1-18 やつらは春に生えてくる
街の南側、河の荷揚げ場からそう遠くない場所に倉庫街がある。
街道と河川を通じてゲインズバーグシティへ運ばれてきた荷物が集まる場所だ。
レンガ造りの堅牢な倉庫が、数えるのも虚しくなるほどに整然と並んでいる。
その間を、領兵姿の魔物が時折巡回していた。
「思った通り。見張りはロクに居ないわね。
こんなとこまで手厚く警備できるほどの余裕は無いみたい」
建物と建物の間にある細い隙間から、遠目に倉庫街を見て、レベッカは分析した。
だが、たとえ見張りが少なくても戦って通るわけにはいかない。
外には監視の目がある。迂闊に騒ぎを起こせばすぐに発見され、児島がすっ飛んでくるだろう。
レベッカの傍らのタクトは固唾を飲む。
今、タクトが着ているのは簡単に脱げるサンダルと、馬車上で風よけに着ていたローブ1枚きりだった。
――痴漢……じゃない、痴女だこれ。
ローブの隙間から風が吹き込んできてタクトの身体を舐めていく。
もし元の身体でこんな格好をしていたら留置場直行ルート間違い無しだが、この姿なら保護されるのか、あるいは悪い奴に攫われてしまうのか……どちらにしても街が平和ならの話だ。今見つかれば、児島の殺されるだけだろう。
「最後にもう一回聞くわよ。行けるのね?」
「……行きます」
タクトは恐怖を振り払うように頷いた。
ローブの下の手には、一本きりの透明化ポーションが握られている。
* * *
タクトが考えた作戦。
それは、このポーションを使って倉庫に忍び込み、略奪された機材と材料を使ってその場で調合を行う、というものだった。
成功すればある程度のポーションを揃えて領城へ向かう事ができる。特に迷彩ポーションを持ち込めれば最高だ。
だがそのためには、タクトひとりで倉庫に忍び込み、見張りの目をかいくぐって目当ての物を見つけ出し、さらに見張りに見つからないようその場で調合を済ませ、迷彩ポーションを使って荷物ごと戻って来るという曲芸じみた荒技を成功させなければならない。
この提案には誰もが絶句した。
そもそも、タクトがポーションを作れるという話自体、皆にとって突拍子も無いものではあったのだ。
「本当に作れるのか……?」
「ポーションのレシピなんて口伝なんだろ?
この工房をひっくり返したって作り方なんか出て来ないはずだ」
領兵たちは当然のように疑わしげだ。
「あ、えっと、レシピは分かると言いますか、必要無いと言いますか……」
「本当です! アルテミシアは村に置いてた薬草からポーションを作って、村を守ってくれたんです!」
「……はい。ほとんど残ってないですけど、これだって私が作ったんです」
タクトは辛うじて無事だった治癒ポーションと解毒ポーションを鞄から出して見せる。
美しい翡翠色と青玉色の液体が小瓶の中で揺らめいた。
ポーションはしばしば宝石にも例えられる美しい色合いを見せる。正確には失敗作でもこういう色になる事はあるのだが、さすがにこの状況で疑いはせず、領兵たちは身を乗り出してこれを刮目した。
「待って。ちょっと待って」
だがレベッカは何故か頭痛をこらえるような顔をしていた。
「物事は正確に言いなさい。
このポーション、薬草を混ぜるだけで、作ったって言うの!?」
「そうですけど……な、何か変……なんですか?」
「私、確かに見ました。アルテミシアが薬草を混ぜていろんなポーションを作ってるの」
アリアンナがタクトを弁護したが、それを聞いてレベッカは頭をかきむしり始めた。
「中和剤無しの調合とかいつの時代よ!? 今世紀最大の発明のひとつじゃない!
あれが無きゃポーションなんて未だに王侯貴族の飲み物だったわ!」
「ちゅうわ……ざい?」
「……まさか、知らないの?
