9-12 これはアダマンチウムですか? いいえ、ミスリルです。
それはちょうど1カ月ほど前の出来事だった。
狭い路地の奥に、隠れるように居を構えていた偏屈な武器職人の店……ギルドの紹介が無ければ、見つけることはできなかっただろう。
試作品らしい奇抜な武器が、所狭しと飾られた、普通の既製品を売ろうという気は全く無いらしい狭い店の中。ドワーフの名匠グラグベグはアルテミシアの希望を聞いて、ドワーフにしては水平方向に小柄な体を揺すりながら、顔をしかめていた。
「爪……だぁ? 武器を持ったことも無い奴が、なんでまたそんなキワモノを欲しがる」
何か武器を持とう、というつもりで店にやってきたアルテミシアが希望したのは、あまり一般的ではないジャンル。手に嵌めて使う爪型の武器だった。少なくともこの辺りの地域では、特殊な流派の格闘家とか、たまに暗殺者の暗器として使われるくらいの武器で、グラグベグが言うとおりのキワモノではある。
しかし、アルテミシアなりに考えた結果の判断だった。
「わたしはちゃんとした戦士じゃなくて、ポーションで体を強化して身を守るしかできないんです。もし戦うことがあれば、必然的に、力に偏重した戦い方になります」
技巧にはあまり期待できない。
ポーションによって歪に強化された、圧倒的な力で粉砕するのみ。それがアルテミシアの戦い方だ。
「だからダイレクトに力が伝わる武器が良いかと思ったんですが、かと言って、わたしの小さな体で超重武器は扱いきれませんし、普段の持ち運びにも支障が出ます。ですので、格闘に近い武器が合っていると思ったんです。その上で相手の刃物を受け止めたりしやすい、盾になる武器……こういうのがいいんですけど、わたしのサイズで作れますか?」
アルテミシアは、店内に展示してあった試作武器の一つを持ってきた。
それはジャマダハルという、横向きのグリップを握って突き刺す剣に似ていた。普通のジャマダハルとは違い、グリップの部分に籠手が付け足されていて、どちらかと言うと『手の甲から剣が突き出している籠手』のような印象。
アルテミシアの質問を受けて、グラグベグはカッと目を見開いた。
「『作れますか』? 『作れますか』だと!? 舐めるな、娘! このグラグベグ様だ、作れるに決まっているだろう! ワシが作る気になるかどうか、問題はそれだけだ!」
なんとも頼もしいお言葉であった。
「これを作るとして……追加の注文をお願いしたいんです。
まず第一に、ポーションの補助無しでもわたしが着けていられるよう、軽量な純ミスリル製で。第二に、この刃を普段は収納しておいて、一瞬で出せるようにしたい。第三に、この手の甲の所なんですけどね、お願いしたい細工が……」
紙に書き付けてきた設計図的なものをグラグベグに見せ、アルテミシアは説明する。
ちなみにこの時はまだ読み書きを修得していなかったので、絵と口頭での説明が頼りだ。
「……できますか?」
「ここまで馬鹿馬鹿しい注文は久しぶりだ」
慣れない羽ペンでアルテミシアが描いた図を見るグラグベグの顔から、一瞬、全ての表情が消えた。
職人として仕事に挑むべく、最高に集中した瞬間だったのだと、アルテミシアは分かった。
「さっきも言ったはずだな。ワシを舐めるなよ」
* * *
ジャリン!
手の甲部分の脇に付いているトリガーに親指を引っかけると、澄んだ音を立てて、籠手の先端から三本ずつ、白銀色の刃が飛び出す。
同時に、スライムが腕を伸ばすみたいに下側へ向けて銀の流体が流れ落ち、アルテミシアの手を抱き込むような形で固まり、握り込むためのグリップとして展開された。
この刃とグリップは、カラクリ仕掛けだと強度が足りなくなるので、金属の形状を記憶して魔力で展開する技術を採用したものだった。
(ちなみに、普通ならこれくらい非魔術師の魔力でも操作可能なのだが、アルテミシアは魔力ゼロだったので籠手に仕込んだ宝珠を魔力の源にしている)
「……ウルヴァリンだ……」
3×2本の爪を見て、アルテミシアは小さく呟く。
爪にも植物のツタのようなデザインが浮き彫りにされているのだが、わずかな凹凸によってしか認識できなかったその絵が、爪の根元の方から炎が走るように、一気に黄褐色に染まって浮かび上がった。
「だいたい、この辺!」
見えない足があった辺りを狙い、アルテミシアは大雑把に爪をスイングする。
爪の先の方が何かに引っかかった、ような気がした。
その次の瞬間、重い音がして見えない何かが倒れ込む。
人の体の形に絨毯がへこんでいた。どうやら倒したらしい。
『おい、どうした!?』
誰も居ない場所から聞こえてくる、うろたえた声。エルフ語だ。
――やっぱり、ふたり居る!?
