっともっともっともっと───


「──もっとこの僕を楽しませてくれよ──!」


 刹那。“ナニカ”の気配を感じ反射的に右手に持つ短剣を左首に振り上げる。甲高い鉄と鉄の交わる音が鼓膜を揺らす。

 視線をずらせば、悲痛に顔を歪めるリネアがそこにはいた。その表情に、また笑みがこぼれる。

 リネアはすぐさま一歩下がると、今度は右へ左へと剣をしならせ吶喊トッカンする。

 甲高い鉄のぶつかる音。素早い動きで攻撃を繰り出し、その間にフェイントを何度も入れる。それも全て、セツナの命を狙う斬撃ばかりだ。

 しかし、


 ──っ、一歩も動かせてない…!


 セツナは心底楽しそうに短剣を扱うが、防御に徹するだけで攻撃を仕掛けては来ない。だが、ユヅキと別れてから一度も足を動かさなかった。

 動いているのはいつもリネア。

 動かしているのはいつもセツナ。

 これが上際。これが現実。

 リネアは脳天から叩きつけられたような痛みを感じた。

 今までの努力が、今までの成果は、無価値だったと。結局人間は弱小だ。どう足掻いたって魔獣には敵わない。敵わないのに立ち向かう、哀れな生き物なのだと、そう言われているような気がした。

 セツナの真紅の瞳が嘲笑いながら見下している。

 弱き者を嬲る強者。

 赤子の反抗を笑い流す母親。

 その埋められぬ差は、戦う前からわかっていた。理解していた。

 いっそ発狂して理性も反応も混ぜ合わせることが出来たのなら、どれだけ単純か。

 いっそユヅキのように逃げ出せればどんなに楽だったか。


「はぁ──ぁああ──!」


 迷いだした思考を打ち消すように声を張り上げ剣を下ろす。

 楽なわけない。ユヅキは楽をして逃げたんじゃない。だからこそリネアが声をかけるまで立ち止まっていたのだ。迷っていたのだ。

 余裕もないのに名前を呼んだ。リネアの名前を呼んだ。

 助けを求めるような声だったが、それでもリネアの邪魔をせぬよう配慮していた。最後まで逃げよう、二人で生き残ろうとそう考えていたユヅキを誰がどう責められようか──!

 リネアは一度仕切り直そうと勢いよく後退する。

 地面に足がついた瞬間、声を張り上げセツナに突っ込む。

 大振りだろうと小振りだろうと受け止められるのなら、最大限の力を込めた一撃を食らわすまでだ。

 剣を横に構え、自身の守りを全て無視して、魔力も集中もその剣に捧げる。

 腕が線を描いて仄かに光る。つられる様に輝きを反射させた愛剣を強く握りしめ、その一撃を放つ──!

 その瞬間、


 ──セツナがニヤリと口角を上げたのだった。


「は──」


 バキッ、と何かが折れる音をリネアは聞き取った。

 チカチカする思考と視界。どちらが上でどちらが下かわからない。

 体制が崩れている。ああ早く立て直さなければ。

 どうしてだろう背中が痛い。そしてなぜか息苦しくて腹も痛い。焦点は定まらず体のあちこちから激痛の波が押し寄せる。何か言葉を発せようとすれば、出て来たのは言葉ではなく血塊だった。

