4-7 盤上の玉座
ミストアイランド。中央には霧に煙るクレントス山を頂き、その周囲にドーナツ状の平地が広がる大きな島だ。島とは言っても、ゲーム盤からはわかりにくいだけでひょっとしたら四国か九州ぐらいの大きさはあるのかも知れない。
その光景をアルテミシアは盤上に夢想した。
さすがに本来の用途である闘技の試合に比べると地味だからか、2万人くらい収容できそうな観客席は埋まりきっていないが、それでも観客は充分以上に多い。
広々とした闘技場のど真ん中にぽつんと卓が置かれ、周囲を計時係や記録係、大盤係などの係員が恭しく囲んでいる。
言ってみれば成人の部・決勝戦の前座という立場になるが会場の盛り上がりは早くも最高潮。会場の熱気が視線に乗って、ちくちく刺さってくるような気さえした。
前年度優勝者であり、しかも領主の息子という立場のルウィス。
優勝候補のひとりを鎧袖一触に屠り、破竹の快進撃で勝ち進んできたダークホースのアルテミシア。
しかもふたりとも容姿端麗と来ているのだから、見世物としては満点だろう。
やがて駒を並べ終わると、ついたてが開かれ、お互いの布陣が明らかになる。
おお、と会場がどよめいた。特に意味の無い歓声だ。通販番組で商品が出てきた時のアレに近い。
アルテミシアは相手の攻撃を受け流しカウンターを狙う『狡蛇の陣』。レベッカ相手に基本的な陣形を試してみたところ陣形に関係なく全勝だったが、一番動きやすいのがこれだった。決勝まで取っておいた必殺の陣形だ。
対するルウィスは臨機応変に展開を変えられる『グリフォンの陣』を組んでいた。
「ぼくは勝つぞ、アルテミシア」
「ええ」
不敵に笑うルウィスに、アルテミシアは無垢無欠のスマイルで応じた。
「勝つ気で来てください」
――そんなルウィス様をこそ、わたしは倒さなくちゃならない。
『さあ、それでは対局開始です!』
アナウンスと共に、ドジャーン! と本来は闘技の試合で使われる銅鑼が打ち鳴らされた。
* * *
戦いはまず、お互い中央の山地に牽制の駒を出しつつ、島南側での会敵を目指し進軍するという形になった。山地は隘路に次ぐ隘路だ。上手く陣取れば優位に戦えるが、身動きが取れなくなる危険もある。ふたりともそれを避けて平地での戦いを選んだ。
全体が平野のマップほど広くはない戦場。
どちらかと言うと、太めの通路にぎっしりと整列しているような状態だ。
――さて、仕掛けるかな。
まずアルテミシアの側から火ぶたを切った。
最初に兵士の攻撃が当たらない剣聖で前列の兵士を崩し、騎士で斬り込んで傷口を広げる。最初に死んだ駒は、カウントを消化しきれば当然ながら最初に戻ってくる。
味方の駒が死ぬ順番をコントロールするのは上級戦術の第一歩だ。最初に斬り込ませた駒は比較的すぐに返ってくる。
ルウィスは深く飛び込んできた騎士を倒しつつ、剣聖の前に罠を伏せて陣形の穴を塞いだ。
カウンターに優れた『狡蛇の陣』に迂闊に飛び込まず、防御的戦術を取るつもりのようだ。
そう思ったのは一瞬だけだった。
アルテミシアが罠を避けて別方向から陣を崩し始めると、次の手でルウィスは反撃もそこそこに後衛の陣列を組み替えた。
タイルズには複数のルールがあるのだが、この大会で使われるルールでは駒を取った直後は1手番に動かせる駒の数が減る。そのため、敢えて反撃を見送るという手もあるのだが……
何事か、とちょっと会場がどよめく。
だがアルテミシアは数手先まで読んでルウィスの狙いを悟った。
――1手番でこっちの並びに対応した。次の手番で飛び出して右翼を食い破ってくる。こっちが攻め込んでもカウンター……!
最善手、と言ってもいい手だ。
アルテミシアは追撃を諦め、自軍の前に罠を伏せて守りを固める。
ここに突っ込んできてくれるならまだ対処は容易だったが、ルウィスは兵士を前に出し、アルテミシアの陣列左翼の目の前に罠を伏せる。
自分が置いた罠は素通りできる。相手が罠を置きたそうな場所に先に罠を置いてしまうという手もあるのだ。
同時にルウィスは後衛も動かし、左翼からの突破を計る構えになる。
気がつけば攻守は逆転していた。
――最善手を選ぶなんてレベルじゃない。状況を自分から作り出してる!
