15-2 見ざる言わざる着飾る
「「きゃああああああああ!!」」
黄色い悲鳴、あるいは歓声が上がる。
最初にアルテミシアが着せられたのは、フリルの飾りが肩から裾まで付いた、腰にくびれの無い寸胴な白ワンピース。そして、顔が隠れるほど大きな純白のつば広帽子。
イメージとしては『ザ・少女像』。印象派の画家とかが描く絵に出てきそうだ。
「す、素晴らしい……この仕事をしていてよかったと、今日ほど思った日は無いわ!」
「さあ、ポーズとって! 帽子のつばをこう、片手で押さえて……ちょっと小首をかしげてみましょ!」
「こ、こう?」
「うーん。傾けすぎると、あざとさが先に立つわ! ……そう、その角度が一番可愛い!」
鼻息荒いレベッカに言われるがままアルテミシアは、男として生きていたら一生とる事は無かったであろう謎のポーズを決める。
「脇を締める!」
「アイ・マム!」
「内股気味に足を傾けて……手は胸元!
イメージとしては体を縮めるの。でも猫背になっちゃダメ。胸は張りなさい!」
「……これ、何の武術の修行?」
自分も適当に試着をしながら、アリアンナが呆れた様子で言った。
「こうかな……」
「かっわいぃーっ! そうそう! それよ! ……鏡ぃ!」
「かしこまりました!」
レベッカの号令一下、目を輝かせた店主がアルテミシアの前に姿見を叩き付けた。
――あ、やばい。これは確かに超絶可愛い。
鏡の中に奇跡が顕現していた。
恥じらうように大きな帽子で半ば顔を隠した少女。純白の装束は、青水晶のように輝く目と、鮮やかな緑髪、そして桜色の頬を際立たせる。やせっぽちの身体は、しかし磁器のように滑らかで透明感がある。
その姿は、生きとし生けるもの全ての庇護欲をかき立てるような儚さとか弱さを漂わせながらも、完全無欠の美を体現する。
「びっくりです。これがわたし?」
アルテミシアはベタなセリフとともに、しげしげと鏡の中の自分に見入ってしまった。
その感情はナルシシズムと言うよりも、見事な作品を生み出した芸術的達成感に近かった。……あまりにも尊すぎて自分だと思えない。
いつものコスプレ的な衣装に比べると、活発さやイロモノ感はあまり見えず、研ぎ澄ましたように純粋無垢だ。
『美しい』ではなく『尊い』。地上の穢れを知らぬ天使のような神界の美。
今の自分がどういう姿なのか、アルテミシアは知っているつもりだったが、これを見ると自分は何も分かっていなかったのではないかという気になってくる。
「『ゴブリンでも着飾れば美人』って言うでしょ。元が良いなら尚のこと!」
「人はね、着る服で全然印象が変わるのよ」
レベッカと店主がふたり揃って満足げに頷く。
「今のあなたは服の力も借りているけれど、どんな服を着てても同じようなことはできるはず。
思い知っておきなさい。服を着ることの力と……あなた自身の潜在力を」
「うん。本当にこれ武器だ」
武器は装備しなければ意味が無い。この世の真理だ。
だが、アルテミシアは自分が武器を持っている事も、それを装備していない事にも気付いていなかったのだ。
「これなら……ちょっと困った顔するだけで通りすがりの人が助けに飛んでくるし、込んでる乗り物でも席譲ってもらえるし、夕飯の買い物すればオマケしてもらえる!」
「やめて! その格好でそんな俗っぽいこと言わないで!」
「でもそうやって使えってことでしょ!?」
「そうだけど自分の口からは言っちゃダメなの!」
「……お嬢ちゃんしっかりしてるわねぇ」
「しっかりしすぎなんです……」
愉快そうに笑う店主のおばちゃん。そして、そろそろ呆れるのに疲れた様子のアリアンナ。
「でーもね、アルテミシア!