 痺れる様な激痛の中、所々に濡れた感覚を覚える。

 そのおかげで理解した。

 セツナが口角を上げた瞬間、蹴りを食らわされた。

 それだけ。たったそれだけで大きく後方に飛ばされ樹木に激突。頭から血を流し、目を開けることもままならない。骨の軋む感覚に眉をひそめた。

 誰かの歩く足音が。否、セツナのゆったりとした足音が近づいて来る。

 視線を上げ自身の剣の在処を探す。目を開けるのすら億劫で、それでも長年共にいた愛剣を自然と探し、しかし残念ながら手の届く範囲には存在しなかった。


 ──反撃の余地など、もう。


 リネアの心情は驚くほどに冷静だった。

 ここで終わり。ただそれだけ。

 そこに恐怖はなく、諦めはなく。

 ただ、この先に見える結果だけを受け止めていた。

 セツナがリネアの目の前に立つ。そしてゆっくりと楽しそうに話し出した。


「ほら。これで詰みだ」


 ああ、知ってるさ。なんて余裕ぶることもできない。口から溢れ出すのは言葉ではなく血。視線を合わせるので精一杯だ。

 セツナは楽しそうに笑みを漏らす。


「人間にしてはとても楽しかった。君がもし、魔獣だったらなんて考えると胸が弾むよ。転生したらどうかもう一度僕を殺しにきてほしい」


 常識はずれの言葉にも耳を傾けられない。

 セツナは一体何を言っているのか。何を伝えたいのか。何を紡いでいるのか理解できない。理解したくない。


「君を生かすのも良いんだけど…今の君に向上心はないだろう?例えあの弱き少女を殺したところで僕に復讐を仕掛けには来ないだろうし」


 この短時間でセツナは何を見たのか。

 セツナの言う言葉全てが当てはまっており、リネアは朦朧とする意識の中、自然と笑みをこぼしていた。

 その行動にセツナが首をかしげる。

 リネアが痛む体を無視して上半身を持ち上げ、独り言の様に途切れ途切れ呟いた。


「君の、言葉が図星、だったからさ…君は、凄いね…もし、人間だったら平和の光として、讃えられてた、かもしれないのに、ね…」

「いやそれはないね。僕は魔獣であろうと人間であろうとこの捻れた性格は治らないさ。僕、魔獣の中でも嫌われてるし」

「ふっ…は、は…どうかな。そう言う人ほど、誰かを守ってたりするん、だよ…」

「それは君の持論?」


 リネアは静かに頷いた。

 優しそうに微笑むリネアにもう興味がないのか、「ふーん…」と、つまらなそうに相槌をうつ。

 セツナは頬についたリネアの血を舐めとると口を開いた。


「まぁここで君の人生は詰みだ。目を瞑るのも開くのも勝手にすれば良い。僕に嬲る趣味は──」


 最後の言葉。しかしそれは静かに途切れた。

 無意識に瞼を下ろしていたリネアが不思議そうにセツナを見上げる。

 そこには──


「へぇ」


 ──心底楽しそうに口角を上げる悪魔がいた。


 その笑顔でリネアは全てを理解した。そして悔しそうに歯を食い縛る。

 追い討ちをかけるようにセツナが言葉を発した。


「君のお仲間帰って来たよ?叱咤しなくて大丈夫かい?」


 クスクスと笑うセツナを頭上に、やっぱりか、とリネアは心を曇らせた。

 もしかしたらと、ほんの少しは可能性に入れていた。

 確率でいう10分の1。たったそれだけの確率を拭えなかったのもまた事実。

 もっと強く言えばよかったのか。否、例え強く言ったところで変わりはしないだろう。なぜなら彼女は、

 ──彼女は自分が嫌いだったのだから。


 何もできない自分が嫌いで、何も成し遂げられない自分が嫌いで。自分が自分を嫌いにならぬよう、今まで選択してきた。

 綺麗事でいい。

 怒られてもいい。

 勝ち目がないことくらい赤児でもわかる。

 けれどもし、このまま逃げてしまえば。

 もし、このまま助けを呼びに行ったら。

 もし、このままリネアが死んだら。

 自分を好きになる可能性がゼロになる。

 だからこれは自分のため。誰でもない、他ならぬ自分のために、


 ──恐怖を引き連れて、ミナミ ユヅキは戦場へと舞い戻った。


 息は切れ、嫌な汗が吹き出て来る。口元は震え、声が出ない。

 悲惨なリネアの姿を見ようとも、それをやった張本人を見ようとも、ただただ恐怖が感情の大部分を占めていた。

 しかし、瞳はセツナを捉えている。その瞳だけは絶対に逸らさない。

 セツナが嬉しそうにクスリと笑う。


「やぁ、逃げた後に戻って来るのは随分と王道じゃないか。策はあるのかい?」

「……っ」


 その言葉に、ユヅキは視線を地面に落とす。

 答えない。答えられる筈もない。策なんてもの、一つだって持ち合わせていないのだから。

 手足は恐怖に震え、瞳の決意は今にも崩れ落ちてしまいそうなほど揺れていた。

 息が詰まる感覚がする。

 深呼吸など、してる余裕はない。

 ユヅキは震える感情を抑え込み柄を手に取る。足を広げ、重心を落とす。

 言葉なんていらない。やる事は一つ。

