15-8 スタンプカードで二割引
その酒場は不自然なくらい『中間的』だった。
繁華な通りにあるわけでもなく、裏寂れた通りにあるわけでもない。
カウンターだけの一杯飲み屋ほど狭くないけれど、ディナーショーを開くには少し狭い。
断じて安酒場ではないが、しかし高級店とも言えない。
昼間。こんな時間から酒を飲んでいる客はわずかで、昼飯を食いに来た客も出ていった時間。
窓が狭く、壁も床も天井も黒茶色の木材が剥き出しの店内は、まるで喫茶店のように落ち着いた空間に見える。しかし、夜ごとの喧噪の余韻……染みついた酒とタバコの匂いが、喫茶店とは異なる独特の雰囲気を醸し出していた。
いや、独特と言うよりもどこか異様な雰囲気だ。
客の頭数自体少ないが、それにしても静かすぎる。
アルテミシアは一歩踏み入るなり、その異様さを感じた。先入観の成せる業か。この酒場が何なのか、アルテミシアは知っているのだから。
レベッカは全く構わぬ調子でまっすぐカウンターに向かうと、仏頂面でカップを磨いているバーテンの前に立つ。
「これで買える一番いい酒を頂戴」
377グランという半端な金額のコインを、レベッカはカウンターにぶちまけた。ミドルクラスの酒場で一杯の酒に払う金額としては高い。
バーテンはそのコインを無遠慮に数えると、懐へしまい込む。
「かしこまりました。奥の個室へどうぞ」
仏頂面のままのバーテンが通路を指し示した。レベッカは頷いてそちらへ歩き出す。
ふと、その場に居た全ての客がこちらを見ていたような気がしてアルテミシアは足を止めかけたが、そのままレベッカについていった。気にしてはダメだ。
アリアンナは身を固くして、ぴったりとレベッカの背中に張り付いていた。
店の奥にはいくつかの個室があった。空室の扉は開け放たれていて、中には大きなテーブルと、それを囲む作り付けのイスが見える。カラオケルームのようだとアルテミシアは思った。
空室が並ぶ中で、突き当たりの部屋だけ扉が閉じられている。
「邪魔するわよ」
レベッカは無造作にノックをして、返事を待たずに扉を開けた。
「おいおい、酒場にガキを連れ込むなよ。託児所を開いた覚えはねぇんだがな」
「酒場を隠れ蓑にしてるのが悪いんでしょ。この子まで含めて客よ」
3人が入室するなり、テーブルの向こう側に座っていた男は顔をしかめた。
どこか胡散臭い雰囲気を漂わせる細身の男だ。
もう中年と言っていい歳だが、チンピラ的な軽さが否めない。あるいは、そう演じているのか……
彼は冒険者ギルドがレベッカに紹介した情報屋だ。
ただし、紹介したと言っても冒険者ギルドの関係者ではない。むしろ、街の後ろ暗い界隈に属する男だ。あくまでも『冒険者がコンタクト可能な情報屋』としてギルドが把握しているうちのひとり、というだけだった。
「お会いできて光栄だ。
あの悪魔をとっちめたのが女冒険者だと聞いてどんなのかと思ってたが、ある意味予想通りだぜ、美しきメスゴリラ殿」
「その減らず口、縫い付けてあげようかしら? いい携帯裁縫セットを買ったとこなのよ」
「おお怖え。でも、そしたら困るのは俺の話を聞けないあんただぜ」
「フン。いいわ、あなたがこれ以上余計なことを言う前に仕事の話にしましょ」
この一見軽薄な男の背後に何が付いているのか。レベッカは特に何も言わなかったが、察するくらいはできる。
