9-3 100円玉にお釣りは出ません
一般的に、魔法による魔力の消費は、その魔法の効果を及ばせる範囲の二乗に比例すると言われている。
例えば、三倍の距離に魔法を適用しようと思えば、3×3で、九倍の魔力が必要になるわけだ。
声を届けるだけの簡単な魔法でもそれは同じ事。
元の魔力消費が微量でも、長距離で連絡を取り合うには、とんでもない量の魔力が必要になる。
それを賄うためには、大規模な設備が必要だ。
魔法を使うに適した場所に、適切な手段で魔方陣を敷き、土地の魔力を引き出して使うのだ。さらに、魔力を充填した宝珠や宝石を併用して、はじめて長距離感で通信が可能になる。もっとも、こうして使った魔方陣は、しばらく休ませてやらなければ再利用できないのだが。
アルテミシアが開けた書状入れには、アルテミシア向きのものとは別に、レグリスに宛てたメッセージも同封されていた。内容は、『この者と中央神殿が連絡を取れるよう取りはからうべし』。
かくしてアルテミシアは、ゲインズバーグ城の地下にある『遠話室』に足を踏み入れたのだった。
窓の無い部屋は、薄ぼんやりした魔力灯と、床から立ち上る青白い光によって、不気味に照らし出されている。意外なくらい広い部屋の床一面に、複雑で幾何学的な魔方陣が描かれていて、それが輝いているのだ。
天井は低いながらも、アーチが斜めに交差した構造になっていて、何かルーン文字みたいなものが彫り込まれていた。
「へえー……こんな部屋なんですね」
「驚かれましたか?」
案内してくれた魔術師はちょっと得意げだ。
彼は『悪魔災害』の時、玄関ホールの戦いでレベッカに加勢していた、フラグ臭い台詞が多い領兵魔術師さんだった。
「これから私は部屋の外に出て魔方陣を起動し、向こうと声を繋ぎます。そうすれば、相手がその場に居るかのように会話することができます。
中での話は私には聞き取れませんのでご安心ください」
「分かりました、ありがとうございます」
扉が閉められると、間もなく、魔方陣が輝きを増す。
ノイズのような音の後、風の通るような音が向こうから聞こえてきた。
そして、穏やかな男性の声が聞こえてくる。
『こちらは女神教団中央神殿、第二通信室。担当官のパーシバルと申します。ご用件と、お取り次ぎ先をお聞かせください』
――繋がった!
書状を取り出したアルテミシアは、朧な明かりを頼りにして、該当部分を読み上げる。
「調査局のウィゼンハプト様に。『船の話がある』とお伝えください」
これは書状に書いてあった符帳だ。
この謎めいたメッセージによって、向こうに用件が伝わることになっている。
魔方陣の向こうで、息を呑むような沈黙が少しばかりあった。
『かしこまりました。しばらくお待ちください』
そう言って、魔方陣の向こうで足音が遠ざかっていく。
ちなみに繋ぎっぱなしなのは、起動する時に一番魔力を食うかららしい。呼び出しに一時間以上かかるのでなければ、繋ぎっぱなしの方が魔力効率がいいとか。
待つことしばし。
『ご連絡頂きましてありがとうございます。アルテミシア様に相違ございませんね』
先程とは別の声が聞こえてきた。意外なくらいに若い印象の、男の声だ。
「はい、わたしがアルテミシアです」
『私は中央神殿の道師……あぁ、道師というのは教団組織を運営する神官一般を指す言葉ですが、その中でも調査局に所属する者。ウィゼンハプトと申します』
ウィゼンハプトと名乗る、魔方陣口の男。
彼こそが、アルテミシアに書状を送った張本人だった。
『調査についての話をする前に……おそらく、私の立場に関して疑問を持っておられるのではないかと思われますが、何かご不明な点などはございませんでしょうか』
「でしたら遠慮無く質問をさせてもらいますが……『外来転生者』というものの定義を、あなた方はどう捉えているのですか?」
念のための確認だったが、ちょっと考え込むような間があった。
『あなた方、という言い方ですと正確ではありませんね。外来転生者、つまり地球なる世界から神の手によってこちらの世界へ転生させられた者の存在を認識しているのは、中央神殿でもごく一部です』
「上層部のみの秘密、という事でしょうか」
『いえ。中央神殿くらいでしか認知されていないという意味では、確かに上層部だけの秘密となりますが、隠しているわけではないんです。
教義解釈によっては、外の世界からの転生者など絶対にあり得ないので、その実在を巡って論争が起こっているというのが現状です。
中央神殿ですら混乱している状態で、情報が整理されていませんから、結果として秘匿されているに等しい状況ですが』
「…………なんだそりゃ」
