4-6 わたしの目線で見えるもの
結局、その先にラルフ以上の強敵は現れず、アルテミシアは決勝進出をあっさりと決めた。
まあ対局した選手の中にはアルテミシアに見とれていて対局に集中できない様子の純情な男子も居たが。
ラルフが敗北したAブロックの試合で、観客の注目はアルテミシアに集まった。
アルテミシアが攻めを鮮やかに切り返す度、堅牢な守備を食い破る度、観客席は沸き立つ。
最初はちょっとうるさいと思ったが、アルテミシアはすぐに慣れていった。
この大会が終わった後どうなるのかちょっと怖かったが、黙ってても注目を集めてしまうのだから、そこにタイルズ大会で活躍したという要素が加わっても大して変わりはしないだろうと開き直った。それにこれはあくまで実力による評判だ。
決勝を前にしてアルテミシアは、控え室をひとつ占有して待機していた。普段は闘技場で戦う選手のための部屋であるらしく、武器を立てかけるためのレストや何に使うのか分からない鎖が壁際に存在する。
机の上には果物やちょっとしたお菓子が『ご自由にお召し上がりください』状態で置いてあったが既にアルテミシアのお腹に消えていた。
特に何をするでもなく時間を潰していたアルテミシアは、ノックの音で我に返った。
「はーい、どうぞー」
係員が呼びに来たのか、と思ったが違った。
「じゃまするぞ、アルテミシア」
「あれっ? ルウィス様?」
扉を開けて入ってきたのは、別の控え室で待っていたはずのルウィスとお付きの近衛兵だった。
その辺に置いてあった椅子を、近衛兵がアルテミシアの対面に置き、ルウィスはそれに座る。
「どうしてここに?」
「ヒマだったんだ。お前もヒマなら話がしたいと思った」
一目見ただけでヒマと断定されたのは遺憾の極みだが、実際ヒマなのは間違いないのでアルテミシアは敢えて何も言わなかった。
「お前がこんなにタイルズをできるとは思わなかったぞ」
「……実はわたしも思ってませんでした。なにしろ最近始めたばっかりなので」
「なに? さいきんって……いつだ」
「1週間前くらい?」
「おい」
ルウィスは苦悩の表情だった。
「なんでそれでここまで来れるんだ」
「分かりません」
「お前、ジョーシキをこわすのがしゅみなのか?」
「別にそれが目的なのではなく……なんか何もしてないのに壊れていくんです」
「魔動キカイをこわすやつはみんなそう言うんだって、死んだお祖父様が言ってたぞ」
完全に呆れた様子だったが、事実なのだからしょうがない。
「……7歳で去年優勝したルウィス様も、充分に常識ブレイカーじゃないですか」
「お、おう……」
褒めたつもりだったのだけどルウィスは何故か戸惑い、口ごもる。
「あの……?」
「みんな父上が大好きだ。だからぼくが勝っても文句は言わない」
ルウィスはちょっと視線を逸らし、浮かない顔で言った。
「だけどな、勝っても当たり前って顔をするんだ。『さすがレグリス様の息子』って言うだけなんだ……
ぼくが、あの父上の息子だから。いだいな父上の血を引いて、それに、べんきょうする時間もたっぷりあるからな」
「べんきょう、ですか」
「ああ。ぼくがこういう事をやりたいって言えば、父上はちゃんといい先生を付けてくれる」
それは有り難いことなのだろうけれど、なんとなく、ルウィスがそれを後ろめたく思っているらしいことはアルテミシアにも分かった。
「お前が負かしたラルフな。学校を出た後、酒場で下働きをしながら修行してるんだ」
ラルフについてはアルテミシアも、決勝トーナメント一回戦で勝った後に少しばかり情報を集めていた。
タイルズ界で期待の新星として注目の的だとか。ただし去年の大会でルウィスに負けて、ちょっとミソが付いてしまった。今年はアルテミシアのせいで決勝一回戦負けだ。
「どこかの名人の住み込みの弟子だったりしないんですか? こう、師匠の世話をする代わりに衣食住保証されたり」
