4-5 先達はあらまほしき
「ようよう、もう来てたかマツやん」
「お前こそお達者だな。こないだの騒ぎでポックリ逝っちまったかと思ったぞ」
「誰がよ。こちとら生まれも育ちもゲインズバーグ、悪魔ごときで潰れる肝は持っちゃいねえさ」
観客席最後列の壁際には、決勝トーナメントの組み合わせ表が貼られている。
その前でふたりの老人が会話していた。ふたりとも剥げ掛けた白髪頭で杖を突いているが、その足取りはしっかりしたものだ。
「どうだったよ」
「2つは勝ったぞ」
「俺は3つだ!」
「よし負けた、一杯奢ろうじゃねえか」
ふたりとも成人の部の参加者だが、昨日の予選で敗退していた。
後は観客として決勝を見るだけなのだ。
「おめんとこの上の子はどうした。今年出てんだろ」
「ああ、そりゃ負けちまったよ」
「そりゃ残念だ」
ふたりは壁に貼られた組み合わせ表を見る。
成人の部の隣には、一回り小さい組み合わせ表が張り出されている。15歳以下の部の決勝トーナメントだ。
「今年もルウィス様は来てるのか?」
「来てんぞー。ほれ、ここだ」
「へえ。あんな事があった後に……いや、そんな時だからか?」
「まあ気晴らしも必要だろうなあ」
はあ、とふたりは大げさに溜息をつく。
『悪魔災害』の痛みは、この街に住む誰もが共有するところだ。物資や街の施設がほとんどそっくり無事だったから日常への復帰も早かったが、未だにその爪痕を感じることは多い。彼らも親類縁者のひとりやふたりは亡くしている。
だが、兄ふたりを喪ったルウィスはきっと誰よりも辛いだろうと、ふたりは思ったのだ。
「去年はルウィス様だったなあ」
「ああ、歳も7つばかしでよくやったもんだ」
「今年はどうかな」
「ラルフも頑張ってんぞ。こないだも王都の大会でそこそこ良いとこいったそうだしなあ」
「ああ。ラルフは今年15だっけ? 来年から成人の部来んのか」
タイルズの腕で有名な青年がひとり、ゲインズバーグシティに存在する。
ラルフ・アルギュリーン。幼い頃より神童の呼び声も高く、ともすれば国を代表するタイルズプレイヤーになるのではないかと言われてきた。
彼はおととしもその前も、この領大会で優勝していた。だが去年、初出場で、しかも自分の半分の歳であるルウィスに敗北して準優勝に終わったのだ。
「えーっと、ラルフとルウィス様は……山の反対側か」
「去年の優勝と準優勝だからシードだろう。まあ順当に行きゃ、今年も同じ組み合わせで決勝だろうな」
「どっちが勝つと思うよ」
「まあなあ……ルウィス様が勝ちそうだとぁ思うよ。去年も勝ってたんだからな。でも俺はラルフに勝ってもらいてぇなあ……」
「あれで折れて欲しくはないよなあ」
ふたりとも、我が子か孫を応援するような口調だった。
ルウィスの偉業に感心もするが、しかしラルフにも、街のタイルズ好き達が幼い頃から期待を掛け、勝った負けたで一喜一憂してきたのだ。
「ラルフの初戦は……あん?」
「どした?」
トーナメント表を見て、片方の老人が首をかしげる。
「アルテミシア……って誰だこりゃ」
「女っ子だわな。どっかで聞いたような名前なんだがなあ……新聞かどっかで……」
* * *
決勝トーナメントともなると、選手の数も卓の数も一気に少なくなる。テーブルの数が減って空いたスペースには大盤が置かれていた。
これはタイルズの盤を数倍に拡大したようなもので、駒を表すパネルが並んでいる。係の者が付いて、対局の状況を大盤に反映していくようだ。将棋の対局なんかでもよくあるものだ。これならば観客席からでも対局の状況がよく分かる。
予選の時はまだ親兄弟(ところにより子分)くらいしか居なかった観客席もかなり賑わっていた。15歳以下の部は、成人の部の前座みたいな扱いだが、それでも大盛況だ。
アルテミシアが来た時には、既に対戦相手は着席して何かの本を読んでいた。
スーツ的な服をぴしりと着込んだ彼は、いかにも生真面目そうな雰囲気を漂わせている。四角四面の委員長系男子といったところだ。
近付いていくと、足音でアルテミシアに気付いたらしい彼は……息をのんだ。
だがすぐ我に返り、無粋な振る舞いを詫びるように一礼した。気にしてないよと言う意味でアルテミシアも会釈を返す。