 渋っていたってどうにもならない。結局、戻ってきてしまったのだ。どの道セツナと対峙しなければならないのはわかっていた。

 決意が揺らぐ前にやらなくてはならない。口が動かないのなら体を動かさなければならない。

 目線は下のまま、ユヅキは地面を力一杯蹴ってセツナに襲いかかる。鞘から抜き出す勢いに任せ下から上へと振り上げる。

 だが、


「なるほど。努力も才能もまだまだだけど伸び代はある。けれど恐怖がどうしても邪魔をしてしまうね」


 そんなものは攻撃にすらならないといった風に難なく肩口で止められる。

 それはそうだ。リネアも同じ攻撃を繰り出して止められたのだ。三流にすらなれない半人前のユヅキの攻撃など届く筈もなかった。

 セツナの左手が伸びる。

 気づいた時にはもうすでに額に届いており、軽く後ろへ押される。それだけでユヅキは尻餅をついてしまった。

 自分より背の小さなセツナを見上げる。圧倒的な格差を感じるのは、生きていて初めてだ。

 あぁなんて無力な。勝ち目がないのはわかっている、そんな次元じゃない。

 自分はなぜ戻ってきたのか。

 自分の為。そう自分の為に戻ってきた。罪悪感に耐えられず、誰かの死を背負うことを恐れ、自分は立ち向かいましたと言い訳をするために戻ってきた。

 あぁこれは、これは──


 ──なんて汚らしいんだろうか。


「これは僕の持論だけど、恐怖の打ち消し方を教えてあげよう」


 セツナが俯くユヅキを見ながら淡々と述べる。混ざる思考を停止して恐怖ながらも耳を傾けた。

 そしてどうしてかリネアに体を向けると邪悪な笑みを浮かべた。

 ユヅキの中に恐怖と不安が入り混じり、最悪の状況が頭を掠める。

 そして────


「そうせざる終えない状況を作ればいい──!」


 セツナが腕を振り上げるのとユヅキが震える足に力を入れるのはほぼ、同時だった。

 振り下ろされたセツナの爪は、ブレることなくリネアの腹を切り裂く。

 鮮血が勢いよく鮮やかに飛び散り、ユヅキの体へべったり張り付く。

 木へ、土へ、葉へ。鮮血はリネアを中心に咲き誇る花の様に散りばめられた。

 リネアが力なく後ろに倒れる。

 不気味なほど白く変色したリネアの肌を犯すように侵食する赤い血液。

 立ち止まったユヅキの足に届いてしまう気がして、一歩二歩と後退してしまう。

 人の命が奪われる。

 生き物の命が消失する。

 一つの命が、背負わなければいけない命が、重く重くのしかかる。

 息がつまり呼吸困難に陥りそうになる。胸を押さえつけ、“ソレ”をやった張本人を見れば、

 ──セツナの右腕は彼岸花のように美しく、鮮やかに染め上げられていた。

 右腕に付いたそれをペロリと舐めると、セツナは挑発するような笑みをユヅキに向けた。

 そして、


「ぅぁああああぁぁああ!!!!」


 酷く重い、焼き焦がすような激情が木々の隙間を通り抜けた。

 何も考えられなかった。これが自分の声だという自覚もなかった。

 ただ、アクセルを踏む。強く、強く、ただ内に秘めた激情を押し付けるかのように。

 すると己の内側で何かが全力で動き出す。

 沸騰するかの如く血が滾る。

 高揚感などでは全くない。

 例えるならば、ドス黒い何かが感情を染め上げ汚物で体を動かしているようだ。

 爆発的な感情が、ユヅキの瞳に殺意を抱かせる。

 飛び出したら最後、ユヅキの剣はセツナへと振り下ろされた。


「はっ!──っ、!」


 ユヅキの太刀筋をほんの少し体を傾けて躱す。最小限の動きで最大限の防御だった。その顔に余裕の笑みが浮かぶ。

 ユヅキに剣術など持ち合わせていない。

 突っ込むだけ。振り上げるだけ。振り下げるだけ。突き出すだけ。振り切るだけ。

 みちゃくちゃに、ぐちゃぐちゃに。相手を◼️◼️◼️

 事だけが、ユヅキの体を突き動かす。


「っぁあ!」

「あっはは!君はどうしてそんなに怒っているのかい?」


 セツナの言葉に憎悪が増す。理由なんて簡単ではないか。

 大切だから。助けてくれたから。それ以外に何が必要か。

 煮えたぎる感情がユヅキの体を動かせる。

 ──早く早くと急かされる。

 怒気を伴った咆哮と共に剣を振るう。

 ──感情が止まらない。激情が溢れ出す。

 狙いなど、定めてないかのように、

 ──ただ、突進する。


「ハッ──ハァッハァっ─!」


 死ね──シネ──しね──!!!

 殺意が、憎悪が、怒りが。

 恐怖を捻じ曲げ退ける。初めての本物の殺意を胸に抱いて蒼銀の剣をむやみやたらに振り回す。

 リネアがやられた。大切な人がやられた。

 二人でいるのが好きだった。大切にしたいと思える空間だった。

 初めは利用してた。リネアを利用して元の世界に帰ろうとしか思っていなかった。誰だって良かったのだ。助けてくれるなら誰でも。

 しかしそれはいつの間にかユヅキの中で変形していき、ユヅキにとってリネアはなくてはならない心の支えになっていた。

 ──本当に、そうなのか?


