2-9 だって世界は優しくないから
山の中は、ごく一部を除いて再び平穏を取り戻していた。
「いつの間に、ポーションなんて……?」
「怪しいとは思ってたから、問い詰める前に。……敵を騙すにはまず味方から、ってとこかな。アリアは素直だから、絶対、顔に出ちゃうと思って」
腰が抜けてしまったらしいアリアンナの隣に、寄り添うようにアルテミシアは座っていた。
すぐ近くでは、グレッグが魂の抜けかけた表情でへたり込んでいる。
「……すごいな。私よりアルテミシアの方が、ぜんぜん冒険者っぽいや。私、決意して冒険者になったはずなのに、いきなり、こんなで……アルテミシアも、危険な目に遭わせちゃうし……」
うつむきがちにそう言うアリアンナは、そうとう落ち込んでいるらしい。
ちょうど撫でやすい高さまで降りてきた頭を、アルテミシアはわしわしと乱し、金色の三つ編みに猫パンチを決めた。
「あのね、アリア。わたしは、こんな事を負い目に感じてほしくないの。
優しい気持ちで誰かを助けようって思っても、裏切られるかも知れないけれど……そうやって人を助けること自体が間違いだったなんて言いたくない。
……ううん、アリアにそう思ってほしくないんだ。
そのためなら、わたしはちょっとだけ戦ってもいい。わたしは剣も弓も魔法も使えない非戦闘員だけど、わたしができる事ならアリアのためにやってもいい」
悲しさと嬉しさが半分ずつせめぎ合っている様子で、アリアンナは頷いていた。
……最後に非戦闘員を自称したところでは、顔に大量の疑問符を浮かべていたが。
「優しいんだね、アルテミシア」
「とんでもない。わたしは自分勝手な正義感があるだけで、アリアみたいに優しくないよ。きっと。
仮にそれを優しさって呼ぶのなら、優しさの種類と方向性が違うんだ。
でも、だからかな。アリアの優しさは、すっごく眩しく見えるの。
だからわたしは、アリアの優しさを守りたい。
またこんな風に、優しさが裏目に出たりするかも知れないけど、その結果をわたしはバッドエンドなんかにしたくない。アリアがまた優しい気持ちになれるように、少しでも帳尻を合わせた結末になってほしい。本当に、それだけ」
「アルテミシア……」
感極まった様子のアリアンナは、泣き笑いみたいな表情で、アルテミシアの髪をもふもふした。
「……わたしに対する感情表現、全部そのモフモフで済ませる気なの?」
「だってぇ……」
その時、藪の向こうから……レベッカがユーゴを『お仕置き』している方向から、ひときわ大きな悲鳴が上がった。
「……ねぇ、そろそろ止めた方がよくない?」
「うん……いい加減うるさいしね……」
ふたりは立ち上がり、断続的に悲鳴が上がる方向へ向かっていった。
* * *
『お仕置き』は、治癒ポーションを飲ませながらだったせいか、ユーゴの命に別状は無い様子だった。
逆に言えば、命以外はあんまり無事ではなかった。
傷口こそ塞がっているものの、アルテミシアを抱え込んでいた左腕は消失している。憔悴しきった表情で目の焦点は合わず、口からブクブクとあぶくを零しながら、何事か呟いていた。
「アルテミシア様は素晴らしい方でございますアルテミシア様は素晴らしい方でございますアルテミシア様は素晴らしい方でございますアルテミシア様は……」
「ちょっと待てーっ! なに洗脳してんの!?」
「いたぶる口実」
ぬけぬけと言うレベッカ。久々に意味が分からない。
「あの……この人は、これからどうなるんですか?」
「ギルドに突き出すのが筋でしょう。それからギルドが調べれば、こいつに殺された冒険者も分かるはず。そしたら後は領兵団の仕事かしら。魔物に殺させてたとは言え、これだけやったら死刑ね」
「死……ですか……」
「折角アリアンナが助けたのにね……
