1-24 前門の虎、後門のオニダルマオコゼ
「ログスに気付かれ、魔物が迫っていると!?」
「はい。……おそらく、抜け道からの脱出はもう不可能です。逃げている最中に追いつかれますし、出口に先回りされたらおしまいです」
地下への入り口で整列して待っていた一行は、いち早く駆けつけた三人(ちなみに透明化の効果は途中で切れている)の報告を聞いて青ざめた。悲鳴のような声も上がる。
「では、そうなると……」
「すっごく厳しいけど、魔術師が八人居るのを活かして……ログスを牽制しつつ魔物を蹴散らして正面から逃げるしかないわね」
「了解した、私が指揮を執ろう。戦場において将となることもまた領主の務め。このレグリス、南方征伐には幾度となく参加し、自ら魔物と剣を交えたことも一度や二度ではない」
――決断早っ! そして頼もしい!
レグリスの言葉に、安堵のような声が周囲から漏れた。
この人が居れば何とかなる、という重量感。それこそが人を率いる才なのかも知れない。
「頼むわ。ただ、いくら魔術師が歩兵二十に匹敵すると言っても、それは白兵戦力に守護されての話。今、まともに戦えるのは私と生き残りーズだけなのを忘れないで。おまけに魔術師も、ほとんどは集団戦の訓練を受けた領兵じゃないわ」
「無論だ。敵を近づけない事を第一に考える。……全員、こちらへ付いて来い! 解放された魔術師と合流し、正門から脱出する!」
レグリスの号令で、一気に全員が動き出した。
と言っても、子どもや老人も混じっているので動きは遅く、早足程度だが。
「領主様!」
玄関ホールまで来たところで、前方から声が飛んできた。
魔法で降下した魔術師達が転がるように走ってくる。
「お前達、無事で――」
「ログス……様が来ますっ!」
言うなり。
轟音が城を揺らし、そして烈風が吹き抜けた。
その衝撃は、背後からだった。
玄関ホールに居る一行の、ちょうど背後に当たる場所。
灰色の石を積んだ壁に穴が開いて、その向こうにある中庭の庭園が見えていた。
よく手入れされた花壇の花を踏み躙り、そこに立っていたのは、児島だ。子どもの体には似つかわしくない、どす黒い怒りを燃やした憤怒の形相を浮かべ、握り拳を震わせている。
児島が魔法で壁を吹き飛ばしたのだ。
「て、め、え、ら……やってくれたな」
一行の中に混ざっている小さな子どもが泣き出した。
それは果たして、爆発に驚いたせいか、それとも児島の怒気のせいか。
「……ログスよ。いやさ、我が息子ログスに取り憑いた悪鬼よ」
「これはこれはお父上。ご機嫌麗しゅう」
この世界において、転生者の存在は一般に知られていない。ゆえにレグリスもまた、ログス(中身は地球人のブラック上司)を悪魔憑きかなにかのように考えているようだった。
確かに、チートスキルによる常人離れした力と邪悪な精神性は、悪魔が憑いたと言う以外に認識できないだろう。
人波をかき分けるようにレグリスが前へ出ると、児島が優雅な所作で礼をした。
おそらく、ログスの知識にある礼儀作法を使っているのだろうが、中身が児島だと分かっていると、様になりすぎているのが逆に気持ち悪い。
「どうやらバカどもに助け出されたようですが、相手が息子とあっては戦いにくいでしょう。どうです、ここはひとつ俺と……」
「口を閉ざすがよい、下郎」
「な、にぃ……?」
レグリスのたった一言で児島が怯んだ。
その言葉には、隣で聞いているタクトすらぞっとするほど、重く冷たい蔑みの色があった。
「もはや貴様の吐息ひとつであろうと我が耳の穢れ。虎狼の如く殺すのであれば人の言葉を捨て、月にでも吠えておればよい。
己の欲得のために、私が護るべき民を殺した貴様が……ほんの数日の事とは言え、陛下より私が預かるこの城を我が物としていた事、痛恨の極みだ。
ゲインズバーグの地を、生きて出られると思うでないぞ!」
おぉ、と感嘆の声がどこからか漏れた。
これはまさしく宣戦布告。敵対する者全てを地に貶める大見得だ。
この難しい言葉遣いを児島がどこまで理解できたかはかなり怪しいが、歩行者用信号機のように顔を赤くしたり青くしたりしながら話を聞いていた児島は、レグリスの言葉が終わるなり、かんしゃく持ちの子どものように怒り狂った。
ただし、斜め上の理由で。
「このっ、このっ、このっ、恩知らずがぁーっ! せっかく生かしておいてやったのに、そのお返しがこれかよお!? 人の善意を踏み躙りやがって! やっぱり人間なんて信用できねぇっ! 骨頂が!!
