15-10 突入せよ美女神の泉事件
未だ、通りに人もまばらな早朝。
家々では朝食の支度を始めるくらいの時間だった。
「抜き撃ち査察、ですか……?」
「ええ。このような時だからこそ公衆浴場の管理をないがしろにはできません。
街にある全ての公衆浴場に対する査察を行っています」
『美女神の泉』正面入り口前には数人の領兵が押しかけてきていた。
こんな時間には従業員も出勤していない。応対に出たのは、敷地内に住んでいるオーナー・ジュリエッタ当人。
石造りの建物にコブのようにくっついた居住スペースがあり、ジュリエッタと取り巻き4人はここに住んでいるのだ。使用人を雇っていないのは一般的な感覚からすると不思議だが、おそらく取り巻きの4人が世話をしているものと思われている。
「だとしても、こんな時間にやって来るのは感心しませんわ」
ジュリエッタは愁眉を寄せて嘆息する。およそこの世に存在するオスという生き物全てが罪悪感を覚えずには居られないような、ある意味完璧な溜息だった。
領兵たちはこんな時間にアポ無しでやってきたのに、ジュリエッタは既にいつものナチュラルメイクをばっちりと決め、隙無くドレスを着込んでいた。
だが、いつも影のように付き従っている4人は、今居ない。
「申し訳ありません。人手不足の状況でして、今日中に全ての浴場を回らなければならないのです。
『美女神の泉』はオーナーが常駐しているとの事でしたのでこの時間となりました。ご理解とご協力をお願いします」
慇懃無礼にそう言って、領兵たちは踏み込もうとする。
ジュリエッタはそれを鋭くとがめた。
「お待ちください。皆様、公衆浴場の査察に関する領法をご存知でしょうか?
あなた方の行動そのものに強制権はありません。
査察に当たってはオーナー立ち会いのもとで――」
領兵たちは合図するように視線を交わす。
そして剣を抜いた。
* * *
同時刻。従業員通用口の付近には、三人娘が隠れて様子をうかがっていた。
「……領兵団が強制捜査に乗り出すなら、安全についてくだけだと思ったのに」
「あら、私が一緒でも頼りない?」
「そうじゃないけど……」
アルテミシアは嘆かざるを得ない。なにしろアルテミシアを含めて全員、バッチリ武装しているのだから。レベッカは鎧を装備して愛用の大斧を背負っている。アリアンナは軽装の鎧にショートボウ、そして全身に数え切れないほどの投擲用ナイフ。アルテミシアもポーション鞄持ちだ。
ジュリエッタが何らかの魔法を使っているのは既にほぼ確定的と言っていい。
となれば、場合によってはジュリエッタや、その取り巻き(おそらくジュリエッタの徒弟だ)が抵抗して戦闘になる可能性もある。
レベッカは念のための備えだと言っていたが、たぶんこのまま何事も無く終わってはくれないだろうとアルテミシアは確信していた。
――荒っぽいのは勘弁してほしいんだけどなあ。魔術師と物理で戦って負けるレベルのザコだよ、わたし。
だがもはや、この期に及んでは乗りかかった船だ。
悩んでいる暇も無く、朝の澄んだ空気を切り裂いて特徴的な笛の音が響き渡る。
「合図の呼子だ!」
「行くわよ!」
正面入り口の方から聞こえた笛の音。
あちらに向かっていた領兵の一団がジュリエッタをおびき寄せ、足止めに成功したという連絡だ。
