1-29 フラグの立て方を教えてやろう
光が収まったとき、タクトの周囲は一気に闇に沈んだ。
そこは静かで、暗く、寒く、湿っていた。どこからか、うっすらと明かりが差し込んでいる。
何度か瞬きするうちに目が慣れて、そこが地下牢だと分かった。
ついさっき人質を助け出してきた地下牢のうち、特に広い部屋の中。
閉じ込めたのか、と思ったが、扉の鍵はさっきレベッカが開けたまま、出入りは自由な状態だった。
「……? テレポートさせられたんだ、よな? なんで、こんな所に……」
「お前を殺すためさ」
すぐ後ろから声がして、タクトは振り返る。
「まさか侵入者捕獲用のトラップが、こんな風に役に立つとは思わなかったぜ」
さっきまで自分以外居なかったはずの部屋の中に、児島が居た。
相変わらずの下卑たニヤニヤ笑い。しかし、その笑いが、もはや狂気に近い壊れたものになっていた。バリアが解けた代わりに、その目は青白く輝いている。≪隠匿看破≫だ。
「そうやってコソコソ、姿を消して隠れた所で無駄だぜ。他の奴らはもういい。邪魔が入らないここで、お前だけでも殺す」
「……おい、こんな事して何になる? 今すぐにでも逃げた方がいいんじゃないか?」
半分は本気の疑問。もう半分は、そうしてほしいという希望だ。
児島はその問いを鼻で笑い飛ばす。
「そうだ、だから殺すのはお前ひとりだけにしといてやる。そしたらどこかへ逃げて、また1からやり直す。
ああ、今度は手下を一万匹くらい作ってから動きだそう。でないと、また……お前みたいな、弱いくせに人の邪魔をすることだけは天才的に上手いクズが、滅茶苦茶にしやがるだろうからなぁ!」
「……天才なんて言われたのは人生で初めてかもなぁ。買いかぶりすぎだ。
魔物はほとんど魔術師が倒したし、レベッカが、アリアンナが居なきゃ、俺はとっくに死んでた。他の人たちも戦ってて……その誰が欠けても、さっきの戦いはお前が勝ってた」
「うっせぇ。うっせぇよ。俺は……いいか? 俺が! お前を! 殺すって! 決めたんだ! だから、お前は死ぬ以外にねぇんだよ」
そして児島は呪文を唱えはじめ、その一言目を聞いた瞬間、タクトは身を翻して走り出していた。
牢屋を飛び出すときには、鉄格子の扉を後ろに叩き付けた。追って来た児島にぶち当たったようだが、チートスキルで防御しているのだから、簡単に怯んではくれない。
薄暗い地下を駆け抜けながら、タクトは鞄から薬玉を取り出す。
――最後の催涙煙幕……直接ぶつけなくたって、こんな風通しの悪い場所なら行ける!
そろそろ防御ポーションの効果も切れてるはず!
目を閉じ息を止めたタクトは、薬玉を投げず、走りながら真横の壁めがけて転がした。
「うお!?」
児島の足音が止まる。
上手くいったか、と思ったその時。暴風がタクトの背中を押して、タクトは躓きそうになる。
――風の魔法!? 気化した薬をこっちに飛ばしたのか!
「バカのひとつ覚えかよ! こんなもんが効くか!」
「バカにバカって言われた……げほっ! うぐ、吸ったか」
呼吸が苦しくなるのは逃走する上で危険過ぎると判断し、タクトは一本だけ残っていた解毒ポーションを飲んだ。バナナの皮みたいに児島が転んでくれないかと、瓶は床に転がしておく。
児島が足を止めて呪文を唱える時間くらいしか稼げなかった。
いや、それくらいの時間は稼げたと言うべきか。
――他のみんなはどうしてるんだ?
元の場所に居るのか? 全員城中バラバラに飛ばされたとかか?
とにかく早く合流しないと! 俺ひとりじゃ、あれはどうしようもない!
