15-9 大豆津軽大熊猫
「ビンゴだ。チップをはずんでくれてもいいんだぜ」
数日後、酒場に戻ってくると、まるでずっと同じ姿勢で座っていたかのように情報屋は待っていた。
「何か分かったんですか?」
「まず第一に。食堂のメニューと一致しねぇ生ゴミが見つかった。食堂のゴミと混ぜて捨てられてたぜ」
情報屋は手書きのメモをテーブルに叩き付ける。
それにざっと目を通すと、レベッカは鼻を鳴らした。
「野菜の端切れ、果物の皮……量は多くて数人前分ってとこかしら。街の市場で買える程度の量ね」
「まかない飯とか? ……違うか」
まかない飯なら食堂で余った材料を使って作ればいい。わざわざそのために別の材料を買い付ける意味が無い。
「じゃあ何かなー……
ねえ、アリア。ここにある野菜とか果物って、ゲインズバーグで一般的なもの?」
「えっと……うん。作ってるのもあるし、街で売ってるのもあるし。安く買えるものばっかりだよ」
「ほんの数人分の、ありふれた食べ物……」
なんとなく、あのジュリエッタと愉快な仲間たちはスペシャルな料理以外口にしないというイメージがある。たぶん彼女たちはハンバーガーとか食べたらバグって0と256の区別が付かなくなる。
謎の生ゴミはどんな経緯で生まれたものなのか?
レベッカは無言だった。その表情は険しい。
「第二に、俺としちゃこっちが本命だ。あそこは灰も、魔石の抜け殻もほぼ出してねえ」
情報屋は、さあどうだと言わんばかりのドヤ顔だった。
魔石というのは、魔力で動く品の電池として使われる特殊な結晶体だ。自然界における魔力の流れが一カ所に溜まることで生成されうる。
溜まった魔力を使いきった魔石は、様々にリサイクルされる資源ゴミと化す。もし『美女神の泉』が魔動機械で湯沸かしをしているなら、当然その燃料カスを排出しなければおかしいわけだが……
「全くのゼロってわけじゃねぇんだ。食堂から覗き込んだら厨房じゃ薪が使われてたそうだ。その分の灰は確かに回収業者に売られてる。
だがな、あの膨大な量のお湯を用意するだけの燃料カスがどこにも出てねぇんだよ」
「ええ? じゃあどうやって湯沸かししてるって言うのよ。
まさか地下で大勢の奴隷魔術師が、半裸マッチョの見張りに鞭打たれながらボンボンお湯沸かしてるとでも言うの?」
「……荒唐無稽だが、それさえ否定できねんだよなあ」
今のところ、『美女神の泉』がボイラーを動かすほどの燃料を仕入れている記録は無い。謎の手段によってどこからか燃料を仕入れている……のではなく、最初から燃料を買っていないのだとしたらどうだろうか。
何か、燃料に依存しない手段でボイラーを動かしているのだとしたら説明が付くが、それは夢の永久機関か悪夢の奴隷労働か。どちらにしても異常事態である。
「分かったのはここまでだ。追加調査も受けるぜ」
「足が出るから止めとくわ。ここからは自分で調べた方が早そうだし。
……いいわよね、アルテミシア?」
「うん」
「そうかよ。毎度あり」
レベッカが調査の後金をテーブルに叩き付け、3人は退室した。
結局謎は深まっただけだが、もはや『何かある』と考えるには十分すぎた。
と、なれば、後は手っ取り早い手段に訴えるのが冒険者というものだった。
* * *
『美女神の泉』従業員であるジェシカは、その日も外のゴミ置き場にゴミを捨てるため、ゴミ箱を持って建物を出た。
建物の裏手にゴミ置き場があって、そこにいったんゴミを全部集めてから業者に回収させているのだ。
『美女神の泉』において、従業員通用口と正面入り口以外の出入り口は、どれも内側からノブを回さないと開かない扉だ。熟練の盗賊だろうが、魔法の万能鍵だろうが、そもそも開かない扉には太刀打ちできない。セキュリティを重視しているらしい。