「昔の魔術師じゃあるまいし」
ルウィスは笑う。
確か将棋の世界だと、割と最近まで内弟子が居たという話を聞いた覚えがあるのだが、タイルズ界はそうでもないらしい。
要するにラルフは苦学生だ。
「みんなぼくをきらいなわけじゃない。でもな……
勝って当たり前の強いやつを、努力して強くなったやつが倒す。みんなそういうのが見たかったんだ。
まあ、今はお前のカイシンゲキを楽しんでるみたいだけどな」
ルウィスの言葉には、なんとなく、子どもらしくないくたびれた雰囲気も漂っていた。
ルウィスを勝って当然と言うのは酷だろう。いくらしっかりしてると言っても、まだ8歳の子どもなのだ。
そう思う反面、レグリスの存在がゲインズバーグの領民にとってあまりに巨大すぎるのではないかともアルテミシアは思う。この世界、この街に来てまだ短いが、それでも領民たちがレグリスに寄せる呪いのような信頼は感じられている。
ルウィスはレグリスの子であるというただそれだけで、全能の神人であるかのように期待値を吊り上げられてしまう。それはきっと、タイルズ競技に限った話ではない。ルウィスがルウィスとして生きている限り……
「ぼくは勝たないといけないんだ」
「ルウィス様は、勝ちたいんですか?」
「……分からない」
その口調は思いがけないほど弱々しかった。
「ぼくは勝って当たり前、なのか?」
「まさか」
縋るようなルウィスの問いに、アルテミシアはきっぱりと否定を返した。
――みんな、すごく本気だ。
しみじみと感心するような心地で、アルテミシアはルウィスの吐露を受け止めていた。
そして、なんだか自分がズルいように感じ始めていた。
皆それぞれに一身を賭すほどの何かを背負っている。
ルウィスやラルフはもちろん。タイルズ自体はどうでもよさそうなあの不良たちだって、退けない何かのために不退転で対局に臨んだのだ。
だが、アルテミシアはどうだ。この戦いはアルテミシアにとってちょっとしたゲームだったし、賞金目当ての小遣い稼ぎだった。
――今のわたしは子どもなのに……いつまでも悪い大人の視点引きずってちゃダメだ。
ちゃんと子どもとして、目の前にあるものが世界の全てだと思って、全力でぶつからなきゃ!
でなければ、自分に関わった人々が報われないという気がした。
――ルウィス様。あなたが居る場所に、あなたはひとりぼっちじゃない。
大人からすれば、それは取るに足らない、子どもの可愛らしい悩みだろう。
だがそれは本人にとっては人生の一大事なのだ。大人と子どもには見える世界のスケールが違う。
ルウィスは年齢不相応に聡明な子だ。だが、それでも彼はまだ子どもであり、彼の世界はまだ狭い。
「わたしやルウィス様より強い人はいくらでも居ます。もっと才能がある人も、もっと努力の機会に恵まれた人も、絶対に居ます。そして、世界最強の人だって負ける時には負けるんです。
勝って当たり前なんてことはありません」
矢継ぎ早に言って、それからアルテミシアは付け加えた。
「それにルウィス様は、今日、わたしに負けます」
自分は大したことのない人物だとアルテミシアは思っている。
しかし、事がタイルズ競技であるのなら、きっとルウィスと同じ場所に立てるという気がした。
教えてあげなければならない。そこは決して、誰に甘えることも許されない孤高の高みではないのだと。
それを証明するために、全身全霊の対局をするとアルテミシアは決めた。
勝っても辛いなら、一度綺麗さっぱり負けさせてやればいい。異分子である自分が。
呆然としていたルウィスはやがて、吠える。
「……抜かせ! 今ぼくは久しぶりに、勝ちたくてしょうがなくなったぞ!」
ルウィスは喜び勇むように、獰猛な笑みを浮かべる。
金色の目が燃えるように輝いていた。
『決勝、アルテミシア対ルウィス! フィールドはミストアイランド会戦!!』