4-1 ライオンのマーチ
「ぱんぱかぱーん!」
夕飯の買い物に出ていたはずのアリアンナが、奇妙なSEと共に帰ってきた。
食材を片腕に抱いたアリアンナがもう片方の手で突き出してきたのは……ゲーム盤だ。
「それ何?」
「あら、『盤上君主』じゃない」
「そうそう。略してタイルズ。ノミの市で中古の駒と盤を安く売ってたから買って来ちゃった」
アリアンナは2つ折りになっていたゲーム盤をテーブルの上で開く。すると、中から紅と蒼の木彫りの駒がいくつも転がり出した。
駒はデフォルメされたような人型で、剣を持っていたり斧を持っていたり馬に乗っていたりした。使い古しなのか、所々塗装が剥げていたりする辺り、かえって味わい深い。
「アリア、タイルズできるの?」
「んー、実は村長さんにルール教えて貰ったことがあるだけ」
「アルテミシアは?」
「名前すら初めて聞いた……」
「じゃあ丁度良いわ。私がまとめて教えてあげる」
アリアが夕食を作る間にレベッカがアルテミシアにルールを教え、食後に戦術などを教えつつ1戦してみる……という流れになった。
駒を見てアルテミシアが見当を付けた通り、タイルズというのはチェスに似たゲームだった。
違うのは、チェスより広大で隘路なども存在する戦場を舞台とすること。状況に応じて複数の駒を一度に動かせること。罠となるカードを戦場に伏せられること。やられた駒は時間経過で死んだ順番に復活すること。詰みが発生しにくい代わりに一定ターンで勝負が付かなければ手駒を点数化して勝敗判定すること……等々。
アリアンナが買ってきたゲーム盤には山あり谷あり川ありの地形が地図のように書かれていて、その上に格子模様が引かれていた。よく見ると点対称の地形になっていて、盤のどちら側を選んでも差違無く戦えるようになっている。
高山や川など、駒が立てない場所は薄暗く塗りつぶされている。地形効果みたいなものは存在しないのでフレーバーでしかないが、狭い道などは谷間や橋として描かれていた。
「さ、それじゃあやってみましょ」
ルール説明・夕食・戦術講習を終えて、いよいよアルテミシアの初陣だ。コイントスで先攻はアルテミシアに決まった。
向かい合うはアリアンナ。アリアンナの側に紅の駒を、アルテミシアの側に蒼の駒を寄せると、レベッカは盤の真ん中にハンカチを垂らして幕を作った。
開始前に、自陣に自由に駒を並べられるのだ。相手の陣形を見ながら並べることができないようレベッカが目隠しをしている。
ハンカチの目隠しが取り除かれ、お互いの陣構えが明らかになった……その時だ。
アルテミシアの脳内には膨大な樹形図チャートが浮かんだ。
自分がどう動けば、アリアンナはどう動くか。そしてその切り返しはどうすれば良いか。どこまで行けば詰みがあるか……
まるでスーパーコンピューターが全ての展開を予測したかのように分かる。
全てを一気に思考の中に入れることは難しい。チャートはあまりにも膨大だ。
だが、直近の流れから辿っていけば、起こりうる全ての展開を読める。
相手の動きへの対策が見える。勝ち筋と負け筋が見える。
頭の中で稲妻が弾けて回っているような気分だった。閃きが次から次へと連鎖し、未来を予想していく。
――これは、いったい……?