打算で綺麗になろうって考えてるうちはまだまだよ。あなたはもっと、オシャレの楽しさを知らなくちゃ。
それでこそ本当に磨かれるものよ」
「……確かに。好きこそものの上手なれ、ってことかな。好きでやってることなら上達も早い……」
「そうそう、ってなわけで次行ってみよう!」
レベッカがビシッと布の山を指差した。
いつの間にか、作業机の上に山のように服が積まれていた。
「……待って。もしかしてそれ全部わたしに着せる気?」
辟易とするのには十分すぎる量だ。明らかに10着は超えている。
学校の制服みたいなフォーマルな雰囲気のものから子どもサイズのイブニングドレス、果ては喪服まで。積み上げられた服はそれぞれに方向性が違う。
「もちろんよ。でなきゃ、なんでこんなとこ来たと思ってるの?」
「特別大サービス。全部試着させたげる」
「オシャレの楽しさ、たっぷり味わわせてあげるわ」
後ずさるアルテミシアの背中が壁に当たった。
……レベッカは最初に言ったではないか。『いじり倒す』と。
「ねぇ、お姉ちゃん? 無理やりやらせたものって大抵嫌いになると思わない?」
「大丈夫、すぐに良くなるわ」
「何が!? これ、もはや着せる側が楽しいだけでしょ!」
「楽しいに決まってるじゃない!!」
狼の目をしたレベッカがアルテミシアをホールドした。
「次、これを着せてみません?」
「いいわね、それじゃお着替えよ!」
「はわわわわ……」
世界のどこかで牡丹の花が落ちた。
* * *
「……死ぬかと思たアル」
「アルテミシア……? アイデンティティが崩壊しかけてない?」
「すごくつかれた」
結局、衣装20着分の着替えとポーズ指導をこなし、這々の体でアルテミシアは貸衣装屋を脱出した。
肉体的な疲労よりも、新たな扉を開けまくった精神的疲労が大きい。
『大人にも侮らせないすました少女のポーズ』『誰もが応援したくなるひたむきな少女のポーズ』『ただただ美しく可憐な晴れの日の少女のポーズ』『小悪魔的な雰囲気を漂わせる危険な少女のポーズ』(いずれもレベッカが命名)……
三十余年を男として生きてきたアルテミシアにしてみれば何もかもが初体験だ。
『いい、アルテミシア? 黙ってても他人が都合良く見てくれるなんて、甘ったれたこと考えちゃダメよ。
可愛く見られたいなら、可愛さを見せる! 賢く見てほしいなら、賢そうに振る舞う!
自分の見え方を自然にコントロールできるようになりなさい!』
『アイ・マム……!』
鬼軍曹殿の指導が頭の中に木霊する。
水鳥は一見優雅でありながら、水面下では必死で水を掻いているという。
可愛いは作れる。だが、可愛さの源にあったのは地獄のブートキャンプだった。
「うふふふふ、眼福眼福。良いもの見せてもらったわ」
「おねえちゃんがたのしそうでなによりです」
「そりゃ楽しいわよ。私はずっとこういうことしてあげたかったんだもの」
ほくほく顔のレベッカに、洋画の吹き替えにしゃしゃり出てくる芸能人みたいな棒読みでアルテミシアは応じた。
「で、でも、どれも本当にすごく可愛かったよ」
「あんまり慰めにならないけどありがと……女の子って大変なんだね」
「あれは……女の子だからとかいう問題じゃないと思うし、できてる人はそんなに居ないと思う……
見てて私も参考になった。オシャレって、服を着たりお化粧するのが全てじゃないんだって」
アリアンナは(それなりに眼福を味わっているようでもあったが)アルテミシアの七変化より、レベッカ軍曹のレッスンに興味津々という様子だった。
「そーよ。どんなに高いドレスを着たって、それで満足してちゃダメダメ。それこそお化粧したゴブリンと変わらないわ。どういう自分になりたいか、が重要なの。
アリア、あなたも頑張りなさい。そりゃあドレスを着て冒険に出かけるわけにはいかないけれど、冒険者だってオシャレしていいのよ」
「はい!」
元気よく手を上げて返事をしたアリアンナ。
しかし、その手がすぐに萎れた。
「でも私、アルテミシアみたいにはできないと思う。せめて、このそばかすが無ければなぁ……」
溜息をついてアリアンナは鼻の辺りを撫でた。
農作業で日に焼けたアリアンナの顔には、夜空に散った星のようにそばかすが浮いている。どうもアリアンナは、このそばかすがコンプレックスらしい。
そばかすは日焼けによって誘発されることが多い。野外で労働をする女の象徴と見て、卑しいものだと忌避する貴人も居るのだとかなんだとか。
アルテミシアとしては、そんな考え方はナンセンスだと思っているが。
「そばかす可愛いと思うよ?」
「……え? え……!?」
純朴な雰囲気のアリアンナには、むしろ似合っているし魅力を引き出しているとアルテミシアは思った。
だいいち、これが日焼けによるものだというなら、一家の生計を立てるために父母とともに働いた結果ではないか。誇るべき勲章だ。これを卑しいと思うような漂白脳は、一生業務用冷蔵庫に住んでいればいい。
「ちょ、ちょっとアルテミシア、急に何言って……」
「この天然タラシ」
「えー……」
真っ赤になってそわそわと身悶えるアリアンナ。
レベッカは容赦無くタラシ認定を下した。
「この子と比べて自信なくしてりゃ世話無いわよ。比較対象が悪すぎ。あなたにはあなたの魅力があるのよ、アリア」
「……レベッカさん、どこ見て言ってるんですか?」
明らかに身体のある部分を見ながら言ったレベッカは、アリアンナに指摘されてそっと目をそらした。
「さっきもいろんな服を試してみたんですけど、自分が服に釣り合ってないような気がして……」
「その方が普通よ。ああいうお店だと、どうしても華やかな服が多いから。
