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15-1 砂糖スパイス素敵な何か

 例えるならそれは、本能のままに生きていた赤ん坊が『自己』を認識する瞬間にも似ていた。


 * * *


 アルテミシア達が仮宿としているスイートルームには、更衣室が存在する。

 滞在する貴人が身繕いをする際に用いるためだけの部屋だが、一般家庭のリビングルームを優に超える大きさだ。

 ピアノと見間違えそうな大きさの三面鏡が鎮座し、大量の衣服を掛けられるハンガーが存在し、以下省略。

 部屋は全体にブリリアントにして装飾過多であり、落ち着いた淡い金色と白でまとめられている。眺めているだけで、パンが無ければブリオッシュ(ケーキ)を食べればいいかのような気分になる部屋だった。


 もっとも、今はレベッカが適当に冒険道具を置いているので、なんだかよく分からない珍妙な雰囲気を醸し出している。


「レベッカさん、これは?」

「見たまんま、ただのロープよ。でもかなり頑丈。あとこれ50cmごとにマークが付けてあるから、例えば穴の深さとか調べたりできるの」

「この小袋は?」

「傷薬。水で戻して使うやつね。ひとつまみに対してコップ半分くらい。止血に効果大」


 レベッカは一見ガラクタみたいなアイテム類を床に広げ、使い方をひとつひとつアリアンナにレクチャーしている。


 その傍ら。アルテミシアは部屋に置いてある姿見鏡の前に立って、鏡の中の自分を見ていた。

 首の辺りまでをふわりと包むクセの強い髪は、光の当たり方によって、目ににじむような鮮烈な緑にも、神秘的なエメラルドグリーンにも見える。

 人ならぬものにすら思えるほど整った顔立ち。深く澄んだ蒼い目が特徴的だ。

 体はやせっぽちだがしなやかで、その肌は雪のように白い。

 着ているのは例の謎衣装。マントとケープの中間みたいな白い襟巻き。不思議な輝きの金属による装飾が施されたパステルブルーのジャケット。ふんわりとしたフレアスカート。細い足を包むニーハイブーツ……


