5-3 心は謳う
解決の端緒が見つかれば、気持ちにも余裕ができるもので、ふたりは武器屋の入り口のステップに堂々と座り、作戦会議を開始した。
ちなみに倒された棍棒オッサン達は、いかにもザコ的に消滅した。棍棒くらいドロップしてくれたら嬉しかったのだけど、さすがにそこまで親切ではないようだ。
「ポーチの中にあるかも知れないと思ったら、出て来たんです」
もう一度ポーチに手を突っ込めば、さっき消費したはずのポーションがまた出てくる。
「つまり?」
「この世界、もしかして、やろうと思ったことは全部実現できるのかも。心を覗き込んで形にする世界だというなら、それを逆利用すると言いますか……」
そう、例えば拳で大きな建物を割り砕くとか。
自分には怪力がある! と自己暗示を掛けて小さな手を握りしめ、アルテミシアは武器屋の扉に、正拳突きをぶち込んでみた。
結果:痛かった。
「……痛い」
「ふん……理屈じゃ確かに、何でもできるかも知れないね。でも現実でできないことを『できる』ってイメージするのは、ちょっと難しいんじゃないかい?」
「普段の自分がやれることじゃないとできない、わけですか」
どうやら自分は、電脳世界の救世主にはなれないらしい。
ヒリヒリ痛む手を、アルテミシアは旗のように振った。
「でも、そうだとしたらあたしはやりやすいかもね。年だけは食ってるおかげで、経験は豊富だから。昔を思い出して、杖を呼んでみようか。そしたらあたしもマトモに戦えるよ」
「冒険者、だったんですか?」
「遠い遠い昔の話さ」
そう言ってフィルロームは、だぶついたローブの懐に、冬枯れた木の枝みたいな指を差し入れた。
「冒険者をしていた時には、何本も杖をとっかえひっかえしたが……
一番気に入ってたのは、あれだね。従順で聞き分けのいい子だった。
サンダーバードから逃げ回って崖下に落っことしちまった時は、友人を亡くしたように悲しかったもんだ。真っ二つに折れちまったあの姿は忘れられないよ」
そしてその手を抜きだした時、まるで手品のように、彼女の手には杖が握られていた。
ローブの下に隠すにはちょっと無理がある、1mちょいの長さ。魔法の躍動感を表したような、アーティスティックなデザインの杖だ。
細かな傷がいくつも付いていて、グリップには手垢の跡もある、なかなかに使い込まれた逸品だ。
「そうそう、こいつだ。久しぶりだね、相棒」
皺深い顔をくしゃくしゃにしてフィルロームは笑った。
上手くいったから、だけではないだろう。思いがけず旧友に出会えた喜びか。
「んん……? 待ちな、既に失った杖すら取り戻せたんだ。もしかしたら……」
何かを思いついたらしいフィルロームが、ぐにぐにと自分の顔をマッサージした。
その手を離すと……なんということでしょう。幾星霜もの年月を刻んだ顔から皺が消えたではありませんか。
白い肌は『抜けるよう』と言うより、磨き上げた白木に例えたくなる不思議な質感。切れ長の目に、暗緑色の眼が特徴的だ。
長い耳に張りと弾力が戻り、白髪交じりだった緑髪は、初夏の息吹が宿る燦然たる緑に。やせ衰えていた体は筋肉と脂肪が戻り、エルフらしくスレンダーながらもメリハリの付いた体型に。
着ているものすら、だぶついたローブではなく、露出が多くとも要所要所を金属で防護しているスタイリッシュな軽鎧に変化した。
そこに居たのは、もはや古本屋の番をしている老エルフではなく、気風のいい女海賊みたいな雰囲気を漂わせる冒険者だった。
「若返った!?」
「へぇ。できるじゃないか。こいつは久方ぶりに弓を引きたくなる」
――できると信じたことができる、と言うより、記憶を具現化してると表現した方が近いのかな?