事前の打ち合わせ通り、裏口組は突入を開始。
従業員通用口に掛けられた三重のロックは、レベッカが持っていた万能鍵であっさり破られた。
* * *
『不法侵入! 不法侵入! 直ちに立ち去るよう警告します!』
「うっさい!」
録音チックな声を繰り返しながら突撃してきたゴーレムは、強化を受けたレベッカの前蹴りをモロに食らい、壁にめり込んで動かなくなった。
「うわ、これ脱衣所の警備ゴーレム?」
「命令術式を書き換えて、営業時間外は侵入者排除に使ってるみたいね」
石の雪だるまみたいなゴーレムは、メイスのような腕をカクカクと痙攣させている。今の衝撃で内部のどこかがイカれたようだ。
どうも手加減ができるほど高度な柔軟性を持っているようには見えない。侵入者は問答無用で殴り殺してしまいそうだ。
連日大盛況の『美女神の泉』だが、従業員も客も居ないこの時間、廃墟のように静まりかえっている。
既に動き始めているらしいボイラーの音だけが、どこからともなく地鳴りのように響いていた。
「とっとと仕事片付けるわよ。昨日薬湯のタンクを見た場所も、ボイラー室の扉もこっち!」
侵入の経験があるレベッカを先頭に、3人は無人の従業員用通路を駆け抜けた。
だがそこでアルテミシアは妙なものを発見する。
前方の曲がり角の影に、ゆるキャラみたいな二頭身の小人が立っている。数日前、大浴場で見たままの姿。赤い服を着た女の子と思われるそれは、相変わらず困った顔で手招いていた。
「待って、あれ!!」
アルテミシアが声を上げてレベッカは急停止した。
「なに!? どうかした!?」
「あそこの角……」
手招く二頭身をアルテミシアが指差すと、他3名はまずアルテミシアの指を見て、そこから先を視線で追っていった。
「見えないわ」
「え、うそっ」
「見えないけど、何か居る……変な風に魔力が溜まってるのだけ見えるわ」
レベッカの義眼が赤く輝いていた。魔力を感知するよう視覚を切り替えたようだ。
「わ、私は何も見えないです」
アリアンナにも何も見えていない。
つまり、変なものが見えているのはアルテミシアだけだ。しかしレベッカの魔力感知が、あれが幻覚ではないことを裏付けている。
果たして妖精か精霊か、はたまたもっとワケの分からないものか。
「いったい何なのかしら?」
「あ、行っちゃう!」
見ている間にも、妖精さん(仮)は身を翻して通路の奥へ消えていった。まるでアルテミシア達を先導するように。
「どっち行った?」
「向こう」
「……ボイラー室の方ね」
別に妖精さん(仮)を追いかけているわけではないのだが、行き先が被っているのでちょうど背中を追う形になる。
妖精さん(仮)は意外なほどの速度で3人の前を走りながら時々振り返っては手招きし、また走って行く。
そんな調子で何度目かの角を曲がった時だ。
「あっ!」
「お前ら!!」
前方にドレス姿の人影。ジュリエッタの取り巻きAとB。
ふたりは丁度、小さな杖を振ってボイラー室の魔法ロックを開けようとしているところだった。
Aは即座にレベッカに向けて杖を構え直す。先程の警備ゴーレムで予想はできていたが、もはや問答無用の雰囲気。人殺しすら辞さない気迫だ。
さらにその背後で、Bは何かを取り出した。透明なカプセルのような何か。中に湛えられた液体……
――薬玉だ!