畜生! 死ね! 死んじまえーっ!」
「……はぁ?」
地団駄踏んでわめく児島に、思わずタクトは言ってしまった。
何の理屈も通っていない。殺さないでくれてありがとうと、お礼のプレゼントでも貰えると思っていたのだろうか。何故か児島の頭の中では、レグリスとルウィスを殺さず幽閉した事が、ノーベル平和賞ものの善行になっているようだ。
「なるほど、君の言う通り……あれに話は通じないようだ」
「はい。思考回路が腐ったパスタみたいにこんがらがって腐臭を放ってるやつなんです」
「おい、てめえら! 俺はもうキレたぞ! てめぇら全員ぶち――」
殺す、まで言えなかった。
様子を伺っていたレベッカが一瞬の隙を突いて躍りかかり、背負っていた大斧で抜き打ったためだ。
ゴン、と重く激しい音がして、辛うじて斧を受け止めた児島の剣が、激しく火花を散らす。
と、同時に領兵魔術師のひとりが進み出た。会話の間にレベッカと示し合わせていたらしい。
「今よ、魔法を!」
「≪装甲劣砕≫!」
魔術師がかざした手のひらから、一筋の電光が児島に向かって迸った。
しかし。
飛んでいった電光は、児島に届くあと少しの所で、儚く弾けて消えた。
その瞬間、児島を泡のように包む何かが見えた。
「おやぁ? 何かしたかな?」
児島が薄っぺらくせせら笑う。
「なっ……!」
「≪対抗呪文結界≫……!」
「……って、何ですか?」
驚いている魔術師にタクトは聞く。
「自分の魔力をそのまま、対魔法防御に使う魔法です」
「そうさ! 俺の魔力は最強だ! 蚊に刺されたほども効かないなあ!!」
魔法を無駄撃ちしてしまった魔術師に、児島があざける笑いを向けた。
あいつは真っ当な魔術師じゃない。チートスキルでガチガチに強化された人間戦車だ。
魔術師の攻撃にはバリアの防御。物理攻撃にはチートスキルによる防御。
後は【超常膂力】で無双すればいい、という考えか。
――意外と賢いな。こっちに魔術師が多いと見るなり魔力を防御に回した。
まああいつ、まず保身とか防御とかから考えるタイプだしな。自分の安全を死に物狂いで確保して、それから凶暴になるタイプ。
だが防御に魔力を回すと言う事は、それだけ攻撃がおろそかになると言う事でもある。
先程、タクト相手にバカスカ魔法を撃ち込んでいたようにはいかない。……はずだ。
「魔術師さん! あいつの防御が途切れたら、即座にさっきのと同じ魔法を使ってください!」
「え!? でも、向こうは防御を解かないんじゃ?」
「その場合は……レベッカさんが戦えます」
「そ、そうか!」
「……って、勝手に仕切っちゃいましたけど、大丈夫ですか? 領主様とレベッカさん」
「悪くない。残り七人も魔術師が居れば表は抑えられよう」
「アルテミシアのお願いとあらば、根性でなんとかするわ!」
思いつきを思わず口にしてしまったタクトだったが、ふたりに容認されてほっとした。間違っていなかったようだ。
そんな様子を見て、児島の不機嫌は加速する。
「クソどもが……おら、野郎ども! 来やがれ! そこに居るザコどもをすり潰せ!」
児島が声を張り上げると、城の外から鬨の声が上がった。
「外の魔物、来ますっ!」
「応戦する! 歩兵、前へ! 魔術師隊、構えいっ!」