9-4 ここで働かせてください
厄介事が目の前に迫っているが、だからと言って日々の暮らしをおろそかにするわけにも行かない。
魔方陣通話の結果を『正直に話しても大丈夫そうだった』とだけレグリスに報告したアルテミシアは、その足でポーション工房へ向かった。
今日は工房の採用面接というか、採用試験というか、まあそういうものをする予定なのだ。
先日、アルテミシアは、この街におけるポーションメイカーの仕事についてサイードから聞いていた。
店を持つには、ポーションギルドからの許可が必要で、そのギルドは工房とほぼ一体化している。
一朝一夕にどうにかなるとは限らないが、ひとまず工房に潜り込んでみるのが早道だろうというのがサイードの考えで、アルテミシアもほぼ同意だった。
さてこの工房、毎年四月入社で新卒採用を行っているというわけでもないので、働きたいならツテを頼って話を通すか、もしくはぶっつけで押しかけていくか、という所だ。
その気になればレグリスを動かすこともできただろうが、アルテミシアはレベッカから冒険者ギルドに頼み込んで紹介状を書いてもらう方を選んだ。
レグリスの力を借りるのは最終手段だ。領主であるレグリスのお墨付きで入ってきたとなったら、その後の話は恐ろしくスムーズに進むことだろうが……代わりに、アルテミシアの立場は間違いなく浮いたものになる。
切り札はいざという時に切ればいい。ひとまずは穏便な手段からスタートする事にしたわけだ。
* * *
正面から見たポーション工房は、赤煉瓦でがっしりと組まれた威容を誇る。飾り気の無い、質実剛健と機能美を体現した外観だ。
先日は、裏にある下水道の出口からこっそり侵入したが、今度は正面からだ。
敷地内には、機材や材料を搬入するためなのか、工房の作業スペースへ通じる広い道が取ってあった。薬草の良い香りが漂う中、アルテミシアは手前の通用口へ向かう。
ちなみに、いつもの浮かれた格好(古本屋曰く)ではなく、ありがちな白いシャツの上から紺色のジャンパースカート、そして革のサンダルというスタイルだ。
コスチュームチェンジ機能付き服(便宜上、『変成服』と名付けた)には、レベッカの陰謀により普通じゃない服が山ほど追加されていたが、その中でも辛うじてまともなものだ。
例の服は、この状況でいきなりぶちかますには刺激が強すぎると判断した結果だった。
建物の中に入ると、薬草の香りはいっそう強くなった。いろんな匂いが混じって、染みついているらしく、何の匂いとは言いがたいが、少なくとも不快ではない。
通用口の脇には窓口があって、その向こうにはあまり広くもない事務室。机の島がひとつだけあって、事務専門っぽい数人の職員が茶を飲みながら緩い雰囲気で仕事をしていた。牧歌的だ。
ちょうどそこで、前方の廊下を通りかかる者があった。
「おや、君は……?」
地方公共団体が出している税金の無駄遣いに近いパンフレットの挿絵に出て来そうな、コミカルな印象の人だった。
人間であるなら、歳はおそらく五十かそこら。ヨレて、しかも薬液のシミみたいなものがいくつも付いて、ついでに色あせた白衣を着た、恰幅の良い男性だ。
ほとんど白髪のもじゃもじゃ頭と片眼鏡が特徴的だった。
事前に聞き及んでいた彼の容姿と、『特徴的な人だから見れば分かる』という噂に合致する。
「……あなたが所長さんですか?」
「ああ、私がこの工房の所長。エルネスト・バーンズだ」
「あっ、ご挨拶が遅れました。アルテミシアと申します」
アルテミシアが挨拶すると、エルネストは、人当たりの良さそうな笑顔を浮かべた。
どちらかと言うと、性格の良さよりも、政治的なコミュニケーション力の高さを感じさせる笑みだった。
* * *
エルネストに先導されて、アルテミシアは廊下を進む。
廊下は固い石でできていて、ひんやりとした空気が流れていた。冬場は寒そうだ。
「話の前に、まずは軽く所内を案内するよ」
所長自らの案内とは、もしかして暇なのだろうかと思ったが、どちらかと言うと紹介状のパワーかも知れない。
大樽が並び、丈夫な革エプロンを着けた職人達が桶いっぱいの材料を持って行き交う工場。
主に昼飯とサボリに使われるらしい休憩室(分煙という発想はまだ無いらしく、煙草のニオイがした)。
