15-7 Heal or Heel ?
「……おかしいわね」
晩方アルテミシア達は宿に戻って来た。
レベッカは大きな姿見の前で服を脱ぎ、身体の様子を見ていた。
「小さい傷がいくつか消えてるわ。大きいのも薄くなってるし……」
「そう?」
鋼のような筋肉。縦横に走る傷痕。アルテミシアには何が変わったのか分からない。
だがレベッカは確信を持って言った。
「間違いないわ。毎日見てる自分の身体だもの」
「傷、消えたら困るんでしたっけ」
「それは別にいいのよ。
問題は、傷が消えるほどの効能があるってことは、あの湯が『本物』だってこと」
ぴしりとレベッカは指を立てた。
アルテミシアは結局行列を敬遠して入らなかったが、レベッカとアリアンナは『若返りの薬湯』に入ってきていた。
レベッカはあの薬湯の効果で傷が薄れたのだと考えたようだ。
「だとすると薬湯とか、魔法とか、どう考えても安すぎるのよ。
料金は他の公衆浴場に比べて、せいぜいちょっと高いだけじゃない」
「確かに……
エステは別料金だったけど、あの薬湯は基本料金だけで入れるもんね」
「安いならいいんじゃないですか?」
「それはそうだけど、不当に安いって事は何かインチキをしてコストを抑えてるか、客寄せに使って別のとこで利益を出してるか、どっちかよね」
さすがにアルテミシアも考え込む。
あの薬湯にどれだけコストが掛かっているかは分からない。
もしアルテミシアのチート調合のような手でコストを抑えているのだとしたら客寄せに使っても元が取れるという気もする。するのだが……
「お姉ちゃん、オーナーさんに言ってた『胡散臭い』ってどういうこと?」
レベッカはどうも頭から疑って掛かっているという気がする。が、疑うだけの根拠があるのかも知れない。
アルテミシアは、ジュリエッタに対するレベッカの態度が気になっていた。
「私の義眼、簡単な魔力感知くらいならできるんだけどね。
……あいつら全員、魔力の塊だったのよ。魔力をローションにして全身に塗り込んでんじゃないのってくらい」
「ええ……?」
「少なくとも、全部公開してるってのはウソだと思うわ。確かに『若返りの薬湯』からは魔力を感じたけど、湯上がりの客が魔力まみれになってるなんて事はなかったもの。
オーナーと取り巻き連中だけ、なーんか秘密の美容法でもやってんじゃないかしらね」
言ってみればそれだけの話、ではあるのだが……
ひとつウソを付いた人がふたつめのウソを付いていないかと言うと、充分疑わしい。
『造形美』と表現したくなるようなジュリエッタの美貌をアルテミシアは思い出した。もしあのプロポーションが本当に作り物だったら?
怪しいダイエットクラブチラシの使用前・使用後写真では、CG加工によって細く見せたり、痩せている人で使用後写真を撮ってから太らせるといったインチキが横行しているそうだ。
『美女神の泉』のオーナー支配人であると同時に広告塔を自負しているらしいジュリエッタ。もしそのために何らかの、魔法による肉体操作などを施しているとしたら……
「で、でも! サービスに怪しいところはなかったですよね!?」
「そこよ。薬湯が怪しいけど、他のサービスは気味悪いくらい適正価格だわ。安くないけどぼったくってもない。従業員の腕も良いし、お金に余裕がある限り通ってもいいかなって思ってる。
でも、だからこそ怪しいのは御免でしょ」
ジュリエッタを疑いたくないらしいアリアンナだったが、こう言われてはぐうの音も出ない。
「どう、アルテミシア。なにか気になったりしなかった?」
「お姉ちゃんの話と全然関係ないと思われるところが気になってる。
……あのね。正気を疑わないで欲しいんだけど、わたし変ないきものを見たの」
「変な……?」
「ちょっと何か書くもの貸して」
そしてアルテミシアは大浴場で見た謎のゆるキャラをイラストに起こした。
デフォルメのような二頭身。小さな身体。
何かのキャラクターみたいだとは思ったものだが、実際に絵に描いてみるとますます何かのキャラクターみたいだ。
「……なにこれ?」
「さあ……」
アルテミシアの背後からイラストを覗き込み、レベッカもアリアンナも首をかしげた。
「幻覚じゃないとしたら、妖精とか精霊とか……かしら?
滅多に見られるものじゃないけど、子どもは何故か波長が合うらしくって、魔法の素質も無いし修業もしてないはずの子が、不思議と妖精や精霊を見たりするらしいのよ」
子どもの時にだけ訪れる不思議な出会い。ファンタジーだ。ファンタジーだが、だとしたらアルテミシアは妖精さん(仮)とこの世界に全力でツッコミを入れたい。
――肉体年齢が子どもならいいのか……
なんてアバウト。普通こういうのって『子どもは精神的にピュアだから不思議なものが見える』とかそういう理由じゃないの?
