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9-1 お祈りメールは悪い文明

 ゲインズバーグシティのポーション工房は、建前こそ一事業者ではあるものの、ほぼレンダール王国ポーションギルドのゲインズバーグ支部そのものである。

 流通規制が掛かっている材料を独占することで、領内において寡占的地位を築いており、他にまともなポーションメイカーと言えば、工房の支部や関係者ばかりという状況だ。

 また、自由に流通すると危険(少なくとも国体にとっては)なポーションや材料を多数扱っているために、国や領の管理下に置かれているという意味では、半公半民の組織と言えた。


 ギルドのゲインズバーグ領本部長を兼任する、ポーション工房の所長、エルネストは、五十を少し越えた人間の男だ。

 恰幅のいい体を、使い古して『白』衣とは言い難くなった白衣に包んでいる。早くもほとんど白髪となったもじゃもじゃ頭と伊達片眼鏡モノクルが特徴的な、コミカルな印象の人物だ。

 薬師としての実力より、政治的センスと調停能力によって今日の地位まで上り詰めた人物であるのだが(そしてそうした能力は組織のトップにとって、大抵の場合、現場での能力よりも必要なのだが)、下っ端大樽職人からの叩き上げで、工房の主として必要な知識は十分に兼ね備えている


 工房にある、彼の城こと所長室は、繊細な彫刻が施され曲線的な美しいフォルムを描く本棚や、西方の遊牧民の伝統工芸であるカラフルな刺繍絨毯、そして調度品代わりに置かれた儀礼用の鎧など、明らかに職務には不要かつ高価な物品がエルネストの自腹で持ち込まれている。

 時には世界地図(交易商人から安く買ったそうだからたぶん正確ではない)とか、魔導式全自動クッキー焼き機(出所不明。試運転中に煙を噴いてご臨終した)などが姿を現しては消えて行く。実用一点張りの領域である工房において異質な空間ではあるが、これこそが人らしさの発露であるとしてエルネストは譲らない。


 その日、開発班の班長であるダニエルが報告のため所長室を訪れると、エルネストは白木を編み上げたようなデザインの椅子に身を沈め、書状を読んでいるところだった。


「見てみろ、ダニエル」


 報告を聞く前に、エルネストは書状を執務机の上に放って渡す。


「所長、これは?」

「女狐殿……いや、冒険者ギルドの支部長マスター殿からだ」


 組織のトップから組織のトップへの連絡である。

 そんなものを自分が読んでいいのか、とダニエルはエルネストに視線で問いかけるが、背もたれに深く身を預けてニヤニヤ笑っているエルネストは何も言わない。


 首をかしげつつ書状を取り上げたダニエルだったが、それを読んで顔をしかめるしかなかった。


「……工房に人を受け容れろ、と?」

「そういう事だな。追加の人員はいずれにせよ必要だろう。それが早くて悪いという事もあるまい」


 書状に書かれていたのは、工房で働くことを希望する者が居るので紹介したいという話だった。

 紹介とは言うものの、この場合、拒否はほぼあり得ない。冒険者ギルドとは、お互いに無理を言い合っている関係だ。次にこちらのワガママを聞いてもらうためなら、人をひとり受け容れるくらい、安いものだ。


 この工房は『悪魔災害』の際に略奪を受け、所員も三名ほど殺害されている。人を増やさなければならない局面ではあるのだ。そんな所に向こうから紹介が来るというのは渡りに船だ。

