歯車の音
日はまた移り変わり、装備を買ってから十日ほどの月日が流れた。
あれからと言うもの、ロナフトを拠点として魔獣狩りを続けているのだが、ユヅキの戦力は未だ皆無と言っていいだろう。成長の余地はあるものの、成長のせの字も見える事はない。
それでも尚、ユヅキは懸命に剣を振るっていた。元の世界へ帰るため、リネアの役に立つため。
理由など、ちっぽけなものかもしれない。お前じゃ無理だと、他人のことなど気にするなと、誰かが言うかもしれない。
けれど。しかし。
ユヅキは剣を振るっていた。
理由は変色しているかもしれない。もしかしたら元の世界など、リネアのことなど、関係ないのかもしれない。そんな事、自分ですらわからない。いや、わかろうとしなかった。
けれど、
──ユヅキは剣を振るっていた。
リネアはそれを静かに見守る。
ユヅキの疑問を理解していながら助言をするわけではなく、ただただ生きる術を叩き込んだ。
一人で立っていけるように。自分がいなくなってもいいように。
ユヅキにその意図は伝わっていないが、シールと出会った以降修行がより一層厳しくなったのはひしひしと伝わっていた。宿舎に入ってすぐ寝てしまうほど心身ともに疲労した日々をここ最近送っているのだ。
「ユヅキー!そろそろ休憩にしよ?」
天気の良い昼下がり。
魔獣を二体倒したところで待ちに待った休憩タイムである。
本日の成果はやはり変わらない。いつも通り叫びながら逃げて逃げて。残念な事に魔獣がもう一体来たところでその場はカオスと化した。
協力のきょの字も見せずに争い出す二体と「どえれえなあ!」と二体の間に割り込む黒髪の少女一人。実質一対一対一となり、途中ユヅキが共倒れを望んで逃げ出したところリネアに笑顔で捕まった事件も発生した。
結果的に殆ど共倒れ状態の魔獣二体は腰を抜かしたユヅキに変わってリネアが倒して終了だ。
かっこいい異世界ライフは何処へやら。戦術も何もないのだから『最弱だけど最強』や『戦闘外戦術者』といった頭脳戦に長けるクールさもない。戦術も戦闘もできないとなると自分の取り柄を疑いたくなる。いや、疑った。
「りょーかい…しんど…」
ユヅキは疲れ切った顔でそう言うと大の字で倒れていた体をのろのろと持ち上げた。
ふと、空を見上げて思う。木々の隙間から差し込む日差しが、たった独りぼっちだったあの時と似ていてほんの少し寂しくなった。
森の中に小鳥のさえずりは少ない。と言うより、この世界に小鳥は存在しない。聞こえる声は全て魔獣の鳴き声だ。
元の世界での“犬”や“猫”と言ったペットの類は、こちらの世界でいう魔獣を使役する事と同一である。“ペット用”の下方は存在し、戦闘能力は低く知能が高い品種。主従関係を理解し、人に懐く性質を持った下方の魔獣はネズミのような手のひらサイズから狼のような腰までのサイズまで様々だが、それほど種類は存在しない。
肉食であるが故、食費も馬鹿にならず貴族が自身の地位を誇示するために飼うことが殆どだ。
なら他の動物をペットにしようと思って見ても、この世界に我々が“動物”と認識するものは何1つとして存在しない。動物として括られるのは人間と魔獣の二種類。この世界にとって、“人間”とは最弱の存在であり、“魔獣”とは最強の存在である。
魔獣に対抗すべく作られた『魔法』や『魔法道具』も、結局は下方にしか抗えなかった。
少し歩き、ユヅキは出っ張っている大きな木の根に腰を下ろすと張っていた気をため息と共に吐き出した。
ユヅキの脳は、もう何もかも諦めたい思考に浸っていた。
「ユヅキのそれはため息?それとも深呼吸?」
背中を向けた状態でリネアから声がかかる。
現在リネアは倒した魔獣の解体作業にかかり、ユヅキはその切り裂く音を聞きながら何も考えずにいた。否、音のことしか考えていない。
