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17-10 ヘクトパスカルミリバール

 刈り入れの季節も終わりに近づき、ゲインズバーグの街には涼しい風が吹いていた。落ち葉の香りを孕む風が、ふわふわの髪と翼膜の外套を揺らしていく。

 うっかり薄着をしたら風邪でも引いてしまいそうな天気で、それでも日の光は温かかった。


 領城のバルコニーからアルテミシアは街を見下ろしていた。

 雑踏を行き交う人々は、ありんこみたいにしか見えない距離からでも活気に満ちているのが分かる。


 しかし、アルテミシアが『死の影』を見る目を開けば、そこに広がるのは青紫色に燃え上がる道。

 この街の多くの人々が死の危険に晒されている証だった。


「良いかね?

 これから私は、参謀と共にまとめた防衛策を一つ一つ述べる。

 君は、それを実行すべきだと思ったら承諾してほしい。君の決断なくば、我らはそれを実行しない」

「分かりました」


 隣に建つレグリスはカンペのような紙を手にし、そこに目を落としていた。


「……まずは防衛兵器の配置転換。城壁に置いていたマジックアイテムを領兵団に預け、街の各所に設置する」

「良いと思います」


 内容と妥当性は判断しきれないがそれでいい。

 アルテミシアは形式的にレグリスの言葉を承諾する。

 すると、眼下の景色が揺らいだ。まだらに、ほんの少し、『死の影』の炎が薄れたのだ。


 アルテミシアに宿った『死の影』を見る力は、このままアルテミシアが何も介入しなかったらどの程度の確率で死ぬかを判定する。

 逆に言えば、アルテミシアが行動する度に容易く移ろう。

 あくまでアルテミシアの決断という形で状況を変えるなら、それがどの程度未来に影響するか測ることもできるわけだ。

 これはレグリスの考えた策だった。


「相手の戦闘スタイルも考慮し、領兵団の編成もいじる。飛び道具を主体に、少人数でグループを組ませていく」

「実行しましょう」


 また、眼下で炎が揺らいだ。

 しかしそれは僅かな変化だ。炎が強まったのか弱まったのかも分からないほどに。


耐火ファイアプルーフポーションを増産する、火属性耐性の魔化を主立った騎士に施すなど、炎に重点を置いた備えをする」

「それもやりましょう」


 レグリスの次なる提案を承認した時だ。

 街中に揺らめいていた昏い紫色の炎が溶けるように揺らぎ、薄らいだ。


「……!

 効きました、今までの中ではこれが一番『死の影』が弱くなります」

「なるほど、ではこれを優先的に進めるとしよう」


 レグリスが快哉を叫ばんばかりの顔で頷いた。

 これはエドワードから聞いた"グール"の戦法への対応策として考えたものだろう。


『奴の【ドレインハンド】は確かに恐ろしいチートだが、所詮格闘攻撃だ。

 それは奴の方もよく分かってて、それだけじゃ相手にしきれないと見れば魔法を使う。

 一戦交えて分かってるとは思うが、奴の得意技は炎だ。対策は用意しといて損はしない』


 エドワードはそう説明していた。

 相手の得意な攻撃に耐性を付けておくのは戦闘の基本だ。


 レグリスは更にいくつかの作戦を述べて、アルテミシアはそれを逐一肯定しつつ街の反応を見た。『死の影』がどの程度増えるか、あるいは減るか。

 アルテミシアが見て取った街の様子を、レグリスはメモしていった。


「……ひとまずは以上だ。

 対応策はまだ考えている、また後でこの実験を頼むぞ」


 合わせて10程の作戦について確認すると、レグリスはそう言って締めくくり折りたたんだメモをスーツのポケットに収める。

 時間は限られているし人手も金も有限だ。レグリスは特に効果が高いと判定された作戦から優先して採用し、具体的な手筈を整えていくことになる。


「了解です。それと、人を集めて見比べる実験もしてみたいんですが……」

「と言うと?」

「例えば行商人の方を集めて、『明日街を出る予定の人』、『明後日街を出る予定の人』、『3日後に街を出る予定の人』って並べて、どこから『死の影』が強くなるか観察したら襲撃のタイミングが分かると思うんです。

 あと、場所を動くことができない人……重病人とかお年寄りの方ですけど、街中でそういう人達に会ってみたら、どこが戦場になるか分かったりしないかなって」

「なるほど……確かにその通りだ。すぐに確認事項を洗い出し、手配しよう」


 レグリスは稲妻の閃くような目つきでアルテミシアの意見具申に頷く。

 その時、控えめな速度で走る足音がして、バルコニーに通じる廊下に誰かが現れた。


「アルテミシアー?