 有能であるなら、という条件が付くが。


 いくつかの意味で、ダニエルは嫌な予感がしていた。


「……領を救ったという英雄の、妹ですか。

 在野の薬師の下で修行をしていたわけでもなく……

 学識も無く……

 本人は冒険者というわけでもなく……」


 冒険者と直接関わることは基本的に無いダニエルだが、新聞は毎朝隅々まで読んでいるので、さすがにゲインズバーグを救った英雄、レベッカくらい知っている。

 そのレベッカが、妹をポーション工房で働かせたいとギルドに頼み込み、英雄様のご機嫌を取りたいギルドは工房に頼み込み……という経緯が、書状からは読み取れた。


 ポーション作りを生業とするべく、この工房に入ってくる人間には、いくつかの種類がある。

 学校などで魔法・非魔法を問わず薬学を修めた者(ダニエルはこれだった)。

 薬師の子として生まれたり、何らかの理由で弟子入りして、親・師匠から教えを受けた者(エルネストは父が薬師だった)。

 それなら薬草や材料の知識があり、最低限、仕事で使える程度の理論は知っている。

 しかし、この度ギルドから紹介されてくると言う新人は、そのどちらでもない。


 それでもせめて冒険者であったなら、野山を駆けまわり自らの手で材料を手に入れる中で、ある程度の知識を体得している可能性もある。

 しかし、この度ギルドから紹介されてくると言う新人は、姉が凄腕の冒険者であるというのに、自身は冒険者登録すらしていない。

 と言うのも、彼女はまだ11歳でしかないのだ。


「つまり? この仕事に対して全く知識が無い子どもをひとり、働かせてやれと言うのですか」

「言いたいことは分かるよ、ダニエル」


 苦々しげな口調のダニエルに、エルネストはまだ楽しげな様子だ。


「仮にだ、彼女に知識が無いとしても、それはそれで仕込めばいいだろうさ。子どもは覚えるのも早いぞ」

「それにしたって若すぎます」

「この年で働き出す子はそう珍しくないだろう。職人の親方に弟子入りしたりな」

「うちはそういう場所ではないでしょう! それなら工房から独立した、個人経営の薬師を紹介しなおしてやるのがお互いのためというものです! そういう場所で三年も修行すれば、それなりに仕込まれて、うちでも使い物になるでしょう」

「うむ……その意見は確かにもっともだな」


 鷹揚に頷くエルネストだったが、それはあくまでダニエルの意見にも理があることを認めただけで、ダニエルの進言を受け入れたわけではないのは明らかだった。

 分が悪いのはダニエルも分かっている。


「……分かっては、いますとも。冒険者ギルドとは持ちつ持たれつ。恩を売れるというなら、穀潰しをひとり飼い殺すくらい安いものでしょう。

 厳しめに仕込んでやれば、悪くても最低限使えるようになるか……もしくは、すぐ嫌になってやめるでしょうね。自分から辞めようと言い出すのまでは止められない」

「そういう事になるが……穀潰しと決まった話ではないだろう、ダニエル」

「この情報で、どこに期待しろとおっしゃいますか」

「実はだな。ほら、『悪魔災害』の折に工房を放棄したろう。その間に工房へ上がり込んで、勝手にポーションを作った者があるという話は聞いているな?」

「ええ、まあ……」


 街が開放されてすぐ、主立った面子は工房に集まったのだが、そこで何者かがポーションを調合した形跡を発見した。

 最初は、悪魔に憑かれたログスか、その手の者がやったのだと思っていたが、後に城から連絡があり、レベッカの協力者が勝手に調合を行って、彼女の戦いにポーションを供給したという話を聞き、使われた材料などは領が買い上げたものとして扱うと料金も支払われた。


「聞くところによると、それでポーションを作ったのが、この子らしい」

「では……やはりどこかでポーションの製法を学んでいたという事ですか?」

「いやいや、なんでも彼女はまともにポーション作りを学んだことがない。だというのに感覚だけでポーションを作れると主張しているそうでな」

「……所長。断言しますがそんな事は起こりえません。何故そのような大ボラを信じているのですか」


 感覚でポーションを作れるなどと言っている時点で、ダニエルは信憑性皆無と判断した。

 ポーション作りを全く知らないからこそ、そんな大嘘がつけるのだろうと考えた。

 ポーションのレシピは、複雑な計算の上で模索され、再現性と安定性を高めるべく定型化される。

 そうして生み出されたレシピを厳密になぞる事で、初めてちゃんとポーションを調合できる。


 ポーション調合は、計算と経験の上だけに成立しうる。そう信じたからこそ、一生を捧げるに足る、自分でも成果を上げられる仕事だと思い、苦学の果てにダニエルはこの道に進んだのだ。

 感覚で作れるなどと言うのは、美しく計算され尽くした調合技術と、全てのポーションメイカーに対する侮辱だった。


 しかし、常識的なダニエルの抗議を、エルネストは笑って受け流す。


「頭から信じ込んだわけではないよ。だが、試しに見てみようとは思っている。

 信じる理由があるとするなら、彼女が英雄の妹である点、かな。

 類は友を呼ぶなんて言葉もあるが……優れた者は優れた者を、規格外の者は規格外の者を集める。身内もそうだろう」


 相変わらずエルネストは楽しげと言うか、成り行きを面白がっている様子であった。

 ダニエルは面白がる気になどなれない。

 未知数(しかも期待値は限りなく低い)の駒を、ただでさえ混乱している現場に放り込んで何が起こるかと考えれば、文句のひとつも言いたくなる。

 エルネストの考えが、もはや変えられないとしてもだ。


「戦いの腕さえあれば、たとえ阿呆でも英雄にはなれます。優れただの規格外だのという形容詞を付けるには早計ではありませんかね。まして、それに付いて回っていただけの妹に期待が過剰ではありませんか」