楽な展開の可能性が片っ端から磨り潰されてく……
ルウィスは、アルテミシアが負けるしか無い状況を作り出すべく兵を動かしている。
タイルズ業界のことなんかさっぱり分からないアルテミシアの素人目に見ても、ルウィスは『プロに非常に近いセミプロ』くらいだと思われた。年齢一桁の子どもがこれをやっているのだから神童と呼んでもいいはずだ。
父から受け継いだ才能に恵まれた。
その父が供する環境に恵まれた。
そして何よりルウィス自身、この競技に真摯に打ち込み研鑽を重ねたと分かる。
全てが噛み合い、ルウィスは盤上にて常勝無敗の指揮官と化した。
――でも……今日は私が勝つ!
自分の手番になる度に栓が開けられる砂時計をちらりと横目に見て、アルテミシアは『読み』を深めた。
時間は気になるが、先々の手まで考えていかないと足下をすくわれる。
アルテミシアはこのまま戦闘に入ることを許容し、左翼前列の兵士の裏を開けて罠を伏せつつ、本陣に残した方の重装騎士をそちらへ移動させて待機する。
重装騎士は唯一、HPが2の駒だ。逆に狂戦士は唯一攻撃力が2の駒なのだが、重装騎士を一撃で倒せる以外に取り立てて役目が無い。
これでルウィスの最初の一撃を狂戦士に限定させ、その後の展開の幅を狭める効果がある。
そこからは泥沼の戦いになった。ルウィスは途切れなく攻め手をつなげ、アルテミシアは最小のダメージでそれを捌いていく。前線には、お互いに5枚の罠を伏せきり、その合間を縫って切り結ぶ。
駒がひとつ死ぬごとに観客席はどよめいた。
お互いの軍勢は徐々に減っていた。単純に手が不足したことでルウィスの攻撃も少し緩慢になる。だが数を減らし合うだけでは決着が付かない。あくまでこれは詰みまでのプロセスだ。
お互いに手空きになった手番。一気に攻め崩す方策をアルテミシアは探した。
――このタイルを踏んで暗殺者を通せば全部崩せる。だけど、これがもし『地這い竜』のカードだったら劣勢に……
敵陣のただ中にある伏せ札のタイル。
駒をすり抜けて動ける暗殺者なら、そこに飛び込んで隣に居る聖騎士を斬り倒せる。
一気に攻めを崩壊させる一手だが、それには伏せ札を踏まなければならない。
『落とし穴』は先ほど肉盾が踏んだから違う。では『道化師』か、2枚置ける『トラバサミ』か……『地這い竜』か。
前者ふたつならよし。しかし『地這い竜』なら、せっかく牽制として取っておいた暗殺者を無駄死にさせる事になる。
――敢えて行く!
アルテミシアは敵陣に暗殺者を飛び込ませ、駒の尻で伏せたカードを叩く。そしてカードを開くと……ルウィスがにやっと笑った。
吹き上がる炎。『地這い竜』だ。
アルテミシアは暗殺者を盤脇の列の最後尾に加えた。激しい戦いで、お互いに復活スタックは長蛇の列だ。暗殺者はゲーム終了まで返ってこないだろう。
――……劣勢だけど、決定的な痛手じゃない。それよりも、これで分かったのは……今伏せられてる残りの4枚は『地這い竜』じゃないってこと……!
アルテミシアの『読み』の中にあった、不快なノイズが晴れていく。
他の4枚のカード。このどれかが『地這い竜』だったとしたら、いくつかの勝ち筋に行き止まりが発生してしまう。
だが、今やその可能性はゼロとなった。場に同時に出せる『地這い竜』は1枚のみ。残りは最悪でも『落とし穴』だ!