 まずアルテミシアは気をつけをしてみた。初々しい雰囲気だ。

 次に、ちょっと小首をかしげてフワフワ頭を掻いてみる。身繕いをする小動物のよう。

 エアメガネを押し上げるポーズ。理知的……いや、ちょっと背伸びをしたおませな子に見える。

 踊るようにくるりと一回転。遠心力によってスカートが舞い上がった。危ない。

 そのまま止まって、バレエのポーズのように手招き。鮮やかに青い目に吸い込まれてしまいそうだ。


 まじまじと鏡を見てみると、そこに生きて存在することが奇跡だとすら思えてくるほどだ。


「何してるのー? アルテミシア」


 さすがに気になったらしく、レベッカが授業を止めてアルテミシアの方を向いた。


「ねぇ」

「なぁに?」


 鏡の中の少女を見たまま、アルテミシアは問う。


「わたし、可愛いよね?」

「もちろん」


 レベッカは早押しクイズばりに即答。

 会話を聞いていたアリアンナがゆっくり横に傾いて、壁に頭をぶつけた。


「アルテミシア……

 それ、言ったのがアルテミシアじゃなかったら変な人だと思われるよ」

「でもアルテミシアになら言う権利があると思うわ」

「それはそうですけど……」


 激しく呆れた様子のアリアンナがゆっくりと身体の角度を戻し、乗り物酔いでもしたみたいな調子で顔を覆う。


「ねぇ、もしかして今気が付いたの?」

「うすうす察してはいたけど、なんか急に実感が」

「自分で言えるくらい可愛いのは本当だと思うけど……

 だからって自分で言うのって、すごい自信……」

「えっと、自意識過剰とかじゃなくて、なんて言うのかな。

 わたしにとって、それ自体は比較的どうでもいい単なる客観的事実だから」

「うわあ」


 アリアンナは完全にドン引いていたが、アルテミシアにとってこれは掛け値無しの本音だ。


 ――うぅ――――ん…………

   『可愛い』って言われて喜ぶ回路、わたしにはまだ無いな。


 なにしろ(少なくとも体感的には)ほんの半月前まで、『可愛い』なんて言葉には縁が無い、一般的な容姿の三十路過ぎ男だったのだ。

 可愛いと言われても、自分の可愛さを自覚しても、まだどう反応すればいいかわからない。

 鏡の中の自分は本当に芸術品のように美しく、眼福だと思うだけの感性はあるが、それは突き放して客観視しているだけで、ナルシシズムとはちょっと違う。


 考える事は、せいぜいひとつだった。


「武器にならないかな? この見た目」

「なるわよ」


 会話を聞いていたアリアンナは、貧血を起こしたかのようにフカフカの絨毯に倒れ込んだ。


「なんでかな。急にすごく疲れた……」

「えっと……なんだかごめん」

「うっさいばーかばーか」


 飛んできたクッションをアルテミシアは顔の前でキャッチする。顔面セーフならず。


「ふむ……ごめんね、アリア。こっちのレクチャーはまた今度にしておくわ」

「え? あ、はい……」


 鷹のように鋭い目をして、レベッカが何か考えている様子で立ち上がった。


「いいかしら、アルテミシア」

「はい、お姉ちゃん」

「あなたが自分の可愛さに気付いたなら、私は姉としてあなたを導く義務があるわ。

 可愛さは間違いなくあなたの武器だけど、どんなに良い武器でも持ってるだけじゃダメ。

 『武器は装備しなきゃ意味が無い』ってよく言うでしょ? 研ぎ方を、振るい方を、私が教えてあげるわ!」

「アイ・マム!」


 レベッカは真剣だった。

 その動機のほとんどは『アルテミシアをもっと可愛くしてもっと可愛がりたい』だと思うのだが、人生の先達としてアルテミシアを導かんとする決意も……たぶんあるのだと、アルテミシアは信じたかった。


 そして、アルテミシアも真剣だった。

 これからの人生を考えれば、貧弱な身体能力を補える『武器』は、あればあるほど良い!

 それが強力なアイテムだろうと自分の外見だろうと同じことだ。


「……でも、できればその訓練の中で目覚めてほしいわね。自分が可愛く美しくなる事の快感に。

 何かのためとか、誰かのために自分を磨くのもいいものだけれど、何より、自分自身のために美しくなるっていうのは、とっても素敵なことよ」

「ど、努力します、マム」

「なんなのこのノリ……」


 そろそろ理解を放棄しつつあるアリアンナがイヤイヤをするように頭を振った。

 三つ編みと、暴力的な胸部が揺れる。


 アルテミシア本人も状況を理解しきれているか怪しいが、もうこうなれば勢い任せだ。


「さぁ、そうと決まれば出かけましょ!」

「って、どこへ?」


 信じられない早さで鎧を脱いで(何かそういう仕掛けが鎧にあるらしい)ワンピースに着替えたレベッカは、街用のバッグを引っ掴む。


「まずはちょっとお手軽に、体を飾ることから始めましょっか」


 * * *


 その店の外観は、まるで小洒落た骨董店のようだった。

 中に入ると、濃縮された布の匂いが押し寄せてくる。虫除けの香か何かの匂いも混じっていた。


「これだけ大きな街ならあると思ってたわ、こういう店!」

「ここは……?」


 外から見ると結構大きそうに見えたのに、店の中に入ってみると手狭な印象を受ける。

 と言うのも、店内通路の両側は、上下二段に分かれたハンガーになっていて、おびただしい数の服が掛けられていたからだ。

 

 そこにある服は、例えばスーツ。例えばイブニングドレス。フォーマルな印象の服がとりどり揃えてあった。隅の方にある黒一色の塊は喪服コーナーか。


「本物の上流階級アッパークラスなら、服は全部オーダーメイドしちゃうわよね。

 そんなお金は無いけれど、時々礼服を着たり、めかし込む機会がある……

 半端な人らのための、貸し衣装屋よ」


 入り口脇には、剣と鎧を装備した中年の用心棒が控えていた。

 服に用心棒。大量生産された化学繊維の服が世界中に満ちている21世紀の地球と違い、こちらではまだまだ衣服が貴重なのだ。

 もっとも、現実の中世よりはよっぽど充実しているような気もする……少なくとも、庶民に礼服こんなものを着る文化がある程度には。


 3人が店に入ってすぐ、モブキャップをかぶった店主らしい女性が奥から出てきた。

 どっちかと言うと食堂のおばちゃんっぽい雰囲気の、包容力と体重に満ちた御仁だ。


「あらあら、まあまあ、いらっしゃいませ。

 ゲインズバーグを救った英雄様にお越しいただけるなんて、私も鼻が高いわ」

「持ち上げるわねえ。サイン要る?」


 店主はレベッカに気が付いた。

 新聞に似顔絵が載ったおかげで、レベッカの顔は街中に知られている。おまけに、緑髪は珍しいから目立つのだ。未だに染めたままの豊かな緑髪を見れば、顔と合わせてだいたいレベッカだとわかるのだろう。


「今日はお願いしたい事があって来たの」

「あら、それはどのような……」


 レベッカは店主にそっと近づいて、人の子を誘惑する悪魔のように耳元で囁いた。


「この子をいじり倒してみたいと思わない?」


 その言葉とほぼ同時。

 店主の首が巨大機動ロボの関節駆動みたいにアルテミシアの方を向いた。そしてアルテミシアは物理的圧力を感じるほどの視線に、一瞬で全身をスキャンされた。


 パニックホラー映画の怪物も、かくや。

 レベッカと店主の目が、同時に光った。

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