「ぐ、ぅぁ──ク─ぁぁぁぁ!」

「迷いを感情で殺してはならない。疑問があるなら解決するまで考えなくてはならないよ?」

「うるさい!うるさい!」


 怒声と共に振り抜かれた剣は空気を掠める。先ほどから傷一つつけられやしない。況してや剣を受け止められることすらない。短剣はいつの間にか消えており、その身は舞うようにユヅキの剣を避けていた。


「君は本当に彼女を見ていたのかい?君は本当に彼女を大切だと思っていたのかい?君のもつその感情は本当に彼女の為の感情なのかい?人の為を偽った自分の為ではないのかい?ねぇ、答えてくれよ」


 楽しそうに笑うセツナの言葉が理解できない。

 リネアのため。そうリネアのためだ。

 怒るのも憎悪を覚えるのも殺意を向けるのも、リネアがやられたから生まれた感情だ。自分の為だなんてありえない。

 絶対にありえない。


「──本当にそうなのかい?」


 セツナが目の前から消えたと思うと、背後から声がする。

 剣を振るうが、後ろを向いた時にはもういない。

 クスクスとした笑い声を耳に再び後ろを向くと、そこには口元に手を当てて笑うセツナがいた。

 間髪入れず距離を詰めようとする。

 が

 ──邪悪な笑みを浮かべたセツナと目が合う。

 ユヅキの顔が恐怖に歪む。

 剣を構えたまま、ユヅキの体は岩のように固まり、瞬き一つ許されない。

 セツナがもう一度笑い声を漏らす。邪悪に、美しく。それは純な漆黒のように。


「──まだだ。まだ足りない。君には欲が足りない。感情が足りない。何も足りない。考えるのを放棄して、けれども狂気に身を染めることを拒み続けて正気のまま狂気のフリをする。

 あぁなんて馬鹿馬鹿しいんだろうね」


 セツナは肩を震わせながらクスクスと笑うと、次の瞬間には腹を抱えて笑いだした。


「いいよ!すごくいい!君みたいな何も知らない子はとても好きだ!!」


 嬉しそうに、楽しそうにセツナは声を上げて笑う。そんなセツナを見るユヅキは恐怖より疑問の方が強くなっていた。

 しかし。

 そんな疑問、戦場に持ち合わせてはいけなかった。

 セツナが笑い終えると、ユヅキに視線を向け──


「──だから僕が汚してあげよう」


 ──自ら蒼銀の剣に刺さりに行った。


「えっ……」


 肉を切り裂く感覚。

 肉と肉の間に隙間を作る。切り裂かれた身体から内部に流れていた血流が外へ外へと逃げ出していく。

 妙な弾力が手に伝わる。気味が悪い、そう思った。

 予想だにもしなかった展開にユヅキはか細い声を出しながら柄から手を離そうとする。

 が、セツナはそれを許さなかった。


「ダメだよここで離しちゃ。契約ができなくなる」


 ユヅキの手と共に柄を握られる。

 胸へ突き刺されているのにもかかわらずニヤリと笑う姿は悪魔のようで。口から滴る血液は、彼女を妖艶に輝かせていた。

 ゆっくりと。しかし確実に変化が訪れる。

 セツナの血液が生き物のように動き出し、スルスルと剣を伝わり柄へと到達。ユヅキに触れた瞬間、それは刻印のようにユヅキの体内へ入り込み、蔦のような模様を残していった。

 ドクン、と心臓の鼓動が近くに聞こえる。

 ドクン、と脳が危機反応を起こす。冷めた血液が再び熱せられたように熱く、熱く。

 ユヅキは何もかもわからぬまま金切り声をあげていた。

 痛くない。痛くないのに恐怖が声を絞り上げる。

 目の前で起こっているのが何なのか。説明してくれる者は誰もいない。

 ユヅキは力一杯柄から手を離そうと暴れ出す。


「ゃ…嫌だ、やだ!やめろ!!ああぁぁああ!!!!」


 努力虚しく、手はピクとも動く事なくセツナに掴まれたまま。

 目の端から涙が溢れ出す。頬は引きつり叫びは虚しくも木々へと消えていくだけ。叫び過ぎた喉は次第に痛みを発していた。

 その様子にセツナの瞳に甘美の色を見せた。


「楽しみだよ。君が成長していく様を、壊れていく姿を特等席で見れるんだ。

 さぁどうか、存分に苦しんでくれよ?──」


 その言葉を最後に、手に伝わっていた重圧が軽くなる。

 セツナの姿は跡形もなく消え去った。匂いも、血痕も、髪の毛一つ残す事なく。

 先ほどまで掴まれていた手は、何事もなかったかのように、いつも通りの腕だった。

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