調合を安定させる薬品。今時の調合は全部あれで成り立ってる。
中和剤無しの調合なんて10本に1本も成功しないらしいわ。解毒みたいな簡単なポーションは別だけど……
そこらの冒険者でも治癒ポーションを使えるようになったのは、間違いなく中和剤のおかげよ」
レベッカの説明を聞いて、タクトはあらためて、自分の力が『チート』であることを思い知った。
治癒ポーションなんて、名前だけ聞いたら二束三文の回復アイテムみたいなイメージだが、そうとも限らないようだ。
「それとね……もうひとつ確認させて。
あなた、膂力強化ポーションを使ってたわよね?」
「はい、使ってました」
「……どうやって作ったの?」
悪い事をしたわけでもないのに、タクトは追い詰められている気分だった。
名探偵に追い詰められる量産型殺人犯はきっとこんな気持ちなのだろう。
「や、薬草を混ぜて……」
「森の薬草を、使って?」
「は、はい」
「膂力強化ポーションは、雪深い高山でしか育たない『氷晶花』の葉が必要なの。慢性的に供給不足で、そのせいで膂力強化ポーションの値段は高いの。そんな簡単な材料で膂力強化ポーションが作れるなら、はっきり言って軍事バランスが変わるわよ!?」
「えっ……!? ぐ、軍事バランス!?」
話を聞いて、むしろタクトの方が驚いた。
タクトにとって膂力強化ポーションは、便利で手近なポーションでしかなかったのだが。
「もしかして、このレシピ……麻痺毒が併発しかねないせいで、みんな使ってないのかも」
「どういう事?」
「これ、すごく比率が厳しいんですよ。ちょっとでも混ぜる量を間違うと、膂力強化と一緒に麻痺毒の効果も出るんです」
レベッカは何かが腑に落ちたようで、『あちゃー』とでも言いたげに顔を覆った。
「……たまに、妙に安い膂力強化ポーションが売られてる謎が解けたわ。強化はされるけど同時に麻痺もする不良品……」
「それ、もし不良品だって知らずに使っちゃったら……」
「敵の目の前で麻痺して、十中八九死ぬわね」
「うわぁ。被害者が死ぬから悪評も広まりにくい。『残念ながら使用者は全員死んでしまいましたが事故は一件も報告されていません』ってやつだ。疑いようもなく幸福です」
そして、まっとうで堅実な商売をしようという薬師なら、簡単に副作用が付くレシピなど使えない。だからこそ認知されていなかったのだろう。
「でも、投入量をちゃんと量れば誰だって作れる気がするんですけど、どうして普及しないんでしょうか」
「……私もそんなに詳しくないんだけど、完全に同じ材料、同じ投入タイミングで薬を作っても、材料は一つ一つ、品質や含有魔力量が違うから、そのせいでバラつきが出るって、前、依頼をくれた薬師さんに聞いたわよ。だから、『ピッタリこの量を入れないとダメ』みたいなレシピは再現できなくて意味が無いって……」
「なるほど……」
「って、なんで私の方がアルテミシアより詳しいのよ。もしかしてこれも記憶喪失ってやつのせい?」
「あ、えーっと……」
タクトはあくまでチートスキルに頼って薬作りをしているだけで、薬師として理論を学んだわけではないのだ。知らないのは当然だった。
この際、変に隠すのは得策ではないし、意味も無いように思われた。レベッカは冒険者として(もしくは逃亡中の犯罪者として)諸国を渡り歩いたためか、この世界に対する知識量では、転生者であるタクトに圧勝している。言い訳をしてもボロが出るだろう。
「確かに私、薬作りの知識は全く持っていません。元から学んでいないのか、忘れてしまったのかも分かりません。ただ……見えるんです。作っている薬の効果が」
「み、見える……?」
「はい。ですから、作る度に正解が違ったとしても、同じ効果の薬を作れるんです」
「それなら、確かに薬を作れるでしょうけど……このレシピはさすがに普及させられないわね。他の誰にも真似できないわ」
――よし、助かった!
