4-4 なめられたら無効
もし世の中に運命の神とかいうのが居るとしたら全力で呪ってやりたいとアルテミシアは思った。
それはゲーム盤を挟んで反対側に座る相手も同じかも知れない。
「なんで……お前が……」
歯ぎしりするような顔で睨み付けてくるのは、先ほど別れた貴族のドラ息子。逆立てた頭にカブキジャケットの不良。エルニム・(自称フォン・)マリシュカだ。
――なんで、はこっちのセリフなんですけど?
アルテミシアは溜息をつきたいのをこらえていた。
予選第二試合。壁に貼られた組み合わせ表が間違っていなければ、アルテミシアが座るのはここで間違いない。
地球もこの世界も問わず多くの人に知られているように、運命というのはどうしようもなく底意地の悪いものだった。
「チッ」
とげとげしい舌打ちをして椅子にふんぞり返るエルニム。
周囲には選手も係員も居る。この状況で荒っぽいことはできないだろう。
まあ、何かあったとしてもすぐ上の観客席にはレベッカが居る訳だが。
ふと、エルニムの視線がアルテミシアから外れて観客席をさまよった。
やや後方、つまりアルテミシアから見ると前方に当たる場所を見ると、エルニムは盤上の駒を荒っぽく紅蒼に分け始めた。
アルテミシアはエルニムに気取られないよう、目だけでそちらを見た。
まだ予選なのでガラガラの観客席、その最前列に、ジムを含む数人の少年が陣取っている。全員がローティーンくらいだ。
――あれは、エルニムの連れ?
そうに違いないと思ったのは、最年少らしいジムを除けば、みんなが変なアクセサリーだの奇抜な服だのを着ているからだ。
観客席には椅子が並んでいるが、彼らは前列の椅子に足を乗せたり、いくつかの席を占有して寝転んだまま酒らしきボトルを飲んでいたり(レンダールにおいて16歳以下の飲酒は禁じられている)と、実にマナーが悪い。
まだ観客席が空いているからあまり問題無さそうだが、それでも彼らの近くに座る客は居なかった。
――ジムみたいに、出たけど負けた人らなのかな。うーん……あのクソガキ君、悪い友達と付き合ってるなあ。
第一試合の時には同じタイルズクラブの子ども達がジムと一緒に居たが、あのグループには居ない。
ジムは不良グループの親分に目を掛けられて子分にされている、という訳だろうか。子分の色恋沙汰まで後押ししてくれるような親分なのだから、エルニムも身内にとっては『良い奴』なのかも知れないな、とアルテミシアは思った。そのせいで迷惑を掛けられる側はひとたまりも無いが。
『それでは、予選第二試合を開始します! 衝立を置いてください!』
アナウンスがあり、アルテミシアは盤上に意識を戻した。まだ出場者が多いので、時間カウントの砂時計操作も、最初に布陣する時の衝立を立てるのも選手自身。係員はその中を歩いて監督するだけだ。
ゲーム盤の上に自立する衝立を置き、アルテミシアは駒を並べる。
フィールドは3本の大きな道で自陣と敵陣を繋いだような構図だ。
――左から攻めるか。
左の道を前方として、全軍で攻め上がる陣形をアルテミシアは組んだ。
貧乏揺すり(うるさい)をしながら考え込んでいる様子だったエルニムも、アルテミシアに遅れて駒を並べ出す。
『よろしいですね? では、試合開始です!』
拡声魔動機械による放送を合図に、アルテミシアは衝立をどかす。
そして……目を見張った。
エルニムの布陣は、アルテミシアが攻め込もうとしていた向かって左の道を兵士や重装騎士で塞ぎ、残りの道に騎士や聖騎士、狂戦士などの攻撃的な駒を集めたものだった。
このまま防御を固め後背を突ける有利な状況だが、陣形単体で見れば戦略もへったくれもない単なるバクチだ。もしアルテミシアが左から攻めようとしていなければ全てが瓦解して蹂躙されるだけ。
――まさか!?