床に叩き付けられた薬玉は、小気味のいい音を立てて破裂。中に詰め込まれていたポーションは霧状になって辺りに充満した。
風通しの悪い室内において、ポーションの散布は非常に効果的だ。もちろん使用者はあらかじめ魔法やポーションで耐性を付けておく。すると敵だけに効果を及ぼせるという寸法だ。
そして、ポーションの霧を突っ切ったレベッカの掌底がAのみぞおちにぶち込まれた。
「は!?」
薬玉を叩き付けた姿勢のままBが驚愕の声を上げた。
吹き飛ばされたAは杖を放り出してBの足下に転がり身動きも取れない様子。
何故薬玉が効いていないのか分からない様子だったが、それでもBはすぐさま踵を返して逃げを打つ。
もちろん、これを許すレベッカではない。
「アリア、両足アキレス腱!」
「はい!」
アリアンナは太もものナイフホルスターから2本の投擲用ナイフを抜き放ち、鋭くスナップを利かせて投じた。
「きゃあっ!?」
回転しながら飛翔したナイフは逃げるBの両足アキレス腱(まさかこの世界にアキレウスの神話は無いだろうがアルテミシアにはこう翻訳されて聞こえる)を狙い違わず切り裂き、Bは控えめな血しぶきとともにもんどり打って転倒した。
無茶苦茶な腕前に見えるが、アリアンナが持つ生来のチートスキルは射撃だけでなく投擲にも適用される。物理的に当てられる可能性が0.1%でもあるならアリアンナが投擲を外すことはないのだ。
倒れたBの胸ぐらを掴み、レベッカは彼女を引きずり起こす。
「残念だったわね? 必殺のアイテムが効かなくて」
「な、なぜ……」
ニンマリと、勝ち誇るようにレベッカはせせら笑う。
簡単な予測だ。『美女神の泉』が買い付けていた薬草。あの材料があれば治癒ポーションだけでなく、麻痺毒ポーションなども作ることができる。
ジュリエッタが魔術師であると仮定するなら、簡単なポーションの調合ぐらいできる可能性もある。もし無免許で手に入るような薬草を使って妨害用のポーションを作るとしたら選択肢は多くない。
服の裏に隠すように身につけた麻痺耐性のアクセサリーが、役目を終えて崩れ落ちていた。残留効力が切れる前に、次の攻撃に備えてアルテミシアは次のアクセサリーを装着する。
「……で? ボイラー室に居るのね?」
鎌を掛けるような言葉がレベッカから発せられた。
Bの顔色が変わる。
「貴様っ!」
その手が腰に提げた短杖に伸びかけた瞬間、レベッカは彼女を背負い投げの要領で鋭く床に叩き付けた。
「がはっ……!」
衝撃で跳ね飛んだ短杖をレベッカは空中キャッチ。流れるように膝で折り残骸を放り出した。
「お見事です、お姉ちゃん」
「んふふー、なんでもないわよこれくらい」
目の前で見ていても何かのショーに見えるほどの手際だった。取り巻きABは無力化され悶絶している。アルテミシアは念のためAの杖も奪っておいた。
ちなみにそれに協力したアリアンナはと言うと、狼狽えながらナイフを拾い上げている。
「は、はじめて人を攻撃しちゃいました……」
「はじめての割りに躊躇いが無かったわね。アリアやっぱ才能あるわ」
「ううう、あんまり嬉しくない」
レベッカは褒めたつもりのようだが、アリアンナ本人は複雑な様子だ。
もともとお城でメイドさんになるため街に出てきたはずが、何が悲しくて流血の修羅場に身を投じる羽目になったのか。しかも、案外馴染んでいる。
「で、問題はこの中なんだけど」
「あれ? お姉ちゃん、ここ……」
ボイラー室の扉の方を見て、アルテミシアは気が付いた。
いつの間にか妖精さん(仮)が扉の前に立っていて、ここを開けろと言わんばかりに扉をペチペチ叩いている。
「ここに居るの?」
「居る。開けて欲しいみたい」
「なんだか分かんないけど私らの目的もこの中よ。ちょっと下がってなさい、アルテミシア」
言うやレベッカは扉から数歩離れ、背中の大斧に手を掛けた。
「ラアアアアアアッ!!」
裂帛の気合いが発せられる。
狭い通路の中、短く大斧を持ち、レベッカはコンパクトに横なぎで抜き打った。
反対側の壁をかすり、刃物より鈍器に近い大斧は、魔法でロックされたボイラー室の扉に叩き込まれる!