「アルテミシア、と言います。よろしくお願いします」
「ラルフ・アルギュリーンだ。よろしく」
盤ごしにふたりは握手を交わす。ラルフは豆腐でも触るような手つきだった。うっかり力を入れたらアルテミシアの手を握りつぶしてしまいそうに感じたのかも知れない。ちょっと腰が引けている辺り微笑ましい。
アルテミシアは、相手がマトモそうでホッとしていた。相変わらず観客席最前列にはレベッカが陣取っている。
昨日の予選の時の騒ぎについて、アルテミシア達は事態を知ったエルニムの父親から平謝りに謝られた。それに対してレベッカも『お騒がせしたことを謝る』という実質謝っていない謝り方をしていたが、一欠片も反省していないことはアルテミシアが一番よく分かっている。レベッカはアルテミシアを守るために必要なら世界征服すら辞さないはずだ。
今日のレベッカは丸腰だ。大斧も剣も持っていない(持ち込む気だったようだが大会運営に止められた)。だが……まだ彼女には義眼のビームがある。もし対戦相手とトラブルになれば今度こそビームが炸裂してしまうだろう。
「おいラルフ坊! 頑張れよ!」
「今年は優勝しちまえ!」
観客席からは時々、対面のラルフに向かってヤジのような応援の言葉が飛ぶ。対局開始したらなるべく静かにしなければならないので、今のうちに言っておくつもりなのだろう。
ラルフは声が飛ぶたび、律儀に手を上げて応じていた。だがその表情は硬い。
――なんか有名人みたいだけど……
アルテミシアはラルフのことをよく知らないが、シードを取っているのだから並の相手ではないというのは分かる。
怖くはない。嫌でもない。むしろ、自分の才能がどこまで通用するのか楽しみだった。
『それでは、これより15歳以下の部決勝トーナメント、Aブロック一回戦を開始致します!』
* * *
戦いのフィールドは将棋盤のような、遮るものの無い平野。
アルテミシアとラルフの軍勢はそれぞれに陣形を組み、距離を取って罠を伏せながら動きつつ、じりじりと間合いを計る。
膠着状態を破り、最初に仕掛けたのはラルフだった。
獲物を探すスライムか何かのように一体となって動いていた部隊から、ぬるりと腕が伸びるように数体の駒が向かってくる。
――強い。
その1手番でアルテミシアはラルフの手強さを悟った。
攻め手の陣容、狙われた場所……
どう上手く切り返しても五分五分の削り合いにしかならない。もしアルテミシアがひとつでもミスをすれば途端に食い破られて不利になる。
――五分五分でも、お見合いしてるよりはいいけどね。膠着状態のままじゃ隙もできないし。ひとまずこれを捌くとして……
ラルフの攻撃と擦れ違うようにして、アルテミシアは騎士と聖騎士を出した。この手にはラルフが少し驚いたような顔をした。仕掛けられたらどうしても守りを固めがちだからだ。
だがアルテミシアは防衛に十分な戦力を残した上で、機動力のある駒を別働隊とした。攻撃に出た分、ラルフの本隊も防御が薄くなっている。隙あらば大駒を食う牽制の構えだ。
ラルフは少し考えた末、陣構えに隙が出来ないよう気を付けつつ、予定通り攻撃を敢行した。
アルテミシアはそれを捌きつつ、手が空いた隙に敵陣へ騎士を突っ込ませる。肉盾の兵士と引き替えに1体目の騎士は討ち取られるが、その穴から槍を突っ込んだ2体目の騎士が暗殺者を倒す。
最初の戦闘を終え、ラルフは一旦退いて陣を立て直そうとする。ラルフは最初に聖騎士で切り込んでアルテミシアの反撃で死なせたのだ。死んだ駒は死んだ順番に、4手番(必要な時間はルールによって違う)おきで復活する。聖騎士込みで次の攻撃を掛ける気だ。
ここで立て直しを許せば天秤はラルフの側に傾く。アルテミシアは自軍の立て直しもほどほどに追いすがった。移動の隙に無理やり兵士をねじ込んで罠を置く。実は『道化師』だが、ここで踏みつぶして通るのはリスクが高い。ラルフの軍勢の足並みが乱れた。
アルテミシアは追従が遅れた駒に狙いを定める。だが、ふと、ラルフが退却を一歩遅らせた。
――これは……繋がった。
ラルフの君主から、駒が一列に繋がるようになっていた。
