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1-2 食べなければ死ぬと古事記にも書いてある

 この家には三人の人間が住んでいた。長椅子で眠っていた少女と、その両親である。タクトの悲鳴を聞きつけて、奥で寝ていた両親も出て来たところだった。


「あっちゃー、焦げてる……」

「ばかもん! 食い物を無駄にしたらどうするっ! 火にかけたまんまで寝るんじゃない!」


 長いすで眠っていた少女が慌てて鍋をかき回し、父親らしい筋肉ダルマのおじさんは、尻が焦げたやかんを鍋の横に据え付けている。


「目が覚めてよかったわぁ。体はなんともない?」

「あ、はい。だいじょうぶ、です……」


 少女の母親に聞かれて、長いすに座り込んでいるタクトは答えを返したが、完全に上の空だった。

 理由の半分は当然ながら、性別が変わっていたという衝撃だ。ある日突然性別が変わったら、ショックを受けない人の方が珍しいだろう。こちらの世界でも男になるはずだったのに女になってしまったのだ。


 しかし、それ以上に今タクトが考えているのは、『この転生が何かおかしい』という事実が確定してしまった事だった。

 間違ってもこの体、領主の息子ではない。姿が違うだけではなく性別まで違う。

 鏡に映った姿には見覚えがあった。『行き倒れの少女』として、転生カタログに掲載されていたような気がする11歳の少女。


 転生寸前の騒動。絶対に何かトラブルがあったのだ。

 夢見ていた転生後の将来設計はどうなる? 地位は? 財産は?


「よし、こんなもんでいいだろう」


 タクトが悩んでいるうちに、少女と父親は鍋から何かを取り出していた。


「嬢ちゃん、米は食えるかね? こんなものしか出せなくて悪いんだが」

「米……!?」

「消化がいい粥にして食えるから、行き倒れの体にはいいかも知れんと思ってな」


 コメ。異世界に来て最初に目にする食べ物が、まさか慣れ親しんだ米であるとは。

 父親が差し出してきたスープ皿には、湯気を立つ粥がよそわれ、木のスプーンが差してあった。

 立ちのぼる匂いは、まさに米以外の何物でもなく、胃袋がぎゅっと縮む。


「い、いただきます……」


 タクトはそれを、おそるおそる受け取った。

 こっちの世界で食前に『いただきます』を言う習慣は多分無いだろうと思ったが、日本での生活で染みついた癖だった。


 木製のスプーンで、トロトロに煮えて湯気を立てている、溶けかかった米を口に運ぶ。

 火傷しそうなくらい熱い粥が口の中に染み渡った。

 味は確かに米の粥だった。タクトは米の味の細かな違いなど分からないが、これは確かに食べ慣れた日本米からそう離れていない味だった。

 舌と上あごで挟んで潰せるほどに煮込まれた粥は、口に含む度にほのかな甘みを迸らせる。空腹のせいで味覚が限界まで研ぎ澄まされていた。

 塩すら振っていない、ただカロリーを補給するためだけの食事だったが、それで十分だった。


 飲み込んだ粥が胃に溜まって体が温かくなると、タクトは自然と涙が溢れてきた。

 その感情は『飢え死なずに済んだ』という本能的な安堵だった。うろたえている頭よりも、体はよっぽど正直で、愚直だった。


「大丈夫?」

「はい……」


 皺深い顔に人の良さそうな笑顔をした、少女の母親が声をかけてくる。

 不覚にも死んだ母親のことを思い出してしまい、涙の出力が増した。こうやって体のことを誰かに気にかけてもらうなんて、何年ぶりだっただろう。

 涙にむせぶ自分の声を聞きながら、タクトは必死で粥を掻き込み続けた。


 * * *


「ありがとうございました。おかげで、助かりました……」


 粥を食べ終わったタクトは、椅子に座ったまま深々と礼をした。

 少女が、暖炉で暖めた白湯の入ったコップを渡してくる。冷たかった指先に暖かさが染みた。


「どういたしまして。いや、本当に助かって良かったよ。夕方頃、森へ薬草摘みに行った娘が、倒れてるお前を見つけて、知らせに来たんだ。こいつが道を間違えてたせいで、探すのに手間が掛かっちまって、死んだかと思ったが」

「えへへ……ご、ごめんなさい。でもよかった! 私はアリアンナ。お父さんはグスタフ、お母さんはマリアって言うの」


 少女ことアリアンナが紹介する。くたびれたブラウスとスカートを身に着けている彼女は、立ち上がってみるとなかなかのプロポーションの持ち主だった。当然ながら、その身長は今のタクトより高い。

 彼女の父であるグスタフは、大柄な体に筋肉をまとい、剃り上げた頭とボサボサの赤ひげが特徴的な男。一見した印象は、気さくで豪快な童話系木こりのオッサンという雰囲気だ。

 マリアは、白髪が交じった金髪を結い上げている、少々恰幅のいいおばさんだ。よく見ると顔のパーツがアリアンナに似ている。あと三十年もしたら、アリアンナは今のマリアそっくりになるのかも知れない。


 アリアンナ、グスタフ、マリア。地球の基準で言うと、ずいぶん無国籍と言うか、ごっちゃになった名前の取り合わせだ。つまりはそう言う世界なのだろう。

 そう言えば、普通に日本語が通じている。言語は翻訳されるという話だったので、本当に彼女達の名前がタクトの聞いた通りの読みかは分からなかったが。


「ねぇ、あなたの名前は?」


 アリアンナの質問に、タクト、と名乗ってしまいそうだったが、それは違うだろう。

 転生したのだから、この体の名前を名乗るのが筋というもの。

 しかし。


 ――あれ? こっちの体に憑依したら、その記憶も手に入るんじゃ……


 どれだけ頭を巡らせても、地球で三十余年生きてきた日本人、通野拓人としての記憶しか出てこない。この体が、どんな名前だったのか、どんな人生を生きてきてあの場所に行き倒れていたのか、全く分からない。


 ――これは、この体が、記憶喪失なのか? でなきゃ、完全に俺に上書き・・・されちゃったとか?


