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15-5 PURGE READY

 ロビーのすぐ向こうに脱衣所があった。

 灰色のレンガを積んだような空間には、背の低い棚が並び、仕切られた棚の中には脱衣カゴが突っ込んである。


 ――こういうとこはジャパニーズ銭湯式だ。

   転生者にほんじんが公衆浴場作りまくってるらしいから、そっから同じ方式が広まってるのかな?


 アルテミシアには馴染んだ形式だ。

 もっとも、その脱衣所が女性だらけというのは、全く馴染みの無い景色だったが。


 小さな子どもから老人まで、多くの女性が何憚ること無く脱衣している。

 当然だ。ここに男性の目は無いのだから。

 そしてアルテミシア自身ももはや男ではないのだが……やはり、目のやり場に困るような気分だった。


 ――いやいや、別に転生前に男だったからって気にすることないでしょ。

   別に犯罪やろうとしてるわけでもなし。


 わしわしと頭を掻き乱し、アルテミシアは謎の罪悪感を誤魔化した。


 ――あと何年かしたら……わたしもこういう身体になるんだよね……


 裸身を晒す人々の……特に大人の女性の姿を見ながらアルテミシアは考える。


 男性と女性は、当たり前だが肉体的にも異なる。

 なりなりてなり余れるアタッチメントパーツが消滅した時はとりあえずショックだったが、無いなら無いで気にならなくなってきた。

 だが、これから二次性徴を迎えて身体に女性的な特徴が出てきた時にどんな気分になるのか……ちょっと想像も付かない。

 女性として生まれ育ってきた者たちでさえ、思春期には自分の身体の女性的な変化に戸惑うものだ。ましてアルテミシアは男性として30年以上生き、こちらへの転生に際しても男の身体を選んだはずだった。心の準備なんか全くできていないし、自分が女性であるという自覚自体、実感としては薄い。


 ――物事には段階ってものがある……

   『女性』になっちゃう前に、ちゃんと『女の子』になれるよう努力すべき、なのかな?


 思いっきり真面目にアルテミシアは悩んでみた。

 ずっと男として生きてきたはずの自分が女の身体になって、どうすれば『女の子』になれるか悩むなんてのは何重にもねじくれた話だ。だがそれは、よりよい人生を送るために必要なステップなのだろうし……レベッカという先生が居るのだから(その熱烈かつ趣味に走った指導に耐えられるなら)なんとかなるだろうと楽観してもいた。

 要するにとりあえず今考えるべきはお風呂の事だ。


 部屋は意外なほど暖かい。魔法で暖めているのかも知れないし、壁や床に温水・温風のパイプでも通しているのかも知れない。

 周囲の壁には、何やら赤文字で書き付けた紙が貼ってある。


「『自分が置いた荷物以外には触れないでください。警備ゴーレムが反応します』って書いてあるよ」

「警備ゴーレム……」


 アリアンナが読んでくれた。

 辺りを見回すと、確かに壁際には彫像のような物体が置かれている。

 身長およそ150cm。ずんぐりむっくりした、石の雪だるまみたいな人形だ。

 メイスのような腕は推定攻撃力も威圧力も充分。頭と思われる場所にはスリット状に穴が空いている。


「あれかー」

「そうよ。宝物庫の番をさせるための廉価型じゃないかしら。

 本当は登録された主人以外には無差別に襲いかかるんだけど、ちょっと高度に命令術式プログラム組んだらこういう事もできるのね」

「プログラム……うっ、頭が」

「どうしたの?」

「き、聞きたくない単語を聞いてしまっただけ……」


 地球に居た頃の仕事のことはあまり思い出したくなかった。


「でもこれ、だとすると連れの荷物に触ってもアウトなのかな?」

「でしょうね。客をグループ分けするほどの高等な識別能力がこのゴーレムにあるとは思えないし」

「知らずに触ってたらえらいことになるとこだった。

 ……早いとこ文字読めるようになんないと命に関わるかも」

「識字率高いわよね、レンダール。みんな字が読める前提で社会が動いてるわ」


 ゴーレムの太い腕を見て、アルテミシアは震え上がる。まあいきなり実力行使には出ないだろうが、似たような事が他所で起きないとも限らないのだ。


 どうせ転生先の人物の知識を使えるのだから、と、アルテミシアは転生前に語学学習をしていなかった。

 そのせいで今のところ世界は暗号だらけなのだ。

 実はちょっとだけ勉強しようとしてみたのだが、会話が自動翻訳されてしまうせいで、かえってその内容が書かれている文字と齟齬を起こしワケが分からない事になってしまっている。