部屋には深淵を覗き込むような緊張感が満ちていた。それでもレベッカは毅然として、しかし必要以上に攻撃的にもならず、目の前の男と渡り合っている。
……その様子を、ふたりに見せている。
交渉して情報を持ち帰るだけなら、レベッカの背後で彫像と化しているアリアがこの場に居る必要は無い。
アルテミシアは多少頼られているかも知れないが、要るか要らないかで言えば不要だろう。
それでもレベッカはふたりを連れて来た。
昨日のレベッカは、女性として己を磨く術をふたりに教えた。それと同じように、今日は冒険者としての生き方を教えているのだ。
冒険者として生きる気はこれっぽっちも無いアルテミシアだが、こんな珍しい経験ができる機会はそうそう無いわけであり、いつか役に立つかも知れないと思いつつ見学している。
「他所じゃどうだか知らんが、うちは一問1000先払いだ。まずは質問料を払ってくれ。足りねえ話なら後で言う」
これも事前情報通り。
レベッカは無言で銀貨を弾いた。
狙い違わず手の中に飛び込んできた銀貨を一瞥し、情報屋は頷く。
「いいだろう、何が聞きたい」
「『美女神の泉』が今出している薬湯。知ってる事はある?」
「……は?」
だが、しかし。
レベッカの質問は完全に予想外だったようで、情報屋の男は完全に呆けた様子の顔を見せた。
「何があったんだ?」
「情報屋が聞き返してどうすんのよ。
明らかに魔法の逸品なのに出所が分からない。オーナー支配人も怪しい。あんたら何か気が付いてない?」
質問の意味を考えるような間があった。
「……その薬湯を疑う根拠は何だ」
「こっちから情報出した分は割り引きなさいよ?」
「分かった、それでいい」
「古傷が消えたわ」
端的な説明ではあったが、それで意図を理解した様子で、情報屋は片眉を吊り上げた。
「俺んとこに来たって事ぁ、表の流通には何も乗ってなかったんだな」
「そうよ。仕入れでもやってる?」
「うちの把握してる商売にはカスってもねぇ。奴らが個人的に持ち込んだ分は知らんがな。
……連中が普通じゃねぇのは確実だ。だが、うちの預かりじゃない。あいつらは得体が知れない」
ポーション材料のほとんどは領によって流通が規制され、無免許の業者が買うことはできない。
その手の材料を違法に仕入れ、薬湯にしているという可能性もあるにはあったが……
「役に立たないわね」
「俺らが知らないってのは貴重な情報だろ。金は返さんぞ」
「分かってるわよ。ここまで誰の手も借りずにガチガチに隠してるなんて、何かありますって言ってるようなものだわ」
謎の薬湯はどこから湧いて出たのか。
表と裏、どちらの流通ルートにもそれらしい品を扱った形跡が無いとしたら、仕入れの手段は大きく限られる。
組織を介さずに人を雇い運ばせるとか、あるいは自分自身で持ち込むとか。どちらにしても大した量は運べなさそうだ。
――まさか、無から薬湯を生み出すチートスキルとか……? カタログにあったかなあ、そんなの。
見た覚えは無い。アルテミシアも、あのコミケカタログみたいな厚さを誇る転生カタログの全てを把握しているわけではないが、そんな特徴的な能力があったら一読しただけで記憶の片隅に残っている気もする。
鉱脈や温泉を見つけ出すチートスキルならあった気がするが、こんな場所に温泉が湧くとしたらとっくに別の誰かが見つけていただろう。魔法でダウジングとかもできるだろうし。
「……オーナーについて知ってる事は?