レベッカの説明を聞いて、タクトが真っ先に抱いた感想はそれだった。
どうやら世界のパワーバランスを変えるような秘密を掴んでしまったわけではないらしい。
しかし同時に、自分が独自の手法で膂力強化ポーションを作れる事は、できるだけ秘密にしておこうと思った。この秘密が知られたらまず間違いなく、タクトにとってあまり愉快でない事態になる。
そんな事を考えていると、唐突に、レベッカがタクトの頭を撫で始めた。
「な、なんですか?」
「『よくできました』よ。天才じゃない、アルテミシア」
「それは……どうも」
なんだか全身がくすぐったかった。運動はダメ、芸術ができるわけでもない、勉強は中の上という状態だった通野拓人が才能を褒められた事など、どれほどあっただろうか。いや無い。
「……それで、皆さんのご意見は?
この子は間違いなく天才……いいえ、神童よ。
その場でポーションを調合して戻って来るっていうの、決してデタラメな作戦じゃないわ」
レベッカはタクトの頭をモフモフしながら皆を見回した。
アリアンナは本気で心配している様子だ。だが完全に守られる立場である彼女は、この場で意見を述べる事を憚っている。
他の者たちは……渋い顔だ。この作戦で危険なのはタクトひとり。
成功すれば打開の一手になる事は間違いないのだが、こんな戦う力すら無い子どもを危険に晒す事が果たして正しいのか、自らの倫理観や誇りに照らして、賛成とも反対とも言えずにいる様子だった。
「レベッカ殿はどうお考えで?」
「お姉ちゃんは反対。この子調合はできても、潜入とか戦闘はド素人でしょ。
でも本人が行くって言うなら止めないわ。有効なやり方だって分かってるもの」
「行きますよ」
タクトはキッパリと言った。
恐ろしいし、成功するかも分からないが、もう覚悟は決めたのだ。
完全に行き当たりばったりではない。
ポーション工房に残っていた台帳(字が読めなかったのでレベッカに読んでもらったのだが)には、迷彩ポーションの製作と出荷の記録が残っていた。材料がここに全て持ち込まれていれば、作れるはずなのだ。荷物ごと姿を隠して出てくる事ができる。
そして、材料が運ばれた先を探すのはそう難しくもない。あの大量の薬草が放つ強烈な香りは、近寄れば間違いなくそれと分かる。
「行きます」
タクトはもう一度言った。異論は出なかった。
「決まりね」
「……で、いつまで撫でてるんですか?」
「アルテミシアの頭、ふわふわで気持ちいいんだもん」
そう言えばアリアンナも頭を抱きしめてふわふわしていた。この頭には小動物的なモフリティが宿っているらしい。
* * *
「次、ここを見張りが通ったら、40秒後に出なさい」
見張りの数と巡回の周期を見ていたらしいレベッカが言う。
「ここまでは下水道を通ってこられたけど、この先、隠れられる場所は無いわ。ここでポーションを飲んで行きなさい」
「分かりました」
「……生きて帰るのよ」
「もちろん、そのつもりです」
死を厭わず戦うなんて思考はタクトには無い。
生きるために命を賭けるのだ。
タクトはポーションの栓を開け、一滴も残さぬよう飲み干した。
するとたちまち、手が消えた。ポーションの空き瓶だけが目の前に浮かんでいる。
ローブをするりと脱ぎ捨て、サンダルも脱いで裸足で立つ。足の裏にひやりとした地面の感覚が伝わった。
文字通り、一糸まとわぬ状態だ。
「ちゃんと消えてます?」
「ええ。見えないのが残念よ」
どういう意味なのか聞くのは怖いのでやめておいた。
「気を付けて。それ、あんまり長くは効かないから。
私はここで妨害符持って待機してるからね。倉庫街ぐらいは効果圏内だから」
「分かりました……!」
タクトは通りに向けて一歩を踏み出した。