 こちらの世界の言語をうまいこと理解して覚えなければならない。どんな風にやればいいのかは、まだ思いつかないが……


 おぉ……という、感嘆のような驚きのような声が周囲から上がって、お勉強のことを考えていたアルテミシアは我に返った。


「うわ……!」


 アルテミシアも思わず声を上げた。


 レベッカが脱いでいた。

 全身が鋼のように引き締まった筋肉で、モデル体型とかアスリート体型と言うべきだろう。パッドを特盛りしていた胸部はありのままの姿を晒しているが、これはご愛敬だ。

 だがそんな事はどうでもいい。目を引くのは全身に刻まれた無数の傷跡だ。

 筋肉の上には、裂傷や切り傷ができては塞がった痕が縦横に、数え切れないほど走っていた。

 大きなもの、小さなもの。大剣で袈裟斬りにされたような痕もあり、槍か何かで刺されたような痕も、狼に引っかかれたような傷跡もある。


 アルテミシアは着替えの時などにちらっとレベッカの傷痕を見たこともあったが、あらためて裸の全身を見てみると壮絶なものだった。

 呆然と見ていると、レベッカは照れたように苦笑する。


「ほとんど、師匠について修業してた時代の傷よ。

 師匠は回復魔法使えたけど、回復魔法って傷を塞いで戦闘続行する事に最適化されてるからね。痕が残る残る」

「そういう傷痕って、魔法で治せないの?」

「もち治せるわよ。ちょっと高度な魔法使えば」


 そう言ってから、レベッカは肩をすくめてみせる。


「……前衛系の冒険者ってね、ちょっと脱いだりした時にこういうのが見えないと舐められんのよ」

「あ。なるほど……」

「別に舐められたところでどうとも思わないけど、残しといた方が得だからね。

 手とか顔とか、普段着で隠せない傷だけ消してるわ」


 言われてみれば傷だらけの身体なのに、手や顔などは不自然に綺麗だった。

 実利と誇りと乙女心の最大公約数を取ったような姿。それがレベッカの肉体だった。


「そう言えばわたし、市街で戦った時に足を魔法でぶち抜かれたんだけど痕残ってないな。すぐにポーション飲んだから?」


 ブーツを脱いで、アルテミシアは自分の足を観察した。相変わらず細くて白い。

 氷の槍で貫かれた傷は治癒ヒーリングポーションで跡形も無く消えていた。あんな怪我をしたのだという事は、もはや伺い知れない。


「だと思う。ポーションは魔法みたいに融通効かないしね。

 アルテミシアの綺麗な足に、痕が残らなくって本当に良かったわ」

「ふひゃあ」


 レベッカの手がアルテミシアの足をつるりと撫でた。くすぐったい。


 そしてレベッカは受付で渡された入浴衣を着込むと、長い髪をタオルで手早く括る。


「ほら、早くアルテミシアも着替えて」

「うん」


 言われてアルテミシアも手早く服を脱いだ。

 汚れや傷だけでなく、シワまで自動修復される謎の服。アルテミシアはそれを合理的思考のもと、大して畳みもせず適当に丸めて脱衣カゴに突っ込んだ。

 いや、そうしようとしたのとほぼ同時だ。


 おおっ!? と、歓声のようなどよめきがわき起こり、アルテミシアは飛び上がってしまった。


「え、待って? なんでわたしが脱いだ時まで『おおー』なの?」


 今度の声は、レベッカの時とは趣が異なる。

 圧倒的な大自然や荘厳な宗教芸術を前にして、己の卑小さを悟った者が思わず漏らした溜息のようだった。


 自分はレベッカのような『戦士としての肉体美』など持たないし、女性ですら息をのむダイナマイトボディというわけでもない。いくら客観的事実として可愛くても、肉体そのものはただのやせっぽちの少女だ……と、思っていたのだが。