部外秘のレシピなんかも置いてあるらしい資料室。
『悪魔災害』の時に調べて回った工房内だが、中で人が立ち働いていると、やっぱり印象が違ってくる。気分の問題かも知れないが、景色が鮮やかに見えた気がした。
一通り、工房内を巡って、最後に辿り着いたのは、『悪魔災害』の時にアルテミシアがポーションを作っていた部屋だった。
「ここが調合室だ。大樽で作らない少数生産品の調合を行っている他、新レシピの開発も持ち回りで行っている」
理科実験室みたいな部屋の中で、十数人の白衣の人々が机に向かい、ごりごりと手作業で薬を作っている。
ある意味シュールな光景だ。雰囲気は意外と緩く、所長が入ってくるまでは談笑なんぞも交わしていたご様子。
部屋に入るなり、全員の視線がこちらへ集中する。
アルテミシアに向けられる視線は、興味深げであったり、驚いたようであったり。それからみんな、所長に向かって軽く会釈をした。
「ああ、皆、気にせんで仕事を続けてくれ。と言いたいが、もうそろそろ昼か」
エルネストが言ったちょうどその時、鐘の音が街中に響き渡った。
神殿が鳴らす正午の鐘だ。この街に住んでそろそろ一ヶ月のアルテミシアにも、もう親しみのあるものとなっていた。
白衣の群れはぞろぞろ席を立つ。
よく見れば、昼の休憩時間に向けて、キリが良いところで仕事を終えていたらしい。規制対象の薬や材料を出しっぱなしで休憩に入るわけにもいかないのだろう、おそらく。
タイミングとか要領とかが悪かった数人が、現在調合中の薬を慌ててゴリゴリしている。
「レックス! あれは用意してあるか?」
席を立ったうちひとりを、エルネストが呼び止めた。
レックスと呼ばれた若い職員が足を止め、つられて他にも何人かが、なんだなんだと立ち止まる。
「はい、所長! そちらに……」
「うむ」
レックスが指し示した先。
調合用の机の隅っこに、机の縁に対して並行にぴしりと並べられた、未使用の調合道具一式があった。そして、薬草の束と、調合に使うものらしい薬品類。
「これは……」
「先に君の話を聞こうと思ったのだが、ちょうど昼休みで調合室が空くのでね。
まず、簡単な試験で、君の実力を見せてもらいたい」
エルネストは、含むところなど何一つ無さそうな、愉快そうな様子。
調合道具をアルテミシアに与えてみるという実験を、子どものように楽しんでいるかのようだった。
「必ずやご期待に添えるものと確信しております」
アルテミシアにとって、これは申し分の無い戦場。受けて立つには不足無しだった。
* * *
アルテミシアの入所試験は、ちょっとした見世物状態だった。
「あの子は?」
「就職希望者……」
「ちっちゃいなー」
「うちの娘くらいだよ」
「調合できるの?」
「さあ……」
出て行きかけた調合員が、部屋の壁際に並んで、何が始まるのやらと観察している。
と言うかエプロン姿の、工場に居た職人まで騒ぎを聞きつけて集まっている。
――注目の的じゃん……普通、こういうのってギャラリー入れるもんなの?
エルネストは楽しげなだけで、特に追い払う素振りも見えない。
ひょっとして、わざと人を呼んでプレッシャー下でも調合ができるか試しているのだろうか。
それともただ単に成り行き任せなのか。
「所長」
「おお、来たか」
白衣の男と、エプロン姿の男が揃って入って来た。エルネストはこのふたりを待っていたらしい。
白衣の方はそろそろアラフォーに手が届きそうな印象の人間。
深紫の癖っ毛を水でなでつけたようなオールバックの、痩せぎすの男だ。ちゃんと小さめのサイズのシャツを着ているだろうに、それさえちょっとブカブカ感がある。こけた頬が、顔を険し目の印象にしている。
「こいつは開発班長のダニエル・ノーマン。
調合室の者は回り持ちで新レシピの開発をやるんだが、その場合は彼の指示を受ける事になる。
ダニエルは普段、レシピ開発の専従なのだが……今は調合班長が空席なので、彼に代役をしてもらっている」
言葉をぼかしたエルネストだが、おそらく先代の調合班長は、児島に殺されたのだろう。
アルテミシアはダニエルに向かい、ぴしっと挨拶をする。
「よろしくお願いします」
ダニエルは、特に言葉を返す事無く、アルテミシアのお辞儀に反応するように会釈を返した。
