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8-4 吾輩は時に教え導く

 人間……特に貴族というのは不便な生き物で、ただ家族と団欒するにも、夜のほんの僅かな時間を待たねばならぬ。

 しかもわざわざ家族が集まるための部屋をあつらえるのだから馬鹿げた話だ。馬鹿げた話だが、吾輩にとっても居心地が良い部屋なので殊更あげつらう気にはならぬ。


 どこもかしこも爪研ぎに最適なふかふかした部屋では、もう夏も近いと言うに贅沢にも暖炉が燃えている。吾輩は、主を失った足置きの上で丸くなり暖炉に当たっていた。


「なるほどな。それで上水道の管理所へ行ったのか」


 寝椅子で書を嗜みつつレグリスが言った。

 かつては暖炉を囲むようにいくつも椅子が置かれておったものだが、今やここに居る人間ときたらふたりきりだ。レグリスが声を掛けた相手は、言うまでもなくルウィスとなる。

 少々萎れた風情のルウィスは己の椅子の上でクッション(なんとも芸術的なことに吾輩の爪痕付きだ)を抱えておった。


「父上は、不正をごぞんじだったのですか」

「知らないさ。それどころか、この件は完全に会計監査局のお手柄だ。私は一切関知していない」


 ルウィスにしてみれば今日の出来事は、父に先回りでもされたと考えているようだ。

 それをレグリスはさらりと否定してのける。


「それは領主自らが為すべき事ではないのだよ。

 領内で起こる全ての問題に対処しようと思ったら私が何人居ても足りない。法を整え、官吏を配するのが私の仕事だ。後は皆が仕事をしてくれる。私に上がってくるのはその最終報告と、私の判断を仰ぐべき問題となる。後は私が責任を取るだけだ」


 道理である。

 吾輩とてネズミ捕りを己が領分と定めている。もしこれで吾輩が、どんくさい人間どもの代わりに庭の害虫や調理場の茶色いの(アクマ)まで狩るとなれば、おちおちネズミを探してもおれぬ。

 上に立つ者は『任せる度量』なるものも必要なのであろう。

 そこのところ吾輩は、人間なぞにあれやこれや一切を任せきっておるのだから、物語に聞く大海の如き懐の深さと言えるだろう。


 これを聞いてルウィスめは益々萎れた風情であった。


「ぼくがした事はムダだったのですか」

「結果論ではな。

 ……私としては、お前は今日貴重な経験をしたと思っている。不正を許すまいとする、その心意気や良し。一見些末な訴えにも耳を傾けるその気持ちを忘れないことだ」


 ルウィスも見所のある輩だとは思うが、このレグリスの前にはただのやんちゃ坊主のようなものである。

 落ち込むわけにも喜ぶわけにも行かぬ様子で、ルウィスは喉に食い物が詰まったような面であった。


 * * *


 寝室の明かりも落とされて、後は眠るだけという時間。

 もっとも吾輩は、吾輩用の出入り口から夜中に部屋を出て城の警戒に当たるわけなのだが、その前にひと眠りして英気を養おうと考えていたところだ。


「ギルバート……いるか?」

「ニャー(訳:なんだ、ルウィス)」


 眠れずにいたらしいルウィスが、ベッドから這い出してくる。


 この時間になると、ルウィスはいろいろな話を吾輩にぶつけてくる。

 返事を求めているのではなく、本当に一方通行にぶつけてくるのだ。人には話せないであろう話を。

 なのでそれは、順序立てて吾輩に話聞かせる話ではなく、大半はルウィスの頭の中で完結している話の中で、未解決の部分だけ吐き出しているような、時に支離滅裂なものとなっていた。


