9-7 増えるんです
その事件をレグリスが知ったのは、どうにか今日中に終わらせるべき仕事を終え、数日ぶりに文化的な夕食を取ろうとしていた時だった。
事件の一報を聞いて、レグリスは頭を抱えてしまった。もちろん、頭を抱えた理由は残業が確定したからというだけではない。
「調査団の到着を目前に控えた今、またややこしい事件が起こるか……」
並行して多くの案件を処理するほど、ひとつひとつの精度は落ちる。
国と教団の調査団が街に入る今、これ以上の厄介事は抱えたくないというのが本音だった。
同時に、この件を領兵団でもギルドでもなく、真っ先に自分の所へ持ってきたアルテミシアの判断には感謝せざるを得なかった。
レンダールは(と言うか大半の国家がそうなのだが)、あくまで人間の国家だ。
市民権を得た亜人種も数多く住んではいるものの、王国内にあるエルフの森やドワーフの山岳都市は、自治区や独立領となっている場所が多い。
部族を出た、あるいは追放されたはぐれエルフの犯行ならまだしも、森の部族に属するエルフが人間に何かしでかした場合、それにどう決着を付けるかというのは、対応を誤れば人間とエルフ、双方の感情を刺激して種族間抗争に発展しかねないデリケートな問題だった。
「人違いで襲われたというのは、間違いないのか?」
「ほぼ間違いないかと思われます。……背格好と髪の色だけで間違えられるんですね。
エルフなんだからこう、『人間は臭いから近づけば分かる』みたいな感じかと思ってたんですけど」
「エルフに夢見すぎよ」
カラカラと笑うレベッカだったが、内心はアルテミシアを殺されかけたことではらわた煮えくりかえってるはずで、このままでは森がひとつ焼かれかねない。
レグリスとの会談は、あの作戦司令室を使う形で行われた。
本来なら地図などを広げるために使われる、大きくて四角いテーブルの上には、ディナーを突貫工事でサンドイッチに作り替えたようなものが並んでいて、極めて略式ながら、これは会食という形だった。
早くもサンドイッチの一つ目を食べきったレグリス(たぶん、アルテミシア達が遠慮せず手を付けられるよう先に食べてくれたのだろう)が、味もよく分かっていないような顔で、口を開く。
「向こうから襲いかかった以上、殺してしまったとしても正当防衛で話は通る。
だが、それには彼らの部族へ断りを入れねばな。
そんなわけで、別室で話を聞かせていたのだが……」
レグリスの視線が部屋の隅に走る。
給仕と共に立っていたのは、渉外を担当するという役人だ。五十代半ばほどの人間で、がっしりした体格と剛毛のような癖のある茶髪が、なんか熊っぽい。
視線で促された彼は、メモを書き付けた紙のようなものを見ながら話し出した。
「エルフ語が話せる私が当たったわけですが、彼女は完璧な人間語を話していました。
ですが……こう言ってはなんですが、あのエルフ、少し知恵が遅れているのではないかと。
話は要領を得ませんし……途中からは怯えて話にならず、ついには泣き出してしまいました」
「威圧したのではないだろうな?」
「滅相もない。事情が事情ですので、最大限の配慮をしております。
ですが、おふたりから報告を受けた以上の情報は聞き出せませんでした」
役人さんも頭の痛そうなご様子。
城へ到着するまでの短い時間話しただけだったが、アルテミシアもほぼ同意見だった。
実年齢不詳ながら、外見に反して言動が幼すぎる。
その割りに、『身に覚えが無いのに部族の裏切り者として殺されそうになって逃げてきたこと』は真っ先に教えてくれたが……
「部族は?」
首を振る役人さん。
エルフは部族ごと、あるいは森ごとに分かれて、緩いネットワークを形成している。普通は人間のように、巨大な国家システムを構築しないので、外交の対象は、相手の部族へ直接、という事になるのだ。
それが分からなければレグリスは身動きが取れない。
「名前しか聞けませんでした。タキグチ・マナと……」
「!?」
アルテミシアは、飲み込みかけたサンドイッチが喉に詰まるかと思った。
ピースが噛み合った、気がした。
「なんだそれは? エルフ風ではない。変わった名だな……」
「あの、すいません、わたし……その子とふたりっきりで話させてもらえませんか?」
切り出すアルテミシアに、レグリスも役人さんも、ちょっと訝しげな顔をする。
「何か、勝算が?」
「はい……詳しくは言えませんが」
「……よし、当たってみるといい」
「よろしいのですか?」
レグリスにそう聞いたのは、アルテミシアではなく、さっきまで聴取をしていた役人さんだった。
まぁ、彼としては領を背負った重責と共に仕事をしているのだろうし、そこに部外者が立ち入ってくる事に、危惧とか縄張り意識とか覚えるのは真っ当なのだが。
「決して、君の仕事をないがしろにするものではないぞ。疑問を持つ事は真っ当な判断だ。だが……」
レグリスは一旦言葉を切って、炯々と輝く金色の目で真っ直ぐにアルテミシアを見た。
「彼女らに常識を当てはめるのはやめておけ。
それは計量スプーンで海の水の量を計るような考えだ」
ちょっと褒められすぎだな、とアルテミシアは思った。
* * *
役人さんに案内された先は、城にある控え室のひとつだった。
部屋の入り口にメイドさんと領兵が立っていて、重要参考人を世話・警護していると言えば聞こえはいいが、なんとなく『軟禁』とか『監視付き』という言葉が思い浮かぶ。
「ごめんね、わたしだよ。入っていいかな?」
「あっ! さっきのおねーちゃん!?」
扉をノックすると、すぐに反応があった。
アルテミシアは周囲の人々に、了解を取るように目で合図して(役人さんは不承不承という雰囲気だったが)、ひとりで部屋の中に入る。
落ち着いた雰囲気の応接間のような部屋だった。
光が直接目に入らないよう、光源が隠された魔力灯の明かりで照らされた部屋の中は、質実剛健な雰囲気の強い城の中にあって、どことなく典雅な雰囲気。
燃える炎のようなデザインに木を削り出し、そこに優美な花模様のクッションを取り付けたソファに、マナは座っていた。
レベッカとさして変わらない大きさの体を、心細げに縮めて。
「大丈夫だった?」
小さな子どもを相手にするように、言葉は簡潔に、ゆっくりと喋るアルテミシア。
「う、うん……」
「あのね、マナちゃん。マナちゃんも地球の日本から来たの?」
アルテミシアの言葉に、マナは弾かれたように顔を上げた。
「……おねーちゃんも?」
地獄に仏を見つけたような、迷子の子がようやく母親に出会えたような、ようやく雨が上がって散歩に出られる室内飼いの犬のような、すがりつくような視線だった。
本来ならクールビューティーそのものの容姿なので、違和感特盛りだ。
「そうだよ、わたしも地球から来たんだ」
「わあーっ! ちきゅーのひと、ちきゅーのひとだ!
まなだけじゃなかったんだーっ!」
長い腕をわたわたと降って、興奮を体現するマナ。
やはり、彼女は転生者。それも、きっと中身は大人ではなく……
「地球に居た頃のお名前、教えてくれるかな。あと……いくつだったのか」
「なまえは、たきぐち まな。3さいですっ!」
冷たい美貌の女エルフは、にぱっ、と笑ってそう言った。