アルテミシアは素材が良すぎて何を着せても似合っちゃうけど、普通は服の自己主張が強いと、ちょっと浮いた雰囲気になっちゃうもの。
……そーね、アリアは普段着レベルのオシャレから入った方がよかったかしら」
「普段着……ですか」
アリアンナはシャツをちょっとつまんでみる。
今アリアンナが着ているのは、長袖で通気性が良い丈夫なシャツ、そして同じようなズボン。軽鎧のアンダーとしても使う冒険用の服だ。
快活な印象が出て、アリアンナには合っている……かも知れないが、間違ってもオシャレ着ではない実用一点張りの服である。
「安くて質が良いって評判の服屋さんがあるんだけど、こないだの事件以来、まだ店を開けてないらしいの。
営業再開したら一緒に行きましょ」
「はい! ありがとうございます!」
「気にしないで、私も服買い足さないとならないからちょうどいいわ。
旅から旅の暮らしだと服なんていくつも持ってられないけど、こうやって街に腰を落ち着けるなら、もうちょっと服を増やした方が便利だもの。
……あと、アルテミシアの着替えも買わなくちゃならないわよね」
「え? わたしも?」
特に不便を感じていなかったアルテミシアは疑問の声を上げたが、レベッカは首を振る。
「アルテミシア、いくらその服が着続けても綺麗なままだからって、ずーっと同じ服なのはどうかと思うわよ」
アリアンナもうんうんと頷いた。
アルテミシアが着ている、何かのコスプレみたいな謎の服。
これはただの奇抜な衣装ではない。損傷は自己修復され、汚れも勝手に消えていくという謎の特殊効果がある。
汗でべた付いたり泥で汚れたとしても、着ているうちに綺麗になってしまうのだからとんでもない。それを良い事にアルテミシアは着た切り雀状態だった。
「洗濯の手間が無くていいと思ったんだけど……」
「ダメー! そんな理由で同じ服着続けたら、女の子として大切な何かがダメになるわ!」
「ソ、ソウデスカ」
あらためて考えてみれば『女の子として』と言うより『人として』何かがダメになるような気もするので、アルテミシアは従う事にした。
「下着も買っとかなくちゃ。……ブラはまだ要らないわよね?
使うにしても、この辺の地方じゃコルセットだっけ?」
レベッカの不意打ちに、アルテミシアは何も飲んでいないのにむせ返った。
――ブラジャーってかなり近代に入ってから生まれたものだったような……
ああ、でももしかしたらサラシみたいなファンタジーブラジャーの事かな?(現実逃避)
既にスカートにも、密着度が高いパンツ(そう言えばこれもかなり現代的だ)に慣れつつあるアルテミシアだったが、下着の話はまだちょっと刺激が強い。男として生きた経験の中で植え付けられた『タブー感』は、そう簡単に消えない。
いや、平均的な30代男性が女物の下着を身につけていたら変態扱いされるだろうが、今はむしろそれに慣れなければならないわけであって……
「どしたの、アルテミシア」
「なんでもない……」
アルテミシアは平静を装った。
女物の下着の話だろうと平然とできるようになっておかなければ、この先辛いに違いない。
だが、人は現状に順応する生き物だった。時が解決してくれるだろうとアルテミシアは鷹揚に構えていた。
――性転換のポーションの製法とか、そのうち探してみようと思ってたんだけど……
仮に性転換の手段があったとしても、今すぐ入手するのは無理だろうし。
どのみち、しばらく女の子として生きるのは確定なんだよね。
そうこうしているうち、女の子として生きる事が当たり前になっていくはずだ。
――正直、このまんま普通に生きていけちゃいそうな気もする……
わたし『自分が男であること』に大してこだわってなかったんだなあ。
しみじみと、アルテミシアは思う。
『自分が男であること』を心のよりどころにしている人だったら、性転換は自殺を考えるほどのショックだったかも知れない。例えば極端な男尊女卑論者とか、男じゃなきゃできない仕事をしてる人とか。
だが通野タクトは(痴漢冤罪で人生終了にならないよう電車内で絶対女性に近寄らなかった事を除けば)他人の扱いに男女の区別など付けなかったし、性別を限定するような技能など特に無かった。
あるいは、自分の性を強く意識する思春期くらいの子だったら衝撃を受けたかも知れないが、悲しいかな彼女居ない歴=年齢という慎ましやかな人生を送る魔法使い。『性別:社畜』が自分は男か女かなんて意識するのは、たまに気が向いて薄い本を物色する時とか、トイレに入る時くらいだった。
致命的な問題は特に無い。と、なれば、もはや男に戻るかどうかはコスパの問題になってくる。
もし目の前に、振るだけで男に戻れる魔法の杖とか落ちてたらさすがに悩むだろう。だが、そこまでお気軽に済むわけがない。
男に戻るため世界を股に掛けた大冒険をしたり、ポーションの材料を手に入れるため暗黒オークションで大金を積み上げたりするかと問われれば……その時間とお金をケーキに使った方が豊かな人生を送れそうだ。
『自分は女の子で構わない』……
それが、今のアルテミシアが出した結論だった。
しかし、それはそれで、今の自分は女の子にもなりきれていない、という気がする。戸惑いを覚えるようなことだって、これから先に山ほど待っているはずだ。
――自分の可愛さを楽しめるようになれば、わたしは女の子になれるのかな?
分からない。だけどこれも、きっと時が解決してくれる問題なのだろうとアルテミシアは考えていた。
「それじゃ、次は別方面から攻めてみましょうか」
鬼軍曹が意気揚々と歩き出し、アルテミシアは慌てて後を追った。