8-2 吾輩は人間どもを観察する
通りの商店を冷やかして回り、『悪魔災害』で破壊された建物の再建現場を激励し、それでその日の予定は終わったはずだが、そこでルウィスが意見を具申する。
「帰る前に上水道の管理施設を見学に行こう」
「ニャー(訳:よかろう)」
先ほどの、他人の茶の飲み方に文句を付けそうな老婆の言葉が気になったのであろう。
ハンスは心得たもので文句ひとつ言わずルウィスに付き従う。
上水道の管理施設とは言い換えれば取水所である。川沿い、すなわち街の外と言うことに相成るが、あの辺りは荷揚げ場もある繁華な場所で、阿呆のように街門に突っ立っている門番の目も届くゆえ、危険があるのではという心配には及ばぬ。
相変わらずちやほやと声を掛けてくる人間どもをあしらいつつ、街門に向かって通りを行くルウィスだが、その歩みが、ふと止まる。
何事かと前方を見やれば、目立つ緑(ご存じだろうか。人とは多少見え方が異なるが、猫も緑色を認識できるのだ)の髪をしたふたり組が前方を横切る。鎧を着た大女と、じゃれついたら面白そうな髪をした娘だ。
前方のふたりも、ルウィスに負けず劣らず人目を集めているようだった。
「……ふむ、声をかけていくとするか」
愉快そうな様子で、ルウィスはそちらへ足を向けた。
「きぐうだな。こんな所で会うとは」
「あら、あの時の」
「ルウィス様、今日も視察ですか?」
緑髪の姉妹と挨拶を交わすルウィス。
と、ここで緑の髪のふたりが吾輩に気付いたようだ。
「……なにそいつ?」
「こいつはギルバート。ゲインズバーグ城のネズミ捕り長だ」
「わああああ! 可愛いーっ!」
「だろうとも。ぼくのペットだからな」
「へぇー。珍しいわね。領城で飼ってるの? よく懐いてること」
偉そうにペット扱いしてくれたルウィスである。しかも小娘の方は、この高貴にして優美なる吾輩を前にして、目を輝かせて『可愛い』と来たものだ。まあ吾輩はあらゆる美を内包する存在であるからして、その中に可愛さが存在することもまた自明ではあるのだが、もっと言うべき言葉があるだろうとは思う。
それから大女よ。吾輩がルウィスに懐いているのではない。ルウィスが吾輩に懐いているのだ。
さて、ルウィスと親しげに言葉を交わすふたりの人間。
こいつらはアルテミシアにレベッカと言い、最近、この街に住み着いた連中だ。
……おっと、いかに吾輩と言えど、この広い街の全てを把握しているわけではない。どこに誰が住み着いただの、全て知っているわけではないとも。
このふたりに限っては、先日の戦いで功があったとの話を聞いただけだ。
アルテミシアとかいう娘の方は、夜中にルウィスが吾輩にいろいろと語り聞かせてくれるもので(大半が惚気のような褒め言葉なのは閉口したが)、もう少しよく知っている。
彼女たちはレグリスとルウィスを救ったとの事で、吾輩も感謝せねばなるまい。
しかしほとんどの連中は、功労者は姉の方だと思っているようだが、ちゃんちゃらおかしい。
レグリスやルウィスの口ぶりからするに、真相は、むしろ主立った活躍をしていたのは妹の方だ。
だと言うのに皆、姉の方をこぞって褒め称えているのだから、人間の目というのは節穴もいいところである。
そもそも、容姿(胸部だ)を誤魔化すような大嘘を恒常的についている人間に対して何故信頼が置けるか分からんのだが、人間というのはしょっちゅう嘘をつく生き物なので、誰も気にしていないのかも知れない。まったく、度しがたく愚かな生物である。
「アルテミシア、猫好きなの?」
「すっごく!」
「ならば特別になでさせてやろう。そら行け、ギルバート」
吾輩の毛皮を勝手に売り渡すルウィス。
だがまあ、相手はルウィスの恩人だ。吾輩からも挨拶をせねばなるまいて。
ハンスの肩から飛び降りた吾輩は、アルテミシアとやらを至近から見上げ、ブーツに頬をすりつけてやった。
人間どもは、外見と裏腹に牙を持つ者を、俗に『羊の皮を被った狼』だのと言うが、この娘はまさしくその類いである。人畜無害な面をしているのに、その奥に得体の知れないものがある。
