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1-19 潜入せよヨモギ・スネーク

 倉庫街は静まりかえっていた。もっとも、今は街全体がそうなのだが。

 

 道にはうっすらと、足跡や轍が残っている。なにしろ、他に通る者が居ないのだから追跡は容易だ。

 既にいっぱいになっている倉庫と、魔物たちが荷物を運び込んだ倉庫を見分けるのは簡単だった。

 

 前方には、見張りとして道をグルグル周回しているらしい領兵の装いをしたレッサーオーガ。がらんとした道を独り歩く姿には哀愁すら漂っているように思える。

 

 ――見張りは倉庫街全体で2匹、ないし3匹。道を歩いてるだけだから、あんまり気にしなくていい……

 

 足音だけは聞かれないように。

 そして、ポーションの効果が切れて上空からの監視に見つかる前に、目当ての倉庫を見つけなければならない。

 

 見上げれば、空には不自然な鳥が飛んでいる。

 機械的に幾何学的に2πrの軌跡を描き、街を監視する鳥が……今見つけられただけでも4匹。

 急がなければ。

 

 ――薬草の匂いがする場所は……?

 

 どこからか、確かに薬草の香りが漂ってくる。

 香りを追いかけるように歩いていると、タクトアルテミシアは足音以外の音を聞いた。

 ギイ、ギイ、と。お腹を空かせた人食いブランコが犠牲者を待ちわびている鳴き声のような音。

 

 前方から、荷車を引いたレッサーオーガが向かってくる。

 ポーション工房から略奪物を運んでいった帰りかと思いきや、別の荷を載せている。

 そいつはタクトアルテミシアのかなり手前で道を折れ、倉庫の中に入っていった。

 

 ふと、タクトアルテミシアは思い立って足早に近づく。

 歩を進めるにつれて明らかに薬草の香りが強くなった。

 

 大扉を開け放たれた倉庫に、荷車が入って行く。もう鼻に頼るまでもない。外から見える位置に薬草の束が積んであった。

 

 こいつらに略奪品を分類して収納するような頭は無い。たぶん児島ログスにも無い。

 『使わないけど放置しておいたらヤバそうな物』をとりあえず掻き集めて、空き倉庫に片っ端から突っ込んでいるだけなのだ。

 

 倉庫の扉は開けっ放し。いっぱいになったら閉めるのかも知れないが、少なくともそれまでは忍び込むのに何の問題も無い。見張りらしいレッサーオーガが1匹付いているだけだ。

 

 荷車を転がしてきたレッサーオーガは荷物を適当に降ろして積み上げていく。

 タクトアルテミシアは倉庫の外壁に張り付くようにして、作業が終わるのを待った。

 

 その時だ。

 ひときわ強く風が吹き、裸身を晒すタクトアルテミシアは震え上がった。

 

「…………っくち」


 押し殺した、小さく可愛らしいくしゃみが漏れた。

 背筋がぞっと凍り付いた。断じて寒さのせいではない。

 とっさに口元を押さえて音を殺したが、ほんのわずか、声が漏れた。

 

「ゴギッ!?」


 聞きとがめたらしい見張りのレッサーオーガが辺りを見回した。

 

 タクトアルテミシアは息すら止めて壁と同化した。

 心臓の鼓動が聞こえてしまわないかと余計な心配が頭に浮かぶ。

 

 見張りの首には呼子がぶら下げられている。

 もしこちらを見つければ、あれを吹き鳴らして仲間を呼ぶのだろう。領城からの監視にも、おそらく気付かれる。そんな事になったら一巻の終わりだ。

 

 見張りはキョトキョトと辺りを見ている。

 タクトアルテミシアに気が付いた様子は無い。それも当然、今のタクトアルテミシアは透明人間なのだ。

 だが、もしここで2発目のくしゃみが出てしまったりしたら?

 

 心配した途端に、タクトアルテミシアは身体の冷えを感じた。

 なにしろ真冬ではないが、まだ肌寒い季節。素っ裸で外に立っているのだから。

 

 なるべく冷たい空気を吸わないよう、口元を押さえたままで浅く呼吸した。

 その時間が永遠に続くかのようにすら思えたが……

 荷物を下ろし終わった荷車レッサーオーガが倉庫を出て行った事で、見張りの気が逸れた。

 

 ――今だ……!

