1-27 ファンタジーにおける偉さと強さの相関関係についての一考察
剣を抜き、レグリスは油断無く身構える。
「奴を食い止めるぞ。並べ、カルロス」
「え、えぇ!? りょ、了解しましたっ!」
「強化を!」
魔術師たちがレグリスの号令で支援を飛ばした。能力を高める魔法だ。
「替われ! オーガを頼む!」
「了解……!」
大ぶりに斧を振り抜いて児島を遠ざけた一瞬、レベッカはくるりと踵を返して、迷い無く退却した。
替わってレグリスが前に出た。スケートのよう、あるいは急流を泳ぎ下る魚のように流麗な足捌きで、見ていてもなんだか分からぬうちに距離を詰め、無駄も隙も無い剣閃を叩き込む。
一撃、児島の剣を抑える。
二撃、手を打ち剣を落とさせる。
三撃、みぞおちへ突き込む。
「がっ……!!」
児島が真っ直ぐに吹き飛ばされた。
レベッカのような超重武器ではない、単なる片手剣の突きで。
しかしレグリスの表情は険しい。
「なんだ、この堅さは……やはり尋常ならざる力が働いている」
本来なら最後の突きで児島の身体は刺し貫かれていたのだろう。
素人目に見ても、レグリスは児島に対して剣術で圧倒的に勝っている。だがそれだけだ。チートを圧倒するような力は無い。
「こんの野郎……」
立ち上がった児島はすぐさま反撃に出る。
今の一撃で『食らっても平気だ』と思ったらしく、ステゴロでの特攻だった。
「るおらああああ!!」
「くっ!」
「死ね! 死ね!! 骨頂があああ!!」
全く洗練されていない、力任せの張り手、パンチ、そしてまたパンチ。それでも児島の手はレグリスの剣と互角以上に切り結んだ。切り傷ひとつ付かず、押し勝つ。
「うわあああああああ!!」
児島の奇声に、こちらも悲鳴だかなんだか分からないような声が被さる。カルロスだ。
棍棒で殴り付けるような大雑把な一撃を見舞う。児島が怯んだのは僅か、だがそこでレグリスも反撃を重ねる。
「ふっ!」
「ぎあっ!?」
強かな金的突きが叩き込まれた。
もはや自分には存在しないモノが縮こまるような錯覚を覚えるタクト。
ほんの二、三秒、レベッカはその戦いを観察した。
「五分……いや、三分?」
世の中には『知らぬが仏』という言葉があり、真相に気付いてしまうとSAN値が減るゲームがあり、勘が良いのも善し悪しなのだが、ぼそりと呟いた彼女の言葉が何なのか、タクトは理解してしまう。
児島を相手にどの程度戦えるか。そのタイムリミットだ。
「……んのやろっ!」
飛び離れた児島は……そのまま踵を返す。
「なんだ? 逃げ――」
「違う、追え! 奴を魔術師の射程外に出すな!」
「ああっ!? りょ、了解!」
城内へ逃げ込んだ児島の後をレグリスが追い、慌ててカルロス、そして魔術師たちも続いた。
どんな魔法にも射程というものがあり、術者と対象が離れるほどに効果は減衰する。
児島は魔術師たちから距離を取って防御を解き、魔法を使う気なのだ。
――いや……本人はそこまで考えてなくて、『開けた場所で大勢に囲まれている』って状況を本能的に嫌った可能性もあるけど……
理由がどうあれ戦いの場が別れたのは望ましい。乱戦になれば非戦闘員を守り切れなくなる。つまりタクトも危険だ。
後は対児島の戦いが限界を迎えるまでにオーガを処理しなければならない。
レベッカは大斧を斜め後ろへ振りかぶり、オーガめがけて突進した。
「グオオォ!」
「危ないっ!」
当然ながら見逃してはもらえず、オーガが棍棒を振り下ろした。
棍棒が直撃するかという刹那、レベッカはバックステップして棍棒を躱した。
地震が起こったかと思った。
庭園に敷かれた石畳の通路が叩き割られ、離れた所に立っているタクトまで足下がビリビリ震える。
あれを食らったらひとたまりも無いと確信するには十分な一撃だった。
続く攻撃にも、オーガは棍棒を振り回して防御する。
オーガの動きは確かに鈍かった。しかし、単純に大きいと言う事はそれだけでアドバンテージであり、巨大な棍棒のリーチは鈍さを補って余りある。
切りつけた斧が棍棒で打ち返され、レベッカはたたらを踏んで後退した。力の差がありすぎて、鍔迫り合いにすらならないのだ。
――……まずくないか?
