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5-2 宇宙球体の夜

 気がつけばアルテミシアは、街の大通りに立っていた。

 正確には、街の大通りに近いが、なんとなく細部が違うような変な場所だ。


 辺りは、満月の夜と同じくらいの明るさだった。空は、青空に薄く墨汁を塗りつけたよう、としか言いようのない、暗い青空・・・・だった。天頂には、光を吸い込むかのごとき、闇色の太陽が輝いている。


 しんと静まりかえった大通りの真ん中に立っているのは、アルテミシアと、もうひとり。ぶかぶかのローブを着た、古本屋の店主である老エルフだけだった。


「ここは、いったい……?」

「本の中の世界、ってやつだね」


 馬鹿馬鹿しくて忌々しい、という調子で、老エルフは吐き捨てるように言った。


「本の中……これが……」

「ああ、そうさ。たまにあるんだよ、そういうのが。本を開いた奴を本の中の世界に閉じ込めて取り殺す。呪いの罠みたいなもんだね。

 まったく悪趣味な魔法だね。世界なんてひとつで十分だよ。あたしらはそのひとつすら持て余してるってぇのにさ」


 この場合、どうやって本の中に世界なんて作ったのか、などと考えたところで意味は無いだろう。

 どうすれば無事に出られるのか、が問題だ。


「誰が、何のためにこんなものを?」

「さぁね、暗殺用にでも作られたもんが流出したのか……」

「外へ出るためには……」

「待ちな。ちょいと辺りの様子を探るよ」


 そう言った老エルフは、目を閉じて静かに集中する。

 そして、彼女を中心に世界が波打った。

 幻か、と思ったが、彼女を中心として、小石を投げ込んだ水面のように、世界に波紋が広がったのだ。


「これは……魔法ですか」

「そうさ、魔法で辺りの様子を探った」

「……あれっ、魔法の使い手って虐殺されたんじゃ……」

「そんな事があったらしいね。なに、魔法を使える者全てが、仕事で魔術師してるわけじゃないってだけさ。あたしゃ、ただの古本屋だもの」


 あざけるように言い放つ彼女を見て、アルテミシアまで『してやられた』と思った。

 そう、魔法が使えるからと言って、生業として魔法を使っているとは限らないのだ。

 市井に隠れ住む隠者のごとき魔術師が居たとしても、お城の高いところから街を俯瞰して見つけ出すのは難しい。『あそこの古本屋の主は魔術師だそうですわよ』という噂を手繰っていかなければならないのだ。

 そんなわけでフィルロームは児島に見つからず、こうして安穏としていられたわけだ。


「ただ……確かに辺りの気配は探ったが、世界が揺らいだのはあたしの魔法じゃない」


 首を振って、老エルフは鼻を鳴らす。


「この世界は、あたしらの心を覗いてるよ。心を映す鏡みたいなもんさ。

 あたしがこの世界を知ろうとしたせいで、この世界はあたしを知った。そのせいで世界が揺らいだんだ」


 ――心を映す鏡……?


 意味がよく分からなかったが、アルテミシアがそれ以上考え込むより先に、老エルフの言葉が具現した。

 さっきまで人の気配すらなかったのに、通りの脇の路地から人影が現れる。

 出て来たのは、どこにでも居そうな普通のおじさんだった。


 ……鬼のような表情と、引きずっている棍棒を除けば。


「エルフ……エルフ、だ……」


 うらめしやと叫ぶジャパニーズ幽霊のような口調で、男はそう言う。

 そして。


「ここ、人間の、街……エルフ、死ね……!」


 チョビ髭の独裁者よりも短絡的な台詞を吐き、男はすぐさま行動に移った。

 すなわち、棍棒を振り上げ襲いかかってきたのだ。


「に、逃げ…………って、早っ!」


 アルテミシアが逃げようとした時には、老エルフはとっくに逃げ出していた。

 老人とは思えないほどの俊敏さだった。

 辺りを見回して路地に飛び込んだ彼女は、そこからアルテミシアを手招きする。


 アルテミシアがそちらの道へ飛び込むなり、老エルフはアルテミシアを抱き込んで呪文を唱えた。

 間近に触れている彼女からは、古い本と古木の匂いがした。


「……≪透明化インビジブル≫」


 アルテミシアを抱き込んだ老エルフの手が、そしてアルテミシア自身の細い体も、消失した。

 