脇目も振らず、薄暗い地下を駆け抜ける。
この場所なら児島も飛んで追いかけられないが、足でもおそらく向こうが上だ。
戦って勝てるはずもなく、足を止める手も無く、鞄の中にも打開策になりそうなポーションはもう無い。
――どうすればっ……!
万事休す、の四文字が脳裏をよぎった。
どうすればいいか分からないが、だからって足を止めるわけにもいかない。
さっきレベッカが殺したオーガの死体を乗り越えて、落ちていた巨大棍棒を背後に投げつける。タクトを狙って児島が放った雷の魔法が棍棒に直撃し、木製の棍棒は炭化し砕け散った。
そして石に廊下の角を曲がった瞬間、タクトは……
前方の廊下にある部屋から手招きする何者かに気がついた。
――な、なんだ……? ってか、誰だこんな所で!?
廊下にはいくつか部屋が並んでいるのだが、そのうちひとつの扉が薄く開いて、タクトを手招いている。
どういう状況か分からなかったが、迷っている暇は無い。背後の角から児島が出てくるより前に、タクトは部屋の中に体を滑り込ませた。
タクトが部屋の中に入ると、手招いていた何者かはすぐに扉を閉める。
照明が灯っていた廊下と遮断され、完全な真っ暗になった。
「あ? どこ行った? オイコラぁ、隠れたな! 出てきやがれ!」
廊下から児島の怒鳴り声がして、見当違いの部屋に入っていったらしい音が聞こえる。家具を引き倒したり、魔法をぶっ放す音まで聞こえた。
「……ふぅ、違う部屋に入って行ってくれたみたいっすね」
「カルロスさん!?」
「やっぱアルテミシアさんっすね。透明になってるけど……や、どうせこの真っ暗闇じゃ見えないっすけど……」
とっさに声を低めて、タクトは驚きの声を上げた。
真っ暗闇の中で姿は見えないが、すぐ近くから聞こえた声は、間違いなくカルロスのものだった。
血の臭いがした。
「な、なんでここに……」
「こっちのセリフっすよ。表はどうなったんすか? なんでこんなとこにいるんすか?」
訝るカルロスに、タクトはこれまでにあったことを早口に説明した。
すると、カルロスからは安堵の声が漏れた。
「そっすか……向こうは無事っすか。領主様も、人質も……」
「あの、カルロスさんは?
ログス……様が、血で濡れたカルロスさんの剣を持ってたので、殺されたと思ったんですけど」
「一発入れられたんすけどね。今動いたらトドメ刺されると思って死んだふりしてたら、気がつかねーで行っちまったんす。
はは……情けねっすね。俺、最初にみんなでログス様と戦った時もだいたい同じように逃げたんすよ。
みんな死ぬまで戦ってんのに……いざ領主様を守るんだって時まで俺ぁこんなもんっすよ。
……表が無事で本当によかったっす。俺が逃げたせいでみんな死んでたらって、怖かったんで」
「カルロスさん……」
自嘲……いや、カルロスは失笑する。
薄っぺらなのに潰れそうなくらい重い笑い方だった。
「死ねなかったことを引け目に思うなんてやめてください。
カルロスさんの命はカルロスさんのものじゃないですか」
仕事に殺されそうだったタクトとしては、全く他人事ではない。
「……優しいんすね」
カルロスが言った瞬間、さっきとは別の場所から爆発音が聞こえた。
児島が二部屋目の捜索……もとい、破壊に着手したらしい。どこかに隠れたとみて、順番に部屋を潰していく気のようだ。
「時間が無ぇ……
治癒ポーション、持ってねえすか? ちょっと今死にそうなんで」
「あ、はい! 最後の1本が」
闇の中、手探りでポーションを渡すと、カルロスはそれを飲んだようだった。
「ふぅ、これで動ける」
「状況、分かると思いますけど……」
「追ってきてるんすね。了解っす。俺がどうにかするんで、逃げてください」
「へ?」
あんまりあっさりカルロスが言うので、タクトは何か聞き間違えたかと思った。
あれを、カルロスが、なんとかして、タクトを、逃がす。
「ここに隠れててよかったっすよ。おかげであんたを逃がすことができる――」
「いや、あの、その、それって……」
「はは……今度こそ死ぬでしょうね、俺」
――やっぱり!
