1-31 やがて、わたしになるために
レグリスはすぐさま、町内会のような自治組織のトップや街の有力者を呼び集め、事態に対応した。
現状、生活に必要な物資のほとんどが児島の手下の魔物によって略奪されており、個々人が蓄えた食料を融通し合って辛うじて生き延びているという悲惨な状況だった。
外から物資・食料を運んでくる運輸業者は、街に来たところで児島に捕まって荷物を奪われていたのだが、『ゲインズバーグの街に異変有り』との噂が周辺に広がり始めているようで、今日は遂に訪れなかったらしい。
食料を狙った強盗なども発生しており、薬が足りずに病人は危険な状態だ。
そんな中、レグリスは残されている物資の情報を集め、まだしも備蓄があるところから、どうしても足りないところへ回す差配を開始した。
また、退役領兵や街に残って隠れていた冒険者など、辛うじて戦える面子をかき集め、城を監視する部隊を編成した。とは言っても、児島を相手にどれだけ食い下がれるかは分からない。
なんでも領兵魔術師が通信用の魔方陣を敷き、レグリスは王都と連絡できたそうだが、援軍がいつ到着するかまでは分からない。それまで児島が何もせずおとなしくしているか、こっそり逃げ出してくれることを祈るしかない、というのが実情だった。
* * *
いつの間にか日は暮れかけていた。
タクトは夕闇に沈むポーション工房の調合室に陣取り、ひたすら調合をし続けていた。
薬が不足していると聞いて、風邪薬ポーションや抗体ポーションを、レシピを探りつつ作りまくっていた。
材料も容器も、略奪品倉庫からレベッカが運んでくれているので、思う存分調合できた。
ちなみにアリアンナはレグリスが設けた臨時救護所をボランティアとして手伝いに行っている。
まだ、この工房で働いているはずの本来の職員は顔を出していない。まさか皆殺しにされたわけではないだろう、とは思うが……理由がなんであれ、今ここでポーションを作れるのはタクトだけという状態だ。
――だからポーションを作っている、のか?
いや、違う。そういうわけじゃない。
機械的に手を動かしながら、タクトは逡巡する。
心を整理する時間を作るための、単なる場持たせでしかなかった。
気がつけば机の上には、結構な数の瓶が並んでいた。
さすがに手元が見えにくくなってきて明かりを付けようかと思ったところで、勝手に天井の魔力灯が点いた。調合室にレベッカが入ってきて、明かりのスイッチを操作したのだ。
偽乳アーマーの破損部位に鎖を巻き付けて穴を塞いでいるレベッカは、何故かお盆にティーセットと、お茶菓子みたいな何かを乗せていた。
「まだやってたのね。ちょっと休憩したら?」
「……これは?」
「私の携帯食料。宿から荷物取ってきたのよ」
言いながらレベッカは調合セットをどかし、タクトの前にお茶と食べ物を並べていく。
お茶菓子だと思ったそれは、ビスケットに近い焼き菓子だった。タクトの知識に照らすなら、『ぬ』と『ね』が似ているのと同じレベルでカ○リーメイトに似ている。
「ありがとうございます。でも別に、お腹は空いてなくて……」
そう言いながらカロリーメ○ト(仮)を手にした瞬間、お腹が鳴って、口の中につばがあふれてきた。
考えてみれば、昼は荷馬車の上でおにぎりを食べただけ。その上であれだけハードな運動をした後だ。体がエネルギーを欲していておかしくないし、そもそも今の体が食べ盛りの少女であることをタクトは思い出した。
「……やっぱりいただきます」
たまらずかぶりつくと、カロ○ーメイト(仮)はほぼ見た目通りの味で、地球で見知った菓子類よりは甘さが控えめだったけれど、素朴な味わいが疲れた体に染み渡る逸品だった。
湯気が立っているお茶を慎重に冷まして飲みながら、タクトはそれを一気に食べてしまった。
「上等上等。食べられるときに食べておかなきゃ、何もかも歯車が狂うわよ」
タクトの食べっぷりを楽しそうに見ていたレベッカが、呵々と笑った。
そして、並んだ瓶を見て、ちょっと形容しがたい表情になる。