レベッカの見立てでは、向こうは五分も持たない。
このまま膠着してしまったら、児島がフリーになって背後を突かれてしまう。
――何かいい手は無いだろうか。レベッカが攻撃するのに十分な隙を作るには……
ポーション鞄の中身をタクトは確認する。
あの短い時間で調合できたポーションの数は多くない。
回復用のポーションを別にすれば、膂力強化と耐久強化が2本ずつ。それと噴霧器に入れた迷彩ポーション。
麻痺毒は地下牢で使ってしまった。あったとしても、あの巨体に薬玉で吸わせる程度では麻痺してくれるか怪しい。催涙煙幕の薬玉ももうひとつあるが、鍋からスープを飲むような大雑把な生き物に効果があるかは麻痺毒以上に怪しい。
『戦闘用のポーションで身体強化を行いレベッカに加勢する』以外に、今できそうなことは無い!
タクトは一瞬、誰かにポーションを渡して戦ってもらおうかとも考えた。
この場に居るのは、もともと全員非戦闘員。ポーションを使うなら誰でも同じだ。
だが、しかし。
タクトが頼んだところで、はいそうですかと聞いてくれるだろうか?
頼める立場では、ない。
命令できる立場では、尚更ない。
何より、何より。
――誰でもいいなら、俺がやればいい。
それはもはや魂に刻み込まれた呪いのようでもあった。
そういう役回りなのだと、タクトは自身を規定していた。
タクトは膂力強化と耐久強化のポーションを飲み下した。
「アルテミシア!?」
「何を!?」
飛び出したタクトを見て、アリアンナとレベッカが驚愕の声を上げた。
「ご心配なく、危ないことはしません! ……なるべく!」
タクトは自分の身長くらいの手近な植木を力任せに引き抜いた。
そして、それを。
「どっりゃあああああ!!」
オーガに向かって投げつけた。
回転しながら飛んでいった植木が、オーガの兜にぶつかった。
「こっちだ、こっち向けーっ!」
続いて、杯型の植木鉢、置物の小さな像、割り砕かれたレンガなど。
とにかく多少なりダメージを与えられそうなものを、タクトは片っ端から投げつける。
はじめはレベッカに気を取られて、横槍にも全く気がついていない様子だったオーガだが、兜がガンガン打ち鳴らされると、さすがにタクトの方を向いた。
「ガ?」
感情の見えない、二つの濁った目がタクトを見下ろした。
心臓の縮み上がる心地だった。いくら離れていると言っても、この巨体では、あと一歩か二歩でタクトに棍棒が届く。
しかしタクトは逃げず、オーガの顔辺りを狙ってさらに植木鉢を投げつけた。
さすがに真っ正面から物が飛んでくれば防御せざるを得ない様子で、オーガは顔の前に腕を持ってきて、籠手を分解した手甲で攻撃を受け流した。
そんなオーガの体が、がくん、と揺れた。
タクトが作りだした隙は、一秒あるか無いか。だがそれはレベッカがオーガの体に大斧を叩き込むには十分な時間だった。
オーガの脇腹に打ち込まれた大斧が、鎧を縛り付けている鎖を分断し、鎧の隙間から灰色の巨体に食い込んでいた。
「よくやったわ、アルテミシア!」
顔だけタクトの方に向けたレベッカが、獰猛に笑いかけてきた。
しかし、タクトが一瞬気を抜きそうになった、その時。
「ゴアアアアアア!」
オーガが雄叫びを上げた。鼓膜が破れそうな大音量だった。
悔しがるように足を踏みならし、牙を剥いて吠え立てる。
――これは……苦しんでるんじゃなく、怒ってるだけか!?