確かに存在するものを、『教義に合わないから本当は存在しないのではないか』とか言い出すアホみたいな状況。
古人曰く、それでも地球は回っている。
この馬鹿馬鹿しさに関しては、ウィゼンハプトも同意見のようで、苦笑が返る。
『まぁ、外来転生者そのものは、かなり昔から与太話程度の存在として語られることもありましたが、その存在がハッキリと確認され、確認数自体も急激に増えているのは、ここ20年くらいの出来事なんですよ。
ですので、まだその実在を信じられずに居る方が多いのも仕方ない事でして』
たぶん、その辺りで『転生屋』が本格的に転生をやり始めたのだろう。
理屈から言えば、転生前の人格の覚醒を待つ『種』は、現在進行形で過去に増えている(タイムパラドックスとか無いのか気になるが『転生屋』の説明通りならそうとしか表現できない)わけだが、その覚醒は転生が行われた時間まで待たなければならない以上、全ては『転生屋』が動き始めた以降になる。
20年。長いようでも、社会に根付いた常識が変わるには、ちょっと短い時間だ。
まして信仰という強固な信念に基づく考えなら、そう簡単にはいかないだろう。
「それで……そう言うウィゼンハプトさんはどんな立場なんですか?」
『私ども一派は、そのように頑迷な考えに凝り固まってはおりません。
未だ中央神殿としての方針が決まらない中ではありますが、外来転生者とのコンタクトを独自に進め、可能な限りの協力関係を築こうと努力しております。
外来転生者の多くは、特異な祝福の力を神より授かっております。神の祝福を賜りし者から、我ら教団が目を背けて何とするのでしょう。この力は、やがて訪れるであろう魔族との戦いに大きな力となるはずなのに』
ちなみに女神教団によると、魔族は悪魔が産みだしたもので、神の敵対者によって人の天敵となるべく創られたのだとされている。
――なるほど、教義解釈と矛盾しないから認めてくれるだけって事で、この人も宗教的信念に基づいて行動してるのは変わらないわけか。
『転生屋』と直に対面したアルテミシアは、そこまで神とかいうのを信頼する気にはなれなかった。
おそらくウィゼンハプトも、あの胡散臭き冒涜的白衣マンを見たら同じ考えになるのではないだろうか。
『報告書に目を通してピンと来たのですが、もしかしたらログスというのは、転生者ではありませんか? そして、彼との戦いで不自然な……いえ、失礼、際だった活躍をした貴女も転生者ではないかと目星を付けたのです』
ウィゼンハプトの言葉を聞いて、アルテミシアはちょっと感心する。
彼は『悪魔災害』を直接目にしたわけではなく、情報の断片を拾い集めただけだろうに、あっさり真相に到達しているのだ。
「まさしく、そういう事になりますね。
ログスとわたしは転生前に面識がありまして、そのことで目を付けられて襲われたんです。
……誤解が無いよう申しておきますが、それは非常に敵対的な関係でした」
『やはり、そういうことでしたか』
少しほっとした様子のウィゼンハプト。
しかしアルテミシアは疑問が一つ、浮かんだ。
「ログスは、あなたの言葉を借りるなら神の祝福を受けた者のはずですが、そのログスがこれだけの邪悪を為した事は、どのように解釈されるんですか?」
言葉に詰まるような、間があった。
『実は、これが一番厄介な点でして。
外来転生者の中には、神より祝福を賜りながら邪悪に走る者も存在します。
……外来転生者の存在を否定する一派の論拠にすらなっている始末です。神々であれば、やがて邪悪に走る者に祝福を与えるはずがない、と。
私は、そういう事もあると思ってはいるのですがね。神の寵愛を受けながら、後に堕落した騎士の物語もひとつやふたつではありませんから』
喉の奥にものがつっかえているような、ちょっと躊躇いがちな喋り方だった。
彼自身、何か変だと思っているのかも知れない。
それは己が信ずる神へ疑問を呈することになってしまうので、ムリヤリ自分を納得させているだけで。
『中には魔物や魔族へ転生する者まであるとの事ですが、さすがにそれは悪魔の仕業でしょう。
……悪魔はしばしば神の名を騙るとされますからね』
転生カタログに人も魔物もごっちゃで載っていたのは黙っておこうとアルテミシアは考えた。
いや、でももしかしたら『転生屋』が、神と悪魔の両方から業務委託を受けているとか、そういう可能性もあるかも知れない。『転生屋』は謎が多すぎる。予断を持つべきではないだろう。
「それにしても、あの書状を見ますと、最初からわたしを外来転生者だと決めつけてたみたいですけど……そんなに分かりやすかったんですか?
