15-12 -Ελευσευς-
『……―――・――…………――…・…』
花弁のようなジュリエッタの唇が、およそ聞くに堪えぬおぞましい言語を紡ぐ。
それは自然言語ではなく省略された魔術詠唱であるため、アルテミシアにも意味を理解する事はできなかったが、その詠唱が冒涜的である事だけは分かった。
「≪痛哭鞭≫」
磨き上げた大理石のように艶やかなジュリエッタの腕に、入れ墨のような文様が浮かぶ。それが蛇の如くうごめき、宙に走り出た。
不定形の鞭は風のようなうなりを上げ、取り巻きABCを相手に切り結んでいるレベッカを狙った。
弧を描いて取り巻き達の頭を飛び越え、レベッカにダイブする。
それをレベッカはサイドステップして躱した。
だが。避けられた魔法弾は空中で急激に方向転換し、レベッカの脇腹を狙う。
「ああ、もう!」
一瞬の判断。
レベッカは手にしていた剣を、迫り来る魔法弾めがけて投じた。
バギャン! と、剣が悲鳴を上げたような音。
闇色のスパークが剣の上で弾け、そのまま床に落ちた。手に持った剣で受けても危ないようだ。
剣を手放して魔法攻撃を凌いだレベッカ。
素手になった彼女めがけ、今度は物理的な鞭が叩き付けられる。取り巻きABCの同時攻撃だ。
腕を交差させて籠手で受けるものの、うち1本は勢いを殺しきれずティアラのような兜にぶち当たる。
衝撃でどこかが切れたらしく、どろりと血が流れ、レベッカの頬を流れ伝った。
……レベッカの動きが精彩を欠いている。
「ハッ。≪膂力弱体≫≪速度弱体≫に≪防御弱体≫。三重で弱体掛けてこの程度?
全っ然……」
編み上げた鋼線のようなレベッカの腕が、さらに盛り上がる。
「効かないのよ!」
踏む込みながら両腕をなぎ払うレベッカ。3本の鞭と同時に、それを振るう3人の体を殴り飛ばした。
吹き飛ばされて転がる女王様スタイルの3人。だがその3人ともが全くひるまず、即座に起き上がる。
――わたしの強化系ポーションで、弱体はある程度は相殺できてるはず。お姉ちゃんに殴られて無事なわけない。
治癒魔法? ううん、ボスはさっきから攻撃しかしてない……
倒されたはずのABが戦線復帰していたのはジュリエッタが治癒したからなのかと思った。
だが違う。レベッカの籠手に殴り飛ばされて痛々しくえぐれた傷跡が、巻き戻しの映像を見るようにじわじわ塞がっていく。
彼女らは再生能力を備えている。おそらくそれは、これまで多くの人を文字通り食い物にして体に蓄えた生命エネルギーの力だ。
「なら、これはっ!?」
素早く剣を拾い上げたレベッカがAを切り裂いた。
むき出しの腹部がざっくりと十字にハラキリされる。だが出血は少量だ。傷は徐々に塞がり始め、その間にもAはレベッカに掴みかかる。その顔に裏拳を叩き込んでレベッカは距離を取った。
「遠慮しないでいいわ、アリア! こいつら素人だけどHPだけ異常よ!」
「は、はいっ!」
うなりを上げて襲い来る鞭を、大ぶりなナイフとアームガードで辛うじて凌ぎながらアリアンナが応えた。
レベッカと戦っているのは、ジュリエッタと取り巻きABC。取り巻きDは弱体にも参加せず、自己強化を掛けてひとりでアリアンナとアルテミシアを相手していた。完全に舐められている気もするがレベッカの強さを考えれば妥当という気もするアルテミシア。
いくらポーションによる身体強化があっても、アルテミシアは武器を持った相手とやり合うのはキツい。しかもさっき敵が麻痺毒ポーションを使ったということは何らかの耐性を付与してあるということで、つまりアルテミシアの側から状態異常を仕掛けることもできない。
しかし、アリアンナに戦わせて見てるだけというわけにもいかない。
「一本借りるよ!」
アリアンナの脇腹のホルスターから投擲用ナイフを引き抜いて、アリアンナはDに飛びかかった。
「なっ!?」
完全に非戦闘員・護衛対象と見なされていたようで(そしてそれはアルテミシアの自己評価とも合致するのだが)、Dはアルテミシアへの反応が一瞬遅れた。
膂力強化ポーションによって増強された力で擦れ違いざまに脇腹へ切りつけ、そのまま背後から腰をホールド。間髪入れず、背後から力任せにだいたい肺の辺りを突き刺してはナイフを引き抜く。返り血がアルテミシアの頬に飛んだ。
振りほどこうとする動きにはあらがわず、Dの肩に手を突いて跳躍。足の力だけでおんぶ状態になったアルテミシアはDの頭を後ろから抱え込むようにして、逆手に持ったナイフで一本線を引くようにDの両目を切り裂いた。