「あなた、薬作りに逃避するタイプだったのね……」
図星を突かれたタクトは飲みかけたお茶が気道に入り、思いっきりむせた。
「あら、図星?」
「な、なんで……」
「使命感持ってやってるなら、もっと目が輝いてるし、そんな辛そうじゃないわよ。心にかかった雲は何色かしら?」
「……恐怖と後ろめたさのダークマター色、ところにより混沌のサイケレインボーです」
冗談めかして答えてみても、心が晴れる気はしない。
「カルロスさんは、私に希望を託すと言いました」
「そう。それで?」
「騙していたみたいな気がして……
私はただ、自分が生き延びるためにできることをしていただけなんです。
自分のための行動だったのに、こんな……」
調合机の対面に座ったレベッカは、うんうんと頷きながら聞いていた。
そして、それから、ちょっと別の話を始めた。
「私ら冒険者はね、ただ働きのクエストなんてそうそうやらないわ。当然そこには自分のためって要素がある。
かの名高きドラゴンスレイヤー・剣聖シャイラスは、人に害為すドラゴンを生涯にわたって300頭以上討伐して歴史に名を残したけれど、実際は金目当てだったってのが有名な話。なかなか討伐許可が下りないドラゴンの素材を効率よく集めて売りさばくため、合法的に倒せるドラゴンを探して回ったらしいのよね。
だけど彼は結果として何万、何十万という人を救って、今じゃどんなクソ田舎でも子どもの寝物語に出て来るような英雄。ま、引退後は稼いだ金で贅沢三昧して、最終的に食べ過ぎで死んだんだけど……
あなたは彼を否定できる? 何十万の人々が口にした感謝の言葉を『金目当てだったから』の一言で切り捨てられるかしら?」
「それは……」
なにしろ別の世界から来たばかりなので、こちらの有名人など全く知らないが、言わんとすることは理解した。
いかなる動機からの行動だろうと、タクトに助けられた人が居る。そして助けられる側にとって、助ける側の動機なんてそれほど重要でもないのだ。
希望の担い手……幼き日に見た理想だ。
「結果だけを言うわ。
話を聞く限りじゃあなたが居なければ、村を襲った魔物は殺し放題だった。
領主様だってまだ牢屋の中で、大事な跡継ぎは病死していたかも知れない。
捕まってた魔術師達は……魔法を使える魔物が揃ったらお役御免で殺されてたんじゃない? 人質の家族と一緒にね。
カルロスも、そのうちコジマに見つかって犬死にしていたでしょう。
私だってこうして戦わず、隙を見て街を逃げ出し、妹捜しの旅を続けていたはずよ。
ねぇ、こうして並べたら、あなたとんでもない事をしてると思わない?」
畳みかけるようなレベッカの言葉。
タクトは、探偵の推理を聞いている犯人の気持ちが理解できた。
「あなたが全ての要なの、アルテミシア。あなたひとりが全ての糸を編んで、この街に希望の灯をともした」
「ぐ――」
「偶然だ、なんて言わせないわよ? どれほどの偶然が重なったとしても、『そこに居たのがあなただったから』という動かしがたい必然によって、こうなった。その輝きを信じて賭けただけなのよ、カルロスは」
言葉に詰まって、膝の上でスカートを握りしめる。
こうやって話を聞いていると、カルロスが、そしてレベッカが、どう見ているのか分かる。
淡々と話し続けていたレベッカが、柔らかく笑った。
「いいじゃない、それで。
『仕方なく』人助けをする人は、またいつか『仕方なく』人助けをするわ。
それを勇者や英雄と呼んでも差し支えないはずよ」
「そう……なんでしょうか。
私はそこまで自分を信用できません。
他人のことを考えているようでなんとも思ってない、利己的な人間……だと思います」
この世界へ来たのだって、悪人プレイが目標だったはずだ。
もう自分を磨り減らすことにうんざりして、好き勝手に生きると一度は決めたはず。
だがレベッカは鼻で笑った。
「あなた、街での戦いでクソガキに何言ったか忘れたの?」
「え……?」
「魔物の群れに捕まって絶体絶命なのに、命乞いをするでもなし。クソガキに吠えてたじゃない。
惚れ惚れするような啖呵だったわよ」