 

 ギイ、ギイ、という車輪の音に紛れるようにして、タクトアルテミシアは倉庫の中へ忍び込んだ。

 すぐ近くに居る見張りは、ちょっと首をかしげていたが……透明なタクトアルテミシアの方を見る事は無かった。

 

 ――まったく……生きた心地がしないってのは、このことだ。

 

 これほどまでに命の危機を感じた事が転生前にはあっただろうか? いや、ない。

 まああのままなら、近いうちに過労死か過労自殺していた気がするが、それでもこんな『自分の命が一瞬で消えるかも知れない』という想いをした事は無かった。

 本当はこんな事したくないに決まってる。

 だけど、この極限状況で自分が生き延びるには、周囲に貸しを作っておく必要があるのだとタクトアルテミシアは思っていた。

 

 戦闘ともなれば、自分は全くの役立たずだ。

 サイードは集団をまとめて指揮を執れる。

 レベッカや領兵たちは戦える。

 翻って、自分はどうだろう。

 足手まといとして見捨てられる可能性さえある。誰しも自分の身が可愛いものだから。

 

 もちろんそれも、まずここで生還してからの話だが。

 

 倉庫の中は、少なくとも体育館程度の広さがあった。

 そして、その中の結構なスペースが、ポーション工房から持ち出されたと思しき器材や材料で占められていた。

 最初にタクトアルテミシアは調合が可能な状態かどうか、倉庫内に素早く目を走らせて確認した。無理そうならポーションの効果が切れる前に脱出しなければならない。

 幸いにも、器材が厳重に梱包されていたりはしなかったし、材料は溢れるほど置いてある。そして、調合に使えそうなスペースもあった。

 

 タクトアルテミシア透明化インビジブルポーションの効果が切れないうちに乳鉢と乳棒をそっと抜き出し(その辺の箱に無造作に入れられていた)、倉庫の奥の奥、荷物の影になって見えない場所へ運び込んだ。さらに空の薬瓶や、ポーションを入れて投げ当て破裂させる手投げ弾『薬玉』、アンティークの香水アトマイザーのような外見をした携帯噴霧器を確保した。調合したポーションを運ぶためのものだ。

 そして山積みになった薬草を、大きな袋からこぼれた何かの体組織を、少しずつつまんでちょろまかす。

 硬い材料をおろし金に掛けて粉にするのは危険だ。薬草をすり潰す音程度なら、表に居る見張りまでは聞こえない……と、思いたい。

 

 後は時間との勝負だ。

 

 ――既に作り方が分かってる膂力強化ストレングスポーションは必須! 最悪、これがあれば自分の身くらい守れる!

   次いで、潜入に使う迷彩ステルスポーション……ここで作ったポーションを持ち帰るのにも必要だ。材料はレベッカが教えてくれた! レシピは無いけど、俺には要らない! 後は比率を探るだけ……!

   耐久強化ストーンスキンも頼まれた。他に『できれば』って言われたのが持久体力スタミナ……

   催涙煙幕ティアガスはさっき児島ログスに効いたから、できれば作っておきたい。治癒ヒーリングはあればあるだけ良いけど、最悪後回しにするとして……

   

 * * *

 

 しばしの時が流れた。

 

 【神医の調合術】がもたらすコクピット表示に導かれ、タクトアルテミシアは一心不乱に調合を続けた。

 いつしか透明化インビジブルポーションの効果は切れていた。白く細く柔らかな裸体が露わになると、なんで自分はこんな事をしているのかと一瞬疑問に思った。まさか少女に転生して、素っ裸になって倉庫の隅でポーションを調合するなんていうわけが分からない事をするハメになるとは、『転生屋』を訪れたあの時は思いもしなかったものだ。

 

 しかしこれも生きるため。

 命の瀬戸際におけるギリギリの行動なんてものは、客観的に見れば得てして滑稽なものなのかも知れない。

 

 ――迷彩ステルスポーション……もうちょっと要るか?