「妖精さんなんてロマンチック! でも、どうしてお風呂屋さんなんかに出てきたのかな?」
「さあ、わたしに聞かれても……服を着てたから少なくとも入湯者ではないと思うけど。
困り顔でわたしを手招いてて、まるで、助けを求めていたような……」
「助けを求めて?」
「スタッフオンリーの扉の向こうへ消えていったんだけど、まさかそんな理由で入るわけにもいかないでしょ」
「そりゃそうよねえ」
白昼夢のようなわけのわからない出来事だった。
レベッカの話と繋がりがあるようには思えないのだが、何にせよ、『美女神の泉』に謎ポイントプラス1。
「明日になったらギルドへ話持って行ってみるわ。既に何か掴んでるかも知れないし」
「お願い、お姉ちゃん」
* * *
翌日、朝から出かけたレベッカは昼過ぎに帰ってきた。
「ギルドから私らに、正式に調査依頼が出たわよ」
レベッカがテーブルの上に放り出したお土産は、どこかで買ってきたらしいフレンチトーストみたいなパンと、謎の紙束。
「もうそこまで話進んだの? しかもお姉ちゃんに?」
「何かあると踏んだっぽいわね。念のため調べておくって感じ」
レベッカは当然のように言うが、ギルドが自腹を切ってまで調べることなのかと、アルテミシアは多少の引っかかりを覚えた。
自分たちでも気になっていることを調べて、それで報酬が出るのだからもっけの幸いではあるのだが……
「それで、場所が場所だから男は使い物になんないもん。街で暇そうにしてる女性冒険者パーティーなんて私らくらいしか居なかったみたい」
「ねえ、その『女性冒険者』にわたしはカウントされてないよね?」
「話は変わるけど冒険者ギルドでは、ギルドに所属せず冒険者的な活動してる人を『無認可冒険者』としてファイリングしてたりするの。スカウト候補リストって感じ」
「話変わってないよね!?」
眼鏡の暗黒微笑が脳裏をよぎる。
結果的にいろいろやってしまっただけで、冒険者なんて危険な生き方をする気はアルテミシアには無いのだ。誰が何と言おうと!
「で、依頼に当たってギルドが即座に出せたデータがこれ。
私だから持ち出させてくれたけど、基本門外不出だから読んだら焼くわよ」
レベッカが持ち出してきた紙束は、何かを書き写したメモだった。品物の名前らしい単語と、大量の数字が並んでいて、所々にはまるでタイプライターで印字したように綺麗なレベッカの字でメモが書き加えられている。
「川からの荷揚げの記録よ」
「荷揚げの記録……
そうか、運輸をほぼ川に頼ってる街だから荷揚場を押さえれば流通を把握できるんだ」
「冒険者ギルドってこんなことまでやってるんですか?」
「領都の支部だから人数多いし、こういうことできる体勢があるのよ」
「いえ、できるとかできないって問題ではなく……」
アリアンナはまだ気になっている様子だったが、アルテミシアは深く考えないことにした。
字が読めないアルテミシアに代わってレベッカが読み上げたそのリストの内容は、遠方から取り寄せた化粧品、シャンプーやリンス、変わった食材などなど。普通の問屋には置いていない品々だ。
「これ全部、『美女神の泉』が直接買ってる物?」
「どれも珍しいものだけど、変な物じゃない……」
「あと、こっちは薬草問屋さんの取引記録。ギルドが問い合わせて出させたやつ。
民間向けのポーション材料取引は秘密にしちゃいけない決まりだから、もし『美女神の泉』が何か買ってたらこれで分かるわ」
そちらもレベッカが読んでくれたが、聞き覚えのある材料ばかりだった。
コルムの森でも採れるような……つまり、その辺でいくらでも採れるような薬草。調合の腕次第でレベルの低いポーションを何種類か作れるだろう。
アルテミシアならこの材料から膂力強化ポーションを作るという芸当も可能だが、それはそれとして。
気になるのは、ポーション調合の必需品である中和剤も購入品リストの中にあると言う事だった。
材料を仕入れた量はそれほど多くない。めいっぱい全部ポーションにしても20本分になるかどうか。
「仕入れてるのはどれも基本的な材料ね。免許とか無くても買えるやつ」
「中和剤買ってるって事は、何か調合してる?
確かにこれ合わせれば治癒ポーションくらい作れるけど……」
「ポーションをお湯に混ぜたら傷が治ったりする?」
「んー……ポーションって、薄めると効き目が一気に弱くなるからなー。混合比率が保たれてれば、薄めてもある程度効果あるはずだけど、ポーションとは呼べないレベルだよ。
あの大量のお湯をポーションの効果にしようと思ったら、薬草サラダがオーガ100人前作れると思う」
「どう考えても無理ね。仕入れは『プライベートで薬草風呂入ります』くらいの量だわ」
だとすると、薬湯のカラクリはこれでは説明できない。
何か、別の何かを仕入れているはずなのだ。だが何をどうやって?
「それとね、気付いた?
……無いのよ、『独自のルートで仕入れた燃料』なんて」
「じゃあ陸路で仕入れてるって事……? それはキツイよね」
「だいいち、近場で取れる燃料は全部、領の管理下にあるんじゃないかしら」
陸路で物を運ぶというのは、かなり大変だ。現代の地球ですら、その輸送コストは水路・海路に比べてかなりのものとなる。いわんやこの世界でや。なるべく河川や運河、海路を利用して大量に輸送し、その隙間を埋めるように陸運があるのだ。川に面したこのゲインズバーグシティで、大量の燃料をわざわざ陸から遠距離を運ぶ道理が無い。
だがそこに浴場はあり、お湯は沸いている。何かのカラクリがある。
「とにかく、このふたつを見て何も出てこなかったことで、ギルドも俄然怪しんだみたい」
「んー。粉末入浴剤みたいに軽いものだったら陸路で運べそうだけど、燃料の説明は付かないよね。
街の中から仕入れるとしたら……」
「禁制品、ってとこね。さー、楽しくなってきたわよ」
ばちん、と扇子を畳むようにレベッカは資料をまとめ、砦のように堅牢な暖炉に放り込むと魔動ライターで火をつけた。
炎はすぐに資料の束を舐め尽くし、灰に変えた。
近日中に1.5部のいくつかのエピソードを改稿版に差し替えます。たぶん。