ユヅキは生々しい音を無視して口を開く。
「…どっちもかな。潜在能力を発揮できない自分にため息半分で、これから意地でも引き出してやるの深呼吸半分」
「まだ潜在能力あると思ってるあたりユヅキの頭ははっぴーだよね」
「ねえ酷くない!?ど直球過ぎるよね!?」
背中越しに遠回しで才能がないとはっきり言われ心が抉られる。
無遠慮な物言いだが、反対に申し訳なさそうに言われるとこちらも申し訳なくなるのでむしろはっきり言われる方が良好だ。友人椎名もズバズバと物事を言ってたことから懐かしさも感じられる。
ちなみに、リネアの使うカタコトの英語はユヅキが教えてあげたものだ。英語のテスト20点台のユヅキがだ。リネアがあまりに元の世界の事に興味を持ったので色々な文化や言葉を教えたところ面白がって使い始めたのだ。
そこでふとチャリンッと音がする。
無意識に音の方向、後ろへと目を向ける。そこには食材を切り終わったリネアが立ち上がっていた。
リネアも音に気がついたらしく視線を足元に向けると、ゆっくりと屈み銀色の薄い板の付くネックレスを手に取った。
板の片面には鷹のような絵柄が丁寧に掘られていおり、目の部分は赤い宝石がはめ込まれている。もう片面は文字が彫られた上に大きな傷が出来ていた。
絵柄は巧妙で簡単に手に入る物ではなさそうだった。
リネアはふとした瞬間そのネックレスを触れる時がある。ギュッと握りしめたり指でなぞったり。
理由は不明だが、そのネックレスになんらかの思い入れがある事をユヅキは理解していた。
今までネックレスの事を一度も聞いてこなかった。聞いてはいけない雰囲気も何もなかったが、何と無くタイミングがなかった。それだけだ。
じっとネックレスを見つめるユヅキに気が付いたのか、リネアは首にネックレスを付けるとクスリと笑った。
「気になるなら言葉にすればいいのに。答えられる事なら答えるよ?」
優しい笑みを向けられたユヅキだが、どうしてだか渋い顔をしてネックレスを見つめていた。
そして、
「…前から思ってたんだけど、身なりを気にしないリネアが首飾り持ってるって奇妙だよね?」
「ユヅキってたまに酷いこと言うよね?」
「さっきのリネアほどじゃないと思うけど?」
「私なんか言ったっけ?」
「物忘れひどくない?」
「旅人だからさ!」
「いや関係ないからな!?」
絶え間なく続く言葉の掛け合い。奇妙とはまた酷いことを言うものだ、とリネアは突っ込み、リネアほどではないと言い返す。
短時間で濃密な経験をした二人であるからこそ遠慮なく言い合えていた。
──言えてない事がないわけではない。
しかし出会った時と比べれば、二人の間に絆は強く結ばれていた。
朝から晩まで一緒にいれば人見知りも特になくなるというもの。それ以前に一方的にユヅキが失態を晒し続けている状態だ。恥ずかしさもいつの間にか消え去った。
そしてリネアが身なりに気を使わないのもまた事実であった。
化粧はもちろんのこと、服も多いと邪魔になるからという理由で二、三着の着回し。髪はいつも下の方で結うだけで前髪なんて目下まで伸ばされており、ここでも邪魔だという理由でM字に分けられている。
つまり、リネアの身なりは邪魔か邪魔じゃないかで分けられているに過ぎず、好き嫌いもほとんど反映されていないのだ。ユヅキの装備にはあれこれ言っていたのに、だ。
リネアは視線を空に向け数秒考えると、
「…確かに首飾りは装備品だし、必要か必要じゃないかって言われたら必要じゃないし、動けば揺れて邪魔だしたまに引っかかって首痛くなるし置き忘れとかよくあるし無くしやすいし壊れそうだしよく落とすし踏んだら宝石が当たって痛いけど」
「後半自分のせいじゃない?」
ユヅキの言葉に照れたように頭をかくが、その頬には解体した魔獣の血が付いており可愛さは微塵もない。