 ……あ、済みません領主様! おられたのですか!」

「いや、気にしないでくれ、用は済んだところだ」


 ここにレグリスが居ると知らずに来たらしいアリアンナだ。

 彼女はレグリスの姿を見て思いっきり恐縮して壁際まで後退してしまった。

 ちなみに彼女もまた『死の影』を纏っている。少なくともレグリスよりは濃く。


「アリア、どうかしたの?」

「山へ狩りに出ていたレイさんが戻ってきたんだけど……」

「それは見えてた。羽ばたきも聞こえたし」


 農地に住み着いた手負いのドラゴン、サ・ジュ・レイ。

 怪我の具合も多少良くなってきたからと、彼は昨日から狩りに出かけていた。


 人ではなくドラゴンへの転生だが、レイもまた地球からの転生者である事に違いはない。

 エドワードはレイが帰り次第、"グール"すなわち『転生者狩り』話をすると言っていたのだが。


「エドワードさんと何かお話しして、そしたら二人がアルテミシアを呼ぶようにって。

 ……事情は分からないけれど、なんか、エドワードさんはすごく深刻な様子で……」


 不安げなアリアンナの言葉に、アルテミシアとレグリスはなんとなく顔を見合わせた。


 * * *


『実際、堪えるよ。こういう流れになるとね』


 刈り入れも終わり、秋風が吹き抜けるばかりの農地にどっかりと座り込んだ巨体。

 レイはその巨躯に見合わぬ弱り切った顔をして(そのせいでコミカルな印象だ)、鉄をも引き裂く爪で頭を掻いていた。


 傍らでは腕を組んで仁王立ちしたエドワードが、暑苦しい筋肉顔をしかめている。


グールの狙いは、レイだ。

 かつて彼を襲ったという謎の人物の特徴を聞くと、そうとしか思えない。

 グールはこれまでの行動を見る限り、殺し損ねて逃がした相手にはかなり強く執着する様子でな……

 ゲインズバーグシティにドラゴンが住み着いたニュースは結構な話題になっていたからな、それを聞きつけて来たのかも知れん」


 淡々と論理を積み重ねるようなエドワードの説明を聞いて、アルテミシアは冷たい手で心臓を鷲づかみにされたかのように感じた。

 誰あろう、レイをこの街に招いたのはアルテミシアであって。


「そんな……それじゃ、わたしのせいでこの街が……?」

『違う』


 レイが、重々しい声音にそぐわぬ軽い調子で、しかしハッキリキッパリと言った。


『俺と領主様は、相互に利益があると思ったから契約を結んだ。

 アルテミシアはただ俺を心配してそれを仲介した。それだけの話じゃないか。

 あんな奴が付いてくるなんて二人とも……いや、俺はドラゴンだから『二人』って言うのも変だけど、二人とも思わなかったわけだ。そうだろ?』

「それは……はい」


 そんなことは分かっている。

 分かってはいても、居心地の悪さを感じて引き金を引いてしまったことに後ろめたさを感じるのは当然だった。そのせいでどれだけの人が死ぬか分からないのだから。


『それに転生者を殺し回っている奴なんだから、俺がこの街に居なかったとしてもいつかは来ていただろう。

 お前はもちろんとして、他にも転生者がこの街には居るんだから』

「はい……」

「スマン、俺の言い方も悪かった。アルテミシアが悪いわけじゃない」

『だいたい、そんなこと言ったらまず気に病むべきは俺ってことになるだろ。俺狙いなんだから』


 レイとエドワードの二人がかりで慰められてアルテミシアは逆に申し訳なくなった。

 こんなもの、勝手な罪悪感の尻拭いをアウトソーシングしているだけだ。


「ごめんなさい、大丈夫です。

 そんなこと気にしても何も始まらないのに……」

『つっても実際、放っておく訳にもいかないってのは分かるよ。だから俺もやれるだけのことは協力したい』


 レイが無闇やたらに威厳のある顔で言った。

 ドラゴン的には単に真面目な顔をしただけのようだが。


『ところで俺にも『死の影』ってやつ、見えてる?』

「ええと……はい。割と濃く」


 新緑の色をしたレイの鱗におぞましい色合いの炎が焼き付いて、アルテミシアにはグリーンと言うよりもパープルドラゴンに見えていた。

 焼身自殺中みたいな姿のエドワードよりはマシにも思えるが、しかしその『死の影』の濃さは『転生者狩り』の標的と聞けば納得の姿だ。

 ちなみに何故かアルテミシア自身は火の粉が舞う程度の死亡率。たたでさえ自分自身の予知は不安定だからよく分からないが、前線に立つのはほぼ不可能な能力だから戦死の危険が少ないのだろうと暫定的に考えていた。


 死亡予報をもたらされ、レイは火気厳禁っぽいニオイの溜息をついた。


『だーよーなー。

 俺はあのイカレた殺人鬼のせいでこの街の人が死ぬのなんて見たくないし、俺自身も死にたくない。

 だとしたら力を合わせて立ち向かうしかないってことになるよな』

「そう……ですね。わたしも、できることならなんだってやります。

 このままじゃ酷いことになるのは確定ですもん」

「ああ、この街をグールの狩り場にするわけにはいかん」

「はい」


 アルテミシアが小さな拳骨を突き出すと、エドワードは数倍の質量を持つ剣ダコだらけの拳をそこに合わせ、レイは大きな爪の背でそれに触れた。


「えいえいおー!」

「『おー!』」


 丸刈りになった農地のド真ん中で、二人と一匹が拳を突き上げていた。

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[一言] Vtuber活動や薔薇姫などがひと段落ついたら、こちらの方も更新していただけると嬉しいです
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