 

 次を作ろうかと思ったその時だ。

 

 ジャリッ……と金属の擦れ合う不穏な足音がした。

 アルテミシアは身を堅くして、耳を澄ます。

 

 ――うそ!? 入って来た!?

 

 脚部鎧グリーブの鳴る音が倉庫の中に響く。

 荷車を転がす音などはしない。新たな荷物が到着したのではなく、見張りのレッサーオーガが入って来たようだ。

 

 気付かれたのか? と思ったが、その足取りは散歩でもするようにぶらぶらとしたものだ。

 見張りに退屈して、気まぐれに倉庫内へ入ってきたのかも知れない。

 ……そうであってくれとタクトアルテミシアは祈った。奥まで見に来たりしないで、そのまま持ち場に戻ってくれ、と。

 

 だが、その足音がある程度まで近づいてきた時だった。

 

 「グ!?」

 

 レッサーオーガは訝るような声を上げ、次いでスン、スン、としきりに鼻をひくつかせる音。

 そして明らかに早足になり、うろつき始めた気配があった。

 

 ――こいつ、人間のニオイ分かるのか!?

   でなきゃ、もしかして下水道の臭いとか付いちゃってた……!?

 

 血の気が引いた。

 

 タクトアルテミシアは手元にある物に、素早く目を走らせた。

 数種のポーション、そして調合道具。剣も盾も、隠れるのに便利な段ボール箱も無い。


 ――仲間を呼ばれたら終わりだ! 先手を取って膂力強化ストレングスで仕掛ける?

   いや、鎧を着てる相手を殴り倒すのはキツイ!

   じゃあ迷彩ステルスで荷物抱えて逃げ出す?

   ……明らかにいじった跡が残ってたら仲間呼ばれるか!?

   

 足音が近づく。

 ぶらぶらと暇つぶしで歩いているわけではない。

 辺りの様子を確かめ、物陰を検めながら。

 足音が近づく。近づく。

 アルテミシアが隠れた大きなコンテナを回り込み。

 

 異形の頭部が、にょっきりと現れた。

 

 その時タクトアルテミシアはうずくまり、噴霧器を構えていた。

 魔物の顔を恐れず見据え、片手で口元を押さえて息を止め、もう片方の手を思いっきり突き出して、タクトアルテミシアはポーションを吹きかけた。

 

 意外なほどに強く、まるで携帯消火器のような勢いで霧状のポーションが噴出した。

 

「ギッ!?」


 レッサーオーガは反射的にひるみ、顔を庇いつつ後ずさる。

 そして、既に手を掛けていた呼子を口にくわえ、吹き鳴らそうとして、それは叶わなかった。

 その身体は力を失い、糸を切られたように倒れ込む。


 そうして、ようやくタクトアルテミシアは息をついた。

 

「効いた……」


 噴霧器の中身は麻痺毒パラライズポーション。

 服用・吸入・武器への塗布など、なんらかの手段で摂取させる事で身体の麻痺を引き起こす毒だ。

 レッサーオーガはピクピクと指先を動かすくらいしかできない様子で、身体を痙攣させていた。

 タクトアルテミシアは脱力した手から剣をもぎ取り、喉に無理やり突き込んでとどめを刺した。レッサーオーガは血の塊を口から吐いて、今度こそ永遠に動かなくなる。

 

 切り抜けた。

 しかし、見張りが消えたとなれば、監視なり、荷物の搬入係なりがすぐに気付くだろう。

 

 ――ここまでか。

 

 タクトアルテミシアは成果物を近くにあった空き箱に入れ……それを持ち上げようとして持ち上がらず、仕方なく膂力強化ストレングスポーションをひとつ服用した。

 荷物には迷彩ステルスポーションを吹き付けて透明にし、自分自身は透明化インビジブルポーションを使用する。どうせ裸だし、自分自身で全身に迷彩ステルスポーションを吹き付けるのは難しいからだ。

 透明な荷物を抱えて、タクトアルテミシアは全速力で駆け出した。

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