1-21 カワイイは正義、イケオジも正義
臨時のメイドをさせられている彼女が牢番のオーガに食事を持っていくのは、もう三度目になるらしい。
メイドを襲わないよう児島が命令したのか、脳筋魔物の代名詞であるオーガにも最低限の状況判断はできるのか、それは定かでないが、オーガが彼女に危害を加える素振りは無かったそうだ。
だからといって、次も無事かは分からないわけだが。
「グ?」
メイドの姿に気付くと、退屈そうに座っていたオーガがゆっくりと身を起こした。
「あ、あの……お食事をお持ちしました……」
「ガアア!」
「きゃっ!」
メイドがおずおずと籠を差し出すと、オーガはそれをひったくるように奪い取る。
「し、失礼します……!」
メイドは小走りに、逃げるようにその場を退いたが、オーガはもうそれすら見ておらず、食事に取りかかり始めていた。
生肉にかじりついて、ほとんど丸呑みするような勢いで食い尽くす。ガツガツと堅いパンを貪り、力任せに栓を抜いたワインで流し込む。スープを入れた小鍋には大きな木匙が刺さっていたが、食器を使うという最小限のテーブルマナーさえ持ち合わせていないようで、邪魔な匙を放り出して、鍋から直接飲み始める。
そして突然、巨体から力が抜け、石の床の上にどっと倒れた。
ひっくり返った鍋が騒がしく鳴って、床に落ちたワインの瓶が割れる。
そこへ疾風の如くレベッカが駆け寄り、背負っていた大斧で抜き打った。
「はい失礼」
前屈みに倒れて痙攣している巨体のうなじに、巨大な刃が打ち込まれる。
畑でも耕すように、無造作に三回振り下ろしたところで手応えがあったらしく、斧が首筋に刺さったまま、レベッカは上から踏みつけてさらに刃をねじ込んだ。
それから斧を引き抜くと、傷口から血があふれて床に広がり、嫌なニオイが漂ってきた。オーガはもう動かなかった。
「すごいです……」
レベッカの短い戦いを見守っていたメイドが、呆然と感心したような声を上げた。
「私はトドメ刺しただけよ。アルテミシアの麻痺毒ポーションのおかげ」
オーガのエサを持ってきたメイドを見て、タクトが思いついた作戦。それは、食べ物に麻痺毒ポーションを混ぜるというものだった。
オーガが巨体である事を考慮して、念のため二瓶、スープに混ぜ込んだ。痺れて動けなくなった所でレベッカがトドメを刺したのだ。
「気がつかれないか心配でしたけど、上手くいきましたね。やっぱりオーガは、そんな細かい事気にしないんでしょうか」
「……」
勝利のハイタッチでも決めようとタクトはレベッカに駆け寄ったが、彼女は床に転がった鍋を見て、難しい顔で何かを考えていた。
「レベッカさん……?」
「あのスープ……アルテミシアの作ったポーションが入ってたのよね。それって事実上アルテミシアの手料理と言って差し支えないのでは? うらやましい……! もしかしたら、あんな顔面崩壊筋肉ゴリラじゃなくて私が食べるべきものだったんじゃないかしら」
「何を言ってるのか分かりません。私の頭が悪いのでしょうか」
この状況下で冗談を言える度胸だけは驚異的だ。
冗談ではなく本気かも知れない、とも思ったが、タクトは怖いので深く考えない事にした。
* * *
城の地下牢は、まさしくイメージ通り、地下牢以外の何でもない場所だった。
石の廊下をそのまま押し広げて、石壁で区切ったような場所だ。通路の両脇に部屋が並んでいるのだが、通路に面した壁は全面が鉄格子なので、部屋の中の様子は完全に丸見えだった。
空気は冷たく湿っていて、鉄さびのようなニオイが漂っている。見える範囲の部屋に、人は居ない。
「囚人が居ない……?」
「もとから入ってた人は魔物のエサじゃないかしら」
レベッカの無慈悲な推測。
囚人達は正当な裁きを受けて(もしくはこれから裁きを受けるために)収監されていたのであって、例え罪人であっても、児島に殺されて魔物のエサにされていい理由にはならないだろう。
牢屋通路を進んでいくと、ようやく人影を発見した。
最奥に近いいくつかの部屋に固まって、幼い子どもや老人が閉じ込められている。皆、ひどく疲れた様子で横たわっていたが、突然現れた奇妙な侵入者に目を丸くして驚いていた。
「あっ、ねえちゃん!」
鉄格子にかぶりつくように、小さな男の子が弾んだ声を上げた。