この質問はさっきこっちから教えた分よ」
「いいだろう、タダにしといてやる。
あいつは取り巻き四人を連れて突然やってきた流れ者だ。『美女神の泉』を建てるのに借金した形跡が無ぇんで、それで怪しんだ覚えがある。営業開始は……『悪魔災害』の2週間くらい前だったな。偶然なら不幸なこっちゃ。
あいつらがどこから来たかは分からん。数日待てるならちょっと遠いところまで聞けるが、それ以上は別料金だな」
「いいわ、タダでできるところまで調べてちょうだい」
そこでレベッカはふたりを振り返る。
「ふたりとも、聞いてて何か思いついたことはあるかしら」
「え? えっと……」
いきなり話を振られたアリアンナは、日付出席番号メソッドを無視して授業中にいきなり当てられた生徒のようにうろたえ、虚空に視線をさまよわせた後に答えを返す。
「もし普通の輸送手段じゃないとしても、街門の記録を調べれば分かるんじゃないかなって……
うちの村から野菜を運んできた時は、門番さんが積荷を確認して、どこへ持って行くか聞いてるんです」
「目の付け所は良いけれど、本気で隠す気があるなら門なんか通れないわよ。心がけの悪い兵士がひとり居るだけで筒抜けになるんだから」
「そ、そうですか……」
「今頃、ギルドが記録を洗ってるころだと思うけど、あんまり期待はできないわね」
評定・がんばりましょう。
しかしアリアンナの言葉で何か気付いたか思い出したか、レベッカはさらに1枚、銀貨を情報屋に弾いて渡す。
「記録に残さず大量の荷物を持ち込む手段、あいつらが使えそうなのは何かある?」
「少量なら、背負って壁を越えるだけでいい。大量となると……へっ。ここは仮にも領都、名君レグリスのお膝元だ。そこにヤミの物流ルートを引こうとなったら並大抵じゃねえ。
どのルートも相応のコストを払って組織的に維持されてるからな。外様の連中がこっそり荷を通すなんて事ぁできねぇよ」
ニヒルにニヤつきながら情報屋は答えた。
「ふうん。だとすると燃料も、お湯の材料も……もっとひねくれた手段で賄ってる感じね」
かのシャーロックホームズは(正確にはその作者のコナン・ドイルは)『ありえないものを取り除いていけば、最後に残ったものが真実である』と述べたが……今、いろんな可能性が絶賛ぶっ潰れ中だ。
だがしかし、その先に何が残るというのだろう。
「アルテミシアは何かあるかしら」
「気になったことって言うか、調べたいことだけど……」
発言の許しを得るつもりで、アルテミシアは小さく挙手してみせる。
「怪しい調査とか、お願いできます?」
「内容と料金次第だ。お駄賃貰ってお使い行くんじゃねんだから、高ぇぞ? 何を調べたい?」
「あの施設から出る全てのゴミを」
アルテミシアがそう言った瞬間、情報屋の顔から軽薄なニヤニヤ笑いが消えて、灰色の双眸に刃物の輝きのような鋭い光が宿った。
「……発想がカタギじゃねぇな、お前。それとも姉ちゃんの入れ知恵か?」
「ハッ! んなわけないでしょ。この子も客だって言ったはずよ」
肝が冷えた様子の情報屋を見て、レベッカは何やら誇らしげだ。
ゴミを調べるというのは、ストーカーや探偵の常套手段。そこに居る者が何をしているか知ることができる。別にアルテミシアが自分で思いついたわけではなく前世でテレビから仕入れた知識なので、姉バカを発揮されたり目の前の男に驚かれたりしても、なんかちょっとカンニング気分。
情報屋は威圧的に腕を組み、ロダンもビックリの形相で何かを考え込んでいる。
「料金は勉強しといてやろう。
……が、その代わり俺からひとつ質問させろ」
「なんでしょう」
情報屋は思わせぶりに、少し言葉を溜めた。
「……悪魔との戦いで、ガキが一匹ひっついてたらしいっつー噂を聞いたんだが、お前か?」
「それは、あの悪魔と戦ったお姉ちゃんに聞くべきことでしょう。居たとしてもわたしじゃありません」
アルテミシアは即答した。
『質問させろ』とは言われたが、『正直に答えろ』とは言われていない。
ならばこれで充分だろうとアルテミシアは勝手に判断した。
悪魔に憑かれたログスは、領兵団の精鋭と、巻き込まれた冒険者であるレベッカが討伐した。それがゲインズバーグ領の公式発表だ。
とは言え、情報屋はアルテミシアのことを察していた様子。
いくら一緒に戦った面々に口止めをしたとしても、アルテミシアが街で『悪魔』と戦ったところや、深夜の領城へ向かうところを目撃した者は居るだろう。
ひとつひとつはよく分からない目撃談に過ぎなくても情報をかき集めれば……領の情報操作によって隠匿されたはずの、あの戦いの真実の絵が浮かび上がる。
それはもうどうしようもない事だとアルテミシアは考えていた。ひとまず平穏に日常生活を送れるならそれでよし、一部の者が真実を知ってしまうのは仕方ない。
「そうかよ。……底の知れねえガキだ」
「褒め言葉と思っておきます」
情報屋の顔に戻ってきたにやにや笑いは、少しだけ引きつっていた。