1-23 あんなの魔法が無い世界でやる方がおかしい
台所とほぼ同じ顛末で、作戦会議室はあっさり開放された。
「ありがとうございました! もう昼も夜も魔法で街の監視をさせられるのは懲り懲りです!」
ローブや黒マント、そしてとんがり帽子に杖という、いかにも魔術師っぽい格好の八人。くたびれた様子ではあるけれど、傷つけられたりはしていないようだ。
魔術師である彼らは、ポーションの知識もあるらしい。見張りを惨殺して声をかけたら、怪しむ事も無く、見えないタクト達にお礼を言い始めた。
作戦会議室は機能性重視だった台所とは異なり、調度品で豪華に飾り立てられていた。幹部クラスの領兵が、領主であるレグリスを交えて会議する場だからだろう。
飾られた壺は、売れば屋敷が建ちそうだ。壁に掛けられたタペストリーは繊細かつ優美な刺繍がびっしりとほどこされていて、普通の人はこんな物を作らされたらおそらく三分で発狂する。
毛足の長い美麗な絨毯に、倒れた魔物の血が染みこんでいく。こんな有様を見たら財務官が卒倒し絨毯屋は大喜びしそうだが、どちらにしてもまずは生き延びてからの話だ。
作戦会議室の机の上には、監視のために使っていた水晶玉の他に、よく分からない魔法の道具がいくつも。
後は、ポーションの空き瓶が大量に並んでいた。あまりにも見覚えのある光景で、タクトはここで何が起こっていたか一瞬で理解した。
「ポーションで補給して……ずっと働かされてた?」
「はい。魔力補給ポーションと持久体力ポーションをがぶ飲みさせられて、不眠不休で……理論的には問題ないはずなんですけれど、そろそろ倒れてしまいそうでした」
ジャパニーズ・社畜・メソッド、ここにあり。
工房から盗み出されたポーションは、魔物より先にこちらに使われていたわけだ。あまりにもクソ上司が考えそうな事で、タクトは溜息をつくしかなかった。毎日のように飲んでいた、栄養ドリンクと眠気覚ましの味が懐かしい。もちろん、懐かしくても二度と飲みたくはない。
「外の様子……って言うか、ログスの様子は分かる? さっき外で戦った後、どう動いたかしら」
「一旦城に戻って、待機していた魔物を全部出しました。そして街中を魔物達に捜させて、その間を飛び回って命令しているようです」
「まだ、私たちの動きには気付いていないようですね」
「人質と領主様は台所の方で待機してるわ。急ぐわよ。何かあったら、すぐに教えて。それと、まだ飲んでないポーションがあったら持っていって」
「了解しました!」
レベッカの言葉を合図に、魔術師達は荷物を片付け始めた。
そんな中、黒のマントにとんがり帽子を身に着けた、人の良さそうな中年の男性がタクトに近づいてくる。服を脱いだら魔術師には見えないだろう……というか、この服を着ていてもコスプレをしている怪しいおっさんにしか見えない。
魔術師の中では二人だけが同じ格好をしていて、残り六人はバラバラだ。つまり、領兵団に属する者と、そうでない者の違いだろう。この推測が正しいなら、このオッサン魔術師は民間人だ。
「ちょっとすまない……≪隠匿看破≫」
魔術師は呪文を唱え、自分の目の辺りを撫でる。クルミ色をしていた彼の目が、青白く輝いていた。
――消えているものを見る魔法……?
どうやら推測は当たっていたようで、彼はタクトを見て驚いた顔になった。
「なんと言う事だ。声で幼……歳若い少女とは思っていたが、君だったのか。街へ入ってきた君を見つけて、ログス様に報告したのは私だ。申し訳ない……」
「き、気にしないでください。仕方がない事です」
深々と頭を下げた彼に、責める気が無い事をタクトは伝えた。
彼に対して怒る気にはなれない。等しく児島の被害者だとタクトは思っているし、きっと彼自身もそう分かっている。
それでも、罪悪感にさいなまれるのは、ある意味当然か。無辜の人物に……それも、老人、女の子、さらに女の子(ある意味オッサン)という無力極まる一行に、あんな災害レベルの戦力をけしかけたのだから。
「脱出するまではいいとして……平原に出てしまえば、発見される危険は跳ね上がります。つまり戦いながら、もしくは牽制しながら逃げることになります。その時は、領兵ではない魔術師の皆さんにも戦ってもらうことになります。……もし、負い目があるのでしたら、その時に挽回してください」
「あ、ああ。分かった。約束するよ、お嬢さん」
レベッカやサイードと話し合った事をそのまま繰り返すタクト。
何故か魔術師は虚を突かれたようで、ワンテンポ遅れて頷く。
気がつけば、他の魔術師達もタクトの方を見ていた。皆、神妙な顔をしている。
――みんな……同じ気持ちだったのか。
人質を取られて動いていたとしても、児島の企みに荷担したという事実は変わらない。
彼らは身柄だけではなく、心も解放されたのだ。
うなずき合った彼らは、また撤収の準備にかかった。
「な、なんか偉そうな事言っちゃったかな……」
「上出来よ」
急に近くで声がしたと思ったら、見えない手が頭に置かれた。レベッカが居るらしい。
タクトは、こそっとささやきかけた。
「こっちは怒ってないのに、私のせいで負い目を感じられても困ると思って言ったんですけど……」
「そうは思われてないわね。今の、すごい大人な態度に見えたわ」
――まぁ中身は大人なんですけどね。
「それにしても、あの間抜けな顔……うっふふ、か弱い女の子にあんなしっかりした事言われたら、自分達が情けないとこ見せるわけにはいかないって思うわよ」
「そういうものでしょうか……」
だとしたら、この体が役に立ったかも知れない。変に注目を集めたくなかったので、あまり嬉しくはないけれど。
「そんなもんよ。それにね――」
「なんだこれは!?」
レベッカの言葉は、戸惑いの声によって遮られた。
水晶玉を覗いている魔術師が、青い顔をして目を見張っている。
「何があったの?」
「街中の魔物が、城の前に集合しています! いや、それだけじゃない! ロ、ログス様が飛んで、こっちに……!」
魔術師の言葉を受けて、その場に居た全員がどよめいた。
――気付かれた!
「魔法で飛べる人、お手上げっ!」
戸惑いが伝播するより早く、レベッカは空気が震えるような一喝を放った。
反射的に魔術師のうち五人が手を上げる。
「結構! 飛べる人が飛べない人を何とか降ろして! 階段降りてる暇は無いわ! ……アルテミシア! それと……名前忘れた! 領兵A!」
「カルロスっす……」
「私達は飛び降りるわよ! ポーション込みなら怪我はしないはず! 領主様御一行の所へ急行するわ!」
言うが早いかポーションを飲み下したレベッカは体を丸め、ガラスが嵌め込まれた大きな窓に突っ込む。
絨毯屋の次はガラス屋が大喜びだ。レベッカは鎧の堅さと突進力で、盛大な音を立てて窓をぶち破って落下した。