オーガの食事を持ってきた臨時メイドの家族、つまり人質のようだ。
この場所に居る人質は、ひとつの家族からひとりずつ。従わされている魔術師が八人という話だったので、人質も合わせて八人か。
いや、人質だけではない。一番奥の部屋に、一目でただ者ではないと分かる男が居た。
歳は四十前後だが、年齢に不相応なくらいの威厳がある。いわゆる細マッチョ体系で、長身なせいでひょろ長くも見えるが、よく見ると体つきは岩のような重量感があった。
牢屋で寝起きしていたせいか、短く整えられた褐色の髪はボサボサ、顔には無精ヒゲが生え、よれたブラウスと薄汚れたズボンしか着ていないが、そのせいでワイルドな魅力を醸し出しているのだから、この人はどうやっても格好良く見える気しかしない。
足を投げ出すように座っているのに、背筋がピンと伸びている。眼光鋭く意志の強そうな金色の目が、薄暗い牢屋の中で炯々と輝いていた。
「おや、君たちは……」
彼は驚いたように目を見張る。
緑が薫る初夏の風のような、みずみずしく張りのある低い声だった。
「あなたが領主様で合ってる?」
「いかにも」
――この人が、領主様。ゲインズバーグ伯・レグリス!
これがマンガであれば1ページ丸ごと使った大ゴマになるところだ。
転生が上手くいっていれば、タクトの父になるはずだった男だ。言われてみればログスの面影がある。
「助けと思っていいのかな」
「結果的にはそうなるわね。私は街から逃げたいだけなんだけど、そのために有用ならあなたを助けるわ」
「なるほど。
協力するのもやぶさかではないが……まずは外の話を聞かせてくれないかな。
私はここに閉じ込められて以来、何が起きているか知りようが無くてね」
「いいわよ」
ふたりは現状についてレグリスに説明する事になったが……正直言ってレグリスの頭が良く回るのには舌を巻いた。現状についてひとつ説明を受ければ、そこから推理できる結論を即座に導き、説明を二、三歩先取りした質問を飛ばしてくる。
レグリスがどれほど有能かすぐに理解できた。これで慈悲深さもあるというのだから、領民だって慕うに決まっている。もし地球に居た頃、こんな上司の下で働けていたら、そもそも転生しようなんて思わなかっただろう。
「状況は分かった。確かに、ログスに憑いた『魔』がどれほど強力であろうと、従わされている魔術師達を解放すれば手足をもいだに等しいだろう。奴が手勢を集めきる前で幸いだった。……可能なら、逃げるよりもこのままログスを討ちたいものだがな」
レグリスがあまりにも自然な調子で言ったのでタクトは聞き流してしまいそうになり、ワンテンポ遅れて彼が言った事の意味を理解し、どきりとした。
「討つ……ですか」
「ああ。一刻も早くな。一分一秒遅れるほどに、領民の命が失われよう」
レグリスは、まるで崩れた堤を直す相談でもしているかのようで、真剣であっても穏やか、かつ冷静だった。
内心でどう思っているかまでは分からない。領民のためなら息子(だったもの)を殺す事などどうとも思っていないのかも知れないし、本当は悲しくて仕方ないのかも知れないが、少なくとも、それを顔に出すような事はしなかった。
「……ところで、そちらの冒険者さん。少しいいだろうか」
「私?」
「いや、そっちの君だ」
何かと思ってタクトが進み出ると、レグリスは牢の中で立ち上がった。
手足の長さから想像は付いていたが、実際に立つと、レグリスは堂々たる体躯の持ち主だ。今のタクトの体では見上げるような高さになる。
金色の目でしげしげと観察されて、タクトは心の奥底まで見透かされているような気分になった。
「さすがに驚いたな。こんな子どもが、か……あぁ、すまない。疑っているわけではなく、純粋に驚いているのだ」
「お目に掛かれまして光栄です、領主様。アルテミシア、と名乗っています。冒険者とおっしゃいましたが、私は冒険者ではありません。もしかしたらそうだったのかも知れませんが、覚えていません。コルムの森で倒れていて、村の方に助けられるより前の事は、分かりません」
「ふむ。その独創的なファッションはいかにも冒険者的だと思ったのだけどね」
「こ、これですか……」
タクトは自分の体を見下ろした。
