1-38 波の下にも都はあるか
「自分から毒を飲むように仕向けるだって?」
作戦が決行される数時間前、レグリスへの説明をしていたときの話。
タクトが提案したその作戦に、レグリスはちょっと懐疑的だった。
「はい。向こうは弱体化魔法を警戒して、なるべくバリアを解かないようにすると思います。
回復の手段は限られます。たとえばポーションを持っているとしても、それを節約したいと思うはず」
もし目の前で、アホな敵が治癒ポーションを落としたりしたら、一も二もなく飛びつくに違いない。
「ですので、持っていく全ての治癒ポーションに、麻痺毒の効果を付与しておきます。先程説明しましたように、毒ガスを使う作戦もありますので……こちらはあらかじめ、全員が高位の耐性強化ポーションを飲んで戦います。同じ等級の毒なら、5,6本は耐えられるはずです」
ちなみに、どれだけ耐えられるかというのはレベッカの知識だった。
「後は、ポーションに複数の効果を付与したり、二種混合したときに、うまく治癒ポーションの翡翠色を出せるかですが……これは、なんとかレシピを探ってみます」
「レシピを……探る? この短時間で?」
「あー、説明してる暇ないけど、そういう事ができるのよこの子。一種の天才なの」
レベッカの説明を聞いて、レグリスはこめかみを揉みほぐしていた。
調合がどういうものなのか知っているらしい。
「もし奴が、空間圧縮機能が付いた魔法のバッグでも持ち出して、大量のポーションを持ち歩いていたとしたら、どうするね」
レベッカに聞いた話では、魔法による空間圧縮も強化と同様、魔力を食い続けるタイプの魔法らしい。だから冒険者魔術師も、戦利品を持ち帰るときくらいしか使わないとか。
バリアに魔力を取られる児島が自力で圧縮空間を作るのは不可能だ。大量のポーションを持ち歩くなら、どうしても外付けの何かが必要になる。
「その時は没ですね……鞄を壊すか、奪ってからならできるかも知れないですけど」
「この作戦は使える状況が限定されるわね。上手く決まれば、煙を吸わせるよりよっぽど効率的にポーションの効果を叩き込めるけど」
「もちろん、飲ませるとしてもあくまで自然にポーションを落とさないと怪しまれるでしょう。戦況が混沌としてこないと、難しいかも……」
「アルテミシアに言わせたくないから私が言うけど、死体から奪ったポーションを奴が使う想定もあるわね。この罠付きポーション、前衛全員に持たせる予定だから」
「……積極的に狙いには行けません。ですので、これはあくまで策の一つです」
「なるほど。では次の策は」
「はい。あの土木工事用の杖が手に入るならですけど、戦闘が起こったらこれで辺りを陥没させて、気化したポーションを溜まりやすくすればより効果的に――」
* * *
「間抜けはどっちかな。こんな手に引っかかるなんて」
「てめえ、やりやがったな……」
HPが回復する麻痺毒ポーションという、質の悪いジョークグッズみたいな薬をイッキしてしまった児島は、その姿勢のまま硬直していた。
口を動かすのも難しいようで、言葉もまともに喋れていない。
無防備な状態だった。……少なくとも、身体的には。
「だが……俺を、殺せるかな……?」
表情も変わっていないが、児島がニヤリと笑ったような気がした。
「バリアが消えない……? そうか、発動済みの魔法だから……」
レベッカが言う通り、児島を取り巻く魔力のバリアは、この状態になっても消えていない。
麻痺することでまともに呪文を唱えられなくなった児島は、新たに魔法を使うことができない。しかし、発動済みの魔法を維持することはできるようだった。
「くそっ!」
兵士のひとりが児島に斬り付ける。
麻痺している児島は、斬られても体勢を全く変えず吹き飛んで、マネキンのように転がった。
既に爆発でボロボロの服が少し切れただけで、大した傷にはならなかった。
「堅ぇ……!」
「おい、麻痺なんて数分しかもたねぇぞ?」
「その間に殺せるのか?」
「さっき自分の爆弾でダメージ受けてたけど……」
