4-2 がぎめ・がぎめら・がぎめらおん
広々とした闘技場のアリーナは、観客席最前列から3mほど沈んだ空間だ。
その地面は見た目には土を積んだようにしか見えないのに、石床の堅さがあった。確か、地面を変化させる元素魔法というのがあって、その力を込めたマジックアイテムを設備として備えれば、好きなように地形を変化させられるらしい。
闘技場では、出し物によって様々な舞台を要する。砂漠のように足を取られる砂の海だったり、時には小島の浮かんだプールだったり。そんな舞台装置の入れ替え・切り替えを魔法によって実現しているようだ。
今日、地面が固いのは、この地面を『床』として使うため。
アリーナには所狭しと机や椅子が置かれていた。どの机にもタイルズの盤や駒が置いてある。決勝トーナメントの前に、ここで予選の試合を一気に済ませるのだ。
高そうな椅子や高そうなクッションを搬入している人の姿もあった。たぶん、大量生産の机や椅子なんか使いたくないという偉い人が居て、使用人が自前の席をこしらえさせられているのだろう。
――さて、わたしの最初の席は……
渡されたプリントは地球基準で言えば、これでもかと質の悪い紙に壊れかけのプリンタで印刷したような代物だった。
字はほとんど読めないアルテミシアだが、自分の名前と数字くらいはさすがに分かる。
コミケのサークル配置図みたいな地図を見ながら席を探すと、アルテミシアが座るべき席の対面には、椅子を囲むように数人の少年少女が立ち話をしていた。あの中の誰かが対戦相手なのだろう。
子ども達は、だいたい9歳から11歳。そろそろ男女で別れて遊ぶ方がメジャーなお年頃だろうに、男子3人女子2人という取り合わせ。
服装は必要以上に小綺麗でも汚くもなく、これと言って階級を示すような特徴も無く、つまりは普通の町人の子という雰囲気だ。
ひとまず彼らを気にせず、アルテミシアは席に着く。すると、それに気付いた5人がアルテミシアの方を向き、揃って驚きに目を見張った。特に男子ズはあんぐりと口を開け、何の遠慮も無く呆然と見とれていた。
そのまま試合開始までいつまでもそうしている気かと思ったが、試しにちょっと小首をかしげてみると彼らはようやく解凍される。
「お、お、お前っ! 何者だっ!」
「へ?」
無礼にも指を突きつけ、男子のひとりが吠える。
「何者か……それはわたしの名前が知りたいんです?
それともわたしの出身? わたしの生業? わたしの趣味嗜好? 身長体重スリーサイズ?」
「な、なんだ? 変なやつ……」
「そー言われても、なんで誰何されなきゃなんないのか分からないので」
ふわふわの頭を掻くアルテミシア。お子様に職務質問される謂われは無い。
少年は答えが予想外だったらしく、ちょっとうろたえはしたけれど、踏みとどまった。両手をぎゅっと握りしめ、緊張の面持ちでアルテミシアを睨んでいる。
「お前、見かけない顔だな。あやしいんじゃないかっ?」
「あー、そーゆー意味かぁ」
ここは余所者ってだけで目立つようなド田舎じゃなく、曲がりなりにも領都なのだから、見かけない顔なんていくらでも居るはず。彼らもそんな事、いちいち気にしないだろう。
しかし、見かけない同年代の子どもとなれば話は別だ。
好奇心と、多少の縄張り意識から、声を掛けても不思議では無いのかも知れない。
転校生が注目されて質問攻めにされる現象と根っこは同じという気がする。たぶん。周囲の子たちも好奇心に目を輝かせていた。
いきなり噛みついてきたのは、だいたい10歳くらいの男の子だ。洗い晒しですり切れてはいるが清潔な半袖短パン姿という、もしかしたら真冬でもこの格好なんじゃないか系元気な小学生スタイル。親が切ったであろう短い髪、負けん気とか強そうな太めの眉毛。わんぱく坊主という印象が充ち満ちている。
椅子を引いて対面にどっかり座り込んだので、こいつが対戦相手という事かも知れない。
無碍にあしらってもいいのだけれど、これからこの街で客商売をしようと考えているのだから、変なところから変な評判が立つのも避けたい。
まぁ、ちょっと会話をして子ども達の好奇心を満たしてやるくらいはいいだろうと、アルテミシアは考えたのだった。
「わたしは薬師のアルテミシア。最近、ゲインズバーグシティへ来て、これからこの街で仕事をしたいと思ってるます」
「くすりし?」
「働いてるの?」
「どこから来たの?」
「お、おい、オレが話してるんだぞっ」
現金なもので、アルテミシアが一言答えると、後ろで見ていた子ども達も、鹿せんべい持ちの観光客を発見した鹿のように寄ってくる。