確かにこの何とも言いがたい服装は、冒険者……と言うよりもゲームのキャラのようだ。これまでタクトが見てきた人々は、皆、常識的な格好をしていたので、かなり際立っている。
「冒険者っぽくもあるわよね。冒険者は依頼者に自分をアピールするために、印象的なファッションを探求するものなのよ。お財布の中身や、時には防御力すら犠牲にして」
「そうなんですか……レベッカさんのそれもですか?」
「ん? 私の鎧は普通に売ってたやつを元に、ちょっと改造した程度よ。目立ったら面倒だから」
――そうだ、この人逃亡犯だった。
むしろ、印象に残らない格好で他人に紛れる方が好都合だろう。
「まぁ、私としては君が何でも構わない。私の領民を守ってくれてありがとう。本当なら、私や領兵が戦わねばならない所だ」
レグリスは胸に手を当て、優雅な所作で礼をした。
頭を下げられた瞬間、物理的な圧力すら感じたような気がして、タクトはよろめきそうになる。
領土ひとつを治め、領民からは名君と称えられる彼に頭を下げられる事がどれほどの重みを持つのか。タクトには受け止めかねるほどだった。
「ところで、君は薬師だそうだが……風邪薬を持っていないか?」
「どこか、お体の具合が悪いのですか?」
「私は幸い無事だ。だがこの極寒の牢獄は、子どもや老人には堪える。そっちの牢で息子が体調を崩しているようでな」
レグリスが指差した先の牢屋には、三人が閉じ込められている。
そのうちひとりは、カタログで見たログスと似た格好の少年。顔立ちもよく似ている、と言うかログスをそのまま幼くしたような外見だ。
歳は八つくらいだろうか。ログスには弟がひとり居たはずなので、彼に違いない。
わらの上に座り込んでいる彼は顔が赤く、汗を掻いていて、呼吸も苦しげだった。しかし彼は、既に赤い顔をもっと赤くしてレグリスに言い返す。
「父上。ぼくはだいじょうぶです」
「ルウィス。民に心配をかけぬため、例え調子が悪かろうとそれを隠すというのは、確かに我らの務めの一部だ。
だが、本気で自分の体の事が分からないようなら、それはただのボンクラだ。たとえば私が、つまらぬ意地を張って死んでしまったら、誰がこのゲインズバーグを治める?」
意地を張りたいお年頃らしいルウィスだが、レグリスが放った容赦ない正論の前に撃沈した。決まり悪そうにむくれている。
「風邪薬……ごめんなさい、持ってないです」
「待って。持久体力ポーションはどう? その場しのぎにはなるわよ。
ポーションで保たせてる間に魔術師の治療を受ければ助かるわ。
本当は戦闘用に使う気だったけど……ま、しょうがないかしらね」
「分かりました、これを飲ませてみましょう」
タクトは、予備として作っておいた持久体力ポーションを鞄から取り出す。
格子の隙間から差し入れたポーションを、ルウィスはひと思いに飲み干した。いい飲みっぷりだった。
「……ふん、不味い薬だな。だが体は楽になったぞ。ほめてつかわす」
「ルウィス。言葉遣いをちゃんとしなさい」
「こらガキんちょ。アルテミシアのお手製ポーションに、それ以上文句付けたら切り落とすわよ。ナニを」
レグリスとレベッカにたしなめられ、ルウィスは、ぷいっとそっぽを向いた。人質の何人かは青い顔で股間を押さえていた。
――なんなんだ、このツンデレショタは。
威張っているくせに、ちゃんとお礼は言うらしい。
「何から何まで済まない。君たちが無事帰れるよう力を尽くそう。そして、それまで、あと少し、力を貸してはくれないか」
息子を助けられて、いよいよ感謝の念を深めるレグリス。
感謝だけならまだ良いとして、明らかにタクトを頼りにしている。
――この流れは、なんかマズイ気がする……!
戦闘の頭数にカウントされるのは絶対に勘弁だ。
「あ、あの、念のため言っておきますけど、私、戦えませんからね」
「む? 確か、魔物を倒して村を救ったと……」
「ポーションの力を借りただけですから、私じゃなくてもよかったはずです。って言うかあんなの偶然です。運が良すぎただけです。私は非戦闘員です!」
タクトは本気でそう言ったのだが、レグリスは何か考え込んでいる様子だ。
「まぁ、君がそう言うならそうかも知れないな」
そして曖昧にぼかした返事をして、それっきりだった。