「……内臓潰した手応えがあったのに。さすがオーガ、デタラメな生命力!」
更に悪い事に、鎖は切られた部分が垂れ下がっているものの、まだ他が絡み合って、鎧は剥がれ落ちていない。
「もう一発必要ね……」
「くっそ、これでどうだ!」
タクトはさらにもうひとつ、植木鉢を放り投げる。見事、兜にぶち当たり、カーンといい音がした。
だが、もうオーガはレベッカしか見ていない。
真の脅威はレベッカであると分かったのか、傷つけられて怒り狂っているだけなのかよく分からないが、飛来する物体には気にも留めず、レベッカだけを狙って棍棒を振るっている。
――これじゃ気を引こうにも、どうにもならない……?
手詰まりか、とも思ったが、よく考えてみればレベッカが鎖を切らなければいけないという決まりは無い。
――予備の迷彩ポーション!
鞄に手を突っ込んで、タクトは噴霧器を引っ張り出した。
迷わずそれを自分自身に吹きかける。
「どう、ちゃんと消えてる!?」
「き、消えてるけど……まさか……」
アリアンナにそれ以上言わせず、タクトはなるべく足音を殺して走り出した。
オーガの攻撃は、全てレベッカに集中している。
なるべく大回りにその戦いを回り込んで、タクトは玄関ホールへと向かった。
戦いの痕跡が生々しく残るホールは、死屍累々の有様。
魔物の死体がそこら中に散らばっていた。切り刻まれたもの、丸焦げになったもの、凍り付いて砕け散ったもの、全身に猫のような毛が生えて自分の腹を噛み裂いたまま息絶えているもの。どんな魔法が使われたのか気になるが(特に最後のやつ)、それどころじゃない。
全員領兵の格好をしているので紛らわしいが、カルロス以外の領兵と思しき者らも倒れていた。うち数名は完全に潰れトマトで、残りは……生きていてほしいとは思うが、生死を確かめている余裕は無い。
ここへ来たのは武器のためだ。手近な死体から剣を取り上げると、タクトはすぐさま取って返した。
再び中庭に出て、すぐそこ。眼前にそびえる灰色の巨体。
レベッカと一進一退の攻防を繰り広げる鎧オーガ、その背中だ。
「そりゃーっ!」
タクトは背後から駆け寄ると、鎖に向かって力任せに剣を振り下ろす。
小気味よい感覚が手に伝わって、鎧を縛り付けていた鎖が、ぶつりと断ち切れた。
ほどけた鎖と共に、胴回りの鎧が剥がれ落ちた。カラッポの鍋みたいな音を響かせて、胸甲が石畳の上で踊った。
「よし! 上手くいっ……」
その瞬間、オーガが足を後ろに蹴り上げて、灰色のカカトがタクトに迫ってきた。
「ぶご!?」
不十分な体勢から放たれた、ろくに力のこもっていない攻撃。しかも脇腹をちょっとかすった程度。
しかし、それはタクトを打ち据えるのに十分だった。もんどり打ってその場に倒れ込む。
腹がガンガン痛んだ。ポーションで防御力を高めていなかったら内臓が破裂していたかも知れない。
「グギイイイイイイ!」
オーガが振り返りながら棍棒を振りかぶる。
姿を消しているので見えてはいないはずだが、そもそも破れかぶれの攻撃で、オーガはこちらを見ていない。振り向きざま、適当に棍棒でその辺を薙ぎ払う気だ。
「これ……!」
これは、当たる。
――やべぇっ……!
振りかぶられた巨大な棍棒が妙にゆっくりと迫ってくるように感じた。
さっきのカカト蹴りとはわけが違う。あんなものを食らったら相撲取りだってハンバーグのタネにされてしまう。
倒れたまま射程から逃れようと、床を蹴りつけた足は、剥がれ落ちた鎖の上を滑り、空を掻いた。
「アルテミシア!」
レベッカの悲鳴が、妙に間延びして聞こえた。