ウィゼンハプトを狙ったのと、セルジオを落とした(気絶しているだけに見えるが、もしかしたら死んでいるかも知れない)のは別人だった。
部屋の中、見えないけれども声がする。だいたい声がした辺りをアルテミシアは狙ったが、避けられてしまったようで、黄褐色に染まった爪は空を切った。
どうして相方が倒されたか分かっていないようだったが、タネは簡単。
アルテミシアの爪を染め上げている黄褐色は、麻痺毒ポーションなのだ。
『薬染爪剣』。
手の甲の空洞部に装填した瓶から、ポーションの中身を刃に這わせ、攻撃と共に傷口から注入する、特製の格闘武器。
装填したポーションが尽きるまでは、薬液が絶え間なく刃に供給される。これによって傷を負ってしまえば、一気に傷口から薬液を流し込む魔法的な機構(刃やグリップの展開と同じ流体操作なので、コストを上げずに機能を組み込めたそうだ)も仕込まれている。
つまり、ポーションで強化された力をダイレクトに伝える武器でありながら、一発当たれば圧倒的優勢・もしくは勝ちという、更なる必殺性も備えているのだ。
……当たれば、だが。
「曲者っ、曲者―――っ!」
助けを呼んで声を張り上げるアルテミシア。
急に、自分に向かって風が吹き付けているような気がして、顔の前で爪を交差させた。
眼前で火花が弾けた。
見えない何かが向かってきている。軽くて小さな武器が当たっている感触だった。
――昨日襲ってきたエルフは、ちょうど残りふたり……
もしそいつらが来たんだとしたら、これは前衛軽戦士っぽいナイフエルフ!
一般的に言って、そういう軽戦士は敏捷性と技巧が身上。
いくら一発引っかければ勝てるとは言え、アルテミシアには分が悪い相手だ。
「姿を消してる……!
ウィゼンハプトさん、魔法使えますか!?」
「神聖魔法の心得がちょっとあるだけです!」
――……『中央神殿』で『調査局』とかいう、チート級に強そうな肩書きなのに!
「援護を!」
短く叫んで、爪に触れている何かをムリヤリ押し返すアルテミシア。
力では負けない。
が、続いて突き出した爪は虚しく空を切った。
「つっ!?」
肩口に、痺れたような痛みが走る。いや、本当に痺れている。
幸いにも、耐久強化ポーションを用いたために傷口は浅かったが、ビリビリと、電撃の走るような感覚が肩から広がっていった。
――敵も武器に麻痺毒ポーションを塗ってる……!
「ウィゼンハプトさん、麻痺の回復できますか!?」
「はい! ……天の門開かれり、我は消えゆく波濤の支配者……うぐっ」
「あああ、ウィゼンハプトさん!」
詠唱を始めたウィゼンハプトは、見えない何かに殴り飛ばされ、すぐさま気絶させられた。
そもそも、詠唱に時間が掛かる自然言語を使っている時点でお話にならない。魔術師は普通、詠唱に適した専用言語を使って詠唱時間を短縮しているのだ。自然言語での詠唱は魔法が安定する(ゆえに初心者向け)代わりに、詠唱時間が倍以上になるので戦闘向きではなかった。
部屋のすぐ外には見張りの領兵が立っていたはずだが、この様子ではおそらくウィゼンハプトと似たような目に遭っているだろう。
――誰か! さっきのわたしの声を聞いていて……!
なんとか、増援が来るまで持ちこたえないと!
ウィゼンハプトがやられたと見た瞬間、アルテミシアは足下の鞄に手を伸ばしていた。敵がウィゼンハプトに向かっていると言う事は、その瞬間、アルテミシアは安全なわけであって。
解毒ポーションを取り出したアルテミシアは、痺れが無い方の腕で爪を構えて防御しつつ、それを飲み干す。毒物に由来する軽度の麻痺なら、これで回復可能だった。
痺れは引いていった。ダメージはまだ無視できる。
どうせ見えない相手、前ではなく足下を見て、絨毯のヘコミから動きを察知する。
再び向かってきた相手に、アルテミシアは爪を振った。
一旦バックステップした相手が再度踏み込んできた。
見えない攻撃を勘で受け止める。
が、次の瞬間、腹の辺りに衝撃を感じた。
――蹴られた!?