「ダニエル、前々から思っていたが、お前はちょっと冒険者とか、その手の者を馬鹿にしすぎだ。あれは馬鹿には勤まらん」


 趣味人でロマンチストのエルネストは、冒険者の冒険譚とか英雄譚みたいなものが好きだった。材料の調達などで冒険者と関わる機会もあり、冒険者に対しては好意的だ。

 対してダニエルは冒険者と直接交渉した経験も無く、知識階級の大部分がそうであるように、冒険者を無学の荒くれ者と蔑んでいる。知識と秩序の世界こそが信じるべき尊いものであり、力こそ全てのアウトローな世界に生きる冒険者など、お近づきになりたくない。

 しかし、学識を鼻に掛けている傲慢な人物だと思われるのも、ダニエルには耐えがたいことだったので、ここは目先を変えた反論をする。


「冒険者としての賢さと、戦わない仕事に必要な賢さは別でしょう。私は中間管理職として、現場で使える人材を配して頂きたくお願い申し上げるのみです」


 正論は時として、差別意識を覆い隠すオブラートでもあった。


「もし何もかも嘘だったとしたら、その時はその時だ。先刻、君が言ったように、一から仕事を仕込んでやればいい」

「どうせ一から教えるなら、嘘つきより真面目で誠実な子に教えたいものですが……まぁいいでしょう。

 ただ、新人教育にも人的コストと時間が掛かります。穴が開いてしまった今は、即戦力も探していただきたいものですが」

「善処しよう。独立した者たちに臨時で入ってもらえないか声を掛けている」

「そちらが上首尾であることを私は祈ります」


 エルネストの趣味は時として計りがたいが、自分の趣味のために組織や仕事を危険にさらすような人ではない。そういう意味ではダニエルはエルネストを信用していた。

 どこの馬の骨とも分からない娘を受け容れるというのも、冒険者ギルドとの関係を考えて差し引きでプラスになるからだろうし、その分のフォローも抜かりは無い。

 先が思いやられるのは確かだけれど、まあなんとかなるだろうと、ダニエルは矛を収めたのだった。


 * * *


 その頃、アルテミシアはアパートのリビングで文字の書き取りをしていた。使い慣れない羽ペンで、反古紙の裏に字を書き付けていく。


 何を隠そう、アルテミシアは文字が読めない。

 実は転生カタログに、語学学習ガイドというタイトルで文字について記載されていたのだが、憑依転生を選んだ通野拓人は、転生してしまえば体の知識をそのまま手に入れて読み書きができるようになる予定だからと、全く事前の勉強をしていなかった。

 が、結果はこの通り。このままでは店を持つどころか、普通に街で生活する事さえままならない。ひとまずは、工房に顔を出すまでに読み書きは修得しておかなければなるまい。


「なっつかしーい! 学校を卒業した時に売っちゃったけど、私もこれで勉強したんだー」


 ソファに並んで座ったアリアンナは教科書をめくって、しきりに懐かしがっている。


 この世界、どうやら活版印刷かそれに類するような技術(魔法かも知れない)は存在しているらしく、本というやつがそれなりに存在する。少なくとも、学校で子ども達が教科書を買って使える程度には。


 ちなみに、この光景をレベッカは対面に座ってずっと眺めていた。至福の表情で。

 じっと見られているとちょっと気が散るというアルテミシアの控えめな抗議は、


「貴女、文字の書き取り練習をしてる子どもがどれだけ可愛いか分かってるの!?」


 という、高い説得力と破壊力を兼ね備えた一言によって粉砕されていた。


「アリアは字が読めるんだよね」

「街の学校にちゃんと通ったもん。読み書き計算はばっちりだよ!」


 誇らしげなアリアンナ。アルテミシアに勝っている所があって、嬉しいのかも知れない。

 コルム村で文字らしきものを見た覚えがほとんど無かったので、識字率が低いのではないかと思っていたのだけれど、そうでもなかったようだ。

 もっとも、これだけ領都に近ければ、コルム村も街の一部のようなもの。教育の水準が高いのも当然かも知れない。


 レンダール王国では一応、読み書き計算や社会の基礎知識を教える学校制度が存在する。

 初等学校は八つの歳から二年。その間の学費は国によって賄われている。

 と言っても、教材が買えないとか、そもそも田舎住まいなので学校が近くに無いとか、働かなければ生きていけないので学校に行く暇が無いとか、そんな理由で学校に通わない子も少なくないらしい。

 最低限の教育を受けられたのだから、アリアンナはまだ幸運な方だった。


「うう……計算なら微分積分辺りまでは完璧なんだけど」

「……ナニソレ」

「えっと、大砲の弾の飛び方とか計算するやつ……かな」

「ごめん、分かるけど分かんない。なんで字は読めないのにそんな事知ってるの」

「この世界には不思議なことが沢山あるのだよ、アリア君」


 アルテミシアは煙に巻いた。

9話は1話と同じくらいの分割数になりそう……?

文字数自体は1話より減るかも知れません。


そう言えば今回投稿時点で300ブクマ越えてました。ありがとうございます。

ランキングに載れるのはいつの日か。

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