観客席の方を振り仰ぐアルテミシア。
ひとり足りない。
エルニムの背後に居たはずの不良グループが、ひとり足りない。
アルテミシアの背後に当たる方向からグループの方へ戻っていくところだった。その手にはオペラグラス。
状況証拠は充分。オークでも何が起こったか察するだろう。彼が背後からアルテミシアの陣形を盗み見て、何かの合図でエルニムに伝えたのだ。
エルニムの口元がサディスティックに歪む。さあどうだと言わんばかりに。
――……こいつの方がずるっ子野郎じゃん。
抗議したらしたで『証拠が無い』としらばっくれる気だろう。実際、立証するのは難しい。
「あれは……!」
観客席のレベッカが色めき立つ。望遠鏡もオペラグラスも持っていないが、義眼の望遠機能で盤を見ているらしい。多少なりタイルズが分かるなら、エルニムの陣形の不自然さは誰にでも分かる。
腰を浮かせたレベッカの方を見て、アルテミシアはウインクする。大丈夫だというように。
レベッカは気持ちが収まらない様子ながら座り直した。
――どこまでもコケにしてくれるね。……この喧嘩、買った。
* * *
エルニムの速攻に対してアルテミシアは陣を組み直し、敵が攻め上る道に罠を伏せて迎え撃った。
向かって左側の敵前衛は兵士。移動したターンには攻撃できないという縛りがある。そのため用途はもっぱら肉盾だ。攻撃の要員としては弱い。残り2本の道に注力すればいい。
数度の手番を経て、最初の一当ての結果は……ほぼ五分。
アルテミシアにとっては圧倒的不利から立て直した上での五分だ。
お互いの駒を磨り潰し合い、攻め手が止まったところで、エルニムの顔から余裕が消えた。
――へえ。
長考するエルニム。
腕を組み、貧乏揺すり(うるさい)をしながら先々まで流れを読もうとしている様子だ。
――負けたくはないんだ。
アルテミシアはちょっと意外に思った。
こんな風に競技を冒涜するような真似をしているのに、劣勢になっても簡単には投げ出さない。
あるいは、勝つという結果がまず大事なのか。
――子分の前で、歳下の可愛い女の子に負けちゃカッコつかないよねー。マッチョイズム全開のコミュニティの中じゃ。
ズルをするのは良くて負けるのはダメ、というのがアルテミシアとしてはよく分からないが、彼の中では整合性があるのだろう。
駒が減ったことで先が読みやすくなった。アルテミシアが考える時間は、エルニムが手番に使う時間だけで充分だ。エルニムが手を指し終わって砂時計を止めるなりアルテミシアは駒を動かす。
砂時計の上側の砂の量は、どんどん差が付いていった。
最初の攻勢を防ぎきり、返す刀で攻め上ったアルテミシアの軍勢が、エルニムの本陣に到達する。
「くそっ!」
アルテミシアの前衛には兵士しか出ていないのに、次の手番で剣聖か重装騎士をやられるという状況。エルニムはアクセサリーだらけの手を握りしめた。もう彼はアルテミシアの方を見ていない。盤上だけを睨み付けていた。
――そんな必死になれるなら、もっと早く必死になりなよ。……って言いたいけど、人なんてそんなもんだしね。
エルニムの実力は、さすがにジムよりは上だが大したことなかった。散々考えた上でも読み違った手を指してくる。
負けたくないなら、もっと練習と研究をしておけばもっとマシな戦い方ができたはずだ。
『努力したくないが負けるのは嫌だ』なんてのは虫のいい話。今ここで必死になっても遅い。
エルニムが重装騎士を動かし、反撃する。重装騎士はアルテミシアの陣形の穴となる部分へと突っ込んだ。前の手番に、アルテミシアがそこに置いたカードを踏んで。
エルニムが駒の下からカードを引き抜き、おそるおそる裏返す。
「……だああ、なんだよ畜生!」
噴き出す炎を描いた『地這い竜』の罠カードだ。
『地這い竜』とは、実在の魔動地雷兵器だ。踏めば爆発するというのも同じ。
その地雷の名を冠したカードは、踏んだ駒が問答無用で消し飛ぶ。最強の伏せ札だ。それだけに、場に1枚しか出せないという制限が掛かっている。
これが移動を止めるだけの『トラバサミ』や、効果を持たない『道化師』だったら、エルニムの重装騎士は隣の騎士を殴り倒して一矢報いていたところだ。
