7-2 三下は三度散華した
アルテミシアが進む先に“銀のアギト”の面々は回り込んだ。
ちなみに、服に血が付いてしまった数人は上半身裸だった。血の付いた服よりは、上半身裸の方がまだ目立たないから。
さっき見かけた連中が前方から歩いてくると言う状況を怪しんだアルテミシアは、あからさまに訝しげな表情をしたが、ニルスは計画を強行した。
アリアンナにやったのと同じように、擦れ違いざまにぶつかって、持っていた酒瓶を落として割ったのだ。
正確には、用心深く距離を取られたうえ、ぶつかりに行った瞬間身をかわされたので、ぶつかってすらいない。が、どうせ因縁付けの理由でしかないので問題無し。
「あぁーあ! お前のせいで(以下同文)」
定型句的なセリフを吐くニルスだったが、瓶が割れた瞬間、アルテミシアは腰のポーチから取り出したポーションを口に含んでいた。
その動作に、ニルスも手下たちも『何だ?』くらいは思ったが、アルテミシアの小さな手にすら隠せるハーフサイズの小瓶だったので、ポーションを……まして、肉弾戦用の膂力強化ポーションを飲んだとは思いもしなかった。
近寄って、怖い顔でふわふわ頭を見下ろすニルス。
間近から見下ろすというのが一番効率的に怖がらせられるだろうと考えての行動だ。
しかし、ニルスを見上げる深藍色の瞳に、怯えの色は無かった。
それをニルスは、ちょっと不気味に思った。
さっきの女よりさらに年下の、年端もいかないガキだというのに。
「どーすりゃいいんだろうなーあ? 大損だぜ、コンチクショー!」
ニルスの恫喝に、アルテミシアは声を返さなかった。
自分の弱さをよく知っているアルテミシアは、身の危険には人一倍敏感であり、そして、危機を脱するための行動には基本的に容赦が無かった。
何の前触れも無くアルテミシアは、ニルスの体の、だいたい鳩尾っぽい場所を張り飛ばした。
「ぱひょっ!?」
変な声と共に息を吐いてニルスは吹っ飛んだ。
さすがに街中で殺しはマズいと考えたアルテミシアの温情のおかげで全力の攻撃でなかったが、あばら骨にヒビが入る。
そのままアルテミシアは、近場に居た男三人のスネに、立て続けに蹴りを叩き込んだ。
骨は簡単に折れた。
「ぎゃっ!」
「ぐわっ!」
「ひいっ!」
悲鳴を上げて倒れる男たちを尻目に、アルテミシアは壁の凹凸に手を掛ける。
「やっぱり武器はあった方が良いかぁ……早く完成しないかなー」
小さく独り言を言ったアルテミシア。狭い道の壁から壁へ三角飛びをして、ひらりと屋根の上に飛び乗ると、そのままパルクールのように屋根を渡り、突っ走って逃げていった。
「ぐ、格闘家……」
倒れた男が、完全に勘違いした感想を漏らした。
* * *
裏通りからさらに一本、狭い脇道に入った所で、死屍どもは累々していた。
「クッソヤロ! 二連続で失敗かよ! あのガキ、囲まれた時点で惜しげも無くポーション使いやがった。さては、そうとう金持ってやがったな……畜生」
壁に背を預けてぐったりと座ったニルスが毒づいた。
治癒ポーションすら買いがたいニルスにとっては、あの状況でポーションを使うなんて信じられない贅沢だ。
「でも今度は服がダメにならなくてよかっ……痛え!」
相変わらず迂闊な感想を漏らす部下に、再度八つ当たりする。
服がどうとかいう問題ではなく、この怪我ではしばらく仕事ができない。今度こそ、多少の無理を押してでも、治癒ポーションを買わなければならないだろう。
儲けはゼロで、痛い出費を強いられた。今日の仕事は丸損だ。
「おい、骨……ちゃんと繋がるんだよな?」
「知るか」
「そんなあ!」
「痛えよお……」
「添え木持ってきたぞー」
「子ども怖い子ども怖い」
ニルスと同じようにくたばっている部下たちは、しきりに傷のことを気にしていた。
こちらにも治療が必要だろう。
ゲインズバーグ領の領兵は、先日の『悪魔災害』で、領都に駐屯している部隊がほぼ全滅した。
精鋭部隊は最初から南方で魔族領の警戒に当たっているので、死んだのは治安部門の兵や訓練中の新兵が多いものの、兵の多くが失われた事実は変わらない。
近いうち、ゲインズバーグ領では、南方向けの傭兵を集めるだろうとニルスは睨んでいた。それまでどうにか我慢すれば、しばらくは真っ当な仕事で飯を食える。危ない橋を渡る必要も無い。
ただ、そのためには大きな怪我くらい治しておかなければならないだろう。
いざ募集が始まったときに怪我のせいで応じられないなんていうドジを踏むわけにはいかなかった。
返す返すも、『悪魔災害』最後の戦いで仕事ができなかったのは惜しい。
あの状況なら冒険者未満の傭兵団もどきでも仕事にありつけた……はずなのだが、後援の『混乱した状況下で迂闊に領主に接触したりするな』という忠告でお預けを食らってしまったのだ。
とにかく金が無い。次の仕事は逃せない。
そのための先行投資を惜しむわけにはいかない。
「やっぱりポーションを買うか……クソッ」