陣形左翼に対するルウィスからの攻撃に耐えつつ、アルテミシアは右翼の前線を押し上げた。
最後の詰めで邪魔になる位置の罠は踏み潰すが、潰した罠は置き直されてしまうのでなるべくそのままにしておく。
再び攻めが途切れた手番、アルテミシアは左翼の守りを罠に任せて一気に敵陣に食らいつき、敵陣の隙間に罠をねじ込んだ。
ルウィスはアルテミシアの陣構えを確認する。手薄になった左翼の隙を探しているようだが、『地這い竜』で攻めを止めれば詰みにはならないだけの守りを残している。
押し切ることを諦めたらしいルウィスは、アルテミシアの攻めに対処するため、新たに置かれた罠を重装騎士で踏み潰す。
そして引っ張り出したカードをめくり、ルウィスが目を見開いた。
「『地這い竜』……!? こっちが!?」
闘技場が揺れたかと思うほどに、悲鳴とも歓声ともつかない声が上がった。本当に地雷の爆発かと思ったほどだ。
『落とし穴』や『トラバサミ』なら少なくとも重装騎士を肉盾にできた。だが『地這い竜』で重装騎士が吹き飛び、ルウィスの陣に穴が空いた。
まだルウィスは駒を動かせたが、盤面全体を見て長考に入る。
やがてルウィスは清々とした様子で首を振った。
「ぼくの、負けか」
投了だ。
大盤係が『投了』の札を出し、大歓声、次いで割れんばかりの拍手が巻き起こった。
アルテミシアの勝利だ。
「……では、このカードは?」
まだ拍手も鳴り止まぬ中、ルウィスはアルテミシアが左翼の守りの要としていた罠のカードをめくる。
そこには、奇抜な衣装を着て馬鹿にしたような表情の男が描かれていた。
「『道化師』……よりによって完全なブラフとは。まんまとはめられたのか、ぼくは」
ルウィスの表情に悔しさは見えない。
ただ、痛快にやられたという苦笑が浮かんでいた。
――ここに来て良かったし、勝てて良かった。
アルテミシアは心からそう思った。
「こっち側は、伏せたカードが『地這い竜』ならちょうど守り切れるだけの戦力だったな」
「はい。ルウィス様、そういう分析ができそうだったので引っかけさせてもらいました」
「もしぼくが見やぶっていたら?」
「攻撃部隊で削り合って数を減らしつつ、少数対少数なら確実に優位に戦える山地へ再布陣です。そこまでで駒損2ですがルウィス様の暗殺者倒せれば……と言うかこの布陣なら削り合いで絶対手が届くんですが……負け筋ほぼありません。
念のため山地へ重装騎士を出しておきましたから確保まではどうにかなりますよ。そこから反攻に出ます」
「まいったな。完敗だ」
そう言ってルウィスは、自分に向けられたものではない大歓声を味わうように、観客席を見回した。
「ぼくは、来年はここには居ないだろうな」
いきなりルウィスがそう言い出して、もしやこの敗北でタイルズに見切りを付けたのか、と一瞬思ったがそうではなかった。
「次期領主はヒマじゃない。そのための教育を受けるギムがあるし、つとめもある。
これまではアルムス兄さまがそうだった。今度はぼくがそうなるんだ」
なんでもない当然のことを話すようにルウィスはそう言った。
世襲領主だの王位は、普通は長男から継ぐものだ。三男であるルウィスが領主を継ぐ可能性は低かった。だが、上のふたりが死んだ今、次期領主はルウィスの務めだ。
それがどういう生活なのか想像も付かないが、きっと今の混乱が収まったらレグリスはルウィスの教育に着手するのだろう。
そうしたら、気軽にお子様タイルズ大会なんか出ていられなくなる。いや、出られるとしてもそのための練習時間を確保できないだろう。
だから、これがルウィスにとっては最後の大会なのだ。
ふとアルテミシアは、この大会で負けるかどうかがルウィスにとって人生の岐路だったのかも知れないという考えが浮かんだ。
どっちにしろルウィスならちゃんとやっていける、という気もするが。
「さいごにアルテミシアと戦えてよかった」
「どういたしまして」
「あ、うむ……」
握手の手を差し出すと、急に照れたようにルウィスはしどろもどろになった。
まるで、ゲームが終わって今やっと、アルテミシアと向かい合って座っていることに気がついたかのようだった。
ルウィスの反応がどういう意味なのか、アルテミシアはなるべく考えないようにした。
* * *
この後、アルテミシアは街中のタイルズクラブやプロ競技者から矢のような勧誘を受けたり、結局ラルフにタイルズを教えることになるのだが、それはまた別のお話。