でも、おかげでこいつがなにをやってたか分かったんだから、それでいいのよ。望んだものとは違うかも知れないけれど、貴方の『人助け』、ちゃんと意味があったわよ」
「……そうですね。なら、よかったです」
ショートボウを抱えて、アリアンナはにっこりと笑った。
レベッカはそんなアリアンナを見て、幾度か目を瞬かせた。
「なんだ、結構元気そうじゃない」
「えへへ……そうですか?」
無理して気丈に振る舞っているようには見えない、いつも通りのアリアンナ。
怒り悔やみ、落ち込んでいた先ほどの様子とは、確かに大違いだった。
「大丈夫です、私はこれからも頑張って、バリバリ人助けしますよー! ですから、レベッカさん。私を冒険者として、もっと鍛えてください」
いつも通りと言うよりも、むしろ元気が有り余ってさえいるかも知れない。
手振りもまじえて、全身で決意を表現するアリアンナを見て、レベッカはちょっと苦笑した。
「よろしい。それじゃ、まずはこいつの連行と……あぁ、そうだ。もうひとりも殺されてるらしいから、遺体の回収もしなくちゃね。場所は教えてくれたわ。遺体なら空間圧縮鞄に入れられるし……」
残った仕事を整理して説明しながらも、レベッカはアルテミシアと目が合った一瞬、ウィンクを投げて寄越した。
『何かしたわね?』と『グッジョブ!』を足して二で割ったような感じで。アルテミシアは、『大したことはしてないよ』のつもりで、ちょっとだけ笑ってみせた。
* * *
「あの」
暮れなずむゲインズバーグの街。
ギルド支部での聞き取りを終えて、とぼとぼと出て来たグレッグを呼び止める者があった。
レベッカ、そしてアルテミシアだ。
夕日の鮮やかな赤光を受けて、ふたりの緑髪が目に滲む。
「何か、俺に用ですか?」
「これ、受け取ってください」
アルテミシアがグレッグに手渡したのは、小さくてもずっしりと重い革袋だった。
中を見ると、夕日を受けて鋭く輝く、銀の光がグレッグの目を突き刺した。
銀貨だ。革袋を凶器にできる程度の量は入っている。
何がどうなっているのか理解できず、グレッグは革袋とふたりを見比べる。
「おすそわけ。別にくれてやる義理も無いけど、アルテミシアがあげるって言うから。
結果的には貴方がいい囮になってくれたお陰で、いい獲物を楽に倒せたわけだし。四人パーティーだとして、荷物持ちレベルの見習いなら、報酬の分け前はまぁこんなもんでしょ」
「ポーション代はさっ引いておきました。……実家へ帰るにも、冒険者を続けるにも、お金は必要だと思います」
「そんな……いいんですか? だって、俺……騙されて、逃げ回って、助けられて……本当に、ただそれだけで……」
「それじゃ完全に踏んだり蹴ったりじゃないですか。そういうの、放っておけないんです。
遠慮しなくて大丈夫ですよ。単なる、幸運のお裾分けです」
言い切る少女の声音には、ひとかけらの陰りも無く、考えたままを口に出しているのだと分かる。
子どもの純粋さがグレッグの胸に痛い。革袋の中身は少なく見積もっても三万グラン。一般的な労働者の、ひと月の稼ぎより多い。『自分がどれだけの大金を出そうとしているか分かっているのか!?』と泣き叫びたくなるグレッグだった。
お金が貰えるというのなら、それは嬉しい。ものすごく嬉しい。
なにしろグレッグは、ほぼ一文無しの有様だったからだ。
しかし、そんな金を貰うわけにはいかない、という気持ちの方が強い。
レベッカはああ言ったけれど、この金を得るため自分がどれだけ貢献できただろうかと思うと、全く役に立てた気がしなかった。資格と最低限の装備だけを持って飛び込んでいった、完全な素人が、為す術なく翻弄されていただけだ。
それに、こんな金があったところで何の意味があるのか、とも思う。