「それ使ったらこっちが危ないぞ」
領兵達の間に動揺が広がる。
力や魔力だけが児島の強さではない。児島の異常な堅さを、この場に居るほとんどの領兵が初めて目の当たりにするのだ。
「噴霧機を持ってきてますので、吸入させれば効果時間を延長できるはずですが……多分、それでも足りないと思います」
「じゃあ、毒なら……」
「死ぬより先に麻痺が解けるかも知れません」
「だったら、どうするんです?」
すがるような口調で兵士がアルテミシアに聞いた。
このまま麻痺が解ければ第二ラウンド開始だ。あの化け物とまた向かい合わなければならないというのは、恐怖でしかないだろう。
もちろんアルテミシアだって、そんなつもりはない。
「レベッカさん。その胸の鎖、貰えますか」
「これ?」
「一応、ロープを持ってきたんですけれど、そっちの方が良さそうなんで」
レベッカは昼間の戦いで偽乳アーマーを破損している。その破損部位に、なんか妙に丈夫そうな鎖を巻き付けて、応急処置的に塞いでいるのだった。
レベッカが鎖をほどく間に、アルテミシアは杖を使って、石壁をほどよいサイズの、適当な星形に切り抜いた。
「よいしょっと」
「んあ?」
アルテミシアは児島を拾い上げ、切り抜いた壁の上に鎖で縛り付ける。
横向きに巻き付けるだけではすっぽ抜けそうなので、肩を通して袈裟懸けにしたり、元男として少々気が引けるが股間から上に鎖を通したりして、しっかりと縛り上げた。
そして、その石を児島ごと抱え上げた。
見た目はメチャクチャ重そうだが、ポーションの力で何とかなった。
アルテミシアの体格では、大きさ的に持ち上げるのが無理なので、仕方なく引きずるように引っ張っていく。レベッカや兵士達がそれを手伝いはじめたので、結局アルテミシアは先導役になった。
杖で壁に穴を開け、更にその向こうへ。
廊下も部屋も無視して、児島をひきずり、ひたすら直進した。
「おい……お前、まさか……」
「帝政ロシアで皇帝一家に取り入って権勢を思うままにしたとされる、怪僧ラスプーチンの死に際の逸話をご存じ?
もっとも、これは物語でしかなくて、事実ではないそうだけど……」
「ラス……何?」
「ラスプーチンを殺そうとした暗殺者はね……毒を盛っても、銃で撃っても、袋叩きにしても死ななかったラスプーチンにとどめを刺すためにね……」
おそらく建物の一番外側になるであろう壁。アルテミシアは、それを大きめにくりぬいた。
びゅう、と冷たい夜風が吹き込んでくる。
切り抜いて蹴り飛ばした壁は、外に向かって倒れて、そのまま落下していき……
遥か下の方で水音を立てた。この下は堀なのだ。
「サンクトペテルブルクの冷たい川に放り込んで溺死させたの!」
「うぐごぁ――――!?」
児島が言葉にならない悲鳴を上げた。
麻痺したうえ、石に縛り付けられている体が、辛うじてピクピク動く。
「おい、やめろ、通野!」
「止められないよ。
グスタフさんとかカルロスさんの仇討ち……は、別にしても、わたしの平穏無事な人生のために」
アルテミシアは、戦うのなんてまっぴら御免だと思っている。だがそれは、自分の弱さを分かっていて、目的達成のために戦うリスクが高すぎると知っているからだ。
別に平和主義というわけではなかった。
ここで児島を再起不能にしなければ、この先の人生が危険になる。
「領兵や領民を虐殺したのもね。
仮にわたしが許しても、後ろの皆さんが許さないでしょ」
殺気立っている領兵達が頷く。
彼らは、ここに来たばかりのアルテミシアとは全く事情が違う。
殺された領兵の中に友人が居ただろうし、領民達への思いもひとしおだろう。ログスの姿をした者と戦うのは抵抗があったかも知れないが、あれだけやられた後では、その情も残ってはいるまい。
石に縛られた児島は、顔にある全ての穴から液体が流れていた。
麻痺のせいで表情が変わらないのが不気味だ。半笑いの表情のままで震えて、恐怖のあまり泣き出している。
「なんで……なんでだよお! 俺、強えはずだろ!?