ポーションのお陰で、全くダメージは無い。
が、アルテミシアの体重は軽すぎた。
体が嘘のようにふわりと浮かぶ。
「つっ!」
尻餅をついて絨毯の上に転がる。
そこへ、一気に距離を詰めて来る気配があった。
――来る……!
その時、突然大きな音がして、アルテミシアはすくみ上がった。
それどころか、見えない襲撃者も驚いて足を止めた気配があった。
「え……?」
部屋にあった大きな窓が、外から内へと小さく割れ、何かが飛び込んできていた。
『ぐあっ!』
見えない何かに向かって矢が飛んで、ナイフエルフの悲鳴が聞こえた。
「万死に値するぅぅぅぅぅっ!!」
次に、地の底から響くような声と共に、盛大な音を立てて窓が完全に砕け散り、矢よりもよっぽど大きいものが飛び込んできた。
山火事頭をなびかせて、悪鬼羅刹の形相で大斧を振るうレベッカが、見えない何かに襲いかかった。
「お姉ちゃん! どうしてここに? ま、まさかさっきのが聞こえた?」
「マナが異常を察知したの! 変な気配が動いてるって!」
「マナが……」
割れた窓からひょこっと顔を出すマナ。彼女は杖を構えていた。あと、さっき矢を打ち込んだらしいアリアンナも。
ここは二階だったはずなのだが、何かと思えば、地面から飛び出した植物の根が組み上がり、窓までの階段を形成している様子だった。エルフの自然魔法だ。
「アルテミシア、大丈夫?」
「おねーちゃん、だいじょうぶ?」
「大丈夫……ありがと、ふたりとも」
守るつもりが守られて……だが、こればっかりは仕方が無い。アルテミシアは非戦闘員だ。
義眼の感熱視覚で、見えない相手を捉えているらしいレベッカ。
暴風の如く大斧を振り回し、調度品やその辺の家具を刺身にしながら見えない何かを追いかけている様子。
そこへマナが進み出て、何事か呪文を唱え始めた。
レベッカを支援する強化か、と思ったけれど、何か様子がおかしい。
まだ日中であるはずなのに、夕暮れ時のような暗さが部屋の中に満ちていく。
気温が下がったように感じて、アルテミシアは自分の肩を抱いた。
「これは……」
「おねーちゃんをまもって、オバケさん! ≪霊体戦士召喚≫!」
マナの杖から、黒い光が迸った。
ずぶ……と、文字通り、地獄の窯の蓋が開いたかのように、おぞましく黒い霧にようなものが床から溢れ出す。
そして、そこから立ち上るように、鎧兜を身につけた兵士の姿をした、青白い人型の存在がゆらりと立ち上がった。
『怨ォォォォォォッ!!!』
人の喉からは決して飛び出さないであろう、濃厚な死の臭いを纏った咆哮。
産声のように叫んだ幽霊は、剣を抜いて、見えないはずのエルフへと斬りかかった。
その一撃は虚空で受け止められる。
しかし、推定ナイフエルフの動きが止まったその刹那、レベッカの大斧がざっくりと脾腹を抉って、虚空から血と臓物が噴き出した。
「幽霊の、戦士……?」
フィルロームは確かに、巫女は儀式のために死霊魔法を使うと言っていた。
つまり、マナがそれを使っても不思議ではないわけで。
マナの魔法によって呼び出された幽霊は、透き通った青白い霊体でありながら、ヘルメットのような兜と胸甲を身につけた領兵スタイル。
面立ちからすると若い男のようで、血の気が無いことを別にすれば意外とどこにでも居そうな雰囲気。と言うかどこかで見た覚えが……
「……って、カルロスさんじゃないですか!」
こんな姿なので最初は分からなかったが、間違えようが無い。
ゲインズバーグ城の戦いでアルテミシアを逃がすために戦って死んだ領兵。
カルロスその人だった。
『……あ、どもっす……』
「軽っ!!」
霊体戦士は、なんだか気まずそうな様子で会釈をした。