今後、変に目立たないためにも、何かおかしな所がありましたら聞かせてください」
『あれは、貴女にしか見えないよう魔法を掛けたのではなく、外来転生者にしか見えないよう魔法を掛けたんです。外来転生者には、魂に特有の波長があるそうで……まぁ、特殊な魔導機械でも使わないと感じられないレベルの差異なんですがね。それを利用して制限を掛けたんですよ。
あれを読んで連絡を取ってきたという事は、貴女が外来転生者である何よりの証拠です』
「ああ、そういう……」
何か失態を晒してしまったのだろうかと、ドキドキしていたアルテミシア。どうせならカラクリを書状に書いていてほしかったけれど、もしかしたらそういうハッタリだったのかも知れない。
事実、こうやってアルテミシアが大急ぎで連絡を入れる流れになったのだから。
だとしたら、このウィゼンハプトなる男も食わせ物だ。
『それで、貴女が賜った祝福の力はいかようなものでしょうか。
差し支えがありませんでしたら……』
控えめな申し出だった。自分のチートスキルを秘密にしておきたい転生者も居るのかも知れないが、アルテミシアにとって、これは渡りに船。
「【神医の調合術】。自在にポーションを作る力です。材料さえあればどんなポーションでも作れます。……逆に言えば、わたしの力はそれだけです」
『なるほど、やはりポーションを作ったのがチートスキル、と……』
「戦う力ゼロなんで、それだけは間違えないでくださいねっ!」
『は、はい』
いくらチートスキル持ちだからって、チートな戦闘力があると思われてはたまらない。こちらの事情を把握している相手だからこそ、変な誤解を持たれないよう念を圧しておくべきだろう。
『ご協力感謝します。では、後は調査団として向かった際の話になるのですが……』
「その時はもう、形式的に話を聞いて終わり……でしょうか?」
向こうが事情を把握してくれたのだから、そうなるのだろうかとアルテミシアは思ったのだが。
『実は……全くの偶然なんですが、今回の調査団のトップは、外来転生者の存在を否定している宗派の方なんです』
「えっ」
爆弾発言が飛び出した。
『ですので、実を申しますと、今ここで私と話をして終わりというわけには行かない状態です』
「もしわたしが正式な調査の際、本当のことを……転生者の話を言ったりしたらどうなりますか?」
『……調査団長の反応は分かりませんが、我々にとって望ましくない事態となる事はほぼ確実でしょう』
なんともねじくれた話だった。
中央神殿は、宗派に関係なく運営されているそうだ。縦割りの組織でありながら、宗派によって形成された派閥ネットワークが蜘蛛の巣のように張り巡らされている、という事か。
ウィゼンハプトの行動は教団の組織図から見れば完全な越権行為で、あくまでも宗派の派閥としての行動であったわけだ。
『調査時、貴女への聞き取りは、私の方から行う手はずになっておりますが、国の調査官と中央神殿の調査団長をどう納得させるかという点につきましては……』
「要相談、ですか」
――教団の調査団長は、転生者を否定する宗派。だとしたら正直に言う路線も危ないか。
児島とは敵対関係だったからそこまで疑われないと思いたいけど……どうにかして騙す……ううん疑いを逸らす?
内部に協力者が居るなら、やり方は……
「あのー、邪神崇拝教団のアジトを潰す計画とか、良い感じに転がってません?」
筆記用具でも借りるレベルの気軽な調子で言ったものだから、ウィゼンハプトは意表を突かれたようで、答えが返るまでにちょっと間があった。
『それは……邪教対策は常に動いているわけですので、いくつも同時進行しておりますが……』
「ものは相談なんですけどね、そのうちどれかを、ログスすなわち児島と関わりがある邪教団体としてでっち上げられません? 証拠品を捏造するなりして。
なんかこう、教団所属の悪の魔術師コジマが邪法によって転生したとかー、教団が崇めてる悪魔をログスに憑けたとかー、そういうの。
他所にルーツがあるって話なら、わたしや……ついでに領主様に疑いが向く可能性は減るかなって思ったんですけど、どうでしょう?
教団の調査がどの程度徹底してるか分からないので、この案で行けるか、わたしには判断が付かないんですが……」
『いえ……おそらく行けそうです。我ら一派の力を結集すれば可能でしょう。その方向で処理させてください』
自信ありげな言葉と裏腹に、『よくまあそんな事を思いつく』という空気を漂わせて、若干引いている様子のウィゼンハプトだった。
「ありがとうございます」
『了解しました。では、こちらは準備に掛かります。期日が近づきましたら、また連絡を取らせていただきます』
やや唐突に、ぶつりと音が途切れ、足下の魔方陣が光を失う。壁に掛けられた魔力灯が、薄ぼんやりと部屋の中を照らしていた。
果たしてこれは助かったと言うべきか、辛うじて最悪の事態だけ回避したと言うべきか。
――魔族と戦う力かぁ。
戦う力は無いって言ったけど……協力させられそうだなあ。恩ができちゃったし。
ま、後方でポーション作るだけならいいんだけど。
おそらく、これでアルテミシアはウィゼンハプトだけでなく、彼を抱えている宗派のお偉いさんにまで借りを作ったはずだ。平穏無事な生活にできるだけ近いところで生きていくためのコストと考えれば、やむなしではあるのだが。
肩が凝ったような気がして、ひとつ伸びをして、アルテミシアは遠和室を後にした。
※それでも地球は回っている
ガリレオはこの台詞を言ってないという説もあり