もっとも、それでは日常業務には不便なので、ドアストッパーで扉を留めて短時間外に出るのは許可されていた。例えば裏のゴミ置き場にゴミを持って行く時とか。どうせ出入り口はゴミ置き場から見えるところにあるのだから、いつの間にか怪しい奴が侵入しているなんて事は無いだろう。
まあそこまで気をつけなくても、昼間から押し込み強盗を働くような奴はそうそう居ないだろうが……
とにかく、ジェシカにとってその出来事は泥棒以上に予想外だった。
扉から出てくるなり、目の前に人が倒れていたのだから。
「……えっ?」
両手にゴミ箱を持ったままジェシカは立ちすくむ。
うつぶせに倒れているのは、おそらく若い女性だ。流行の小洒落たモノトーンワンピースを着ていて、月光のように輝く豊かな金髪を持っている。
ぐったりと倒れ伏した彼女は、そのまま動かない。
どうしようか、ジェシカは一瞬迷った。
無視するのは絶対にダメだ。そこまで薄情ではないし、何より倒れた人を見かけて倒れなかったとあれば『美女神の泉』の評判に響く。オーナーから何を言われるか……いや、悪くすればクビだ。
「あ、あの、大丈夫ですか!?」
ゴミ箱を適当に放り出して、ジェシカは倒れている女性の様子を確かめた。
「う、ううー……」
上体を抱き起こすと、彼女はぐったりとしたまま、うなされるような声を出す。
誰もが振り返る美人とまでは言わないが、はっとするような美しさを備えた女性だった。艶やかな肌が溌剌とした健康美を感じさせる。
「すみ……ません。湯に当たってしまったよう、でして……」
なるほど、言われてみればいかにもここの客らしい外見の女性だ。服・髪艶・アクセサリーと、美容にお金を使っていることが分かる。
「だ、大丈夫ですか? ええと、ええと……な、中で休んで行かれますか?」
「いえ……少し休めば、大丈夫です。あの……お水をいただけますか?」
「お水ですね! はい、少々お待ちください」
すぐにジェシカは建物の中にとって返し、一杯の水を持ってきた。
倒れていた女性はどうにかこうにか這いずってきたようで、建物の壁に背を預けて座っていた。
「どうぞ、お水です」
「ありがとうございます……」
冷たい水を飲み干した女性は、人心地付いた様子で溜息をつく。先程よりは少しマシになった様子だった。
もう大丈夫だろうと判断したジェシカは、『お大事に』とだけ言って、当初の目的であるゴミ捨てに戻った。
倒れていた女性に気を取られたほんの一瞬で、自分と入れ違いに建物内に滑り込んだ者には気付かなかった。
* * *
「よくやったわ、アリア!」
「い、い、い、生きた心地しませんでしたよーっ!」
レベッカとアリアンナは、『美女神の泉』から1ブロック離れた建物の影で落ち合っていた。
アリアンナが体調を崩して倒れたフリをして、その隙にこっそりとバックヤードへ侵入する。そして探索を行うというのが今日の作戦だった。
レベッカ曰く『昼間はみんな警戒してないから夜より忍び込みやすい』。その言葉には嫌というほど実感がこもっていた。
倒れていた女性は、もちろんアリアンナだ。ただし今日のアリアンナは三つ編みをほどき、流行の服をレンタルし、大人びた雰囲気のアクセサリーをひとつふたつ付けて、さらに冒険者用の変装キット(水でも返り血でも落ちないと評判の変装用化粧品入り)でそばかすを隠していた。それだけでかなり大人びた印象が出て、普段のアリアンナとはまるで別人だった。
変装した理由はふたつ。
第一にはレベッカの連れとしてアリアンナが目撃されていたから。ジュリエッタはなんとなくレベッカを警戒しているような雰囲気だった。もしアリアンナの顔を覚えている従業員に出遭ってしまったら、そこから話を聞いたジュリエッタが何かを察して守りを固めてしまうかも知れない。そこで、一回顔を見た程度の人には絶対分からない変装をしたのだ。敢えてアリアンナを使わず別の冒険者を引っ張ってくるという手もあるにはあったが、そこまでの警戒は必要無いとレベッカが判断し、アリアンナに経験を積ませることを優先した。