何はともあれ、きっと今のフィルロームは全盛期の戦闘力を持っているに違いない。しかも魔術師と来れば、この上なく頼もしい味方だ。
――これはわたしの出番無いかも……嬉しいことに。
「アルテミシア。あんた武器は持たないのかい? さっきの戦いじゃ拳を武器にしてたが、あんた格闘家じゃないんだろ?」
戦う必要無いかも、と思った矢先にフィルロームは容赦無い。
「武器は、あんまり使った経験がなくて……わたしは非戦闘員ですし」
「その割りに、荒事慣れした雰囲気だがね。武器をお持ちよ。なに、使う機会が無きゃ使わなければいいってだけさ」
まぁ確かに、守ってくれる人に甘えず護身の手段くらい持っていた方がいいというのはこの上なく正論だった。何より、そうすれば自身の生存率だって高くなるわけで。
……『荒事慣れ』とかいう言い回しに関しては垂直離着陸が可能なくらい左右に首を振りたい。
「考えてはみます……」
* * *
探索再開。
とは言え、建物の扉はどれも開かないので、無人の通りを進んでいくだけだ。
脇道は見通しが悪くてちょっと怖いし、建物の上を渡っていくのは足場が悪い。
結局、堂々と進んでいくことに事になった。
この景色は一見、ゲインズバーグシティの街並みに似ているが、城壁や遠くの山、何より一番目立つゲインズバーグ城も見当たらない。ただただ永遠無限に大通りが続いて見えるという、奇妙な場所だ。
そして気がつけば、行く先の建物の一階はみんな、日本でよく見かけたショーウィンドウみたいに大きな窓が付いた構造に変化していた。
もちろん展示されているのは、小洒落た服を着てジョ○ョ立ちしてるマネキンなんかじゃなく、通野拓人の嫌な思い出大博覧会。前衛芸術の一種だと思えば、許せ、許……やっぱり許せない。できるだけ目を合わせるまいとアルテミシアは決めた。
「妙な景色が見えるね? あたしゃ、こんなもんに覚えはないけど……」
「ワタシモデス。ナンデショウネ、コレ。アハハハ」
三次元再現ドラマから目を逸らしつつ、アルテミシアは笑って誤魔化した。
そこへ、またしてもどこからともなく現れるザコ敵軍団。
今度は官服らしき偉そうな服を着て杖を持った魔術師風の男(×5)だ。
「フィルロームよ。貴様の罪は――」
「≪爆炎火球≫!」
前口上を述べ始めた魔術師を容赦無く焼き払うフィルローム。悲鳴を上げた魔術師は、灰すら残さず消滅した。
ここへ来るまでにも何度かエンカウントがあったが、敵は全てフィルロームが焼き払った。エルフは森の民であるはずなのだが、やたらと炎系の魔法がお好きなご様子。
どうにも、この世界で出てくる敵というのは、戦闘の前に嫌な思い出をほじくり返す精神攻撃をしなければ気が済まないようで、前口上の間に問答無用の攻撃を浴びせてしまえば基本なんとかなるという有様だった。
「あーあ、やだね。忘れかけた顔を見ちまったよ。辛気くさいったらない」
大げさに溜息をついてみせるフィルローム。覚えがある相手だったらしい。
ここまでにも、でっぷり太った商人風の男だの、どこかの騎士っぽい男だの、モヒカン的な山賊だのが突然現れて襲いかかってきたのだが、全てフィルロームゆかりの敵らしい。
ふと、アルテミシアの頭に疑問が浮かぶ。
――この向こうにあるのは、わたしの記憶。
だけど、どうして襲ってこない?
ショーケースの中に飾られた記憶。
その中では、あんまり思い出したくない前世の記憶が延々と上演されている。
しかし、そいつらが大通りに出て来て、学ラン姿のいじめっ子がスタンガンで襲ってきたり、児島がデスクトップPCで殴りかかってきたりはしないのだ。
ガラスの向こうに舗装路と青空が見える、わけがわからないショーケースの前に、アルテミシアは立ち止まる。
――これは、前世で高校生時代に、車に轢かれそうな女の子を助けた話。
サンダルを履いた小さな女の子が、車の切れ目を狙って、道路を横断しようと走ってくる。
しかし、道路の真ん中で転んでしまった。
近づいてくる車の運転手は、若い女性だった。片手でハンドルを握り、もう片方の手でガラケー(当時はスマホが無かったのでガラケーとは呼ばなかったが)を操作し、メールか何かを打っている様子だ。早い話が、女の子に気付いていない。
そこでヒーロー参上。車の前に飛び込んで、もう引きずっていく時間は無いと判断し、女の子を歩道へ投げ飛ばす。
黒衣をまといし英雄は、高校生時代の通野拓人だった。
ようやく気付いた運転手。驚いた顔。投げ出される携帯電話。急ブレーキ。そして……
――あの時は、本当に死んだかと思ったっけ。