なんでこんなやつらに負けるんだ……!!
俺は……もっと、もっと、自由に……!!」
「かわいそうに。そういうやり方しか知らなかったのね」
「ひっ!」
客観的に見ても児島の行動は鬼畜の所業としか言えず、彼は完全無欠のクズだろう。
だが、それでもアルテミシアの中には彼を哀れむ気持ちがあった。
人は変わる。変わることができる。彼はクズでなくなることができたはずだ。
しかし……それは果たして100%本人の責任と考えていいのだろうか?
偶然としか言えない巡り合わせの妙。児島には、それが無かった。
「ゆ、ゆる……許して……!」
「ごめんね、わたしは弱いから、あなたを改心させてる余裕なんてないの。わたしのためにも、この領のみんなのためにも、殺すだけで精一杯。
格好いいヒーローとか正義の味方だったら、ちゃんと更生させられると思うんだけどね……本当に、ごめんね」
アルテミシアは心から児島に詫びた。
児島が市民を無差別殺傷した上に野放しになるという最悪のシナリオは回避した。
だがそれだけだ。
敵対する者を力で排除するだけなら、児島のしたことと変わらない。たとえ大勢の人を救うためだったとしても、危うい正義だ。
それが、今のアルテミシアの限界でもあった。
「やめろ、やめろ……!」
「いい加減にしろっ!!」
なおも命乞いをする児島を、領兵が怒鳴りつけた。
「お前が殺そうとした中に、命乞いをする者はひとりでも居なかったのか! その時、お前は命を助けたのか!?」
「この人殺し!」
「悪魔!」
「何もかもメチャクチャにしやがって!」
「隊長を返せ!」
「仲間たちを返せ!」
「地獄に落ちろ!!」
囂々たる非難に晒され、恐怖から絶望へ。
自分がしてきたことの重さをようやく知ったかのように。
命乞いが無駄であると悟ったかのように。
もはや誰ひとり穏当な結末を迎える気は無いのだと理解したかのように。
油を採取するガマガエルさながらに冷や汗を流し、児島は青くなった。
「あ……う……」
「ごめん、もう時間無いから」
心の準備をする暇すら与えず。
短く児島に謝って、そして、何のためらいもなく、アルテミシアは重りの石ごと児島を投げ落とした。
「うああああああああ! 父上ぇ――――っ!!」
断末魔の悲鳴が遠ざかっていき、闇の中で黒々と流れる堀から、盛大に飛沫が上がった。
その音を聞いて、領兵達が勝ちどきを上げる。
「勝利だっ! 我らがゲインズバーグを守ったのだ!」
「「「おおおおおおお――――っ!」」」
武器を振り上げ、声を合わせ、喜び合う領兵達。
そんな大騒ぎを尻目に、アルテミシアは壁の穴から、遥か下の水面を眺めていた。
「……父上? ああ、そっか……」
父上なんて、一般的な日本人は使いそうにない言葉だ。少なくとも児島も使わないだろう。
あれはきっと、児島がこちらの世界に転生して手に入れた、児島ではなかった部分。
記憶を封じられて12年間『ログス』として生きた記憶が、児島にそう言わせたのだろう。
度を超した人間不信で、不要になった使用人すら皆殺しにしていた児島が、家族だけは牢屋に閉じ込めただけで済ませていた。レグリスみたいな人を生かしておいたら、自分の脅威となるに違いないのに。
「機会は……あなたにも、ちゃんとあったんじゃないの」
児島にも出会いはあった。機会はあった。
ほんの少しでも児島は変化した。変化するだけの余地はあった。
救いようの無い、徹頭徹尾100%のクズではなかった。……きっとそんな人はどこにも居やしない。
だが、足りなかった。
「……さよなら、地球」
波が静まり始めている水面を見て、アルテミシアはぽつりと呟いた。