* * *
『魔物の軍団は大事な手駒だ。早く頭数を揃えなきゃ、そりゃあ俺は死ぬだろうさ。それをお前は潰しやがった! いいか、タダじゃねぇんだ! あれを捕まえてくるのも苦労したんだぞ! この俺自らハンティングしたんだ!』
『苦労だと!? アホか! あいつら人を殺したんだぞ! 人の命よりお前の苦労の方が重いのか!?』
* * *
「……すっかり忘れてました。あの時は夢中って言うか、必死だったんで」
思い返せば、ちょっと恥ずかしくなるくらいに青臭く真っ直ぐな言葉だった。
虐げられた人々を想い、理不尽に対して怒った……ただそれだけのこと。
だけど、そんな正義感は久しく忘れていた。とっくに心の中から消え去ったとばかり思い込んでいた。
「他人のことを根本的にどうでもいいと思ってるなら、どんなに絞っても出て来ない言葉よ。
動機が問題だって言うならこれで十分じゃない」
レベッカは『なに難しく考えてんの?』とでも言わんばかりだ。
追い詰められた極限状態ほど、人は本性を見せるという。
だとしたら、つまりそれがタクトの本質なのかも知れない。
正義と利他の心……報われぬままに磨り減らしてきたものだ。
「……本当のことを、ちょっとだけ言います。
私……カルロスさんの行動に救われてしまったんです。命だけじゃなくて……気持ちが」
「どゆこと?」
タクトは力なく笑った、
「私がどんなに頑張って周りを助けても、便利な道具くらいにしか思ってくれないと……考えてました。
だからもう、そんなのやめて、自分のためだけに生きようって考えてたんです。
なのに、私のために死ぬほどに期待してくれる人が居ました。
私を認めてくれる人が居たんだって、思えたんです」
懺悔のような告白でもあった。
カルロスが自分に命を捧げてくれた……そのことを喜んでいる自分が居るのだ。考えようによっては、酷い。
人がひとり死んでようやく気が付いたのだとも言える。
レベッカは溜息をつきながら立ち上がり、調合机を回り込んで、タクトを背後から抱きしめた。そして、癖が強いタクトの緑髪を掻き乱す。
「もう。ぎゅーって抱きしめてキスしてあげるだけじゃ足りないの?
私はあなたを認めてるし、一緒に居た他の人たちも絶対にそうよ。
領主様を助けて出て来られたのも、みんなあなたの活躍のお陰だって思ってるわよ」
わしゃわしゃと頭を撫でる、レベッカの手の感覚がこそばゆい。
「きっと私は、そう言われても信じられなかったと思うんです。
カルロスさんが私のために死んで……初めて信じられたんです。私に期待する人も居るんだって。
でも、そうなると今度は自分がその期待に応えられるのか、不安になってくるんです。
……ダメですね、私」
ふと、レベッカの手が止まった。
「んー……変に期待を意識したら、多分自滅するわ、あなた」
「……どうすれば、いいと?」
タクトは、ほとんど縋るような気持ちだ。それとも、逆に突き放して欲しかったのかも知れない。
しかし、続くレベッカの言葉は意外なものだった。
「いいのよ、無理に応えようとしなくて。全てを放り出してここから逃げたっていいし、なんなら私が協力するわ。
あなたは、あなたができることをすればいい。
たとえどんな道を歩もうと、あなたが行く先には、きっとあなたに救われる誰かが居るはず。
あなたは、道を切り拓く力がある。求めるべき答えはあなたの中にあるはず。
だから自分自身の声を聞いて、自分自身に従うことを覚えなさい、アルテミシア。あなたが求められているのは、そうする事なのよ」
ドクン、と左胸が熱く脈打った。
――あ。
もしかしたらレベッカの言葉の意図は、タクトの受け取り方とは違うのかも知れない。
だけど、あぁ、そうかとタクトは得心する。
いかなる選択をしようと、肯定してくれる誰かが居ると思えた瞬間、胸のつかえが、肩の重さが、ふっと消えた気分だった。
人助けなどやめて、自分のためだけに生きようと誓って、この世界にやってきた。
だけど本当に必要なのは、人助けをやめることだったのだろうか?