それを、最初に声を掛けた男の子が止めようとするが、まぁ子どもの好奇心がそう簡単に収まるわけもなく、アルテミシアはあっという間に囲まれた。
そして、根掘り葉掘り話を聞かれる。
ピーチクさえずる子ども達が押し売り気味に情報を語った所によると、彼らは同じ学校に通う子ども達で、『靴屋通りタイルズクラブ』という教室の同輩であるらしい。
ちなみに、アルテミシアの初戦の相手となる小生意気なガキ殿の名前はジムと言うようだ。
この国では2年間の初等教育を誰でも受けられるようになっているそうで、彼らはまさしくその期間の子ども達。
同年代で働いている子と言えば、家が貧しくて学校に通えない子というのがパターンらしい。そういう場合、商家や職人の所で辛い辛い丁稚奉公というのが相場なわけで、浮き世離れした雰囲気(自覚している)と、薬師という珍しい肩書きに、彼らは興味津々だった。
「へー! ポーションが作れるんだ」
「まほうの薬だよね。すっごーい!」
「ふんっ。だったらここで作ってみろよ」
素直に感心する女子ズに対して、最初に突っかかってきたジム少年は拗ねたような表情だった。他の男子2名は、一応話に加わっているものの、若干腰が引けている。
「器具と材料が無いと作れないから、今は無理」
「作れるって言うのがウソなんじゃないのかー?」
「はいはい、好きに考えて」
人生経験は32年分。小生意気ながきんちょの煽りごときで腹を立てるアルテミシアではない。
軽くあしらうと、あからさまに気分を害した様子だった。
「お前がオレの相手なんだな」
「ええ、プリントミスが無ければ」
「もしオレが勝ったら……何かひとつ、オレの言うこと聞け」
唐突だった。
「え!? 何それ!」
「なんでそんなこと言うの!?」
「うるさいっ、オレとこいつの話なんだからな!」
あっけにとられているアルテミシアの代わりに、女子ABが抗議してくれたけれど、ジムは断固たる決意で絡もうとしてくる。
「何かかけなきゃ、おもしろくないだろ?」
「何も賭けなくてもわたしは楽しいですよ? 最後まで勝てば優勝賞金3万グランですから」
アルテミシアのこの言葉には、ジムのみならず周囲の子ども達まで唖然となった。
優勝すれば賞金が出るのは単純な事実だし、そう思えば楽しいというのも事実だが。
「ゆ、ゆうしょうだぁ? できるわけないだろ!」
「できるかどうか分かりません。まだ、途中で戦う相手がどれくらい強いか分かりませんから」
自分で言っていて自信過剰な気もしてきたアルテミシア。
本音を言うと、ちょっとズルいのではないかなという気はしている。これは15歳以下の部なのに、アルテミシアは32年の人生経験を背負って戦える。まあタイルズ歴は1週間にも満たないので、特に変わらないかも知れないが。
「ま、いいですよ別に。賭けるくらい」
「言ったな。……アトデホエヅラカクナヨ!」
どこで覚えた台詞なんだか、とアルテミシアは肩をすくめた。
* * *
その試合は、予選第一試合で最も早く終わった。
「制圧」
あまりに早すぎた決着に、周囲の選手が驚いた様子でアルテミシア達の盤を覗き込んだ。
ジムの攻め手はあまりに単純。ただ全軍で向かってきてこちらを大駒から順に削ろうとするだけだ。アルテミシアは1手番あたり3秒も考える必要は無かった。
ぱっと見では、お互いまだ十分な数の駒が残っているようにも見える。
だがジムの軍勢の土手っ腹を噛み裂いたアルテミシアは、完全に君主の動きを封じていた。
次の手番で最大限の反撃を行っても、あるいは君主を逃がそうとしても、いずれかの駒が君主を討ってしまう。
アルテミシアの聖騎士や賢者など、突っ込んでくる大駒を討ち取れて気をよくしていた様子のジムだが、その表情が絶望に変わるまでに長くは掛からなかった。大駒を突っ込ませて犠牲にしたのは、単にもう必要ないからだ。勝負に勝つのが最終目的なのだから、そのための道をこじ開けるのに大駒を消費しても問題は無い。
詰みが宣告されても、ジムは顔を赤くしたり青くしたり、盤をいろんな方向から覗き込んだりして必死に考えている様子だった。だが、徐々に、諦めの色が濃くなっていく。
「お疲れ様でした」
小さく礼をしてアルテミシアが席を立っても、ジムは何も言わなかった。
※がぎめ:茨城弁で「がき」「子ども」
がぎめら:「がぎめ」の複数形
※薬師は「くすりし」ではなく「くすし」が正確だというツッコミをいただきましたが、語感の良さと、あとファンタジー風異世界としてはFF準拠で「くすりし」かなー、という理由で「くすりし」読みにしてます。