第二に、『典型的な利用者像の人物』をでっちあげるため。たとえレベッカの関係者だとバレなくても、印象に残ってはいけないのだ。そのため、いかにも『美女神の泉』に来そうな人物に、覚えるのも面倒くさいような人物の姿になる必要があった。
演技には自信が無いと言うアリアンナのため、さらにもうひとつ小細工を弄している。
アリアンナはアルテミシア謹製の誘眠ポーションを一口だけ飲むという、少々荒っぽい手段で倒れたのだ。眠りに落ちはしなかったものの意識を朦朧とさせるには十分で、迫真の演技……と言うかもはやほとんど演技ではない振る舞いで従業員を騙した。
あの従業員は最後まで、アリアンナが湯あたりで倒れた利用者だと信じて疑わなかったようだ。
「それで、上手くいったんですか?」
「2枚目の扉で通せんぼされたわ」
レベッカは忌々しげに溜息をつき、黄金のゲジゲジみたいな鍵を出す。
「この魔法の万能鍵、魔法って言ってもあくまで鍵穴に応じてある程度形を変えられるだけなの。魔法的なロックは開けられない」
「つまり、そういう鍵穴が」
「あったのよ。間違っても公衆浴場のボイラー室に付ける鍵じゃないわね。ここは一旦引き下がって、ちゃんと準備しましょ」
結局、問題の核心を確認することはできなかったわけだが、何かが異常なのはますますハッキリしたという事だった。
「もう片方はバッチリ」
レベッカは腰のポーチからガラスの小瓶を出して、ウインクしてみせた。
アルテミシアに借りた空のポーション小瓶。中に入っている液体は……
「パイプをザックリやってでも持ってくる気だったけど、普通にタンクがあったわ」
「若返りの薬湯! 材料分かりました?」
「ううん、見たのはタンクだけ。でも、あんなデカいタンクをどこからか持ってくるのなんて無理よ。絶対にこの施設の中で薬湯が作られてるはず」
大浴場にあった浴槽は、どこからかポンプでお湯を入れていた。
その出所に見当を付け、確認するのも目的だった。
「早く領城に持って行きましょう。アルテミシアが話付けてくれてるはずです」
「そうね。解析、お願いしちゃいましょう。結果次第では即突入ね」
「突入って……不法侵入ですか」
「バレなきゃ不法じゃないのよ。それに……」
レベッカは言葉を切って、少し言い淀む。
「場合によっちゃ御上のお墨付きも出ちゃうんじゃない?」
まるで『そうなりませんように』と願っているかのように、レベッカの口調は重かった。
* * *
「いやー、酷いですねこれ」
開口一番、領兵魔術師は言った。
領城のすぐ近くには『警備局本部』なる建物が存在する。そこは警察組織としての領兵団の本部だ。
基本的には事務所でしかないのだが、薬品や魔法を使って物品を分析するための施設も一応存在する。要するに科捜研だ。
そこにアルテミシア達と、領城での戦いでアルテミシアに同行した魔術師のひとりが居た。
フラスコとビーカーが並ぶ机を見ると、これから化学の実験でも始めそうな雰囲気だが、ここで行われているのは錬金術による魔法的な分析だ。
レベッカの持ち帰った薬湯が小分けにされて、それぞれ別の試薬と混ぜられている。
「分からなきゃ練兵場の方にある実験施設に持って行って本格的に調べようと思ったんですが、これはかなりあからさまですよ」
「と、言いますと……」
「確実に良くないものです。何らかの邪法によって作られたものと推測します。
生命エネルギーに満ちていますので、傷を癒したり肌の若さを保ったり、という効果はあるでしょう。その代わり、こんなものを使い続けたら……どう言うべきでしょうね。