逆立つ頭をかきむしり、復活してきた聖騎士を陣後方に打ち込んでエルニムの手番は終わった。
――あーあ、聖騎士大事にしちゃって。そこで切っとけばダメージ最小限だったのに。
『へぼ将棋 王より飛車を 可愛がり』って川柳があったらしいけどホントだね。
移動力が高い聖騎士と言えど、この乱戦では用途が限られる。
駒の打ち込みが無かったことで、アルテミシアはさらに敵陣に食い込んでいく。
と同時に、ひとりだけ別行動させていた兵士で『地這い竜』を伏せなおして逃げ道を塞いだ。
罠を伏せられるのは、自軍の駒に隣接したタイルだけだ。こうして工作部隊を出しておくのも場合によっては有用だった。
いよいよもってエルニムは追い詰められ、顔がタイルズの駒みたいに蒼くなったり紅くなったりする。ガリガリと奥歯をかみしめるような歯ぎしりをしていた。
観客席から観戦している子分たちも、何か雲行きが怪しいことを察したようでこちらに見入っている。
アルテミシアは、必死で挽回の手を考えているらしいエルニムを見て、毒気を抜かれたような心地ではあった。
――そのバカみたいに必死で真剣な顔見られただけで、わたしとしちゃ満足なんだけど……
こういうのは気合い入ったグレ方する前に痛い目見て、ツッパるだけじゃどうもなんないって事知った方がいいタイプでしょ。
今、アルテミシアが彼のためにできる精一杯のこと。それは、せいぜい痛い目に遭わせてやることだけだろう。
愛の鞭なんて言う気は無い。半分は仕返しだ。
――大事にしてもよかったところ、これで許してあげるんだから。この決着、わたしの慈悲だと思ってよね。
「……制圧」
「あ……?」
突然の詰み宣言に、エルニムは目も口も見開いていた。
賢者の攻撃でエルニムの陣に穴が空いた。
ぱっと見、まだお互いにそれなりの駒を残して、エルニムはまだ戦えそうに見える。だが決着は付いている。
アルテミシアはこの手番、まだ駒を動かせる。そして敵の駒をすり抜けて移動できる暗殺者が君主の駒を攻撃できる位置に居た。
タイルズの競技において(特に上流階級の教養としての競技において)詰みの発生は大変な不名誉とされた。決定的な劣勢に陥るか、数手先での敗北が確定した時点で、それを悟り投了するのも戦略眼の一部とされているためだ。
何にせよ、『舐められたら負け』の世界で生きている奴にはあってはならない事。
これで大人や同年代に負けるなら『俺はタイルズの勝ち負けなんかどうでもいいし』と負け惜しみのひとつも言ってダメージコントロールできるだろう。
だがそれにも限度がある。年下の女の子にこっぴどくやり込められるのはマッチョ思想の思春期ボーイにとって切腹級の屈辱だ。
「あなたの詰みは8手番前に確定していました」
まだ何が起こったか理解できない顔のエルニムに、だめ押しの一撃をアルテミシアは放った。
敢えてアルテミシアは、詰みが読みにくい手を指した。実際の所、詰みは8手前に確定していて、五分の勝負だと思い込んだ相手が駒を動かす様(最善手を指しても詰みは確定だったがさらに拙い手を指していた)を眺めていたのだ。
手の平の上で踊らされていたのだと気付いたエルニムは瞬間沸騰した。
「てめぇ! 舐めた真似を――」
「つっ……!」
ゲーム盤越しにエルニムはアルテミシアの胸ぐらを掴み上げる。
そして、会場が揺れた。
辺りは静まりかえり、その場に居る全員の注目がアルテミシアの方に集まる。
観客席最前列から飛び降りたレベッカが空中で大斧を抜き討ったのだ。
レベッカの振るった大斧は、いけすかないカブキジャケットの袖口を切り裂き、テーブルとゲーム盤を真っ二つにして床にめり込んでいた。
「お姉ちゃん……」
「殺してないわよ?」
しれっとした顔でレベッカが言う。
問答無用でビームをぶち込まなかっただけレベッカにしては冷静だったと、アルテミシアは思わざるを得なかった。
あと数センチずれていたら死んでいたほどの至近距離で一流冒険者の攻撃を見たエルニムは、泡を吹き白目を剥いて膝から崩れ落ちた。彼は失禁していた。