2-3 時間十分、時間十分!
弓射場は、静寂に包まれていた。
誰も彼もが固唾を呑んで、矢の行方を注視している。
弓を引くのは難しい。そもそも、弓の強さに見合った筋力が必要だ。
その上で、弓の張力に負けないよう姿勢を保ち、正確に引き絞りブレ無く放って、はじめて狙い通り的に当たるのだ。
だから、はっきり言えば素人の矢が的に当たるはずなどない。
無理に矢を撃ったところで、細長い弓射場の周囲を囲む土手にでも突き刺さるのが関の山だ。
弓を引ききれず、緩やかに飛んだ矢が、的のど真ん中に当たっても、それは偶然に違いない。
周囲からはヤンヤの大喝采だったが、決して実力を褒めたのではなく、その幸運を称えたのだ。
しかし、そんな素人丸出しの弓射が、二度目も三度目も同じ的のど真ん中を射貫いたとしたらどうだろう。
歓声を上げていた弓兵たちも次第に無口になり、訝しげな表情でほっぺをつねり始めた。何か、自分達の理解を超えた事態が発生しているという事が分かり始めているようだった。
最初に飛んだ矢は、後から来た矢に潰されて割れてしまっている。その次の矢も潰され、それを潰した矢も潰される。
まるで人の世を象徴するかのようだ、と、現実逃避の末、悟りを開きそうになる弓兵達。
平然としているのは、静かなる騒動の中心人物。
のんきに矢を撃っているアリアンナだけだった。
「弓って、結構簡単なんですね」
「「「そんなわけがあるか―――っ!!」」」
居合わせた領兵一同に、レベッカとアルテミシアまで入れた魂のツッコミだった。
「ねぇ、待って! 何なのよ、あれは!?」
「合格だァ―――っ!!」
「隊長、落ち着いてください! 試験受けに来た人じゃありません!」
「誰か隊長に鎮静剤を!」
「俺はもうダメだぁ、田舎に帰るーっ!」
「天使だ……天使を見た……」
「おっぱい」
「あはははは、これは夢だ、あはははは」
全員揃ってのツッコミで集団金縛りが解けた弓射場は、阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
自信を無くして泣き崩れる者、反対にアリアンナを神か天使のように崇める者、勧誘しようとする隊長、それを止める部下。
アルテミシアも驚いてはいたが、同時に、アリアンナのそれに納得のいく理由を見つけ出してもいた。
「チートスキル……生得の、生まれつきの……チートスキル!」
そう、チートスキルは、転生者だけの特権ではない。
彼女がオーガに向けて撃ち、奇跡のように命中した銀の矢。
考えてみれば、戦いの素人である彼女の攻撃があんな風に命中したのは、ただの幸運で片付けられない出来事だった。
おそらく彼女のチートスキルは、射撃の命中に関わるもの。
神や妖精の加護として、特殊な力を与えられた英雄の伝説は少なくないらしく、アルテミシアに言わせるなら、それはチートスキルに間違いなかった。
だがそれだけではなく、極めて低い確率ながら、チートスキルを持って生まれる者が存在するらしい。
よもやアリアンナが転生者と言うことはないだろうし、だとすると残る可能性はそういう事になる。
――でもまさか、こんな近くに居るなんて。
世界って広いようで狭いんだなあ……
ますます混迷深まる弓射場を眺めながら、アルテミシアの感想もなんかズレていた。
* * *
「なるほど、そんな事があったのか……」
サイードは深々とした溜息のような口調で言った。
何が何でも勧誘しようとする隊長を、レベッカの物理的な鎮静剤で大人しくさせて、どうにか弓射場を逃げ出した三人。
会議が終わったらしく、運動場の隅っこで発見したサイードに、これまでの顛末を説明していた。
「メイドは無理だな」
話を聞いたサイードは、無慈悲にもそう言い放つ。
「私も同感ね」
「なっ、なんでですかー!?」
「あのね……お城で平和にメイドさんなんてしてたら、毎日一回は領兵団に勧誘されるわよ」
「領兵の方が、メイドより待遇もいいだろうしな」
職業に貴賎などあろうはずもないが、こんな規格外の才能の持ち主をみすみすメイドにするのは、領兵団からしてみたら、ケーキにケチャップを掛けて食すが如き愚行。