いや、違う。通野拓人の人生が歪だったのは、『己』を確立できなかったからだ。不本意な自己犠牲の連鎖は、その結果でしかない。
その対置にあるのは、自分勝手に生きる事なのか?
違う。必要だったのは『自分がどうしたいのか』知って、その想いに従うこと。
自分自身を、自分の居場所にすること。
……そして、そんな生き方をしても自分は大丈夫なのだという、自信を手に入れることだった。
喜悦も。
苦痛も。
欲望も。
慈悲も。
憤怒も。
憐憫も。
自制も。
恐怖も。
全て己の声を聞き、貫く……
――上手く言葉にできない。だけど、そうか。
誰だって、自分自身でいていい。俺は、俺で、いいんだ。
そんな俺を求めてくれる人がいるだなんて、あぁ、なんて俺は幸運なんだろう!
ようやくタクトはカルロスに対して、後ろめたさでなく感謝の念を抱くことができた。
思い返してみれば、カルロスとてタクトに対して、何かをしてくれと頼んで命を捧げたわけではない。
タクトという存在に、その心が向かうであろう先に、自分の命を投資したのだ。
そして、大切な事を教えてくれたレベッカにも感謝しなければならない。
「……ありがとうございます、レベッカさん。やっと、いろんなことが分かりました」
「そう? どういたしまして」
レベッカはからからと笑う。
まるで、なんでもない事だとでも言うように。
そんな、大層に身構えることでもないと言うかのように。
「まぁ、気にするなって言ったところで、勝手にいろんな期待を背負わされるのは重いわよね。特に、今のあなたにはまだ重くて辛いと思う。でも、身の丈に合った期待を周囲から持たれて、人は大人になっていくものだと思うわ」
「……なんだか、すっごく大人ですね。レベッカさん」
「あははー、見直した? 女ひとりで旅から旅の暮らしなんかやってたら、人生経験豊富にもなるわよ」
苦あれば苦あり、谷あれば谷あり、人生経験も年齢相応だと自負していたが、レベッカの言葉を聞いていると、本当に自分はこの体にふさわしい子どもで、レベッカの方が長く生きているのではないかとすら思えてくる。流されるまま生きて、苦労を積んだところで、人間的に成長できるとは限らないのだ。
中身は三十とふたつ。レベッカの1.5倍は生きている。
とうに覚悟を決めていなければならない歳だろう。
「ま、思う通りにやりなさいな。後先考えずに済むのは子どもの特権よ。あなたには私がついてるじゃないの、アルテミシア。多少の失敗なら揉み消……もとい、フォローできるから」
「今、すっごい不穏な単語が聞こえたような」
「尻ぬぐいの心配までしなくていいって言ってるの。私はあなたのこと、お尻を綺麗に舐めてもいいくらい愛してるんだもの」
「殴りたい……この人を格好いいと思ってた20秒前の自分を殴りたい……」
深紅の瞳が見えないくらいに目を細め、いい笑顔で変態発言かます自称お姉ちゃん。
変態発言は脇にどけるとして、彼女の言葉でタクトは気が楽になった。
英雄なんて言葉は、正直、まだ怖いのだけど、それが自分だと言うならば、どうにかこうにか生きてやろう。それでこそきっと、カルロスも浮かばれる。
――でも……だからって英雄らしく、アレと戦うのは無理だな。専門家に任せた方が良さそうだ。
俺は俺ができる事で頑張ればいい。俺は、か弱い非戦闘員。本来は戦う力なんて無いんだからっ……!
そう、決意も新たにした時だった。
『あ、あー、聞こえているか? おい、聞こえているか、愚民ども』
いつの間にやら日が暮れきった漆黒の夜天に、聞き覚えのある声が、エコーを伴って響いた。