装備を調えて、剣を習って、冒険者としてやり直す? それで自分が成功できると信じることは、もはやグレッグにはできなかった。
ならばこの金を土産に故郷へ帰るべきか。いや、そうしたらこの金は呪いにすらなる。どうやってこの金を手に入れたのか、正直に話しても、嘘を話しても、その度にグレッグをさいなむだろう。
ベアにやられた革鎧はもう売り物にすらならないとして、ショートソードを売った金でなんとか田舎へ帰り着くくらいが、冒険者という夢に挑んだ自分の結末としてふさわしいだろうと思っていた。
だが、そんな自罰的な考えすら、冒険者は軽々踏み砕いた。
「冒険者の第一条件はね……力も技も運も使って、どんな時でも生き延びることよ。貴方はそれができたでしょ。私たちに会うまで、逃げ抜いたんだから。私はその根性とアルテミシアに免じて、貴方を冒険者と認め、分け前を出すわ」
レベッカの言葉を聞いて、グレッグは勝手に涙が溢れてきた。
ゲインズバーグを救った大英雄に、こんな言葉をかけてもらえるなんて。
彼女に言われてみれば、納得できる。少しだけ自分を認めてやろうかという気になれた。……要するにグレッグは単純だった。
「……ありがたくいただきます。これからどうするか、ゆっくり考えて、そのためにお金を使おうと思います」
「ん、よろしい。でも、お礼を言うなら私にじゃなく、アルテミシアの方よ」
「別にお礼なんていいんだけど……」
はにかんだ笑顔を浮かべるアルテミシア。そう言えば、お金を渡すのもアルテミシアの意見だったはず。
レベッカと一緒に居ると、どうしてもネームバリューのあるレベッカに目が行ってしまうが、アルテミシアの活躍も尋常ではない。
冒険者ではないと言っていたし、事実、彼女は武器すら持っていないが、ユーゴの企みを見抜いた洞察力と、逆にユーゴを嵌め返した機転。そして度胸は、間違いなくグレッグを上回っている。
レベッカの妹なら当然か、と思う反面、年下の女の子にいろいろ負けているというのは、ちょっと劣等感を刺激される。
あと、可愛い。いや、それはどうでもいいのだが、同い年だったら惚れていたかも知れないな、とグレッグはちょっと思った。
まぁ、そういうのを全部ひっくるめて言うなら、アルテミシアは尋常ならざる存在感を持つ少女なのだ。
尊敬すべき先達と考え、グレッグは深く頭を下げた。
「ありがとうございま――」
「あ~~~……?」
グレッグの礼は、ふたりの背後から発せられた、間延びした声によって遮られた。
ガラス瓶の底みたいな眼鏡を掛け、ギルド職員の制服を着た女性が、蛇のようにアルテミシアにまとわりついていた。
「いや~~~こんな所で会うなんて奇遇ですねぇ。レベル13のアルテミシアさん。本当に冒険者じゃなかったんですねぇ。ワタクシとしましてはアルテミシアさんにひとつ、冒険者に――」
「天狗の仕業じゃああああああああ!」
途端、謎の叫び声を上げながら、アルテミシアは夕日に向かって全速力で逃げていった。
「テングって……なんですか?」
「さぁ?」
「って言うか、レベル13って……マジ?」
「ちっ……逃~~~げられたぁー……」
後には、呆けているふたりと、夕日に眼鏡を輝かせる職員一匹が残されていた。
これでふたつめの話は完ですが、第二章・~日常編はまだ続きます。
次はもうちょっと短い話です。
あと、ようやく通貨単位出せました。
とりあえず略が「G」になる名称にしようと適当に考えただけで、由来とかは特に無いです。
★『ポーションドランカー マテリアル集』にマテリアルを追加。
(「次の話」リンクの下に、マテリアル集へのリンクがあります)
・[2-9]≪能力算定≫ 洗脳完了 1321年.芳草の月.15日
(ユーゴ)
・[2-9]冒険者ギルド フィールド情報1 グフト山
・[2-9]冒険者ギルド 魔物情報2 (※2話登場分 2種)