3-1 怪奇現象に対する物理属性の有効性に関する論考
廊下の奥にある窓から差し込む日差しが、辺りの薄暗さをかえって際立たせている。
狭い廊下にひしめき合うように、四人の女たちは、『302』というプレートが取り付けられた扉の前に立っていた。
狭い室内では使いにくい大斧を、あり合わせの剣に持ち替えた完全武装のレベッカ。同じく鎧を着て、弓の代わりに投擲用のナイフを持ったアリアンナ。いつもの鞄を抱えてポーション準備中のアルテミシア。
そして、鍋をかぶって鍋の蓋を構えた、三十路ほどの人間の女性。
長身でやせ形、黒に近い青のロングヘアが特徴的。何の変哲も無い普段着を着ているのに、喪服を着ているかのように錯覚させる、ちょっと陰鬱な雰囲気の人だった。全身にまとうダウナーな空気と、間抜けな鍋武装の芸術的ミスマッチ。
「扉に罠とかは仕掛けられてないのよね?」
「はい。中に入ってすぐ、逃げ帰ってしまいましたので、その先は分かりませんが」
扉に耳を当てて中の物音を探っていたレベッカが聞くと、女性が応えて頷いた。
彼女はこのアパートの管理人。名をベリルと言う。
「本当なら、こんな事をお願いするのは心苦しいのですが……」
「いいって言ったでしょ。こっちも、できるところまでしかやらない予定なんだから、気にする必要は無いわ」
気遣わしげなベリルを励ますように、レベッカはそう言った。
しかし、『まさかこんなところでダンジョン攻略まがいの真似をする事になるとは……』というのは、アルテミシアやアリアンナも含め、三者三様に抱いている感想だった。
* * *
事のはじめは数時間前だった。
いい加減、いつまでもレグリスに甘えているわけにはいかないと、スイートルームを引き払う決意を決めたふたりは、アリアンナも加えた三人で活動の拠点とする場所を探していた。
領都であるゲインズバーグシティは、領内での冒険者の活動を統括する支部がある街だ。
この街を拠点として使っている冒険者も多く、冒険者向けの宿やアパートもそれなりに充実している。
当然ながら、そうした冒険者向けのねぐら情報はギルド側でも取りまとめているわけで、そこで希望に合う物件を見繕い、内覧(という言い回しがこちらの世界にもあるかは分からないが)のため管理人のもとを訪ねることになった……まではよかったのだが。
「あら……ごめんなさい。もう情報が出ちゃっていたんですね。実は、まだ部屋の片付けが終わっていなくて、入居どころか、見ていただくこともできないんです……」
管理人であるベリルという女性が私用に使っている、アパート(ちなみにツメキバ荘という)の『301』号室。
本来なら広いであろうリビングは、壁に掛かっている部族風な仮面とか、無造作に飾られている傷だらけの宝箱(ミミックの抜け殻らしい)とか、『注意:触ると叫びます』という札がかかっている(札の字はアリアンナが読んでくれた)皿に載ったウェディングケーキにしか見えない物体によって、手狭さとカオスさを醸し出していた。
そんな部屋で三人を出迎えたベリルは、申し訳なさそうに打ち明けた。
ちなみにこの時、ベリルに対して三人とも『喪に服す未亡人』という第一印象を抱いたのだが、さすがに失礼なので口には出さなかった。後々、ベリルが未婚であることも、死に別れた恋人とかが居る訳ではないらしいことも知るのだが、それはそれとして。
ともあれ、ベリルが話した『部屋が片付いていない理由』は、三人の興味を引くに十分なものだった。
「化け人形……?」
「はい……部屋を開けて入ってみたら、人形が『立ち去れ!』と叫んだんです」
彼女の話を要約すると、こうだ。
三人が見に来た『302』号室は、つい最近までちょっとばかり名の売れた冒険者魔術師(四十代男性・独身)が使っていたが、児島によって城へ招かれ、そこで殺されてしまった。
こうした場合、荷物はギルドで引き取って、縁者が居れば返すなり、売却してお金を渡すなりの管理をするそうなのだが、その確認のために部屋へ入ったところ、不気味な人形に不気味な声で因縁を付けられたという事らしい。
なにしろ、部屋に住んでいたのは魔術師だから、侵入者を追い返す呪いでも掛けているのかも知れないと思い、手をこまねいているうちに、事務の行き違いで物件情報が空室に書き換えられてしまっていた、という経緯だったようだ。