多くの仲間を失った領兵団は、これから再建に踏み出そうという時期だ。下手したら強制的に転属させられてしまうかも知れない。
「元領兵のワシとしては、やはり領兵になってほしいが」
「そんなぁ。私、領兵なんて無理です……」
「サイードさんの前だけど、私もちょっと反対ね。領兵団なんてほとんどみんな男なんだから、その中に女の子ひとりじゃ、溶け込むのは並大抵じゃないわ。気遣われるのも下に見られるのも辛いわよ」
こちらの世界に来たばかりのアルテミシアは、まだ、こちらの世界の感覚がどういうものなのか……男尊女卑みたいな傾向がどれくらいあるのか、なんて事は掴み切れていないが、なんとなく、男ばかりの職場のマッチョな雰囲気は想像が付く。あれは文化系の男ですら受け付けない。
しかし仮に良好な関係を気づけたとしても、単純に、男だらけの中に女ひとりとか、女だらけの中に男ひとりとか、そういうのがどれほど辛いかは分かる。
男より男らしい、男勝りのおてんば娘なら、やっていけるかも知れないけど、残念ながらアリアンナは、そういうタイプではない。
更に言うなら、もうひとつ懸念すべき点がある。
「……わたし、思うんですけど。軍隊って、人を規格化して運用する組織じゃないでしょうか。ただ弓が巧い人なら分かりますけど……アリアのこれは規格外ですよ。領兵って枠には収まらないと思います」
「うむ……」
「同感。窮屈じゃないかと思うわ。ま、それはそれで国軍に取り立てられて、要人暗殺用の狙撃手なんかになれるかも知れないけど……」
「絶っっっっっっっっ対、嫌です!」
「だよね」
「とすると、残った道は……」
「アリアンナに、冒険者になれとおっしゃるか」
サイードは、痛し痒しという表情だった。
レベッカの言葉が妥当であることを理解しつつも、受け容れたくないという様子だ。
「そゆコト。なんなら一人前になれるよう、みっちり指導してあげてもいいわよ。妹の命の恩人だもの」
「ぼ、冒険者……私がですか?」
勝手に話が進んでしまい、アリアンナは付いて来れない様子だ。
「周りに溶け込む必要が無いから、『普通』の枠に嵌められない連中がゴロゴロしてるのよ、冒険者って。貴方のその才能、お堅い勤め先に捧げるよりは、冒険者にでもなった方が良いわ。少なくとも、その方が気楽なはずよ」
「冒険者って……危なく、ないでしょうか」
「嗅覚次第。危険から逃げるよう徹底してれば、領兵よりは安全よ。だって領兵は、場合によっては死ぬかも知れない戦いも、上の命令で出向かなきゃならないもの」
「……冒険者か領兵か、どっちかなのは確定なんですね……」
「諦めなさい。冒険者にでもならなきゃ、なんとしても領兵にさせられるわよ」
「うえええ……戦うのとか無理ですよ……」
「オーガに弓引いた貴方が?」
さすがにこれはアリアンナも一瞬言葉に詰まり、それから慌てて弁解モードになった。
「あれは、他にどうしようもなかったですし、そうしないとアルテミシアが……」
「『仕方ないから動いた』。それができるのって、十分すぎるくらいに戦いの才能よ。普通は必要だと思ってもできる事じゃないもの。
って言うかクソガキ相手に鏡使った事の方がそれよ。武器ですらないもの使ってよく咄嗟に戦えたわ」
微妙に、自分のことを言われているような気がしてアルテミシアは居心地が悪い。
アリアンナも、ちょっと受け容れがたい様子だ。
「……考えさせてください。お母さんにも相談しなきゃだし……」
さすがに即断即決とは行かず、アリアンナは頭を振った。
それはそうだ。彼女は今回、お城勤めのメイドになる気で街まで来たのだから、いきなり『領兵か冒険者に』なんて言われても、心の準備ができていないのは当然だ。
「ま、急ぐことでもないしね」
「うむ。マリアともよく相談して決めればよかろう」
「はい……」
思いもよらないチートな才能が発覚したというのに、アリアンナはドナドナをBGMに売られていく仔牛のような目をしていた。
* * *
ちなみにこの後、ひとまず予定通りメイドの面接を受けに行ったアリアンナは、面接会場で待ち伏せていた勧誘隊長を見て逃げ帰ることになるのだった。
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