「わかり、ません……思い出せません……どこから来たのか……名前も、全部……」

「記憶が無いの!?」


 混乱したまま思わず口を突いて出たタクトの言葉に、驚きと哀れみの混じった声でアリアンナが叫び返し、グスタフとマリアもうめいた。

 大げさに可哀想がられてしまったが、いっそ記憶喪失という事で通した方がいいかも知れないと、タクトはちょっと思った。

 転生者というものの存在は、公になっていないという記述がカタログにあった気がする。正直に転生の話をしても、頭がおかしいと思われるだけだろう。


「それは……困ったな。目が覚めれば事情を聞けると思っていたのだが……」

「だからね、あなた。街のお役所へ行って相談しましょうよ。何か分かるかも知れないし、尋ね人の告知があるかも知れないわ」

「そうだな……」

「では、できればそれを……お願いします」


 タクトはまた頭を下げる。

 現在の体の身元が分かれば、親や縁者と会えるかも知れない。

 まずはこの世界で自分が依って立つべき基盤を探さなければならないのだ。ここは日本みたいに福祉が発達しているわけでも、安全でもない世界。11歳の少女が身ひとつで生きていくなんて、難易度がルナティックでリスキーでアンノウンだ。

 

 状況は、元の人生より悪化しているとすら言える。自他共に認める底辺派遣社員だったとは言え、安全な世界に生き、少なくとも仕事があって、何よりも自立した一個の人間と見なされる成人だった。

 当面どうやって生きていけばいいのか……それを考えなければならない。


「じゃあ嬢ちゃんがまともに動けるようになったら、嬢ちゃんを連れて街まで行ってみるとしよう。見ての通り、うちは貧乏だが……ま、それまで嬢ちゃんに粥を食わせるくらいの余裕はあるから、ゆっくり休んでってくれ」

「本当にありがとうございます!」

「いいっていいって。嬢ちゃんみたいな子を見捨てたら、俺はどうしようもねぇ人でなしだ」


 頼もしく頷くグスタフだったが、アリアンナはそんなグスタフを不満そうな顔で見ている。


「お父さん。いつまでも『嬢ちゃん』じゃ悪いんじゃない? 私はそういう下品な呼び方したくないの」

「おいおい、俺たちゃお貴族様じゃねーんだから、上品も下品もあったもんじゃねーだろよ」

「あったもんなの! ……ねぇ、もしよかったら、あなたの仮の名前を考えたいのだけど、いいかしら?」

「は、はい。いいですけど……」

 

 目を輝かせているアリアンナに押し切られるようにタクトが承諾すると、アリアンナはにっこりと笑う。

 それから五秒くらい考えて、早くも手を打った。


「アルテミシア、でどうかしら。あなた、ヨモギアルテミシアを掴んで倒れていたのよ。ほら、髪もそんな色だし」

「アルテミシア……?」


 力尽きたときに手を伸ばして掴み、食べられないかと考えた謎の草。あれはどうやらヨモギだったらしい。


 安直だが、まぁ仮の名前としてはそれで良いのかも知れない。

 この世界の基準でどうかは分からないが、日本人による日本語的な感性から言えば、確かにそれは美しい名前だった。

 その名前に罪は無い。悪くはない。全然まったくこれっぽっちも悪くないのだが。


 ――この俺が……アルテミシアか。


 通野拓人、あらためアルテミシア。

 変な笑いが込み上げてきそうだった。


 ――いや、もう気にしない! それはこの体の名前だ!


 あの『転生屋』がこの世界の神だというなら、どうにかしてコンタクトを取る手段があるはず。そう言えば、仕事の時にはこちらに来るような話をしていた。

 どうにかこうにか奴に会って、転生をやり直させる。タクトはそう決意した。この体と、アルテミシアという名前もそれまでの辛抱だ。


「じゃあ、はい、その名前で呼んでください」

「うん、分かった! よろしくね、アルテミシア!」


 そして彼女は唐突に、感極まったように抱きついてきた。

 

「わぷっ!?」

「あーん、ふわふわー」

 

 アリアンナはタクトアルテミシアの顔を自分の胸に埋めさせ、ふわふわの髪を手荒く撫で始めた。弾力と体温のある物体ふたつが、思いっきりタクトの顔に押しつけられる。

 まるで拾ってきた猫を可愛がるみたいな……と考えたところで、タクトアルテミシアははっと気がつく。

 考えてみればこの体は11歳。身体年齢だけで言うならアリアンナは年上だ。

 年齢以上に細い体で、しかも、森で行き倒れて体が弱り、さらに不安と困惑から見せた儚げな有様は、彼女のハートと庇護欲を鷲掴んでしまったようだ。


 ――そー言えば、地球であれだけ生きてきて……顔面におっぱいを押しつけられた事って一度もなかったっけなあ。


 それが女の体になった途端、実現するとは。

 なんだかもうどうでもいい気分になって、タクトアルテミシアは、もはやどうでもいいことを投げやりに考えた。

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