無味乾燥の対応なのに、視線がアルテミシアから離れなくて、ちょっぴり不気味な印象だ。
そして革エプロンの方は人間ではなかった。
ボサボサの白髭にスキンヘッドで、身長は150センチあるか怪しいが、体重は軽く見積もって100キロあるだろう。主に筋肉で。
ドワーフだ。いかめしいオッサンという雰囲気だが、男のドワーフは青年から老人まで似たような容姿なので実年齢はよく分からない。
丸太のように太い腕は、血管がクッキリ浮かんで見える。デンと出た腹が特徴であるが、おそらく相撲取りのように、脂肪の下にはヘビーな筋肉が埋蔵されているはず。
「大樽職人長のガズバ・ゴドジグ。
大樽での大量調合を取りまとめてる」
「よろしくお願いします」
「よろしくな!」
破顔一笑したガズバは、その巨大な手を差しだしてきた。
握手に応じたアルテミシアの手は、ガズバの大きな手でまるっきり握り込まれてしまった。
「がははは、ちっこいのぅ。
なんじゃ、試験だなんだと言うが、気楽にやってくれ」
ざっくばらんで裏表の無い人という印象で、先に挨拶したダニエルがそっけなかったのもあって、好感を抱くアルテミシア。
アルテミシアの小さな手をぶんぶん上下に振って(床から足が浮きそうになった)、ガズバは激励してくれた。
「試験官も揃った。では早速、始めるとしようか。
やる事は簡単。全てのポーションの基本、治癒ポーションの調合だ。
君は調合ができるという話だったから……作れるかな」
「はい。……えっと、それだけでいいんですか?」
ざわ……
何気ないアルテミシアの一言で、集まったギャラリーがざわめき、息を呑む。
――げ。まっずーい、今の一言、地雷だったかも。
なにしろ周りは大人ばっかりだから、ある程度目立つのは仕方ないとしても、無駄に反感を買いそうな状況はダメだ、絶対にダメだ。
ホラ見ろ、ダニエルなどもうほとんど睨むような顔でこっちを見てるじゃないか。
「……もし新人にこれ以上の水準を求めるなら、今ここに居る者のうち何人かは路頭に迷っていただろうな」
「あう……ごめんなさい、出すぎた発言でした」
「いや、いい。それよりも、そう言う君の実力を見せて欲しいね」
エルネストの言い方は嫌みっぽくはなかった。
気分を害した様子ではなく、ほっとするアルテミシア。と言うかこの人は一貫して楽しそうだ。
机の上を見れば、置かれているのは、はじめて調合をした時の材料と同じ。異常に肉厚な緑色の葉っぱ(竜目草)、複雑怪奇な形をしたゼンマイのような茎(山ねじまき)、そして絵の具で塗ったように真っ赤な草(薄紅の魔草)。
あと水差し。そして、ポーションの小瓶に入った中和剤。
この中和剤とかいうアイテムが本来、ポーション調合のキモらしい。
求める効果に応じた中和剤を使えば、そこまでガッチガチの割合で調合しなくても、ちゃんと目的の効果が発現するのだ。効果が見えるアルテミシアには不要だが、普通に調合する場合必須のアイテムで……ポーションが高い理由の半分以上を担っていた。
アルテミシアにとっても、中和剤を使えば調合が楽になるのは変わらないはずなのだが、実はまだ使った事が無いので、敢えて使わず、慣れたやり方で行く事にする。
アルテミシアは材料を三種類とも、目分量で乳鉢に突っ込んだ。
今度はさっきよりも大きなざわめきが起きる。
――やっぱりこういうの普通じゃないのか。
わたしの場合、後から調整できるから、この方が楽なんだけど。
……って言うか、今誰か鼻で笑わなかった?
失笑がどこからか飛んできた、ような気がした。
失敗すると思われたのだろうか。
――ま、気にしない気にしない。完成すれば分かってくれるもんね。
と思って材料をぐるぐるかき混ぜると、変なものが出た。
いつもこの材料で調合する時に、【神医の調合術】で表示される効果候補は
『治癒・整腸・解毒・麻痺毒・膂力強化・魔力補給・風邪薬・抵抗強化』だけのはず。
(もちろん、表示されたからと言って全ての効果が現実的に発現可能なわけではない)
ところが、今日の調合では、これらの見慣れた効果にくわえて『毒・盲目毒・魔物避け』が見えている。
――……何これ? 何か、四種類目の薬草が入ってる?