アルテミシアはもう、未知のゲームを遊ぶと言うよりも、自分自身を確かめるような心地で兵士の駒を手にとって、進軍させた。
赤ん坊が立ち上がろうとするかのように。
* * *
兵士の駒と引き替えにアリアンナの狂戦士を討ち取り、隘路に釣り出した敵軍を機動力に優れた騎士で回り込み挟撃する。
アルテミシアの『読み』はことごとく当たり、その場その場での最善手を打てた。瞬く間にアリアンナは劣勢となった。
「……ここまでね。もうひっくり返せないわ。逆転が無理だと分かったら負けを認めて投了するのもタイルズの作法よ」
レベッカが無情に負けを宣告する。
軍勢の8割方を温存したアルテミシアに対して、アリアンナは既に半分を切っていた。
「うわあああ、やったこと無いって言うから最初の1回くらい勝てると思ったのに!」
アリアンナが駄々をこねるように叫び、ソファの背もたれに身体を投げ出した。
「……アルテミシア、本当に未経験?」
「うん。名前すら知らなかったって言うのは本当」
似たようなゲームなら地球にもあったわけだが、それも『ルールを知っている』程度だ。
「代わりなさい、アリア。私もアルテミシアとやりたいわ」
「はーい」
アリアンナに代わってレベッカが対面に座った。
今度はアリアンナが目隠しを作り、レベッカとアルテミシアが駒を並べる。
ハンカチが取り去られ、お互いの布陣を見ると……やはりアルテミシアには戦いの流れが見えた。
お互いに駒を動かし、正面衝突へ向け攻め上っていく。全ての駒を集めて一点でぶつかり合い、磨り潰し合い、その中でより強力な駒をより多く残した者が攻めきって勝つだろうという、レベッカ曰く『王道の試合展開』。
前線に仕掛けた罠でお互いを嵌め合い、兵と兵が戦う。レベッカがしっかりと戦略を練り、駒を動かしていることがアルテミシアには分かった。流麗な文章で描かれた純文学作品のような采配だった。
そして、同時に、どうすればその戦略を破れるのかも手に取るように分かった。
20分後。
「……負けたわ」
勝ち筋が潰えた時点で、それを読んだレベッカは投了を宣言した。
後方に残した君主の駒はまだ健在だったが、中央部での合戦はほぼ決着が付いていた。アルテミシアの軍勢がレベッカ側の残兵を食い破り、突っ込んでくるのは時間の問題だ。
「うそ、レベッカさんでも勝てませんか?」
「勝てないわ。凡人が血反吐吐いて身につけていくような戦術と状況判断を、アルテミシアは最初から全部分かってる。
知ってたわけじゃないわね。何が最適か考えて指したら自然にこうなるのよ」
後ろから抱きしめて髪をモフり倒しながらだったので、褒めているようだ。
極論すれば、ゲームの戦略なんて言うのは先人が考え出した『上手いやり方』の寄せ集め。
それを自分の頭で考えて実行できるなら勉強する必要なんて無い。無いのだが、普通は不可能だ。ひとりの頭では考えつくはずもないからこそ、先人の知恵を学び、研究と経験を積み上げて高みへ至ろうとする。
もし『どうせ考えれば分かるから勉強する必要は無い』なんて言い出す奴が居たら、何も分かっていない自信過剰の馬鹿か、頭が異常な領域に達した天才だとアルテミシアも思う。
だが。アルテミシアは、今それをやってしまった。
――これ、わたし……もしかしてものすごく向いてるんじゃない?