吾輩に及ばずとも少しばかり頭が回る輩なら、このゲインズバーグを救った功労者と聞いて納得できるのは、あのデカいばかりの嘘つき女より、この油断ならぬ小娘の方であろう。
しかし幸いにも彼女は、吾輩の威光にすっかり参っているようで、羊の皮を被っているのが狼だろうとドラゴンだろうと、吾輩に牙を剥くことはあるまい。だとしたら何だろうが構うまい。
「よろしく、ギルバート」
「ニャー(訳:うむ。許す。撫でてみせるがいい)」
かがみ込んだアルテミシアの白く柔らかな手が伸びてくる。鼻で突っついてニオイを嗅いでやると、指の腹が、吾輩の頬を撫で上げた。
加減よし。喉も鳴ろうというものだ。
こやつめ、猫の撫で方なるものを心得ておる。
しかし吾輩は、撫でられた程度で恍惚となるような凡百の猫ではない。
頬を撫でられることを楽しみながらも、人を観察することは忘れない。
とろけるような笑顔で吾輩を見つめるアルテミシア。そんな彼女を、同じような顔でレベッカが観察している。
近くでニオイを嗅ぐと分かるが、このふたりはまるでニオイが違う。姉と妹だと聞いていたが、おそらく血の繋がった姉妹ではなかろう。
そしてルウィスだが、ちらちらと遠慮がちにアルテミシアの様子をうかがっているようなのは……まぁ、なんと言おうかこの純情なる少年は、本来ならことさら目をそらす方が無礼に当たるであろう所、吾輩を見て笑み崩れるアルテミシアの顔を直視することができずに居る様子だ。
アルテミシアがひとしきり吾輩を撫でて満足したように手を引くと、三者三様に顔が戻るのは滑稽であった。
吾輩は定位置であるハンスの肩に再び戻り、ルウィスは気を取り直すように咳払いをひとつした。
「どうして城下に? お散歩中かしら?」
嘘つき女がルウィスに聞いた。
「視察だ。今は上水道の管理所に行こうと思っている」
「そうなんですか。実はわたしもそっちへ行くところです」
アルテミシアがそう言った時、ルウィスの顔が一瞬期待に輝いたのを吾輩は見逃さなかった。
まったく、人の欲望というものは分かりやすく滑稽なものである。
「目的地は荷揚げ場だけどね」
「途中まで一緒に行きますか?」
「うむ。まあことわる理由もないからな」
しかつめらしい顔でルウィスがそういうものだから吾輩は可笑しくてたまらなかった。
* * *
話を聞くに緑髪の義姉妹は、なんぞ遠方から珍しいアイテムを仕入れたらしく、それを受け取りに荷揚げ場まで行くとの事だった。
別に急ぐ用事も無い様子で、ルウィスの見学に付いては行けないかと聞いてくる。それをルウィスは快諾した。アルテミシアは済まながっていたが、ルウィスと来たら本音は飛び上がりたいほどに喜んでいるに違いない。
件の管理所なるものは、煉瓦と漆喰による堅牢な掘っ立て小屋だ。吾輩の住まう城に比べたら兎小屋も良いところだが、必要十分の大きさという事であろう。
すぐ隣には取水のための水車が延々回り続けており、なんぞ頭のおかしな芸術家が作ったとしか思えぬ奇抜な機械へと水を汲んでおった。
「こ、これはこれは! ルウィス様にレベッカ様! よくぞこのような場所へ……」
事務所へ入った吾輩達を出迎えたのは、頭部が禿げ上がって脂の乗った、火を付けたらよく燃えそうな小男だ。普段の仕事はなにしろ地味なのだろう。領を救った英雄に領主子息たるルウィス、そしてこの吾輩という絢爛豪華なる客人を迎え、すっかり恐縮してしまっている。
「見学に来た。構わないか」
「もちろんでございますとも!」
可燃性小男はヘコヘコと頭を下げる。
本音では面倒だろうが、ここでルウィスの機嫌を損ねれば首を切られるやも知れぬと考えねばならんのが木っ端役人の悲哀だ。
吾輩達は建物脇の機械群へと案内された。
汲み上げの仕組みがどうの、水質保証がこうのと、可燃性小男は吾輩が知る必要の無いことをつらつらと説明する。その様が随分と手慣れた様子なのは、時折こうして見学だの視察にやって来る者があるためと思われた。
