1-3 粗品(80万円)
ひとまず今夜はアリアンナ達も寝ることになった。
三人は部屋へ引っ込んだが、家にひとつしか無い暖炉は、ここで眠るタクトのため、火を消さないでおいてくれた。
暖炉の火を受けてうっすら明るく、そのせいでかえって影が濃く見える天井を見ながら、タクトはぼーっとしていた。
色々なことがありすぎて、思考の許容量を超えつつある。それに、物を食べたせいで眠くなってきた。考えるのは明日、また目が覚めてからにしようと思って、まぶたが重くなるのに任せて目を閉じた。
と、思った瞬間、けたたましいベルの音が鳴った。
「なっ!?」
思わず跳ね起きた。
なにしろ、そのベルの音は目覚まし時計の音に似過ぎていた。終電で帰ってきて3時頃に寝ても、目覚まし時計で6時に起きて出勤する生活をしていたタクトにとって、この音は意識にすり込まれ尽くした目覚めのメロディ、最終戦争の始まりを告げるギャランホルンの轟きだった。
ベルの音は、明らかに部屋の中から聞こえていた。
何が音を立てているのかと思って見回すと、壁に掛かった農作業用の帽子が震えていた。
騒がしい音を立てているというのに、アリアンナ達は全く起きてくる気配が無い。いや、ふと気がつくと、外から聞こえていた葉擦れと風の音が聞こえなくなっている。まるでこの部屋だけが、外界から遮断されてしまったかのようだ。
――これ、もしかして俺にしか聞こえてないとか? って言うかなんだこれ。電話!?
ベルの音が、一秒鳴り続けて一秒止まる。よく考えたら目覚まし時計の鳴り方ではない。
地球では三十代だったタクトにとっても「子どもの頃に消えた存在」である、ダイヤル式電話の呼び出し音そのものだった。知ってたらネット上ではジジイババア扱いされるレベルの古代遺物だ。
しばし、呼び出し音が鳴る電話と見つめ合うタクト。何がどうなっているのか全く分からなかったが、とにかく立ち上がると、ふらつく体を支えつつ壁伝いに歩いて、帽子を手に取った。
『もしもし、通野様でしょうか』
「お前!?」
眠気が吹っ飛んだ。
帽子から聞こえてきた声は、まさに、『転生屋』の男のものだったのだ。
安堵や苛立ちやその他諸々、いろんな感情が押し寄せてきた。
『ようやく見つけました。本当にご無事で良かったです』
「お、おま、おい! 何がどうなってるんですか!?」
『大変申し訳ありません。転生の際にトラブルが発生致しまして予定通りの体に転生できず……別の、憑依可能な体を代替の転送先とさせていただきました。
カタログでご覧になっていたかも知れませんが、そちらの体も同じ時間に憑依可能なものでした』
「やっぱりそうなのか! 頼む、元の転生先に今からでも入れてくれ!」
必死でそう言ったとき、タクトは、ちゃんと予定していた転生先に戻してもらえるものだと確信していた。向こうのミスのせいで発生した事態であるし、金だって払ってある。
だが、返ってきた答えは予想の斜め下を行った。
『残念ながら、それは不可能です』
「はぁ!? だって、そっちのミスのせいでこうなってるんだろ!?」
『我々がその世界に転生者を送り込むのは、規則や法則の隙間を縫うようにして、いわば脱法的に行っていることなんです。例え、間違った転生先に行ってしまったとしましても、そこから引き剥がして別の体に転生させ直すなんて事は、『転生屋』の仕事の範疇ではできません』
「じゃあ、仕事の範疇外ならできるんですか!?」
『まぁ、管理者ですので……特殊な事例で、必要性が認められれば可能ではありますが、基本的には個人の人生をよりよくするという理由のためにする事ではありません』
タクトは、怒りと絶望のあまり絶句した。
明らかにタクトは、向こうの手落ちで不利益を被っているのだ。だと言うのにこの塩対応はなんだ。タクトがナメクジなら今頃溶けているに違いないし、タクトがキュウリなら美味しい浅漬けになっている頃だ。
『ただ、現在の体は評価額で20ポイントとなっておりますので……お支払いいただきました100ポイントとの差額に代えまして、追加のチートスキルを贈らせていただきます』
「そんな事ができるのか! いや、スキルはいいです! 代わりに予定してた体に――」
『残念ですが不可能です。転生先の誤りがありました場合、差額相当かそれ以上のチートスキルによって補償を行うと、契約書にも記載がありましたよね?』
歯噛みする。
記憶を辿れば、そんな記述が確かにあった……ような気がする。
――親の金と権威……地位、才能……夢の悪人ライフ……
手に入れるはずだったものが、するりと手を抜けていった気分だ。
男がぽろっと言ったように、この体が20ポイントレベルの転生先だとしたら、大金持ちの親戚が居る可能性とかはゼロだろう。
これではゼロどころかマイナスからのスタートだ。