思わずじっと手を見る(白くて小さくて柔らそうだ)。
『こうすれば勝てる』と分かったから、そうしただけ。勝って当然の打ち方をした。しかし、勝ててしまった事は驚きに値した。
「本当にすごいわ。タイルズの天才じゃない?」
「ふわー……」
ふたり揃って感心したようだった。
地球に生きていた前世では、特にチェスも将棋もやっていなかった。小さな頃、ルールが分かる程度に遊んだ記憶があるだけだ。
もしかしたら前世の自分はとんでもない損を、宝の持ち腐れをしていたのかも知れない。
――わたし、前世でも棋士とかになってたら人生バラ色だったのかも。
なんなら今からこの世界でなったってよさそうだけど……
「ね、アルテミシア。大会とか出てみない?」
新聞に飛びついたレベッカはそれを広げ、下部に出された広告を指差す。
「ほらこれ。15歳以下の部。優勝賞金3万グランだって」
「えっ、そんなに貰えるの!?」
驚いた声を上げたのはアルテミシアではなくアリアンナの方だ。
それは一般的な労働者の1ヶ月分の給与より多い。
「タイルズって、お偉いさんも嗜む遊びだからね。競技者団体はパトロンに困らないし、試合を見せるのが興業になるのよ。
子どもの部はあくまで一般の部のオマケだけど、次代の才能を育てると思えば安い出費じゃないかしら」
なるほど、と思いながらアルテミシアは、読めない広告に目を落とす。
――わたし、現状穀潰しだし……賞金貰えたらちょっと嬉しいな。
レベッカは『一生でも養う』と(どう見ても120%本気で)言ってくれたが、ふたりが冒険者として活動し始めてる中、自分だけ無収入というのもちょっと気が引ける、と思っていたところだ。
――出てみるか……
面白そうだと思ったのが半分、賞金欲しいと思ったのが半分。アルテミシアの決断は早かった。
* * *
かつてジャパニーズ・サムライ達は、戦略眼を養う遊戯であるとして将棋を好んだと言われている。
だとしたら、同じようなゲームが同じような理由で貴族たちに好かれ、教養のように思われていても不思議は無いわけだ。
そんな競技の大会が……賞金までたっぷり出るような大会が、こぢんまりとしたもので終わるわけがない。
あの場では広告を読めずに、アルテミシアは後から知ったのだが、大会の会場はゲインズバーグシティが誇るドーム球場……ならぬ、ドーム闘技場だった。そうとしか表現できない施設だ。手動開閉式とはいえ、フタのような屋根がローマ式闘技場の上に付いている。
意外にもこの世界において建設のコストは低い。あくまでも文明全体のレベルに対してと言う話だが。
理由は地属性元素魔法の存在だ。難しい工事や大規模の工事になると専門の魔術師が呼ばれ、魔法によって補助をするそうなのだ。
――だからって……
でかすぎる。そうアルテミシアは思った。
ひょっとしたら、転生前より身長が縮んだせいで余計に大きく見えているのかも知れない。巨人の国に迷い込んだかのように思うことはよくあった。
だがそれを抜きにしてもこの建物は大きい。
建物の前にはのぼりが立ち、(おそらく無認可の)物売りや露店が食べ物を売る準備をしている。
そして、その脇の駐車場には、どう見ても高そうな馬車、馬車、馬(だかなんだかよく分からない家畜)車。
一般客用の正面入り口はまだ閉じられていたが、出場選手向けに、従業員通用口のひとつと貴賓用の出入り口が開かれていた。そこに集っている人々を見るに、服装に掛けられた金は市民の平均値よりだいぶ高い。
――やばい。あんまり来ない方がいい場所だった気がする。
偉い人の集まる場所……考えるだけで胃が痛くなる。なんか変な作法とか要求されないだろうか。
いかにも庶民(それでも中産階級以上に見えるが)らしい男や、鎧を着た冒険者の姿まで見えたので、アルテミシアはちょっと安心した。
ちなみにアルテミシアは、レベッカが貸衣装屋から借りてきた濃紺色のブレザーみたいな服を着ていた。鏡を覗いたところ、ピアノの発表会感が否めなかった。
「思ったより人が来てるみたいね」
一般客入場口で会場前から並んでいる客や、選手入場口に溜まる人々を見てレベッカが言った。
『悪魔災害』で出場予定者にも死人が出ていたようだ。また、避難者も居るのだろうし、競技に集中できる精神状態でないとして出場を辞退した者も居るようだ。
それでも開催が強行されたのは、予定通りに物事を進める方が面倒が少ないという大人の事情。そして何より、悪魔に屈してタイルズの大会ひとつ開けないなど魔物への敗北だとするゲインズバーグ領の気質に由来するものでもあった。
「中に入るまでは一緒だけど、手続きをしたら私らは観客席に行ってるから」
「応援してるよ!」
「うん……頑張ってくる」
正直、既に『優勝賞金欲しい』よりも『変なハプニングが起こりませんように』という思いの方が強かった。
――……どうか何事も無く大会が終わりますように。
こうして願うこと自体がフラグになってしまうような気もしたが、それでもアルテミシアは願わずに居られなかった。