バックアップ付きで、あのレグリスと共に児島と戦っても殺されかけたカルロスだ。
この状況でタクトを逃がすため、児島を何とかするというのは、つまりそういう事になる。
「どうして、そんな……」
「そんな情けない声出してくれるんなら、俺も戦う甲斐があったっす。……ただの順番っすよ。俺と引き替えにあんたが助かるなら、ゲインズバーグはまだ大丈夫。戦う価値はあるんす」
「……私、が?」
そんなタクトの疑問にカルロスは、間近からの爆音に紛れるよう声を低めて、それでも吠えるように言った。
「俺だって……! あのログス様をどうにかしなきゃたぁ思ってんすよ!
仲間も、恩ある上官も殺された。あれを放っておいたら街の人らも危ねぇ。
領主様も守りたいし、郷里の母ちゃんもどうなるか分かんない。
でも、カケラも歯が立たなくて、逃げるしかなくて……!
なのにあんたは戦ったじゃねぇすか! 力じゃ絶対に俺以下なのに、絶体絶命の中から……希望の光を見つけた!
あんたは希望なんす!!」
カルロスの言葉には、天災のような暴威を前にした圧倒的な無力感と……
自分より無力なはずの少女がその絶望を打ち破ってしまった事で、自責のような念が浮かんでいた。
「あんたの戦いを見て勇気が湧かねえ奴が居たら、そんなもん人じゃねぇすよ。
『こいつに付いてきゃいいんだ』『絶望するにはまだ早ぇんだ』『こんな子どもに戦わせてお前は何してるんだ』って……
ああ、もう、うまく言えねえや」
「だ……だって私なんて助けてもらってばっかりで。戦ったのもほとんど私じゃないし……」
「領兵が、官僚が何人居ても……領主様ひとり居なかったらゲインズバーグは動かねんすよ。それと同じ話っす」
タクトは、みぞおちの辺りを深々と刺し貫かれたような気分だった。
カルロスが何を言っているか分からない。いや、分かってはいるのだけれど、飲み込めない。
頼もしいと。命懸けで戦う理由になると。
そんな風に言われたことは一度も無かったし、自分が誰かから頼られていると思ったことなどなかった。クソ上司の無茶振りで、良いように使われていた記憶なら山ほどあるが……
児島と戦っているときに頭を強打してカルロスが壊れたのかと思った。
だけど、彼の真剣な声音は、迷い無く、ただ真摯なだけで。
「あんたが……アルテミシアさんがどこの誰だろうと、この際、関係ないっすよ。
……有能な奴が死にすぎた。奴に対抗できる人材をひとりでも残さなきゃ、また人が死ぬっす。
俺は自分が生きるくらいなら、ゲインズバーグのため、あんたを守りてぇんす」
「そんな、そんな価値なんて、俺には……」
「……早く認めてください。アルテミシアさんは、俺が命を懸けて生かす価値があるんだって。じゃなきゃ、このままふたりともログス様に見つかってあの世逝きっす。輪廻の女神様がお迎えっすよ」
カルロスの言葉にタクトはハッとした。
悩んでいる場合ではないのだ。
「…………っ、分かり、ました」
全身痺れたように感じながら、タクトは頷く。
心臓が強く脈打った。タクトは心の形が変わっていく音を聞いた。
「よし、それじゃ――」
「あの、でも、何をする気なんですか? まさか身ひとつで特攻するなんてことは……」
「しないっすよ。こっちにも手はあるっす。だから、ちょっと協力して欲しいっす」
そう言い切ったカルロスは、きっと、彼の人生で一番絵になる、渋い笑顔をしていただろう。
真っ暗闇で彼の顔が見えないことを、タクトは残念に思った。