「ああっ!!」
鮮血が舞う。
Dの背中を蹴り、宙返りをしてアルテミシアは飛び降りた。
顔を押さえ悶絶するかに見えたD。しかし彼女は血の涙を流しながらも、指の間からギロリとアルテミシアを睨み付けた。切り裂かれた目玉は、ウジが這い回るかのようにうぞうぞ蠢いて傷口を繋ごうとしていた。
「怖い! なにこれ!?」
「わ、私はアルテミシアもちょっと怖い……」
味方であるアルテミシアの凶行に若干引くアリアンナ。
自分の弱さをよく分かっているアルテミシアは、それだけに、生き残るためなら一切躊躇しない。仮にいざ戦いとなってしまったら、殺す以外は何だって容赦無くやると決めているのだ。
もちろんそれが通用するかは別問題である。Dはすぐさま鞭の一撃を繰り出してくる。
Aからぶんどっておいた短杖でDの鞭と一合打ち合い、アルテミシアは不利を悟った。レベッカが言う通り取り巻き達は素人かも知れないが、魔法の心得がある彼女らは抜かりなく自己強化を積んでいる。ジュリエッタを守るため前衛に徹した取り巻きDの力は、ポーションの助けを借りてようやく半人前のアルテミシアを凌いだ。
「アリア、心臓行ける!?」
「え、あ、うん!」
アルテミシアがDを引きつけ、今アリアンナはフリーだ。
アルテミシアの脇を必中のナイフが飛び抜ける。
「ぐ……!」
コルセット状の胴衣の上から溢れる豊満な胸部に、投擲ナイフが突き刺さった。
だが、ある意味では予想通りだが……Dはひるみさえしない。それどころか突き刺さったナイフを自ら引き抜いた。
「ガキどもが!」
「わっ!」
Dは大雑把にナイフを振るう。アルテミシアは後退してこれを避けた。
――自分に刺さった武器引き抜いて攻撃するとか、どこのゾンビ!?
少なくとも、美しさからは程遠い戦い方なのではないかと考えるアルテミシア。
「お姉ちゃん達、がんばれーっ!」
「やっちまえーっ!」
背後の子ども達が応援する。ジュリエッタが忌々しげに眉をひそめた。
あまり下がることはできない。術式の秘匿のため殺そうとしているなら、後ろの子たちは既に抹殺対象だ。
と、そこへ不穏な音が響く。ゴロゴロゴリゴリと廊下を削るような、重いローラーを転がすような音が、どこからともなく。
『『『『不法侵入! 不法侵入! 直ちに立ち去るよう警告します!』』』』
お互いにぶつかり合いながら、無数の石ダルマがボイラー室に流れ込んできた。メイスのような腕をぶんぶん振り回す石ダルマどもは見るからに無慈悲。降伏や命乞いを聞く聴覚器官は備わっていない模様。
「警備ゴーレム……!」
「まだあんなに居たの!?」
「管理ガバいわよ、領兵団っ!」
商業施設におけるゴーレム使用は届け出と許可が要る。『美女神の泉』が申請していたのは予備も含めて3台のはずだ。
だが、あきらかにそれ以上の数が存在する。監査の目を逃れ、どこかに隠していたらしい。
中には傷ついて片腕がもげていたり、返り血を浴びている機体もある。何と戦って来たのかは明らかだ。正面から突入した領兵団は全滅、あるいは戦略的撤退を強いられたのだろう。
「オッホッホッホッホ! ゲインズバーグの英雄も、こうなったらお終いね!」
勝ちを確信したジュリエッタが高笑いする。その貫禄はまさしく悪の女幹部であった。実際には彼女が首領だが。
――これは……勝てない。
ジュリエッタの態度はともかくとして、この戦力差は覆せないとアルテミシアは判断した。
背後には囚われていた子ども達。そして子ども達が万一にも逃げないよう、板張りで塞がれた窓と扉。
レベッカがそこをぶち破れば逃げられるかも知れない。だが、逃げるにしてももはや一刻の猶予も無い。……繋がれた子ども達を連れて逃げるような余裕は無い。彼らを見捨てる事になる。
その時だ。
「熱っつ!?」
勝ち誇るジュリエッタに向かって、唐突に火の玉が飛んだ。
「妖精さん!?」
手招きをしていたあの火精が炎の固まりとなってジュリエッタに体当たりした。
ジュリエッタは辛うじてこれを躱したものの、火精はさらに空中でターンしてジュリエッタに飛びかかる。
蜂にでもたかられたように必死でジュリエッタは杖を振り回した。ほとんど偶然で杖が火の玉にヒットし体当たりを打ち返すが、火精は不屈の闘志で再びジュリエッタに飛びかかる。
――加勢してくれるの……?