暗赤色の髪も相まって、頭から血を被ったようだ。恐ろしい。
リネアは視線をユヅキに戻すとゆっくり口を開いた。
「大切なものだからさ。どんなに邪魔でも外したくないんだよ」
「えへへ」と、頬を掻きながら照れたように笑う。これがユヅキの始めて見るリネアの照れだった。
頬を赤らめ和やかに笑うリネアはいつものお姉さんというより、恋する乙女の方が当てはまっている。
その顔を見るとなんだかユヅキまで嬉しくなって「そっかぁ」とほんわかと笑った。
「んでんで?その大切なエピソードはあたしに話してくれたり?」
「えぴそーど?っていうのはわからないけど私の話なら面白くないよ?」
「いやいや。こっちの世界だけでも夢と希望が詰まってるから」
「んー…私の死んだ両親の話とか?」
「早くもシビア!?」
早々の切り出しに驚きの言葉を上げる。
あまり気にしていない様子から、もう吹っ切れたのかはたまた“よくある事”なのか。判断しかねる。
リネアの笑顔のおかげで過去を粗雑に聞き始めた罪悪感はなくなった。
「まぁこの首飾りと両親は関係ないんだけど」
「ないの!?」
「え?あるって言った?」
「いや言ってないけど…」
無意識にユヅキを振り回すリネア。リネアのペースにまんまと巻き込まれているユヅキは幸せな困憊が胸を占めた。
リネアが血液を吹き、ユヅキの横に座る。どうやら話してくれるようだ。
「何から話そっか?」
「お好きなところからどーぞ」
「そっ。じゃぁねえ…」
リネアが昔を思い出すように瞼を閉じる。
瞼を閉じた少女の横顔は抱きしめたくなるほど愛らしく、端正な顔立ちは多くの者を魅了しただろう。
ふっくらとした唇も、長い睫毛も、滑らかな小麦色の肌も。輝く暗赤色も。彼女に与えられた恩恵はすたれる事なく、ただただ輝いていた。
リネアの瞼が持ち上がり、静かに口が開く。
その時だった──
──盛大な破裂音とともに、空から光る破片が飛び散った。
「──!?」
「はっ!?何!?」
驚き上を見上げる二人。
破片はユヅキ達の元に落ちる前に消え去る。それが何を意味するのか。
隣にいるリネアの表情は驚きの中に恐怖を滲ませており、良からぬ事なのは確かだった。
しかし感情の揺れは一瞬で、すぐさま立ち上がりユヅキの手を取るとその場を一目散に走り去る。荷物は愛刀一本。それ以外は全てを置き去りに町への道を迷いなき足取りで進む。
「ちょっ、リネア!?」
「結界が壊れた!町の周りに張られてた魔獣除けの結界が!こんな大掛かりな事、できるのは一つしかない!」
リネアが切れる息を無視して怒鳴りつけるように言い放つ。
「──上際だ!」
その言葉の意味を理解するのに数秒の時間を有した。
上際。いつも戦う下方の二つ上の格。
陰を使い、存在する魔獣の中で最も強いのだと常識的に知れ渡っている存在。
端的に説明するリネアは切羽詰まっており、こんなにも焦るリネアを見るのは初めてだ。
いつも笑っていた面影はどこにもない。威厳ある背中は追いかけていたものとは全く別物に見えた。
「り、リネ──」
「──下がって!」
ユヅキが何かを言いかけた時、リネアが引いていた手を離してユヅキの前に立つ。
勢いのあまり前から転げるように倒れた。体を起こしたユヅキの前には剣の柄に手をかけるリネアの背中が見えた。
その大きな背中に手を伸ばしかけ、
「──暗赤色の髪に軽装の鎧。その若さで首飾りの持ち主」
静かな。
中性的な声がそよ風に乗せられ耳をかすめた。
「──馬鹿げた安価の剣は自分とでも重ねているのかい?」
幸福なんて水のようで、
「──君って意外と野蛮?」
触れた途端に散りゆく定めでもあるのだろうか。
満たしかけの杯は、真紅の瞳を持つ彼女に
乱され
壊され
嬲られ
跡形もなく消え去った。