ブレーキかかってなかったら本当に死んでたかも……
ぶつかった瞬間は、なんだか分からなくて……ただ、『ああ、損したなあ』ってだけ思って……それで地面に転がってから、体中がすごく痛くなったんだ。いっそ気絶してたら楽だったんだけど……
そんなアルテミシアの前世回想が進むほど、ショーウィンドウの向こうに見える景色は、パステルカラーの落書きがアニメを経て実写へ至るように、克明に、真に迫ったものになっていった。
何かが変だ、と思ったその時。
ぱぁん、と絶望的な音を立て、ショーウィンドウのガラスが砕け散った。
「え……」
横っ飛びで回避できたのは奇跡と言っていい。
幻の記憶劇場に出演していた車が突然方向を変え、第四の壁を突き破って、アルテミシアに向かって飛び出してきたのである。
狙いを外した乗用車は大通りのど真ん中でドリフトターンを決めて、再びアルテミシアに向き直る。
「なんだい、この鉄のイノシシは!? ……≪招雷≫!」
短い(おそらく省略形の)詠唱に続いて、魔法で攻撃するフィルローム。杖からまばゆい雷光が迸った。
しかし、ボンネットに突き刺さったはずの雷は、なんらダメージを与えた様子が無く、鉄のイノシシは再度突進してきた。
相手が追尾してくることを考え、斜め前方に飛び込んでアルテミシアは回避する。
「効かないだって!?」
「もーっ、テクノロジー許すまじ! 電気は表面を流れて抜けちゃうので効きません! 質量攻撃を! 足回りか鼻先か、ガラス越しに見える人影に打ち込んでください!」
金属は電気や雷を通す……という着眼点は確かに良いのだが、自動車に乗っている時に雷が落ちても、中に居る人は高確率で無事らしい。エンジンだって、そう簡単に止まらない。
アルテミシアからのアドバイスを聞くなり、フィルロームは別の呪文を唱え始めた。
「≪飛礫弾≫!」
握り拳ほどの石が、高速で飛翔した。
フロントガラスに蜘蛛の巣みたいなヒビを入れてかち割った石は、運転席に座っていた女を直撃。
一瞬、紅い花が咲いて、凄惨な光景が車内に広がった……と思った時には、煙のように車ごと消えてしまっていた。
「た、助かった……」
緊張が解けると、滝のように汗が噴き出した。
――そうか……克明に思い出して、傷をなぞると……
リアリティを増して、実体を手に入れ……敵として召喚されるんだ。
ここは、心を映す世界。
敵だと思っていないもの、忘れているもの、印象が薄れているものは、敵として出て来ないのだろう。
あれは望まぬ自己犠牲の記憶。
だが、もはや前世の出来事であり、アルテミシアにとっては精神的に克服した『傷』だ。だからこそ印象が薄れていて、実体となれなかった。なのに思いだしたせいで、呼び込んでしまったのだ。
だとすると周囲の建物の中に見えているコレは、あと一歩で敵として出てくる記憶が『装填』されている状態ではないか。
――気をつけなきゃ。って言うか、できるだけ見ないようにしとこう。
「無事かい? アルテミシア」
「はい。なんとか。助けてくれてありがとうございます」
「こっちこそ弱点を見抜いてくれて助かったよ。にしても、ありゃ何だろうね……」
首をかしげているフィルローム。
長く生きてきたであろう彼女も、さすがにあんなものは見た覚えが無かったようだ。
そのまま歩み去ろうとして……変な物に気が付いて、アルテミシアは足を止めた。
――あれ?
車が倒された場所に、何かが落ちている。
ライティングされているわけでもないのに、キラキラと、それは鋭く輝いていた。
「なんだろ、これ……」
何かが光っているのは確実なのに、その光の源が分からない。
まるで、形のない物が光り輝いているかのようで。
アルテミシアが興味を引かれて近づいていくと、その光はパチンと弾けて、ホタルのように舞い散った。
光があったその場所に、いつの間にやら、ひとりの少女が立っていた。
見間違いようがない。さっきの記憶の上演でも見た、通野拓人に助けられた子どもだ。
『ありがとう、おにいちゃん』
――『お兄ちゃん』?
何をどう間違えても、男には見えないであろうアルテミシアを『お兄ちゃん』と言った少女。
あっ、と思ったその時には、輪郭を崩し、消えてしまった。
その言葉は、車に轢かれそうな所を助けられた少女が、代わりに轢かれて入院中の通野拓人に向かって言ったものだった。
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・[5-3]≪能力算定≫ バーニング古本屋 1321年.芳草の月.23日