「そりゃそうだよ。すっごい綺麗だもん」

「なんて言うのかしら……現実にはあり得ない人体の理想図、って感じ。絵に出てくる妖精とか女神の彫像みたいな、人外の美しさよね」

「そ、そうかな……」


 アルテミシアは自分の身体を見下ろして、くすぐったい気持ちを抑えるようにぺたぺたと触ってみた。

 白く細く柔らかくしなやかな肉体。人体の理想だなんて過分な褒め言葉だが、そう言われてみるとそんな気もしてくるから不思議だ。


「さて、それじゃ早く薬湯ってのに行ってみよー!」


 アリアンナが慎みの欠片も無く服を脱ぎ捨てた。


 辺りは水を打ったように静まりかえった。

 緊張と衝撃につばを飲む、僅かな音すら響いて聞こえたような気がする。


「……凶器だわ」

「……凶器だよね」

「な、なんですかそれーっ!」


 脱いだ服を胸元に抱き寄せてアリアンナは叫んだ。


 * * *


「うわ、すっごい!」


 湿った熱気の立ちこめる大浴場は、アルテミシアが想像していたものとは少し違った。

 シャワーと蛇口の付いた洗い場が並んでいるところは完全に銭湯スタイルだが、その奥が凝っている。

 自然の岩をいくつも配置し、岩の隙間から湯が湧き出てくるように演出している。湯船の方ももちろん岩風呂風で、その周囲には街路樹のように植木が植えてあった。


「すごい! お風呂屋さんの湯船って、普通は丸いか四角いだけなのに!」

「冒険中に見つけた温泉みたい。まさに『美女神の泉』ねえ」


 レベッカとアリアンナも、さすがに舌を巻いた様子。


 これだけでなく、革のカーテン的な何かで仕切られた場所の向こうにはサウナ風呂がある。現代の地球にありがちなユニット状に仕切られた部屋ではなく、この大浴場のように大きな部屋が丸ごと蒸し風呂なのだ。

 サウナ風呂は蒸し風呂で汗を流した後で垢をこすり落として、最後にぬるま湯や冷水を浴びるものだ。古来、地球においては湯船による入浴よりもこちらが主流であったそうな。


 浴場内では、入湯者に貸し出される薄桃色の入浴衣とは違う、赤色の入浴衣を着た女性スタッフ(そもそもこの施設に男性従業員は居ないようだ)が立ち働いている。掃除や整頓、備品の補充、チップ次第では背中も流していた。このために小銭を持ち込んでいる客もいるようだ。


 ちなみに渡された入浴衣は、ポンチョやチュニックのようないわゆる貫頭衣スタイルだ。

 長い布のド真ん中に頭を出すための穴を開け、腰の辺りの左右を紐で縛っただけという代物。スカスカで薄っぺらな布一枚、もはや『裸ではない』という言い訳のためだけに存在するような有様だが、その建前が重要なのだ。たぶん。


「どうせ身体を洗う時は脱ぐのにね」


 湿気で入浴衣が肌に張り付き、正視に耐えないほど危険な姿のアリアンナが言った。


「それでね、最初に身体を洗うか、せめてお湯を一杯かぶってから湯船につかるのが決まりなの」


 アリアンナがお湯入りの桶を差し出す。

 そのマナーは知っていたが、何故知っているのか詮索されても困るのでアルテミシアは黙ってお湯をかぶった。こんな所まで日本式だ。


「さっきのオーナーが言ってた『薬湯』ってどれかしら。

 あの湯船全部?」

「あっちじゃない?」


 アルテミシアが見つけたのは、明らかに作り付けではない、後から置かれたと分かる別の湯船だ。これはこれで大きいが、岩風呂ほどの広さはない。

 真鍮色に輝くスチームパンクなポンプから、うっすら緑がかったお湯が流し込まれ続けていた。

 湯船の近くでは従業員がコミケ行列の最後尾みたいに立て札を持って見張っている。近くには簡素なイスが並び、そこに座った順番待ちの女たちが談笑していた。


「そちらのお客様、お時間になりますー。順番をお譲りください」

「あら、もう?」


 混雑しないよう、ひとり当たりの利用時間に制限があるらしい。

 ちょうど係員に呼びかけられ、客のひとりが出て行くところだった。だがそこで、ふと係員の目つきが獲物を見つけた獣のように鋭くなる。


「お客様? 失礼ですが、手の中のものを確認させていただけますか?」


 浴槽を出て行こうとした客が、握っていた手を渋々開く。中には小さな革袋が握り込まれていた。


「お家のお風呂に、ちょっとでも入れたいと思って……」

「ダメです!」


 人気があるだけに良からぬ事を企む客も居るようで、係員は見張りも兼ねているようだ。お持ち帰りを見破られたマダムは、順番待ちの客から『気持ちは分かるわよ』とか言われながらすごすごと引き下がっていく。