復活した駒を置ける場所は君主の隣か、君主に隣接している駒の隣か、そのまた隣接している駒の隣か……という風になっている。軍勢が団子状になって、ど真ん中に君主が居てもその外側に復活駒を打ち込めるのだ。
もし駒と駒が途切れなく繋がっていれば、いきなり敵の近くに駒を打ち込むこともできる。
――聖騎士を打たれたら一番困る場所は……ああ、ここだ。
王手飛車取り。もとい、詰み回避したらこっちの聖騎士を無償で取られちゃう。さっきの攻撃で別働隊に出して浮いちゃってたからなあ。危ない危ない。
さすがにこれはちょっとひやりとした。
アルテミシアは剣聖に斬り込ませて崩しを早めた。一見すると反撃で剣聖を失う、損をするような手だ。係員が大盤を動かすと、観客席からも訝しむようなどよめきが上がる……同時にいくつも試合が進行しているが、やはりシード選手の試合が一番注目されているようだ。
しかしこの一手に、ラルフは一瞬悔しげな表情を浮かべた。アルテミシアが的確に狙いを読んで作戦を潰してきたからだ。
そこからラルフはゲーム盤の端に陣取って粘りの戦いに移った。
守りを固めるラルフに対し、アルテミシアは複数の駒で一点を狙うことで突破を計る。
切り結んでは小休止、切り結んでは小休止という一進一退の攻防が続いた。
場に出ている駒の評価点ではラルフが若干不利だ。時間切れによる判定がある以上、現状維持ではラルフは勝てない。その顔には徐々に焦りが浮かぶ。
機動力に優れた騎士や聖騎士で背後を狙う姿勢を見せたり、暗殺者をうろつかせたり、アルテミシアの陣営内に罠をねじ込んだり、ラルフは手を尽くして抵抗した。だが、そのいずれの作戦も最初の一手でアルテミシアは狙いを読んだ。
そのたびに陣形を微妙に変えて逆転の目を潰し、同時に相手が見せた隙につけ込んで出血を強いる。
ラルフの長考が多くなった。
観客席からは時々『頑張れー!』という声も飛ぶが、それでもラルフの表情は晴れない。
「…………負けました」
判定勝負となる手番が見え始めた辺りで、ついにラルフは投了を宣言した。
その声は、拡声もされていないのに不思議と染みいるように響き、続いて観客席がどよめく。大盤係が『投了』の札(だと思われる。アルテミシアには読めないが)を出すに至って、会場全体が大騒ぎになった。
「負けた!?」
「今年もダメか!」
「うわあー……」
「おい、相手どこの誰だ」
「見たことないぞ」
「あんな子が……」
――人気者っぽい人だとは思ったけど……大騒ぎだなあ。これもしかしてわたし、悪者?
まあこの程度で敵視はされないと思いたいアルテミシア。悪質なフーリガンが居るサッカーチームに勝ったわけじゃあるまいし。
「お疲れ様でした」
ぺこりと小さく礼をして席を立つアルテミシア。
だが、そのアルテミシアにラルフが追いすがった。
「な、なあ! 待ってくれ! どこでこんな戦い方を勉強したんだ!?」
泣き出しそうな必死の形相で、ラルフは這いつくばる。
「俺は今、神を見た! どんなに戦術を積み重ねても届く気がしなかった!
俺はどうすればその世界に行ける!? 頼む、なんでもする、俺にお前の知る全てを教えてくれ!!」
そしてゴツンと床に頭をぶつける。周囲の選手も観客席も、すわ何事かと息をのむ事態だ。
当事者のアルテミシアもどうすればいいか分からない。
「お、教えるって……言われましても。
だってわたし、タイルズはお姉ちゃんにルール教わって……始めたばっかりで……」
「え……? は、え……?」
ラルフの顔に浮かんだのは戸惑い。
そして、絶望に近い虚無感だった。
――う。もしやこれ言っちゃいけなかった……?
正直に事実を言っただけだが、自分が異常だということくらいアルテミシアは分かっている。
おそらく彼は、レベッカ曰く『血反吐を吐くような』努力の果てにこの場に居るのだろう。
そんなラルフに、タイルズを始めたばかりのアルテミシアが勝ってしまった。
『俺の努力は何だったのだ』と絶望するのも道理だ。
「あ、その、ごめんなさい! 本当に教え方とか分かんなくて……
し、失礼します!」
気まずさで、半分逃げるようにアルテミシアはその場を後にした。