呪いが蓄積していくと言うか……魂に不具合が出そうです」
眉間にシワを寄せて、邪法と断言する魔術師さん。
何かありそうだとは思っていたアルテミシアだが、ここまでハッキリ言われるとは思っていなかった。
「なんでバレないと思ったのかしら。客に魔術師も居るでしょうに」
「いやあ察するのは難しいでしょう。魔法的な感覚を誤魔化すための成分を配合していますね。肉の臭みをハーブで誤魔化すようなものです。
ま、こうやって錬金術的に調べれば無慈悲に検出されちゃうわけですが……公衆浴場への定例検査は錬金術なんて使いません。あれは火事を起こさないための検査ですから、お湯の質なんてそうそう調べませんし」
「調べれば分かるけど、調べないからバレない……」
「ええ。死人でも出たらお湯を調べたりするかも知れませんが、お肌ツルスベになったから調査するなんて事はまさか普通ありません」
試薬を混ぜて色とりどりに変色した薬湯を見て、魔術師は肩をすくめる。
この世界というかレンダールにおいて、浴場の衛生管理はまだまだ発展途上であるらしい。
「火事って言うならボイラーも怪しいわよ、あそこ」
「それなんだけどね。お姉ちゃんが来る前にここの人にお願いして、定期検査の記録を出してもらったの。
『美女神の泉』が導入してるのは魔石式の全自動ボイラー……えっと、つまり燃料入れちゃえば人が付きっきりにならなくても勝手に火力を調整してくれるやつだけど、とにかく普通のボイラーだって」
「じゃあ魔石を買ってないのも魔石カス出ないのも、どう考えてもおかしいじゃない」
オープンしたばかりの『美女神の泉』だが、オープン前の検査はしっかり行われていた。当然、その時は役人がボイラー室まで立ち入って設備を確認しているし、その時には何もおかしくなかった……はずなのだ。
「もしボイラーを入れ替えたのにそれを報告していないとしたら、それもまた問題です」
「それ以前の話だと思うけど……どうすんのよ、領兵団」
「私が方針を決定するわけではないので私に聞かれても困りますが、動かざるを得ない状況でしょう。すぐにでも上へ報告します」
「だったら私も協力するわ。いいかしら」
「それはもちろん、こんな情勢下なので領兵団も人手不足で、願ったり叶ったりなのですが……よろしいので?」
「報酬のためよ」
一応、レベッカはギルドの依頼を受けて調査している立場だ。
領側へ情報提供をしたのがレベッカだとは言っても、最終的に領兵団が解決しましたなんて話になったら報酬が出るかは怪しい。
「……っと、そう言えばアルテミシア。あなたが見た変な生き物の話はどうなった?」
「分かんないって言われた」
わざわざ領兵魔術師さんに会いに来たのは、この事を相談するためでもある。
だが結局何も分からなかった。
小さな知的生命体はもちろんこの世界に存在するが、あんなデフォルメ二頭身体型のものは存在しない。はずだ。
しかし、だったら何なのかは判然としない。領兵魔術師さんの意見はレベッカとほぼ同じ、『妖精とか精霊かも知れないがなんでそんなものが出てきたのか分からない』というだけだった。
「私も行かなきゃなんないのかなあ」
領が動き出した今、おそらくもはや『美女神の泉』の命運は尽きている。あの大浴場へ行って謎のゆるキャラの影を探す機会は、多分もう無い。
だがアレが何だったのか分からないままでは、夜も眠れず昼寝の時間が増えそうだ。
そして、もしアレが子どもにしか見えない妖精とかそういうファンタジーなものだった場合、アルテミシア自身が出向かなければ何なのか分からないという可能性もある。
同行させてもらえるというなら、どうあっても今行かなければならないのだ。