「それで、このままではどうしようもありませんから、ギルドにお願いして、部屋を調査する依頼を出そうと思っていたところなんですが……あの、よろしければお願いできませんでしょうか」
「私たちに?」
ためらいがちに切り出すベリル。
言うだけ言ってみたという雰囲気でもあった。
冒険者に渡す報酬は、普通、相手が有名人だからといって増額することはなく、仕事の難度に従ったものだ。それではレベッカには物足りないと心配したらしい。
もっとも、その辺りの心配はレベッカに限って杞憂なのをアルテミシアは知っている。戦闘時の凜々しさとは対照的に、基本的にレベッカはぐうたら(ただしアルテミシア関係を除く)・気まぐれ(ただしアルテミシアに関しては一貫している)・好き勝手(ただしアルテミシア至上主義)のネコ科気質だ。
安い依頼だろうが気が向けば請けるし、街の中で軽く仕事をして報酬が入るならむしろ喜んで飛びつくだろう。
問題は、いくら熟練冒険者だろうと、魔術師でもないレベッカが呪いの相手をできるかという点だった。
「んー、そういう事情なら本職の盗賊と魔術師を呼ぶのが筋だと思うんだけどね。まぁ……ギルドでアイテム借りれば、多少の罠くらいどうにかなるかー。まさかこんな場所で死ぬような仕掛け作らないと思うし」
「いけるの?」
「何かあったとして、それが悪質じゃなければね。この依頼、私は請けてもいいんだけど、ふたりはどうする?」
「困っている人が居るなら、助けたいです! ……でも、私にできる事って、あるでしょうか」
ほぼ即答したアリアンナ。
だけど、もしこの部屋が本当に危険な状態なら、引き受けておいて結局レベッカに働かせるハメになりかねない。そこを気にしてか、ちょっと不安げになる。
「アリアが手伝えないような危ない状況なら、そもそも私にも何もできないわよ。それで、アルテミシアは?」
「危なくなければ……」
「もちろん危なそうなら、とっとと退却して本職に任せるわ」
「なら、わたしもオッケー!」
「ありがとうございます……」
そもそも、ある理由からこの物件を希望したのはアルテミシアであったし、児島関係となれば、ちょっと放っておけないという気にもなる。
危なくなったら引き返すというなら、ひとまず首を突っ込んでみようと考えたのだった。
* * *
ベリルが持っていた鍵で扉を開くと、302号室の中からは……
煙や障気があふれてくるわけでもなく、普通に、明かりの消えた薄暗い部屋が見渡せた。
この部屋は三階建ての建物の三階で、間取りは要するに2LDK。とはいえ、日本のように靴を脱いで上がるわけではないので、扉はリビングに直結していた。
放置期間はほんの二週間と少し。ホコリのニオイがするわけでもなく、鎧戸を閉めた部屋の中は、廊下から差し込むわずかな明かりによって、置いてある家具のシルエットを不気味に浮かび上がらせていた。
「何も無い……?」
特に怪しい物は無い、と思ったその時、何かを引きずるような音がして、アルテミシアとアリアンナは身をすくませる。
ずるり、ずるりと音がした。
安っぽい絨毯が敷かれた床を、足を引きずるようにして、二足歩行の物体が近づいてくる。
「な……」
差し込む明かりの中に、それが進み出た。
ベリルが言うとおり、確かにそれは人形だった。身長30cmくらいの磁器人形だ。ぷっくりとした唇と、まるまるしたほっぺは、本来なら可愛らしかったはずだ。フリルがフリフリなミニチュアサイズのドレスを着ていて、赤い靴を履いている。
だが、その人形は、頭が割れていた。
雛がかえって割れてしまった卵のように、頭部が割れて、上半分と片眼が無くなっている。
人であれば間違いなく死んでいる状態だ。もちろん人形である以上、はじめから生きてなどいないのだが、生きた人のように歩いている人型の物体。『呪いの人形』より『ゾンビ』という表現が、まず頭に浮かぶ。
そいつは影からずるりと歩み出て、残っていた目をかっと見開いた。
そして、無邪気さと残酷さをにじませた、不気味な少女の声音で声を発し、カタカタと揺れて哄笑した。
『タチサレ……侵入者ヨ、タチサレ! ハハ、アハハ、アハハハハハ!!』
「いやああああああああっ!」
直後、甲高い悲鳴を上げながらアリアンナがナイフをぶん投げ、半分残った頭部に命中。
床に落ちて壊れたスープ皿みたいな音を立てて、人形の頭部は完全粉砕された。