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5-1 フィルローム古書堂の事件手帖

 レンダール王国は、比較的、出版技術が進んでいる国だ。

 ただでさえ、魔法や魔導機械を用いた写本の技術に秀でていたが、特に最近は、先進的な製紙と活版印刷の技術が何処からかもたらされたことで、さらに出版のコストが低下し、書籍の大衆化を招き、都市化著しい王都を中心として出版業が活況を呈している。

 今や庶民でも、ちょっとした贅沢程度の気持ちで新刊本を買える時代なのだった。


 とは言え、やはり本は安いとまで言えないわけで、読み手としては1グランでも安く本を手に入れたい。

 そこで、読み終わった本を買い取り、まだ読んでいない人に売る、古本屋という事業形態が急速に台頭していた。

 もっとも、古本屋が発達した理由のひとつには、革命家の書いた本が貸本屋を通して読まれた事にヒステリーを起こした王国が、貸本屋を法的に禁止してしまったから、という馬鹿馬鹿しいものもあるのだが。


 * * *


 その日もフィルロームは自ら経営する古書店で、自分が死ぬのを待っていた。

 狭く薄暗い古本屋で、天井まである本棚から香る古い紙のニオイに包まれ、静かに茶を飲みながら、売り物の本を読んで過ごす。それはフィルロームが己に課した、死ぬまでの暇つぶしだった。


 エルフであるフィルロームは、既に500年近い、長い時間を生きていた。

 かなり年老いるまで若い姿を保つエルフだが、フィルロームの肌は既にしわくちゃで、若い頃は里の男どもを虜にしていた美しい緑髪も、もはや白髪の方が多くなっている。

 それは彼女の人生が、晩年にさしかかっている事の証左だった。


 長い人生の間、世の中は大きく移り変わり、彼女自身も艱難辛苦を乗り越えてきた。そんな、燎原の炎のように激しかった一生を、記憶の底にうずめるように、過去から逃避するように、ただ彼女は、枯れ枝のように痩せた指で、今日もページをめくるのみ。


 ただ、その日はちょっと珍しいことに、店を開けてすぐに来客があった。

 チリリン、と扉の鈴を鳴らして店に入ってきたのは、緑の髪の少女だった。


 緑の髪を見た瞬間、久々にフィルロームはどきりとする。残り少ない寿命が磨り減った気分だった。

 人間だらけの中で暮らしていると、同族エルフを見る度に、何か普通でない事が起こるのかと身構えてしまう。

 が、すぐに思い直した。


 ――エルフじゃないね。この子、魔力を感じない。エルフだったらあり得ないよ。

   魔力無しのエルフなんて生まれたら奇跡だし、仮に生まれたら親に殺されるね。


 エルフと間違いそうなくらいに細っこい体の少女だったが、ちゃんと耳は丸く、痩せると本当に木の枝みたいになるエルフと違い、ぷっくりした頬は人間的だ。

 飾り付きの青いジャケットに、ふわりとしたスカート。白い襟巻きに編み上げブーツという浮かれた格好。ふわふわの髪は、毛並み豊かな小動物のようだった。


 変わった客だな、とだけフィルロームは思った。


「……いらっしゃい」


 ひとまず挨拶だけしたのだが、少女は周囲を軽く見回して、それから真っ直ぐフィルロームの方へ向かってくる。


「あの、すいません。学校で使ってる、読み書きの教科書って、置いてますか?」

「ん? あったと思うけど、そんなもんどうすんだい?」


 学校で使うための教本は、最近安くなってきたとは言え、まだまだ新品を買うとそれなりの値段で、古本屋にとっては堅い商売だ。毎年、学校を卒業した子ども達が教科書を売り払い、そしてそれを求める者も居る。

 とは言え、それが盛んになるのはまだ先の季節なのだが。


「その、読み書きの勉強をするためです」

「誰が?」

「わたしが……」


 少女は、ちょっと照れたように答えた。


「ふーん。あんたもしかして冒険者かい?」

「い!? いえ、違います!」


 珍しくも推理小説を読んでいたフィルロームは、ちょっと悪戯心が湧いて、そんな質問をしたのだが。

 なんだか妙に慌てた様子で、少女はそれを否定した。


「おや。この辺りの子は、だいたいもっと若い時に読み書き計算を勉強するからね。見れば、学校に通えないような貧乏人にも見えないし、何よりその浮かれた格好は冒険者みたいだ。だから冒険者だと思ったんだけどね」

「う、浮かれたって……わたし、薬師なんです。この街で仕事ができないかと思ったんですけれど、まず文字が読めないと、どうにもならないみたいで……」


 薬師なら薬師で、なんでこんな格好をしているのか分からないが、とにかく言いたい事は分かった。


 野良の薬師なんて、この国では……少なくとも、このゲインズバーグではろくな仕事ができない。

 このレンダール王国では、ポーションの貴重な材料は規制が進んでいて、官許の職人しか公に取り扱うことができないのだ。中には中途半端に法を敷いている領主も居るようだったが、このゲインズバーグは対魔族領の要であり、領主一族と王族の関係も深いので、治世には国の意向が色濃くにじむ。

 薬師をしていた知人が、官との繋がりが無い自分はもうこの街で商売はできない、と嘆いて去って行ったのは……さて、何十年前だっただろう。彼女は人間だったから、どのみち、もう生きてはおるまい。


 今、この街でまともに薬師をやろうとしたら、ポーションギルドに取り入って、工房で働くしかない。自分の店を持ちたいなら、さらにそこからの暖簾分けが必要だ。文字の読み書きができないようでは絶対に無理だ。


「分かったよ。それなら……そっちの棚だ。下から三段目、茶色い背表紙の本があるだろ。『ことばのほん』って書いてあるやつだ」

「えっと……これですか?」


 棚を指差された少女は、全く違う本を抜き出してしまう。


「ああ、そうか字が読めないんだったね、まったく。違うよ、それじゃなく……んん!?」

「あれっ!?」


 少女の抜き出した本が勝手に開き、そのページから光が立ちのぼっていた。


 フィルロームは、歳のせいでいよいよ目か頭がおかしくなったのかと疑ったが、少女まで驚いた声を上げているところを見ると、どうやら目の迷いでもないらしい。


 窓も扉も開いていないのに、風がごうごうと、狭い店の中で渦を巻く。

 並べてあった本が舞い上がり、魔導ランプの明かりは消えた。


「な、なんだこいつは? あ、こ、こら! 早くその本を閉じるんだよ! 何か変なモノが――」


 叫んだ時には、遅かった。


 お茶のカップ。読みかけの本。見慣れた薄暗い店。その全てが、ぐるりと宙返りをして……

 そして、本から湧き出る光の奔流に飲み込まれていた。

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