何か小さな鉄の城のようでもあるが、機械の大部分は地中に埋まっているとかで、見られたのは川から水を汲む機械がくらいだった。これにアルテミシアは興味津々だ。取水機関がごんごろごんごろ音を立てて動くのを、愉快そうに目を輝かせて見ているのだから、この得体の知れぬ小娘もやはり餓鬼である。
「ときに、水道の水の味がおかしいという話をしている市民がいたのだが」
説明が一段落した辺りでルウィスが切り出すと、可燃性小男は禿げ散らかした頭を振って何事かを否定する。
「その時々に応じて味の変化があることは否めません。しかし水道局としては常に一定以上の水質を保つよう努力しております」
「くみ上げた水が行く先は、あそこか」
ルウィスが顔を向けたのは、まるでダンジョンの入り口とやらみたいに地面から顔を出した石造りの下り階段だ。思慮の足りん人間の餓鬼どもが勝手に入らぬよう、鉄格子で封じて鍵を掛けてある。
「ルウィス様……臭気が」
ハンスのみが何事かを察したようだ。顔が長いくせに見所のある奴だ。
大抵の人間は水の香に紛れて気付かぬようだが、いと高き吾輩の鼻は、あの階段の奥から漂ってくる不穏な臭気をとっくに嗅ぎ付けていた。
可燃性小男は慌てた様子でルウィスの前に立った。
「こ、この先は水道の重要な機関がありまして。危険でもございますので作業員以外は立ち入り禁止と」
「開いたわよ?」
「開けないでよ!」
傍若無人なる大女が黄金のゲジゲジ虫のような鍵で勝手に鉄格子を開けておる。それを見咎めた小娘はすぐさまどやしつけた。
管理人の可燃性小男はそれはもう大慌てで、残り少ない髪の毛が全て吹っ飛びそうな勢いで鉄格子にむしゃぶりついて鍵を閉め直した。
結局、その後も知らぬ・存ぜぬ・入れられぬの三点張りで可燃性小男が押し切り、レグリスの名誉のためにと横暴な振る舞いのできぬルウィスも、どうなろうが構わない様子のレベッカも引き下がることとなった。
* * *
「怪しいですよね」
「怪しいとも」
荷揚げ場でせわしなく働く水夫どもを土手の上から見下ろしつつ、餓鬼どもは可燃性小男についての感想を述べる。
明らかに何事か隠している……と言うよりも、それが鼻で分からん辺り人間というのは面倒な連中だ。
「やはりこれは父上に……いや、父上をわずらわせるのもなんだな。
だがぼくから官吏に言っても動かんかも知れん……」
この期に及んでもルウィスは悶々と思い悩んでおる。
横紙破りを通そうと思えば通せるだろうに、やはりルウィスはそれを為せぬ。
と、あらば吾輩が一肌脱ぐしかあるまいて。
小娘はうち捨てられた横倒しの樽の上に腰掛けて、ポーション鞄とかいうのを脇に置いている。吾輩はその中に頭を突っ込んで鼻をひくつかせた。実は城の魔術師の職場にお邪魔する事も度々あって、そいつがポーションなるものを作っているのを横目に昼寝などしていたものだ。肉体に活を入れる類いの品があるのは吾輩も知っている。
栓を閉めた瓶からでも、吾輩の鼻はほのかに立ち上る香を嗅ぎ分ける。ツンと来るのや危険そうなのもあったが、香りのみで高揚を覚えるような見事なものがあったので、吾輩はそいつの栓を咥えて鞄から引っ張り出す。
そいつは見事鞄から飛び出すと同時、お誂えに栓が外れて、中身を地にぶちまけた。
「あ、ちょっと!? ネズミ捕り長さん!?」
「何をしてるんだギルバート!」
「わたしのポーションが……」
ようやく気付いた餓鬼どもを横目に、吾輩はこぼれたポーションを舐め取る。
やはり当たりだ。武者震いが来るような感覚と共に力が湧いてくる。
実に素晴らしい。
「お、おいアルテミシア! ギルバートが飲んだのなんだこれ!?」
「膂力強化ポーションです!」
餓鬼どもは二人揃って慌てふためく。レベッカなどは何を勘違いしたか剣の柄に手を掛けておる。
吾輩はそれに構わず、水道の管理所とやらへ取って返す。
「どこへ行く、ギルバート!」
もし吾輩が飲んだポーションに弁償が必要ならルウィスが払うだろう。
吾輩は総身に満ちる力を吐き出すように突っ走っていった。