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8-3 吾輩は勇ましく戦いに臨む

 吾輩は鉄格子の隙間をすり抜けて地下へと足を踏み入れた。

 人間では通れぬであろう鉄格子も、猫たる吾輩に掛かれば抜けるのは造作も無い。

 やはり人間はでかいばかりの木偶の坊が多いようだ。


 吾輩が潜り込んで降りていった先は、概ね箱形の空間だった。申し訳程度の木蓋を付けた石の水瓶にひっきりなしに水が注がれ、そして複雑に枝分かれした石の管からどこかへ流れ出している。

 さて、この地下の浄水槽だの配水設備だの言う場所だが、半端に地面に潜っている割に風通しのよい場所であった。以前、訳あって覗いた下水道のような雰囲気だが、所々から光が差し込んでいる。

 この場所は言うなれば、一連ねになった巨大な絡繰り仕掛けの群れを半ば地面に埋めたようなものであり、その機械の隙間から地上の様子を窺えるのである。


 先ほどの可燃性小男の説明によると、こいつができたのはレグリスの父が領主であった頃。魔物の襲撃に備えて完全な地下施設を作ろうとしたが、どうも途中で技術的に難しいと分かり中途半端な構造になったという滑稽な顛末によるものだそうだ。とはいえそれ以来破壊されることもなく、未だに使い続けられているという。


 湿っぽい空気が辺りに漂っておった。まるで食い損ねて腐らせた魚のような臭気が混ざっておる。

 その理由はすぐに分かる。最初に水を受ける水瓶に、虫の死骸やら臭い藻やら、腹を見せて浮かぶ小魚などが溜まっておるからだ。

 吾輩の叡智に依れば、おそらくこの水瓶は取水口をすり抜けて汲み取られてしまったでかいごみを濾すためのものであろう。ここに塵が溜まろうと問題は無い、はずだが、度を超せばそうも言っておれぬ。

 しかもさらに悪いことに、吾輩の思った通り、質の悪い連中が住み着いておる。


 吾輩が覇者の風格と共に歩みを進めると、部屋の隅に追い詰められたかのように身を寄せ合い、赤い目を光らせる薄汚い生物の姿があった。

 それは吾輩が城で相手にしているネズミ連中のような風体ではあったが、さらに三周りは大きい図体で、不潔な牙はあの無粋な爪切りのように鋭い。

 人間はこやつらをジャイアントラットとか呼んでいるらしい。魔物だ。


 こやつらは全体、薄暗くて湿っぽい場所を好む。

 しかも悪食で、水瓶に溜まった塵もこやつらにとっては腹の足しという下卑た連中だ。

 こんなものが餌を求めて水泳しているようでは水も不味くなろうというものである。


「ヂヂッ!(訳:おお……猫よ! 無慈悲なる者よ! 我らがようやく辿り着いた安住の地すらも血に飢えた爪牙によって奪おうというのか!!)」

「マァーオ……(訳:寝言を抜かすでないわ。汚らしい足で我らが街に踏み入った蛮行、死を以て償うが良い)」

「ヂューッ!(訳:くっ……た、立て! 立つのだ! 血族の誓いを結びし勇者たちよ! 臆病者に未来など無い! 我らが威と武勇を示せ!!)」

「マァーオ!(訳:ほざけ。来るがいい、野卑なる侵略者よ。抵抗の真似事くらいはしてみせろ)」


 吾輩の偉容に、ジャイアントラットどもは恐れおののく。

 だが、追い詰められたネズミは猫をも噛むという。吾輩は奴らを誅戮しに参った身の上。追い詰められたとあらば戦うしかあるまい。


 ジャイアントラットどもが散開し、牙をひけらかすように一斉に吾輩向かって飛びかかってくる!


シャ――――――――――――!!」


 吾輩は鬨の声を上げ、宙に舞った。

 正面から襲い来る奴めを抱き込むように爪を振るう!

 コックがほろほろになるまで煮込んだ鳥のように、ネズミめの頭は容易く引きちぎられた。

 惰弱なり! そしてポーションとやらの力を吾輩は再確認する。


 最初の一匹を仕留めたために、臆病風に吹かれた者らの動きが止まる。だが、勇敢ではなく阿呆であるが故に、何が起こったか判断できず足も止められず吾輩に向かってくる輩が、二匹。吾輩はその片方の牙をかいくぐるとそのブヨブヨと腐り肥えた背中に爪を立て首筋に食らいついた。そのまま吾輩が首を振るだけでぶちりとネズ公の首はちぎれる。


 さらにもう一匹。がっぷり四つに組んだ吾輩の顔に噛みつこうと、ネズミめは臭い息を吹きかけてくる。だが吾輩はそれに怯むことなく奴を抱え込み、必殺の後足蹴りをくれてやった。

 吾輩の爪が奴の腹を容易く掻っ捌いた。


 そして吾輩が次を仕留めようとした時には、もはや残りの連中はすっかり吾輩に恐れをなし、その身を縮めて逃げ去っていくところだった。


 最後に腹を蹴って仕留めた奴が、虫の息ながら負け惜しみをほざく。


「ヂュウ……(訳:おのれ……! おのれ猫め……! 我らの恨みを忘れるな。貴様の爪は確かに我らを破ったが、その心までは破れぬぞ。いつの日か貴様を打ち倒す者が現れよう。それまでは血濡れた玉座で泡沫うたかたの夢を見ているがいい! ふはははははは! ジャイアントラット万歳――――――っ!! ……ぐふっ!!)」