全自動火の玉ひとつ追加。
それはいかにも頼りなく、ジュリエッタ達と石人形どもを退けるにはとても足りないが、しかし。
「お姉ちゃん! アレ、熱で割れる!?」
アルテミシアの意図するところをレベッカは即座に察した。
「試す価値はあるわね! このままじゃ終わりだわ!」
レベッカはABCに背中を晒すことも厭わず振り返る。その先にはボイラー装置。戦いの最中でも止まらずお湯を温め続けている火精永久機関・デス観覧車。
「砕け散りなさいっ!」
レベッカの義眼が眩く輝く。湿気によどんだボイラー室の空気を震撼させ、閃光が放たれた。
だいたい3日に一度しか使えないというレベッカの奥の手。
義眼に溜まった魔力を放出する熱線攻撃。
その標的はジュリエッタでなければ、その取り巻きでもない!
「何!?」
熱線はボイラー釜の上部をひしゃげさせ、吹き飛ばし、こぼれた水を蒸発させ、さらに。
火精が囚われた呪符の観覧車を吹き飛ばした。
「団結せよ、労働者―――っ!!」
その時、火精たちが『Ураааааааа!!』と叫んだかどうかは定かでないが、炎は赤々と燃えた。
熱線の残滓のように、炎が群れ集い、徐々に渦巻いて勢力を増していく。
とぐろを巻く蛇のように空中に留まった炎は、次の瞬間、流星のように降り注いだ。
「あああああああああっ!?」
まず一番近くに居た取り巻きDが炎に包まれる。服も髪も消し炭と化し、火だるまになってのたうち回る。
自動再生が間に合っているかもはや分からないが、肺腑を焼き尽くされる苦痛に立つことすらできないようで、獣の咆哮じみた悲鳴を上げて床を乱打した。
続いてABCにも炎の塊が飛びかかる。
「防御を!」
3人が揃って鞭を構えて詠唱し、迫り来る炎の砲弾に向かい合った。
空中にふわりと光が集い、3人分の力を合わせた魔力の盾が形成される。
「もらったわ!」
そんな隙を見逃すようなレベッカではない。
空中に浮かんだ光の盾をスライディングでかいくぐり、レベッカの剣はAの腹部に突き刺さった。
そして、そこに火精たちが追い打ちを掛けた。
渦巻く炎がレベッカに纏わり付き、剣を伝って迸る。その炎はAの身体を内側から焼いた。
「いああああああ!?」
口から火柱を上げながらAは悶え苦しむ。
立て続けにレベッカはBCを切りつける。傷は浅かったはずだが、ふたりはだいたいAと同じ目に遭った。
「そこまでよ! 行きなさい、ゴーレム達!」
ジュリエッタが明らかにうろたえた様子で杖を振った。何らかの命令を受けたらしいゴーレム達が一斉にレベッカめがけ殺到する。
――今度こそ厳しい……!?
足下のローラーか何かを駆動させて迫り来る、無機質な石人形の群れ。明らかに炎属性を半減とか無効化しそうな連中だ。
しかし、飛び交う火精たちは全く頓着した様子無くゴーレムにも襲いかかる。向かってくるゴーレムと飛翔する炎の渦が交錯した、刹那。
ゴーレム達の頭が爆発した。
「「うそぉ!?」」
ジュリエッタとアルテミシアが図らずもハモった。
吹き飛んだ石の破片がバラバラと舞い散り、制御と駆動力を失った石の身体がゴトゴトと倒れる。
焼くだけが炎ではない。爆発もまた火属性の領分であり、火精は当然のように爆発の力を振るったのだ。
「そんな、馬鹿な! こんなのは……何かの間違いよ!」
「あなたの負けよ、偽物女」
ヒステリックにわめき立てるジュリエッタに、一歩一歩レベッカが近付いていく。踏まれたゴーレムのカケラが、小さな悲鳴のような音を立てて割れた。
レベッカの剣にひとつ、またひとつと火の玉が止まり、灯り、灼熱の刃を形成していく。
「どれくらいダメージ入れたら、本当のあなたが見られるのかしら?
私の可愛い妹を餌食にしようとした罪は重いわ……その厚化粧、剥いであげる」