「この薬草……何が混ざってるんですか?」
アルテミシアがそう聞くと、ずっと愉快そうだったエルネストがはじめて、ちょっと表情を変えた。
「混ざっている、とは?」
「四種類目の何かが混じっています。普通の毒と失明毒、あと魔物避けの元になる何かが」
ギャラリーたちも訝しむ。いきなり何を言い出すのかと。
そんな中で、ぎょっとした顔をする奴が居るのを、アルテミシアは見逃さなかった。
「毒、失明毒、魔物避け……」
呟いたエルネストの顔が、みるみる険しくなった。
「レックス! 十七号試薬と五十五号試薬を! シャーレもな!」
「はいっ」
下っ端らしいレックス君が、棚から瓶を二本と、素焼きの皿を引っ張り出してくる。
「すまん、貸してくれ」
そしてエルネストは、アルテミシアが薬草を潰しはじめた乳鉢から液体をシャーレに注ぎ、そこに瓶から少しずつ薬液を注ぐ。
試薬。実はこれも調合に必須のアイテムだ。
当たり前だがアルテミシアみたいなチートスキルを誰もが持ってるわけじゃないので、ポーションの調合は暗中模索の状態で行う事になる。
では飲んでみるまで効果が分からないのかと言えば、さすがにそんな『漢識別』(ローグライクゲームの用語。なんだか分からないアイテムをひとまず使って効果を確かめる、楽しくて致命的な行動)システムでやってるわけではない。
調合されたポーションと、特定の試薬を混ぜる事で効果を確かめる事ができるらしいのだ。
もちろん問題が無いわけではない。まず、試薬がそこそこ高いこと。第二に、試薬で効果を調べるのに使ったサンプルの分、調合中のポーションが目減りすること。
試薬を使えば使うほど、ポーションのコストは割高になっていくのだ。
この場合は、ポーションの中身を調べるためなので構わないのだが……
薬草を潰した汁に、二種類の試薬が混じり合う。
そうすると、水餃子のゆで汁(デンプン)を捨てたキッチンシンクにうがい薬(ヨウ素)を吐き出したように、シャーレの中身は紫色に染まった。
途端、エルネストの顔色がシャーレの中身と似たような感じになった。
「大樽止めろ! 山ねじまきの在庫を全て調べるぞ! コウモリゴロシが混入した可能性がある!」
やはり材料に何か別種の薬草が混じっていたらしい。
調合室の中は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。
「混入だと?」
「そりゃ山ねじまきと似てるけどさ」
「どこから仕入れたんだ」
「大樽全部捨てるのか?」
「試薬持ってこい」
「……昼飯は?」
「諦めろ」
「そんなあ」
エルネストの指示を受けた職員達が、慌ただしく調合室を出て行く。
そんなてんやわんやの騒ぎの中で、エルネストが声を掛けてくる。
「……済まない、明日また来てくれ。えらい事になった」
「わ、分かりました……」
残念ながらアルテミシアに構っている場合ではなくなったようだ。
騒然となった中を出て行くアルテミシア。
職員の人波が流れていく中、覚束ない足取りでコソコソと出て行くダニエルの姿を発見する。えらいことになった、という危機感が浮かんだ酷い表情をしているのは、幹部の立場として妥当ではあるのだが、その表情も少し別の意味に思える。
アルテミシアが薬草の混入に気付いた時、ギャラリーの職員達どころかエルネストさえ、意味が飲み込めない様子だった。
その中でただひとり、彼がぎょっとした表情だった事を、アルテミシアは確かに見ていた。
これまでパラライズポーションを「神経毒」って書いてましたが、「麻痺毒」に修正します。
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漫然と書いていたら、初の苗字描写になってしまった工房の皆さん。
ちなみにレグリスのフルネームはレグリス・マク=デリウス・フォン・ヴァイスブルグ・ツー・ゲインズバーグ。
詳しく解説すると
レグリス(名前)
・マク=デリウス(ミドルネーム。この場合『デリウスの息子』という意味だが別にそういうミドルネームを付けなきゃならないわけではない。一部貴族の慣習。史実の地球では家族の名前を出す場合『マク=』みたいなのは付けず、そのまま両親や祖父母の名前をミドルネームに並べた)
・フォン・ヴァイスブルグ(ファミリーネーム。貴族なので『フォン』が付く)
・ツー・ゲインズバーグ(領に封じられている貴族はファミリーネームの後に領名を付けて名乗る。これはレンダールの場合、現当主のみ)。
ルウィスは
ルウィス・マク=レグリス・ヴァイスブルグ。
領主の地位を継いだら『フォン』と『ツー・ゲインズバーグ』が後に付く。
爵位は名乗りの中に入りませんが、伯爵(辺境伯)の地位になります。
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気がつけばこれで30万字(マテリアル抜きで)でした。これからも頑張っていきます。