 言いたい放題言って死んだネズ公を、吾輩は憮然とした心地で見下ろす。

 まったく、吾輩の爪に臭い血を吸わせよって。


 兎も角、これでルウィスへの手土産は用意できた。

 こいつを見せてやれば、地下で何が起こっていたか分かるだろうて。


 * * *


「ギルバート、それは!」


 吾輩がジャイアントラットの死体を引きずって出て行くと、人間どもは鉄格子の向こうで待っておった。

 吾輩の戦果を見た人間どもは、どいつもこいつも目をまん丸くして驚いている。


「……ハンス。うちの街の上水道にはこんなのが住みついてるのがふつうなのか」

「いいえ、違います」


 分かってはいるがまさかという調子でルウィスが聞き、ハンスもこれを否定する。


「侵入は防げませんが、エサとなるゴミを蓄えないようにすることで定着を防止するのです。仮に住み着いた場合は速やかに駆除と清掃を行います」

「ならこれは、あってはならないことか。お手がらだギルバート」


 ルウィスは吾輩の功績を素直に認め、その手で吾輩の頭を撫でる。うむ、よきに計らえ。


「へえ? これを仕留めるためにわざわざポーションを飲んでったの?」

「すごーい! かしこーい!」


 吾輩の見せた武勇には緑髪の義姉妹もどこか感じ入ったようであった。

 妹の方は『もしかしてチキュウの猫と根本的に別の種類?』だのと、わけの分からぬ事を呟いておったが。


 吾輩は引きずってきた死体を放り出してやる。

 吾輩はネズミを捕らえるが喰わぬ。城のコックが作る飯こそ吾輩の糧だ。確かにネズミは旨そうだが、そんなものを喰わずとも吾輩の戦果を厨房の連中に見せてやれば、吾輩の飯にはネズミより旨い、脂の乗った鶏肉の大きいのが付くので、ネズミを喰うまでもないのだ。

 特にこのようなゾンビの親戚みたいなドブ臭い肉など紳士の食らうべきものにあらず。本来は咥えて運ぶのも牙の汚れだ。


「のりこむぞ、ハンス。これが動かぬしょうこだ」

「はっ」


 ハンスがジャイアントラットを摘まみ上げた。

 こいつを、あの可燃性小男の所へ持って行って突きつけてやろうというのだ。


 * * *


「何かの間違いです!」


 管理棟だのご大層に銘打ってある兎小屋へ押しかけると、ある意味では案の定と言うべきか、可燃性小男はシラを切り通した。

 これにはルウィスも黙っていない。


「ギルバートがこいつを持って来たんだぞ!」

「ど、どこか別の所から引っぱって来たのではないでしょうかねえ」

「確かにここの地下から出て来たんだ!」

「誰かが死体を放り込んだのでは……」

「だとしたらどうしてそうじをしてないんだ」

「い、いやあ四六時中見ているわけにもいきませんからねえ。きっと前回の確認から今までの間に誰かが……」


 やはり、吾輩の戦果はこやつにとって相当まずい様子で、あちこち視線をさまよわせつつ必死の言い訳をしておる。

 吾輩のこの目に狂いがあるはずも無かろうに、吾輩の目の前で大嘘をつくなど、まったく人間というのは度しがたく愚かな生き物である。

 まるきり押し問答となってしまったが、そこに水を差したのは吾輩らの後から来た客人だ。


 ガチャガチャとやかましい足音がいくつかと、そうではないのがひとつ近付いてくる。

 ノックの音が響いた時、可燃性小男は明らかに助かったという顔をしていた。ルウィスの話を切り上げる口実が来たと思ったのだ。

 だが、領兵数人を伴った偉そうな黒服の役人が来ておったものだから、目を白黒させてしまった。


「失礼、会計監査局の者です」


 そう言って入ってこようとする役人は、中に居たルウィスや吾輩を見て驚いた顔になる。


「……ルウィス様? 何故このような場所に」

「ハンス。めんどうだから説明しろ」

「はっ」


 これまでの経緯をハンスが説明すると、役人の顔はみるみるうちに、薄荷ハッカのニオイを嗅がされた吾輩のように険しくなっていった。


「なるほど。まさしくその件で私どもは参りました」


 そう言って黒服の役人は、何か偉そうなことを偉そうな字体で書き付けてあるらしい紙切れを可燃性小男の眼前に突きつけた。


「定期的な施設清掃と、魔物が住み着いていた場合の駆除について。架空の請負業者および架空の冒険者に対して発注し、常習的に着服が行われていたと」

「何かの間違いです!」

「既に裏付けは取れています。あなたが申し開きをする場はここではなく、法廷です」

「な……」

「おい、捕らえろ」


 慇懃な表情の領兵どもが、青い顔をした可燃性小男を捕らえ、見事な手際で後ろ手に縄を打った。そして声も出ない様子のそいつを引っ立てていく。

 役人はドカドカと事務所へ踏み込むと、書類をひっくり返し始めた。証拠があるとは言っていたが、何か追加で出てこないか探している様子だ。


「ルウィス様、ここに居てはお邪魔でしょう」

「そうだな……セイキン(精勤)ご苦労。ぼくはこれで帰るぞ」

「はい。お気を付けて」


 役人が折り目正しく礼をしてルウィスを見送った。


「そうか。ぼくがここに来る必要はなかったか……」


 ルウィスが誰にとも無くこぼす。

 思えば吾輩とて骨折り損になってしまった。何もせずとも役人が出てきて、あの禿げ頭を引っ捕らえ、地下の惨状も白日の下に晒されていたわけなのだ。不逞の輩を討ったことは喜びなれど、無用の労働など阿呆のする事よ。

 だが吾輩以上にルウィスは力を落としている様子であった。

猫の地球儀リスペクト

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