建物が揺れた。
大斧を叩き付けられてひしゃげた扉は、蝶番がめくれてはじけ飛び、周囲の壁との間に隙間ができた。
そして。
「砕っ!」
それをレベッカが蹴破った。
もはや壁にはまっているだけだった扉は容易く吹き飛び、ジャンクな鉄塊となって部屋の中に転がった。
「行くわよ、ふたりとも」
壁にめり込んだ大斧を背中に戻し、レベッカは言う。
「ま、魔法の扉ってこんな簡単に破れるんですね……」
「アリア、これたぶん普通無理だから。お姉ちゃんだからできることだから」
物理的に扉をぶち破ればロックを解除する必要も無い。
極めて合理的であり、筋肉的な解決策だった。
「で、アルテミシア。変な生き物は?」
「入ってった」
レベッカの筋肉解錠に驚いた様子も無く、扉が開くなり妖精さん(仮)はボイラー室の中に駆け込んでいった。
相変わらず困ったような顔でアルテミシアを手招きながら。
「結局何なのかしら……」
そう言いながら自分もボイラー室に入っていったレベッカが、足を止めた。
「……分かったわ」
「え、なに?」
「あれよ、アルテミシア。あなたが見たのって、あれじゃないかしら?」
レベッカの背中越しにボイラー室を覗き込んで、アルテミシアは息をのんだ。
熱気が押し寄せてくる。まるでサウナのように湯気が立ちこめている。
そこは意外なほど広い部屋だった。スチームパンクな雰囲気の真鍮パイプが部屋中に張り巡らされ、中央にはボイラー装置と思われるものが鎮座している。
その形状は、大きすぎるという一点を無視すれば、鉄鍋を乗せたかまどに近い。下半分はおそらく燃料である魔石を設置するためのスペース。だがそこは全くのカラッポだった。
上半分は金属製の釜で、多くのパイプが繋げられている。ここで熱されたお湯を施設全体に回しているのだろう。
釜の上部は蓋が開いており、奇妙な仕掛けが動作している。
観覧車のようにクルクルと回る何かが吊り下げられていて、そこにぶら下げられた数個の火の玉が、代わる代わる釜の中に浸けられているのだ。その度に、釜の中の水は湯気を立てる。
……火の玉?
違う。炎に包まれた水晶玉だ。しかも、中に何かがいる。
アルテミシアを手招いていた妖精さん(仮)と同じ姿をしたものが水晶玉の中に1匹ずつ閉じ込められている。
「そりゃ、燃料が要らないわけだわ」
「なにこれ……」
「呪符に火精を閉じ込めてあるのよ。
これ本当は、精霊を一時的に留めるための止まり木でしかないはずなんだけど……」
火精。さすがにアルテミシアも知っている。
四大属性のうち、炎を司る精霊だ。サラマンダーとも呼ばれ、火を噴くトカゲとして描かれることもある。
声こそ聞こえないが、呪符の中の火精は泣きわめき、苦悶している様子だ。代わる代わる呪符ごと水の中に放り込まれ、防御のために炎を発している。そして、その炎をボイラーの熱として使われているのだ。まるで鍋料理に焼き石を放り込んで温めるみたいに。
「ひどい……」
アリアンナが思わず声を漏らした。
呪符に入っていれば、アルテミシア以外にも火精が見えるらしい。
ふと気が付けば釜の前には、あの手招き火精が居る。仲間達が囚われている、水責めの拷問具みたいなデス観覧車を指差して、必死で何かを訴えている。
助けてくれと言っているのかも知れない。
「これって……もしかしてすごいインモラルなことしてない?」
「うーん、精霊って人格あるように見えても生き物じゃなくて現象だから、モラルの問題は無いわ。
でも暴走したら火事になりそう。『美女神の泉』が焼けるのは自業自得としても延焼したら周りもアウトね」
大規模火災は都市部における重大な脅威だ。もしこれが火事を誘発するような代物なら放ってはおけない。
それに必死で助けを求めるゆるキャラを放っておくわけにもいかないのが人の心情だった。
――待って、じゃあ若返りの薬湯ってこれの効果……?
じゃないよね。これ施設全体で使うお湯だもん。
精霊から何かのファンタジー成分が溶け出したのかとも思ったが、だとしたら普通の浴槽でも何かの効果が出ているはず。
これで終わりではない。何か、もうひとつ何かがあるはずなのだ。
レベッカは腰の剣に手を掛けたまま、静かに部屋の奥へ進んでいく。ボイラー拷問機械を回り込むようにして。
「お姉ちゃん……?」
「折角だから見ときなさい、あなたたち。美を求める者の業ってやつを」