 間一髪、大通りの方から姿を現した男が、目の前を通り過ぎていった。魔法で姿を消したせいで、路地の奥へ逃げたと勘違いしたようだった。

 荒々しい足音と、棍棒を引きずる音が遠のいて行き、そこで老エルフは魔法を解いた。


「今のは……」

「ろくでもないもん見せちまったね。つまりあれが、あたしの心の中の景色ってわけなんだろうね」


 吐き捨てるような口調だった。

 なるほど、と思わなくもない。戯画のように誇張されている可能性もあるが、人間の街に住むエルフである彼女が、どんな苦労をしてきたか分かる。

 人間の排他性と同調圧力は、やっぱりこちらの世界でも健在。そもそもこちらは移動が不便な世界だから、異質な存在と出会う事は島国日本より少ないかも知れない。


 何にせよ、さっきの男はこの本の世界を作った呪いの『プログラム』だろう。

 老エルフの心を写し取って具現化した『敵キャラ』なのだ。

 ゲームと違うのは、あれに殴り殺されたら、おそらく現実世界に帰還できずここで死んでしまうという事。なんというVRMMOデスゲーム。


「ごめんなさい、わたしが変な本を開いたばっかりに、こんな事に……」

「あんたが謝る事ぁないよ! こんなゲテモノを骨董品と間違えて仕入れちまった、あたしが悪いんだ」


 老エルフは溜息交じりに、緑と白が混じる頭をかきむしった。


「……いつまでも『あんた』じゃあダメだね。緑の髪のお嬢ちゃん、あんた名前はなんてんだい?」

「アルテミシアと言います」

「そうかい。あたしはフィルローム。見ての通り、本の虫に頭ん中を食われ掛かってる老いぼれさ」


 皮肉っぽく笑って、フィルロームはそう言った。


「うちの商品で死人を出すわけにゃいかない……なんとか出口を探してやるよ」


 * * *


 とにかく、この本の中の世界を調べないことにはどうにもならない。

 が、そこでまたランダムエンカウントが発生しないとも限らない。

 敵がさっきのオッサンひとりとは思えないからだ。


「武器になるものとか、落ちてないでしょうか」

「杖があれば、あたしはもうちょっとマシなんだがね。都合良く武器屋とか無いもんかい?」


 魔術師は杖が無くても魔法を行使できるが、杖無しで魔法を使うのは安定度が落ちるのだとか。なので戦闘の場合には、基本的に杖を持つ。

 ちなみに杖と同じ効果を持つ魔法発動用のアイテムというのは、割と色々あるらしいのだけど、そういうものはどれもこれも杖より高くなるらしい。ちょっと大きくてかさばるけれど、やはりコスパ最強は杖。

 何より、杖を持って戦う魔術師というのは様になるし、魔術師たち自身、その姿を愛している。遊牧民族が馬を自尊心のよりどころとしたように、杖は魔術師のプライドそのものでもあるのだ。


 そんなわけで武器を探して、無人の通りから武器屋らしき建物を見つけ、アルテミシアは窓を覗き込む。


「ん? なんかよく見えな――」


 白く濁ったように、何も見えなかった武器屋の窓。

 そこを覗き込もうとした途端、まるで液晶スクリーンの電源が入るみたいに、ぱっと窓から見えるようになったものがあった。


「わっ!」


 アルテミシアが驚いたのは、急に窓の向こうが見え始めたからではなく、見えたものが予想外だったからだ。

 樹脂と金属で作られた、灰色の机が並ぶオフィス。

 うなりを上げるタワーに、付箋が山盛り貼り付けられたディスプレイ。

 そして、死んだ顔の皆々様。


 懐かしのオフィス(懐かしのデスマーチ進行中)である。

 明らかに、こぢんまりした武器屋の建物には収まりきらない景色が窓の向こうに広がっている。


 ――これ、地球の……日本の景色?


 よもや時空を越えて繋がっているのかと思いきや、懐かしの島中席には、鏡の中で見慣れた、しょぼくれた顔。通野拓人が座っていた。壁際の席には、こちらの世界で死んだはずの諸悪の根源コジマも、黒いかぶり物共々、健在である。


 ――なるほど、ここが心を映す世界なら、わたしの記憶を再現した光景も出てくるわけか……


 もっとも、さっきの棍棒オッサンと違って、窓を突き破って襲いかかってくるわけでもなさそうだ。


 さてこの武器屋、窓からこんな変なモノが見えているわけだが、扉を開ければ中は普通に武器屋なのか、それともブラックオフィスに通じてしまうのか……

 悩んでいても分からないので試しに扉に触ってみたが、まるで内側からセメントでも塗られているように固く、扉はビクともしなかった。


「……ダメです、開きません」


 そう言ってアルテミシアはフィルロームの方に振り返ったのだが。

 アルテミシアが顔を向けた先には、棍棒オッサンの軍団と、それを睨みつつじりじり後退するフィルロームの姿があった。


「いつの間に!?」

「分からない。煙が立つみたいに、急に出て来たんだ!」


 大量の棍棒オッサンは、武器屋の壁際にふたりを追い詰める形で、ほぼ完全に包囲していた。

 しかも不気味極まりないことに、オッサンズはさっき追いかけて来たひとりと、背格好も顔も完全に同じなのだ。おそらく棍棒のデコボコすら一致しているコピペの産物。


「こいつら無限湧きですか……しかも完全コンパチのモデルで……」


 なにしろ、ここは本の中という不条理な世界。

 不条理な悪夢の中のように、なんでもありというわけだ。


「魔法で飛べますか? フィルロームさん」

「ちと厳しいね。飛べるは飛べるが、あんたを抱えていけるかの方が難しい」

「つっ……膂力強化ストレングスポーションがあれば、フィルロームさんに飲ませるなり、自分で屋根まで飛び上がるなり、できたのに……」


 今日のアルテミシアは、古本屋へちょっと買い物に来ただけだ。

 いつものポーション鞄だって持っていないし、腰のポーチにも確か……


「あれ? ポーションがある……なんで?」


 意外や意外。腰のポーチに手を突っ込んだら、入れた覚えの無いポーションが出て来た。

 しかもご丁寧に、ゲインズバーグ城の戦いで使った、膂力強化ストレングス耐久強化ストーンスキンの混合ポーション。二種類のポーションを混ぜるには特殊な薬剤が必要なので、直近は製作していないはず。


 ――『心を映す世界』って、そういう事か!?


 試しに、ポーションをポーチの中に戻してみる。


「ポーチの中にはポーションが一服……ポーチを叩けば……」


 こつん、と腰回りが重くなる。


「あら、やっぱり増えた」

「なんだいそりゃ?」

「まぁ一本どうぞ。倒す方はわたしひとりで行けると思いますけど、これを飲んでおけば殴られても平気なはずです」


 量産型のザコキャラには、量産型のザコキャラにふさわしい最期というのがあるわけで。

 二十人以上のオッサンは、混合ポーションを飲んだアルテミシアの敵ではなく、1カップラーメンも掛からずに薙ぎ倒された。

私の作風:ちょっと気を抜くとオッサンと老人が増える

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