忌々しげに息をついた時だった。
ガツンガツンと、鉄のカカトと石畳がぶつかり合う音。狭い道の奥から石畳を鳴らして、何者かが歩いてきていた。
「まったく……なんでこんな分かりにくい場所に店作るのかしら。ドワーフの偏屈もここに極まれりって……ん?」
彼女が、累々して道を塞いでいる“銀のアギト”の面々に気付き、足を止めたとき。
彼らは揃いも揃ってぎょっとした。
大斧を背負って鎧をまとう、緑の髪の女冒険者、レベッカ。
いくら半端者のゴロツキといえど、ゲインズバーグを救った英雄の事くらいは知っている。
そして、いくら女の一人歩きといえど、こんなヤバイ相手に因縁付けて金を絞ろうなんて夢にも考えなかった。
本当に強い冒険者というのは、たとえ単独であっても無双の強さを誇る。
だが、何よりマズいのは、彼女が領主レグリスの覚えめでたいであろう事だ。
領主にコネがある相手に手を出したりしたら、何がどうなることやら。下手したら後援も無事では済まない。
そして、そんな事になったら、後ろ盾になってやった恩を仇で返された盗賊ギルドは、刑罰の百倍怖い『報復』を“銀のアギト”に対して行うことだろう。
「なにか用かしら? ハゲネズミご一行様」
一同からの視線が集中したレベッカは、柄の悪い男ばかり十人を相手に、全くたじろがずに睨み返す。
ちなみにハゲネズミというのは、スキンヘッドでやや身長が低く前歯が出っ張っているニルスの容姿を揶揄して、部下たちですら影で呼んでいる呼び名なのだが、初対面のレベッカからすらそう呼ばれたことで、自分たちの言語感覚は間違っていなかったのだと部下たちは考えた。
燃えるような赤い瞳でにらみつけられて、ニルスは寿命が縮んだ心地だった。傭兵として大した仕事をした経験は無いが、なけなしの戦場の経験だけでも、こいつが手を出しちゃいけない相手だということを察するには十分だった。
強い奴には頭を下げて、通り過ぎるのを待つ。
それもゴロツキなりの処世術であった。
「な、なんでもねえ……デス」
「おつとめご苦労様デス……」
「あんたらみたいなのにねぎらわれるほど、落ちぶれちゃいないわよ。ほら、道空けなさい。公道よ」
レベッカに言われて、慌てて道を空ける死屍ども。
倒れ込んでいて動かせない奴も居たが、それはレベッカの方からまたいで通る。
しかし、ニルスの前を行き過ぎようかという所で、レベッカは急に足を止めた。
「…………アルテミシアの匂いがする」
「え?」
「……すれ違う……ううん、違うわね、この強さ。間違いなく接触してる……それでこの怪我……あっ」
人間の嗅覚というやつは、当然、獣にはかなわないのだが、そこまで馬鹿にしたものでもない。
レベッカの場合、戦いで磨いた鋭敏な危機察知能力を無駄にフル活用することで、アルテミシアの匂いを判別するくらいは可能なのだった。
そこから先は問答無用だった。
まずはアルテミシアにやられていなかった六人を流れるような動作で殴り飛ばしたレベッカは、足を怪我していた三人は動けないのを良いことに手刀で落とし、逃げようとしたニルスに飛びかかって関節を極めながら組み伏せた。
「ねぇ、貴方。見た目11歳くらいで、ふわふわ緑髪の、世界一可愛い女の子を知らないかしら? この道を通ったはずなのよ。もし髪一本でもあの子に傷つけてたら……生まれてきたことを後悔させてから殺してあげる」
殺気だけで首がもげそうだった。
うつ伏せにねじ伏せられて馬乗りになられたニルスは、レベッカの顔を見なくて済んだことに感謝した。
もしレベッカの顔を正面から見ていたら、恐怖のあまりショック死していたかも知れないと、背後からの殺気を感じながら思った。
* * *
正直に白状した“銀のアギト”ご一行様は、アルテミシアが完全に無事だったことで、アルテミシアに手を出そうとした大罪が減免され、半殺し・のちギルドへの連行で許してもらえた。
……ちなみに、どうせ領兵団に引き渡されるのにレベッカがわざわざギルドを介したのは、間に別の組織を挟むことで、私刑について追求されにくくするためだった。
領兵団による取り調べの課程でニルスは、あの緑のふわふわ頭がレベッカの妹であることや、ナイフ投げの巨乳少女がレベッカの弟子であることを知って、愕然とする。
超常的な英雄の周囲に居る者が、普通であるはずない。蹴散らされるのも当然だ。知らぬとはいえ、とんでもない相手に手を出してしまったものだと、肝を冷やした。
レベッカの身内に手を出してしまったことで、怒り狂ったレベッカが領主を動かしたりしたら、それもそれで大事になっていただろうが、幸いにもそうはならず、彼らは胸をなで下ろしていた。
その日は“銀のアギト”最大の厄日だった。
しかし、レベッカとその身内という化け物どもに手を出して、死なずに済んだだけで儲けものだというのは、彼らの後ろ盾である盗賊ギルドの幹部まで含めた全員の共通認識だった。