「……じゃあ、せめて、いいチートスキルをくださいよ。
なんか身体能力を異常に上げるやつとかありますよね?」
『ございますが……そうしたチートスキルは基本的に100ポイントからのご提供となっておりますので今回は不可能です』
「じゃ、じゃあなんかやり方次第でオールマイティな感じに無双できるのとか、何気にものすごい便利だったり特殊技能とか! もしくは簡単にマネタイズできるやつ!」
なにしろ柴犬と相撲を取っても勝てるか怪しいレベルの貧弱な身体だ。
このままでは転生の目的を遂げる前に、うっかりサッカーボールに轢かれて死んだりするかも知れない。
『ふむ……やり方次第で万能……マネタイズ……』
少しだけ、考えるような間があって、カタカタとキーボードを叩く音が電話口――つまり帽子だが――から聞こえてきた。
『……そうですね。【神医の調合術】辺りがオススメでしょうか』
「それは、どんな?」
『ポーションの調合時、調合中に効果が分かるんです。ポーションの調合は、材料の量や投入タイミングが少しズレるだけで大幅に効果が変わってしまいますし、薬が毒になったりする……それを防ぎ、思い通りのポーションを作れるようになります。まぁ、後は通野様の営業力次第で、世界最高の調合師にだってなれることでしょう。
他に、例えば強化系のポーションをお使いになれば、種々の身体強化効果を得る事も可能です』
「……分かりました。それでいいです。でも、あとひとつだけいいですか」
『なんでしょうか?』
「男の体にしてください」
チートスキルは、まぁ生き死にに関わることだから最優先なのだが、次に気になることと言えば、やっぱり性別だった。
ところが、『転生屋』の答えはとりつく島もない。
『それは無理です。通常転生の際には、どちらの性別に生まれるかお選び頂けますし、または転移の際に、肉体改造のオプションとしてご購入頂く事も可能ですが……憑依の場合、あくまでそちらの世界の方の体そのままという事になりますので』
「そんな! でも、さすがに女の子の体はこう……違和感があるんですよ、いろいろと! 普通そうでしょう、元が男なんですから!」
『転生に際して、元の体と別の性を選ぶお客様もそれなりにいらっしゃいますよ? それに、転生先の体の人格と融合する以上、そこまで違和感が出るはずは……あっ』
気が抜けた一言を、タクトは聞き逃さなかった。
「今、『あっ』て言いましたよね!? やっぱりこの体、おかしいんですね!?」
『えー、その、ひとつだけ申しておきますと、その体への憑依そのものには異常がございません。本来なら融合するはずの相手が存在しない、あるいは存在しないも同然だった、というだけですね』
「何が起こってるんですか、この体!? あなた、神様なんでしょう!? 分かるんじゃないですか!?」
『みたいなもの、であって神じゃありませんよ。まぁ通野様の現在の体のことくらい分かるんですが、残念ながらそれはサポート外ですので……それを教えるというズルは世界の運営規則上、できません。カタログに記載されている情報であっても、です。ちなみに、こちらも契約書に記載がございます』
そうだ、再転生が不可能だと言っている事だって、こいつは契約書の通りに仕事をしているに過ぎない。契約書にサインしてしまった以上、本来なら文句を付ける余地は無いのだった。
とは言え、特定のトラブルが起きた場合だけサービスが悪いと言うのは、感情的には納得できるものでもない。
『まぁ、性転換の方法がそちらの世界に無いわけではありません。高度な古代魔法や……特殊な材料を用いたポーションですら可能です。ポーション作りのチートスキルを手に入れたのですから、それを目指してみるのもいいでしょう』
「性別違いについて補償する気は無いって意味ですか」
『そういう規則ですので。……以上ですね? それでは、よき人生を』
「ご声援ありがとうございます! くそったれが地獄に落ちろっ!」
叩き付けるように帽子を戻すと、その瞬間、吹き抜ける風の音、葉擦れの音が戻って来た。やはり、どうにかして遮音されていたようだ。
「……最悪だ」
いや、最悪だけは辛うじて避けたのかもしれないが、極めて状況は悪い。それも完全に『転生屋』のミスで。
小さな体を長いすに投げ出して、タクトはひとり、呟いた。
罵倒と悪態を並べてやろうと思ったが、横になるなり土石流のごとく疲労が押し寄せてきて、すぐさまタクトの意識は消失した。
★『ポーションドランカー マテリアル集』にマテリアルを追加。
(「次の話」リンクの下に、マテリアル集へのリンクがあります)
・[1-3]転生屋 転生カタログ3 【神医の調合術】
・[1-3]≪能力算定≫ 主人公 1321年.春雷の月.28日
(アルテミシア)