「すっごい混んでるじゃん……わたしは別にいいかなー」

「私は行ってみたい!」

「でも先に身体を温めといた方がいいわよ」


 結局3人はまず、ただのお湯に満たされた岩風呂風の方へ向かった。


 周囲が半裸の女性ばかりという状況はやはり腰が引けてしまうが、脱衣所の洗礼を経た今、アルテミシアも少しは慣れてきていた。

 入浴衣があるというのもいい。少なくとも全裸を見なくて済む。

 それでもなるべく周囲の人影を見ないようにして、アルテミシアは風呂に集中した。


「あったまる……」


 湯温は少々高め。熱がじわりと伝わって身体に染みこんでいく。

 思うに、この細い体なら中心部まで熱が伝わるのも早い。


「お風呂は大好きよね、アルテミシア。それもサウナじゃなくて湯船の」

「宿でも毎日入ってるもんねー。私もつられて習慣になっちゃいそう」

「これはもう習慣って言うより習性みたいなもんだから……」

「いい事よ。身体は清潔に保たなくちゃ」


 レベッカは道無き山野を歩く事もままある冒険者。アリアンナは風呂無しの家に住んでいた身の上。

 入浴を必須のものと考える意識は無かったようだ。


 こちらの世界に転生して、身体も少女のものとなり……いろいろと変化はあったが、アルテミシアの中で『清潔』の基準は意外なほど強固に残っていた。

 一日の終わりにお風呂に入らないというのは、なんだか自分が不潔なような気がして落ち着かない。だいいち入浴による血行促進は健康にいいし、入浴それ自体気持ちが良いものだ。


 ――やっぱり、お風呂付きの部屋に住みたいなあ……

   毎日公衆浴場に通うのも大変だろうし……


 顔を半分お湯に沈め、ブクブクと泡を吹きながらアルテミシアは考えた。

 自宅にお風呂を持つというのが結構な贅沢だということは分かっているが、ジャパニーズソウルを受け継ぐ者として譲れない一線だった。


 ――あれ?


 顔を上げた瞬間、アルテミシアは奇妙なものを見た。


 岩の影から人型をした小さなものが顔を出していた。

 身長は10cmもあるかどうか。だいたい二頭身。身体の体積のほとんどを頭が占めるのではないかという、あり得ないデフォルメ体系だ。

 顔だけでは男(オス?)か女(メス?)かも分からないが、赤いフリルワンピースを着ているのだから女の子なのかも知れない。


 困り顔をした彼女はアルテミシア達の方を見て、必死で手招きするような仕草をしている。


 ――幻覚……?


 アルテミシアは前世において炎上中の案件で3徹した時、夜中に針金のように痩せた男が現れて立ち食い蕎麦を食いながらオフィスを爆走する幻覚を見た事があるのだが(もしかしたら心霊現象だったのかも知れない)、それとは何かが違うという気がする。


「ねえ、アリア。あそこ見て」

「なになに? なんかある?」


 アルテミシアは謎のゆるキャラを指差しつつ隣のアリアンナに声を掛けたが、アリアンナは指差された辺りにきょろきょろと視線をさまよわせている。


「あそこの岩の影……あ、行っちゃう!」


 湯煙の中で手招きしていたデフォルメ存在は、ひょいと身を翻すと、浴場の隅にある半開きになった鉄扉の向こうへ消えていった。掲げられた文字はアルテミシアには読めないが、おそらく『関係者以外立入禁止(STAFFONLY)』。

 開業したばかりの浴場らしく、錆も汚れも綻びもない無垢なる鉄扉は、アルテミシアを誘うように揺れていた。


「……見間違い?」


 ではないという確証が欲しくてアリアンナに声を掛けたのに、彼女が見つける前にゆるキャラはどこかへ行ってしまった。


「……あっちゃあ、開けっ放しだった。オーナーに怒られちゃう」


 鉄扉の向こうから従業員が出てきて、扉はバタリと閉じられた。

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