「ぼくは、父上のようになれるんだろうか。父上どころか、アルムス兄様のようになれるとも思えない。ぼくは、本当に父上の後をつげるのか?」


 前振りも何も無く始まった話は、今日を総括しての感想といった印象だ。


 残念ながら吾輩は、ルウィスの兄であるアルムスがどうだったかとか、そやつがルウィスと同じ歳の頃にどうしていたかなんて話は知らぬ。

 だが、ルウィスが抱く拭いがたい劣等感と、次期領主としての重圧が存在することぐらいは見当を付けられる。


 月と語らうように窓の外を見ながら、ルウィスは吾輩に問うた。


 そもそもルウィスは貴族とかいう偉ぶった身分らしいが、兄ふたりや父と違って、吾輩に敬意を表して手ずから給仕を行う事もあるのだ。そうまでされては吾輩とて邪険にはできぬ。

 慈悲深い吾輩は、知啓の片鱗を導きの言葉に変えてルウィスに聞かせてやる。


「ニャー(訳:継げる継げないという話ではなく、継ぐしかあるまい。どうせお前はレグリスでもアルムスでもないのだから、あいつらの代わりになる必要は無いのだ。勝手に自分の中で比べるのはやめておけ)」


 するとルウィスは、吾輩が丸くなっているバスケットを見て、子どもらしからぬ微笑みを浮かべた。


「すまないな、ギルバート。お前に聞くことじゃないよな」


 もちろん、会話はさっぱり通じない。

 このぼんくらめ、早いところ猫の言葉を覚えるか、あの魔術師とか言う胡散うさんくさい連中に魔法でも掛けてもらって、猫の言葉が分かる程度には賢くなればいいのだ。

 まぁ、吾輩とて気が向いたから相談に乗ってやっているだけで、解決に責任を持つ気などさらさら無いので、分からぬと言うなら分からぬで構わんのだ。


 ルウィスがもそもそとベッドに潜り込んでいくので吾輩はバスケットを出てベッドに飛び乗り、その小さな体の上によじ登ってとぐろを巻いてやった。

 人の体というのは、えてして暖かく柔らかく、猫にとっては理想的な寝床なのである。問題はこの寝床、我らに尽くそうという気概が足りず、しばしば動き出してしまうことなのだが。


「……重いぞ、ギルバート」

「ニャー(訳:知ったことか。貴様が背負っているものに比べたら吾輩の体重ごとき、何ほどのこともあるまい)」


 いっちょ前に己の小ささを嘆き悩んでいるが、所詮、ルウィスはまだ子ども。

 古人曰く、寝る子は育つ。夜中に起き出して悩むくらいなら、何も考えずに眠っておればよいのだ。

 居ても立ってもいられないなら吾輩が重石になってやろうではないか。


 ……というねこ心と吾輩の体をはねのけて、ルウィスは再び起き上がる。

 そして、吾輩関係の物を詰め込んである棚を漁りだしたのだが……


「ギルバート。視察に付き合わせたほうびをまだ取らせていなかったな」


 全身の毛がふわりと逆立ったかのような……いやさ、雷に撃たれたかのごとき衝撃。

 芳しき芳香が吾輩の鼻腔をくすぐる。

 そう、ルウィスが手にしていたそれは……吾輩のためにルウィスが取り寄せたマタタビであった。


「ニャー!!(訳:早くよこせぇえええええ!)」


 それはもう投石器カタパルトから放たれたように吾輩はベッドを飛び降りて、寝間着を着たルウィスの足にしがみつく。

 いやいや、落ち着くのだ紳士たる吾輩よ。

 確かにあれはマタタビであるが、吾輩は耳と尻尾が生えているから冷静だ。いや待て、何の関係がある。


 ルウィスときたら、そんな吾輩の反応を楽しむようにマタタビをちらつかせている。


「あははは、そうか、そんなにほしいか」

「ニャー! ニャー!(訳:いいから寄こせと言っているのだ、おいこら、末代まで祟ってくれるぞ貴様)」

「分かった、ほら」


 遂に、遂に禁断の果実たるマタタビはルウィスの手を離れ吾輩へともたらされた。

 体をすりつけ、齧り付けば、天上の光のごとき歓喜がもたらされる。

 ああ、この喜びの前には美しさも紳士の誇りもあったものか!


 うふふふふふふふふふ

 あははははははははははははははははは

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